
序破急三部作の最終話でございます笑
行動制限が無い今夏、いかがお過ごしだったでせうか?
駄菓子菓子、ワタスにはその〖ニッポンの夏〗を享受することすら許されなかったのかもしれない。
いや、むしろ人生観と生命の真理と向き合う時間を得られたと思うべきか。
そして、これにより人間関係の断捨離も完遂したといっても過言ではなかった。
オヤジの代とオレの代は違うんだYO
とか言ってみる( *´艸`)
もちろん、一切合切と言うわけではなく、おっ父に対しての弔意の意を示して下さった方々にはおっ父のナカーマで居てもらって感謝している。
まぁ、知人や仕事関連と言われていた中には腐れ縁みたいなのもあるわけで、縁切りで有名な山寺 立石寺で縁切り祈願もしてきた。
無論、祈願したといっても、自分なりに動いてきたこともあるわけで、結果的に人間関係の断捨離を概ね達成できたと自負している。
とか、いつまでも盆休みの話引っ張ってなんだが、まぁ色々ありますた、と言う話。
前置き長っ(›´ω`‹ )
さてさて。
去る盆休み最終日あたりに喉の違和感を感じる。
この時クーラータイマー忘れ一晩かかって草(  ̄▽ ̄)
8月18日
なぜか頭痛が((( ;゚Д゚)))
8月19日
義妹父の葬儀から帰ってきて、だるさと顔火照りを感じる。寒気なし。
暑かったから、いよいよ熱中症かと疑うも、念のため体温計ったら36.8度を行ったり来たりしていた。
8月20日
発熱37.5を行ったり来たり。
たまりかねて休日救急に連絡するも、1ヵ所は、基本的には発熱外来行くよう言われた。
休診にあたるためこの日は無理。
なかなか辛いので別の休日救急当番の市立病院に連絡してみる。しかし当直は他専門医師のため対応不可(爆)
おまけに発熱外来は平日のみと判明。
その熱の上がりかたなら、市販薬で様子見るよう促された。
色々府に落ちないなか、仕方なく地味に最悪な週末を過ごす。
ちなみにしかるべき責務はやってあった。(状況の連絡済み)
三日目で落ち着き、そこから約1ヶ月弱咳がおさまらない。
痰がからむ咳は三日ほど、イソジン系は予防に特化したうがい薬らしいので、殺菌に特化したうがい薬に切り替えた。
それでも一進一退だったので、意を決して午後いち病院へ。
熱は当然無かったが、風邪症状は発熱外来へと言われ、
いよいよPCR検査を(›´ω`‹ )
軽い問診をしたが、四週間近く咳が続くのもコロナ後遺症でも例が無く、謎らしい。
思いの外検体が取れ、看護師さんに渡す。
採取上手ですね~なんて言われ、昼過ぎでまだ昼ご飯食ってないからかもしれないと返したら笑われて草(  ̄▽ ̄)
結果は翌日に電話で。
一応せき止め処方して終わり。
翌日昼過ぎに病院より入電あり。
病院『昨日のPCR検査の結果ですが………
ワタス『は、はい(  ̄▽ ̄)
(  ̄▽ ̄)
( ̄▽ ̄;)
病院『陰性でした!!!
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!
という訳で、ひとまず安心なり!!
以降ややしばらく咳出やすかったので、検査により後回しした会計ついでに念のため診てもらい。
レントゲンも撮って、とりあえず肺も綺麗でモーマンタイ!
ワクチンもやった、新生活様式にも乗っ取っている、極力人混みを避ける、混んでる店舗に行く際は短時間で、自己防衛にマスク等は必須、県跨ぎも必要最低限と状況を見て。
特に今回はオミクロンの変異種で感染スピードがハンパなかったことを踏まえ行動に慎重にした。
にもかかわらず、夏風邪ひいて発熱までしたこと、これがコロナならば脇が甘かったんじゃないかと反省。
かつて父親が病床にあったころ、風邪すら命取りと宣告され、自分なりに徹底した自粛のときの、あの張り詰めた心構えが緩んだんじゃないかと。
猛省しきりだった。
いつどこでなってもおかしくはない。
身の回りで濃厚接触やら感染したやらが出てきて、これが目前まで迫ってきていた。
救いは身内だけがなかったものの、いつなるかも誰も解らない。
しかし、これと引き換えに新コロの対応方法も概ね解ってきた。
かからないようにすることも、かかった後のことも正しく知り、それぞれ独自の対策もあるので混乱しないようにしなければならない。
まだまだ前途に光明は見いだせない訳だが、あせったり痺れきらして騒ぎ出したりせず、慎重に世の動向も見いだして、楽しむときは楽しむようにしなきゃと気持ちを新たにした。

Posted at 2022/10/06 20:01:59 | |
トラックバック(0)