
ひょんな事から、断片的だった長年の疑問が一気につながる。
それまでは、風景の中の一つのアクセントくらいの位置づけで認識されていた物が、あっという間に自分の中を埋め尽くしていく感じ。
そうなると、自分でも歯止めが効かなくなる、いわゆる熱しやすく冷めやすい、典型的な性格です。

近所の山中をウロウロしていると、この黄色い杭を頻繁に見かけます。

「安曇」とか「黒部」とか、関東の端に位置する盆地民としては何となく、さわやかな観光地への旅情をかき立てる、その程度の存在。
鉄塔巡視路の杭ということだけは知っていたのですが、その名前とか番号とかが意味することは、特に深く考えていませんでした。

それと、鉄塔に貼ってあるこの御札。とあるホームページを何となく眺めていて、この札の疑問が解決します。
日本中に張り巡らされている送電網にはそれぞれ名前が付けられていて、主に起点(発電所や変電所)の地域名が付いて、そこから順番に繰り上がりで鉄塔に番号が振られているそうです。
この「黒部幹線」は長野県大町市の七倉ダム中の沢発電所あたりから引かれている、569番目の鉄塔ということ。
下の方に「 昭 2 10 」と書かれています。
昭和2年?
88年前ですよ?

88年前にこれが作られて、しかも現役。にわかに、信じられませんです。

この鉄塔、冬期は閉鎖となる十国峠を越えてます。冬期閉鎖と言うことは、それなりの自然環境だと思うのですが、そこで88年も現役を続けていると。

そうなると、この鉄塔群に俄然、興味が湧いてきました。

その中の一つ。
安曇幹線という、昭和44年に長野県梓川に建設された発電所から、首都圏に電気を送るために設置された送電路。
上記、黒部幹線と同じ、十国峠を越えてます。
関東近辺では、ちょっと特異な形をした送電鉄塔。
”烏帽子型”、通称 ”ねこ” と呼ばれているようです。
狭山丘陵あたりにはこれの親分に当たる、”大ねこ”がいるようですが、廃止に伴い撤去がすすんでいるとのこと。
安曇幹線に関する詳しい経緯は、にわかな私が語るべくもなく、
先輩方がたくさんおりますので、そちらを参照してみてください。

出典:電子国土
話は飛びますが、この安曇幹線。元々は1回線だった物を2回線に増やし、さらに秩父開閉所に引き込むことによって、初代の安曇幹線は秩父開閉所付近から先が休眠区間となりました。
その分離点が近くにあると知ってしまったら、見てみなければ気がすまないというのも、これまた熱しやすく冷めやすい性格の所為。

今回は、このねこのふもとを目指しましょう。

入り口はここ。懇切丁寧な巡視路杭があるため、まず迷うことはありません。
しかし、一般的な登山路とはかけ離れていることも多いため、それなりの準備は必要。熊鈴は必須です。

最初は黒部幹線628号への巡視路と並列ですが、

途中で分かれます。

結構な急坂を休み休み登り、直線距離であと240m。

足下が見えてきました。もう少し。

約30分、安曇幹線1号線237号鉄塔に到着です。

その上部に切り離された

安曇幹線282号鉄塔。私と同い年です。

謂わば、これが現曇幹線の現起点鉄塔。
上半身は取り壊され、碍子がぶら下がっていました。

どんな風に切り離されているのか楽しみにしていましたが、新たに237号を作り、そちらに電線を掛け替えて秩父開閉所に引き込んでいるだけでした。ちょっと期待外れ。
それでも鉄塔周囲は手入れがきちんとなされており、良い眺めです。
向こう側の尾根には、安曇幹線2号線がよく見えました。
さて、目的は達成。遅くなりましたが、ここで昼食を摂って帰路につきました。
ねこ巡り、熱が冷めるまではしばらく続くかも、です。

今日のデルビス号。
Posted at 2015/06/14 22:24:19 | |
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鉄塔 | 日記