GWで久しぶりに時間が取れましたので、
少々調べ物をしてみました。
1980年代から1990年代にかけてBMWの躍進に大きく貢献したライツレ氏の事です。
※出典
https://www.youtube.com/watch?v=ugr3me2wfvc
略歴を書くと
・1949年生まれ
・1976年
BMW入社
開発担当役員として
E32、E34、E36、E38
※出典
https://m.facebook.com/BMW.Classic/photos/a.139004309487239/3491757120878591/?type=3&source=57&__tn__=EH-R
E39、E46、E52
といった、1980年代から1990年代にかけてのBMWを代表する各車に携わる
また、当時BMW傘下のランドローバーで
L322系レンジローバーも担当。
この車にはE38型7シリーズのコンポーネント
(エンジン・トランスミッション・サブフレーム・内装部品等)が多数流用されています
・1999年
次期CEOポストを巡っての権力闘争に敗れ、BMWを退社。
フォードの高級車部門PAGの副社長、
ジャガーの会長になる
※出典
https://www.spiegel.de/wirtschaft/bmw-ford-zahlt-6-milliarden-fuer-land-rover-a-69348.html
・2002年
PAG、ジャガーを退社。
エネルギー会社Lindeに入社
・2022年
Lindeの取締役会長を退任
そんな彼の直近の様子を調べていたところ、2020年頃の記事を発見しました。
https://gourmino-express.com/wolfgang-reitzle-nina-ruge/
取材の時点で70歳
カーガイとして知られる彼の愛車はBMW在籍時に開発したZ8のようでした。
尚、仕事の移動車はBMWでもジャガーでもなく
マセラティ クワトロポルテなんだそうです。
他にもいくつかの記事を漁っていると興味深いものがありました。
https://driventowrite.com/2017/04/28/wolfgang-reitzle-bmw-premier-automotive-group-ford-profile-ego/
https://driventowrite.com/2018/10/24/1998-bmw-e46-three-series-profile/
ライツレ氏がBMWを去ったのは次期CEOポストを巡っての権力闘争に敗れたからでした。
そしてE65型7シリーズのスタイリングはライツレ氏が権力闘争に敗れたが故に出てきたものであり、もしライツレ氏がBMWに残留出来ていれば、別のデザインになっていたようです。
(ライツレはE65型7シリーズのデザインを
クリス・バングルとは別チームに秘密裏に依頼していたとの事。)
というのも、E46型3シリーズもクリス・バングルのチームの下で制作されたスタイリングです。
しかし、E65とは異なりライツレ氏の影響下にあったE46では、あのクリス・バングルのチームですら伝統的なBMWのスタイリングの範疇でデザインをした。
この事実が、ライツレ氏に如何に影響力があったかを窺わせます。
また、ライツレ氏は会社への貢献もあり、
1993年当時、BMWのCEOだったピシェッツリーダー氏と同等の給料を貰っていたとの話もあり、
実はCEOよりも影響力があったのではないかとの噂まであるのです。
そんなライツレ氏は
1999年にフォードのPAGの副社長、
ジャガーの会長に就任します。
当時のフォードはジャガーをBMWと対等に戦うことのできるブランドに育て上げたかったのだとか。
そうともなれば、納得の人選です。
そして、乗り味、クオリティがジャガーらしくないとされていたX200系 S-typeのシャシーを彼が音頭を取って改良。
2002年のマイナーチェンジを成功させます。
(所謂S-type series2)
そんなS-typeや同年デビューのX350系 XJにはZF製の6HPという当時最新のATが採用されました。
※出典
https://twitter.com/ZFAftermarketUS/status/1021861373037477888
ZF6HPは2001年のE65型 7シリーズで世界初採用された6速ギアのATでした。
BMWの採用から程なくしてジャガー車この最新のATが導入出来たのは、ライツレ氏がBMW時代に築いたサプライヤーとの関係が大いに役に立ったそうです。
(かつてのジャガーはATの多段化にはやや消極的でした。
例を挙げれば、5速ATは1990年にZF5HPで登場してましたが、ジャガー車に採用されたのは1997年のX308型XJが初でした。)
また、ライツレ氏のBMW時代のパイプが残っていたのか、ALPINAにジャガーのハイパフォーマンスモデルの制作を依頼する案があったのだとか。
ここからは私の空想ではありますが…
NAエンジンの拘っていたALPINAが、
2003年登場のE65 7シリーズをベースにしたB7で突如スーパーチャージャーを採用しました。
もしかするとジャガーとの一件で、
スーパーチャージャーのノウハウを得たため、
これを活かさない手はないとばかりに市販車に採用したのではないか?
などと、考えてしまいますw
このようにライツレ氏がPAG副社長、ジャガー会長に就任した直後は、
良い車を設計、開発する為ならばと
資金を潤沢に使えていました。
しかしながら、2001年頃から親会社フォードで問題が発生します。
ファイアストーン製タイヤを装着した
フォード エクスプローラーで
事故が多発し、裁判沙汰になったのです。
結果、フォードは資金面で厳しい状況に陥ります。
そして、その皺寄せはPAGにも襲います。
ライツレの目指すモノは理想主義なところがあり、
彼に開発を任せていると資金が枯渇すると判断され、自由が利かなくなり始めたのです。
そんな臭いを嗅ぎ取ったライツレ氏は、
2002年5月にジャガーの会長職などを辞退してしまいます。
その際、GMのボブ・ラッツから声をかけられるもアメリカ流のやり方は自分には合わないと断り、ライツレ氏は自動車業界を去ってしまったのです。
あと半年程長くライツレ氏がジャガーに在籍していれば、
2002年9月のパリサロン、
X350のお披露目の場に姿を現して、
E38やL322レンジローバーの発表会の時のように
プレゼンをした可能性もあったでしょう。
そんな光景を目にしてみたかったものです。