jaguarXJ(X350)
BMW E38 7serise
どちらも古きよき時代の美しいデザインのフルサイズサルーンですね。
さて、この2台の共通点を皆さんはご存知ですか?
単にLセグメントのサルーンという点ではありません。
実は、この2台はヴォルフガング・ライツレ氏が関わっているのです。

【ライツレは右側の人物です。今はエネルギー系の企業
(リンデ社)
で役員をしているようです。
因みに、ハイドロジェン7はライツレの所属するリンデがBMWから借用していただけで、開発には関わっていません。】
ライツレは80年代から90年代にかけてエンジニア&製品開発担当役員としてBMWの躍進を支え、また次期社長候補にもなっておりました。
しかし、1999年にローバー不振によるBMWの業績悪化の責任をとってピシェツリーダー社長が解任された際にライツレ氏は権力闘争に敗れ、BMWを退社、フォードグループへ。
その際、BMWでの腕が買われてか、当時フォード傘下であった、ジャガー、ランドローバー、アストンマーティン、ボルボの計4社で成り立つPAGの副社長と、ジャガーの会長に任命されます。
ライツレのwikipedia
当時の記事
その頃のジャガーといえば、X200系のS-type初期型を出し、乗り味等がジャガーらしくないと酷評されていました。

ライツレはそんなS-typeのマイナーチェンジを指導したと言います。
マイナーチェンジでは、前後のサスペンションがサブフレームやアーム類まで徹底的に見直され、評価が大きく変わりましたね。
ジャガーは何か、それを見つけた「S」
また同時期には、1986年のXJ40のボディをほぼそのまま使い続けていたX308のXJ
に変わる新しいXJの開発が行われていました。
X308の5025×1800×1360mmという寸法からわかるように、歴代のXJは、非常に全高が低いのが特徴でした。
それ故に運転席に座ると低く座らされてスポーツカー風なドラポジに。
リアシートもルーフの低さもあり、ボディサイズの割に狭く、正統派のサルーンというよりは、現在のメルセデスCLSや、BMW6シリーズグランクーペ等、4ドアクーペのようなポジションニングの車だったのです。
こうして、他社のLセグメントとの直接的な競合を避けていたX308までのXJでしたが、(価格的にも622万円スタートと比較的廉価)
モデルチェンジに際して、年々厳しくなる安全基準を満たしつつ、
ジャガーをBMWのライバルとして戦えるブランドにしたいというフォードの要求もあり、
居住性をはじめとした実用性を追求する必要が出てきます。(ジャガー自身、X350で打倒E65 7シリーズを狙っていたとの事)
結果として、X350は5090×1900×1450mmと大型化。
Sクラスや7シリーズなど他社のLセグメントと直接競合するモデルになりました。
全高が上がった事でドラポジも当然、一般的な高さに座るものへ。
一方でジャガーらしく伸びやかなシルエットにするために、
・全長と全幅も伸ばし
・サイドステップの上に大きなプラスラインを入れ
・大径タイヤを用いつつ、バランスの崩れないレベルでウエストラインを引き上げグラスエリアを狭めた
このように、視覚的なトリックも用いつつボディが薄く見えるように工夫しました。
(※尚E38も似たデザイン手法を用いていました。

大径タイヤを用いる事でさり気なくウエストラインを高めに持ってきてグラスエリアを狭めつつ、X350がサイドステップの上に大きなプレスラインを入れたのに対して、E38はボディ下部をブラックアウトした事で実際には全高が1440mmあるにも関わらず、薄く伸びやかに見えたのです。)
また、ホイールベースもX308の2870mmから
X350では3035mmに165mmも延長。
XJらしい伸びやかなスタイリングを保ちつつ、大幅な居住性の向上をもたらしたのです。
(全高が上がり、ホイールベースが伸び、オーバーハングが短くなった事で
プロポーションが歴代のXJというよりは、E38っぽい気がしなくもないですが、そこがまた良い)
また、当時のフォードの潤沢な資金を用いてアルミボディ化しました。
X308のXJ8 4.0が1740kgだったのに対して、X350の XJ8 4.2は1710kg。
大型化しながらもボディのアルミ化により、軽量化を実現。
ちなみに同時期のBMWE65型740iは、

5040×1900×1490mmとX350と類似したサイズながら、1960kgという重量級でした。
BMWですから、この車重でも勿論走りは悪くないわけですが、X350の身軽さには敵いません。
実際、当時このクラスでベストハンドリングの一台はX350でしたから。
こうしてX350は、

歴代XJから受け継がれた持ち前の個性を生かしつつも、総合性能を高めたLセグメントのサルーンへと進化したのです。
ジャガーは持ち前の個性を重視するあまり実用性が犠牲になることが多かったですが、X350はそういう車では無かったのです。
趣味性が高くて、尚且つ実用性も犠牲になってない。
まるでE38型7シリーズのようです。
そして、X350がこうした仕上がりになった一つの要因が、E38の開発責任者を務め、X350開発時にはジャガーの会長だったライツレ氏の影響によるものだったのではないかと思うのです。
ちなみにライツレ氏がBMW在籍時、最後に開発に関わったとされるのは、

Z8
この車は、オールアルミニウムボディでした。
また、ライツレ氏のBMW在籍時終盤、
1995年登場のE39で

量産車初のオールアルミニウムサスペンションを採用
引き続き、1998年登場のE46にも投入するなど、

アルミニウム合金の投入を推し進めていました。
そこまでやったライツレ氏なら、セダンボディをオールアルミニウムで作ってみたいと思ってもおかしくはないはず。
実際、ライツレ氏がBMWを去ってから4年後の2003年に登場したE60型5シリーズは、
フロントセクションのみアルミ化したハイブリッドボディが採用されました。

E60の開発がスタートした時点では、ライツレ氏はまだBMWに在籍していたはずで、アルミの基礎研究は関与していたものと思われます。
しかしながら、BMWでのポストを失ってしまった。
そこでライツレは、ジャガー会長になると同時に、やりたかった事をフォードの資金力を用いつつX350で実現させたのではないかと私は考えてしまうのです。
(当時の自動車雑誌には、BMWの元ナンバー2が作るXJはどんな車になるか楽しみだと書かれてましたね。←ネコパブのカーマガジンのバックナンバーなのですが、何号だったかをわすれてしまいました…)
また、X350はデビュー当初、歴代のXJと比べ、ハンドリング性能の高さをしきりにアピールしていた印象がありました。
X308までのXJも走らせてみれば、見た目のイメージに反して軽快な身のこなしで走るのが印象的でしたが、ドリフト等ハードな走行を売りにする車ではなかったはず。
しかし、ライツレ氏は長年BMWに在籍し、E34やE36、E38 、E39、E46とハンドリング性能が高く評価される車を仕上げてきた人物。
そんな人物が指揮したとなれば、ハンドリングを売りにする事に納得がいくわけです。
その証拠に、かつてE38を所有し、尚且つ3台も乗り継いだレーサーの中谷明彦氏は
X350のハンドリング性能に関して、黄金期のBMWを思わせる仕上がりであったと評価しています。
https://www.webcartop.jp/2021/02/657188/
同じ記事によればBMWでE46の設計を行ったテストドライバーが、X350開発時にはヨーロッパフォードに移籍しており、X350も走らせてみればそのドライバーによる手が入っていると分かる仕上がりだったのだとか。
そして、各部にアルミニウムを使用する事で軽量化を目指したX350ながら、唯一サブフレームはスチール製となっています。
私はこの点が長らく疑問だったのですが、
BMW在籍時ライツレ氏が、E38の上質な乗り味を実現する為に拘ったのはサブフレームであり、その断面内に手の込んだ隔壁を仕込んでいたのだと知りました。
(ちなみに、この手の込んだサブフレームを某サプライヤーに発注出来るのは当時ではライツレ氏のみだったのだとか。)
X350開発時にジャガー会長だったライツレ氏はサブフレームの構造や素材が車の乗り味に大きな影響を与える事を知っていたが故に、X350のサブフレームは敢えてスチール製にしたのではないか?
そして、X350にライツレ氏の拘りを反映させたからこそ、その乗り味、ハンドリングが80年代〜90年代のBMWを思わせる仕上がりになったのではないか?
そんな予想が出来るのです。
この事を頭に入れた上で両車を比べると、
何処となく車全体から受ける印象は似てないでしょうか?
あくまでも、私の空想ですが…
今では車とは関係のない仕事をしているライツレ氏が最後に仕上げたX350というサルーンは、ライツレ氏がBMW在籍時に思い描いていたE38のモデルチェンジ版に当たる車だったのではないか。
それ故に、X350はXJとしてはハイテク技術(アルミボディやエアサス)が多く、またスポーティーな仕上がりとなり往年のジャガーファンが困惑する部分があったのではないか?
ジャガーXJシリーズ(6AT)【試乗記】
そんな気がしてならないのです。
(そうは言っても、ジャガー特有の世界観は残っていたように思いますが。)
如何でしょうか?
あくまでも私の予想でしかありませんが、X350へのモデルチェンジによって起きたXJの変化がこれで説明が付くように感じませんか?
尚、ライツレ氏はジャガーF1チームを率いてもいましたが、F1では成果を残せずにX350発表の直前である2002年5月にジャガーを去ることとなりました。
