2008年02月26日
お友達のMRさんがmixiの日記に書いてあった
※スペシャルサンクスyutaka_E91さん(^^)
この前、TVでも見たんですけどね(^^;
早速予約しました!
3月22日発売です!
野球盤オフもやる予定!
楽しみ~(爆)
Posted at 2008/02/26 21:34:56 | |
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雑記(車以外) | 日記
2008年02月26日
昨日、2月25日は父の命日でした。
平成16年2月25日の早朝、妹からの電話で起こされました。
「お兄ちゃん、スグ帰って来てぇ!お父さんが、お父さんが…」
半分叫ぶように、泣きながらの電話に飛び起きました。
妹の電話を聞いても、何か現実感が乏しかったのを覚えてます。
C型肝炎からくる肝臓癌が発症して8年生きながらえてきた父。
その年の正月に帰った時に、衰えているとは言え起き上がって外にも出掛け、孫も抱いてあやしていた父。
自分が死んだ後、必要になる色々な書類とかをファイリングして、葬式用の写真まで用意してたのには驚きましたが。
あれから2ヵ月半で危篤って、そんな急に。
「まさか死なないだろ」と根拠の無い自信めいたものが有りました。
そんな事を考えながら、一応喪服も用意して着替え終わり、ソファに座り込み父の事を思い返していました。
ふと我に返ると、意外に時間が過ぎていて「ヤベッ」と思いつつ羽田に向かいました。
結局乗れたのは9時過ぎの飛行機。
あと20分早く出てれば一つ前の便に間に合ったのに、と思うと急に焦りだしました。
いつもは寝てしまう飛行機の中でも一睡も出来ません。
長崎に着いたのが11時過ぎ、タクシーに飛び乗り病院の名前を告げ。
「オヤジが危篤なんです、なるべく急いで下さい」
と頼みました。
もどかしく高速を走るタクシーは、メーターを見ると130km位出してくれてました。
病院に着きエレベーターのボタンを押した時携帯が鳴りました、妹からです。
病院の中だったんですが構わず取ると、意外に落ち着いた声で
「お兄ちゃん、、、お父さん亡くなりました」
脳の圧力が一瞬に上がった気がしました。
病室に駆け込み、母と妹が立っている反対側に立ち、父の手を握り締めるとまだ暖かい。
オヤジ!ゴメン、間に合わんかったばい!と心に思いながら、口に出たのは
「お疲れ様でした」
の一言だけでした。
それきり涙が溢れ、嗚咽してしまいました。
満州に生まれ。
工場を経営していた祖父のもとで意外に裕福に暮らしていたのを、終戦で全て没収され。
着の身着のまま日本へ帰り、それからは辛酸を舐めるような貧乏生活から教員になり。
日教組の幹部として活躍していたのを、母の頼みで昇進する為にやめ。
仲間から裏切り者とののしられ。
上からは見せしめの為に毎年転勤させられるような扱いを受け。
数年そのような状況にありながらも、国語研究会を立ち上げ活動し。
最終的に上に認めさせ、昇進試験の際の提出論文は厚さ20cmにもなったらしいです。
「役所の窓口の人がそれを受け取る時、起立して居を正して『ご苦労様です』と受け取ってくれたよ」
と後年自慢してた父。
私がグレてからは、いつも机の中に辞表を入れて、夜中に警察に髪の毛の寝癖もそのままに私を迎えに来た父。。。
九州・長崎とは言え雪も降るこの季節、珍しく暖かい小春日和の中、父は72年の生涯を閉じました。
葬式には思ったより多くの人たちが参列してくれました。
死んだ時にその人の価値が分かるって言いますよね。
私が死んでも余り人は集まりそうにもないなぁ。。
今も親孝行らしい事をしてあげられなかった事を悔いてます。
どこかに連れて行ってあげたくても、スグに疲れてしまって叶わなかったのです。
買ってあげたイタリア製のコートを、友人に自慢してたと聞いて少しは気が収まりましたが。。
死後、周りの方の推薦で父は受勲しました。
父は色んな物を残しました。
私は何か残せるんだろうか。。
Posted at 2008/02/26 14:16:12 | |
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