ここで1990年頃のカセットデッキ設計主任の一戸(いちのへ)さんが製品の企画面で苦闘していた頃に、ある提案をした事を思い出したので書いてみます。
デンオン生え抜きではなくシャープから転籍した一戸(いちのへ)さんは、【元々の機器の魅力】を司る他社製品との違いを発案&提示してくれた【商品企画者に対するリスペクト】を持った音響機器【設計】者でした。
話は長くなりますが、一戸さんが私が提示した【水平ローディング式カセットデッキメカニズム】を採用したのは、当時のデンオンの商品企画は貿易部営業部員と海外の外国人営業マン達が決定していました。

私は商品企画部から秋葉原の営業マンに転籍して、こんなCDプレーヤーを売っていました。

1988年迄のCDプレーヤーは貿易部の意見を重視してリニアトラッキング式メカを使っていた。
商品企画部に復帰したのでデンオンの次期中級CDプレーヤーについての方向性を説明していた時の話。
メカにコストを掛けても独自性や商品性で評価は低かったので商品コンセプトの大変更を提案した。
KSS-151Aリニアメカ用ピックアップ

デンオン製リニアトラッキングメカ

業界で微小送り分解能に優れたリニアトラッキングメカは中高級機でも少なくなっている。
特にRFアンプを光PU内部に搭載したギアドライブ用ピックアップが主流になって来た。

ギアドライブ式メカ用光ピックアップの採用で大幅にコストダウンして価格を他社同じ¥79,800に設定した。
それ迄DACの半固定ボリュームを調整してゼロクロス歪を低減してたけれどDCD-1630は片チャンネルあたり二個の18bitDAC-ICにディスクリートで2bit分のDAC回路を組んで20bitとして±のデジタルバイアスを掛けてゼロクロスを回避する仕組みだった。
この回路を私はLAMBDA-SLC(ラダーフォームマルチプルバイアスDA−スーパーリニアコンバーター)と言う名前に命名して訴求した。
地味なデザインを大変更してシンプルなトラップドアでスッキリさせて更にシャンペンゴールド色でも展開した。
このDCD-1630が移籍後企画第一弾。
他社と同じ¥79,800にするこの時の考えが間違えだった事は、その後のDCD-1650GLとかDCD-S1の価格設定時に生かされました。
オーディオマニアが機器のグレードアップをする場合、購入可能な価格内であれば喜んでお金を払うという事。
コストダウンするより、ちょっと高いけれど音が良さそうだと視界に訴える事が重要だと言うことを学びました。

翌年も同様なコンセプトだけどそれ迄バーブラウン製の18bitDACにディスクリート回路で2bit追加していたが、デジタルバイアスを掛けてゼロクロス対策回路がDAC-IC内に搭載されたアナログデバイセズのワンチップ20bitのAD1862Nを使った。

コレが現在にも続くデンオンの銘機の1650シリーズの始まりです。
当時は営業課長の坂入氏と商品企画部の私は対立する事が多かった。
代表的なのは側板の色。
営業の坂入課長が下記の様なうんこ色を決定してしまったので不本意だった
営業部員の稗田君は坂入課長とは異なり企画側の意見を押し除けて自説を強要しなかった。音響機器の【営業】としてのアイデアを出していた。
(この稗田君は人付き合いも性格も良い営業マンとして才能が評価されて後々デノンの社長になりました。慶応義塾大学出身で元カシオペアのドラムスの神保さんの同僚で、あの稗田阿礼の末裔です。)
さてDCD-1650発売の翌年、うんこ色の側板が気に食わない私はDAC-ICを選別品にした『リミテッドモデル』として発売する事を提案しts。
製造コストが嵩む特別色ではなく、既に大量に仕入れているデンオンのレコードプレーヤーのキャビネットの色と同色にすることを提案した。
さらに基本的な設計はほぼ同一で、省エネルギー設計で済む様なことで浮いたコストを見た目と音響部品採用に投入した。
そしてDATデジタルオーディオテープレコーダーの著作権管理機構がSCMSシリアルコピーマネージメントシステムとして規格化されたので、それ迄はDATの発売に反対していた日本コロムビアソフトウェア部門の録音技術部の発売同意に至った。
実はSCMS制定前に日本コロムビア電機事業本部は非SCMSの高級DATを開発していた。
DTR-2000Gの企画が明確になった時点で商品企画部長の山野さんから非SCMSのDATを数台試作したのだが社員限定でこの試作DATを買わないかとの話があった。
旧規格の非SCMS機を一般販売することは出来ないが、社員向けならば販売しても構わないので声を掛けたとの事だった。
デザイン的にはCDプレーヤーのDCD-3500と同様、20万円を越える価格帯の高級機だった。
AD変換回路は当時の流れだった高速標本化低bitデルタシグマ方式でなくて4倍オーバーサンプリング逐次比較型だった。
回路的に古色蒼然なAD変換器だったので、アナログ信号には高次のフィルターが挿入されてしまうので私の価値観とすると買いたく無いモデルだった。
高次フィルターを挿入する必要があるというのはCDプレーヤーのデジタルフィルターが当時8倍オーバーサンプリング時に4倍OSと言うことではなくて、ノーOS回路みたいな古色蒼然回路と思った。
SCMSではなくプロ用DATのように、デジタルtoデジタルで録音出来れば価値があるとも思わなかった。
むしろアナログ信号をCDと同じ標本化周波数の44.1kHzで録音可能ならば生録マニアだった私は試作機を社員購入したけれども、肝腎要のAD変換器がこんな回路では全く価値がない。

私の上司である山野氏には、こんな古色蒼然のDATを社員に対しても販売すべきでは無いと言った。
文系大学出身者である私の視点を理解した理系大学出身の幹部は私が言っている事を理解したとは思えなかったが、結局、DTR-3500Gとも言われたであろうこの試作機は廃棄された。
CDフォーマットである標本化周波数44.1kHzでデジタル録音可能なDATは、この後カシオ計算機の方々と作ったDTR-80Pに繋がってゆく。
ちなみに現在多くのオーディオ設計者やマニアにとってfs標本化周波数を48kHzから44.1kHzに平気で変換してますが、当時NPCやアナデバのfs変換器の音質上の問題を把握して、fs変換する事はつまりFIRフィルターの問題を孕むことを理解していた我々はCD盤での配布をする場合にはDATの録音時に44.1kHzで録音して編集後、CD-Rにメディア変換すべきだと確信していたのでアナログ信号を44,1kHz16bitでデジタル録音出来るDTR-80Pを企画・発売した。
話がかなり逸れたが松下電機製メカを使ったDTR-2000Gを発売した。
デザインはDCD-1650に合わせた。
後に説明する「水平ローディング式カセットデッキのDRS-810GがDTR-2000Gのデザインと合わせた」と説明している動画があるが、それは半分正解で半分誤解です。
さて、私が商品企画部を去ったデノンのカセットデッキは再びこんなデザインになってしまった。

カセットデッキの商品企画は貿易部の意見を中心にまとめられていたのだが他社を出し抜く画期的な内容がある訳でもなく、デンオンのアンプと共に展開する貿易部の販売戦略上、個性的なデザインにはしなかった。というよりも地味なデザインで展開した。
依然としてデンオンのカセットデッキはマイナーブランドだった。
業績低迷していたのでカセットデッキの設計主任が前任者から一戸さんに交代した。
カセットデッキ設計主任はシャープ社から転籍して来た一戸(いちのへ)さんになった。
ある日一戸さんが来訪して、『カセットデッキの企画をしてるんだけれども、何か良いアイデアは無いかなぁ?』と相談しに来た。
そこで私は
『それは簡単!水平ローディングメカにしてDCD-1650とデザインを合わせれば絶対大ヒットするよ。』と提案した。
『今迄のカセットテープが正立しているカセットデッキはトレーローディングメカのCDプレーヤーとのデザインとマッチング性が悪い。』
『録音機器としてアナログのカセットデッキは、レコードプレーヤーがそうだった事と同様にDAT発売後は消滅して行く。』
『正立型カセットデッキは薄く出来ないのでオーディオコンポーネント機器を収納するオーディオラックには邪魔になって来るので、いくら革新的な新技術を開発搭載しても新製品を買わない人が増えてくる。』
『カセットデッキはミニコンポ等の市場が中心になってフェードアウトする。』
『そんな時に場所を取る正立型カセットデッキではなくて、薄型でカッコ良いカセットデッキメカが載った3ヘッド機やオートリバース機とかミニコンポサイズのハーフサイズカセットデッキが発売されれば皆んな欲しがる。』
『デンオンの三鷹工場出身者のカセットデッキ設計部の得意技はメカを開発出来る事』
『だから水平ローディングメカを開発して大ヒットしてから他社にメカを外販すれば良い。』
と言う事を言って水平ローディング式カセットデッキを焚き付けたのでした
https://youtu.be/sWPk6jQhwQs?feature=shared
川崎工場のスピーカー設計部門出身の米田君が水平ローディングメカのカセットデッキなんかおかしいと言ってたけど、そんな声は無視。
ヘッドとかピンチローラー、キャプスタンのクリーニングとかヘッドの消磁とかも無視。笑
DRS-810の大ヒットの後、デノンのカセットデッキは全て水平ローディング式になりました。
オートリバース機

単なる2ヘッド機
https://youtu.be/qHUk95LV64E?si=AwfCaKNVMTuumbFl
ミニコンポサイズの単品コンポーネントカセットデッキ

当時、市場規模の縮小傾向が見え隠れしてた横幅434mmの単品オーディオコンポーネント市場に抗うために企画したのがコレ。
横幅250mmのミニコンポサイズの単品コンポーネントシリーズ。
ミニコンポ市場に単品コンポーネント機器を進出して展示販売する。
そもそもレコードプレーヤーが中心の時代に単品オーディオコンポーネント機器の横幅は434mmになったけれど市場は既にCDプレーヤーの時代。
でっかい機器ではなくて、ミニコンポサイズの単品オーディオコンポーネント機器を発売してはどうだろうか?と私が当時の稗田君の上司になった(氏名失念ごめん)に提案したのがコレ。
ミニコンポと言うのはCDラジカセの様にコンポとはいうもののセットされたオーディオ機器なので、購入者にとって要らない機器も付いてくる。
単品オーディオコンポーネントの良さは必要な機器だけ、欲しい機器だけ購入してセットする事で無駄な買い物をせずに払ったコストは音質の良さに生きてくる。
既にレコードプレーヤーが廃れてCD全盛になった当時、【省スペース化】が求められて来た。
DCD-7.5とかPMA-7.5とか、番号に小数点が着くヘンテコリンなモデル番号に違和感がある、と商品企画会議の際に会社幹部から指摘された。
そこで会議でこんな説明をした。
て「現在、例えばクルマの世界でもBMW3.0CSLとか小数点を付ける事がカッコ良いと想われてます。
それからこの小型コンポーネント機器は場所を取らないと言うイメージで小数点つまり「ポイント」を付けました。
え?7.5って何なの?と振り返させる事で目立たせる事も考えました。
すると出席者全員が納得して企画会議は通過したけど、一番最初はピュアなオーディオコンポーネントではなくてカセットデッキは用意してなかった。
だって正立型カセットデッキはカッコ悪い。
なので当時の川崎工場出身者達はAVサラウンド機器の展開と言うかコンセプトでミニコンポ市場への進出でなく大画面テレビとビデオデッキなどのソフト再生オーディオラックに追加して貰う発想だったので全く売れなかった
ハーフサイズコンポーネント機器を提案したのにAVサラウンドの展開になって全く売れなかったので私も無線。
白河工場の廊下で日立製作所から天下りしてきた工場幹部とで食わすと、「ポイントコンポは何とかならんのか?」と言われていた。
この状態を暫しの間放っておいた。
というのは単品コンポーネント機器の部門がセットステレオのミニコンポの市場に進出するのを反対されると思ったからです。
下手したら折角考えた事がミニコンポの部門の営業主任の土屋さん達が単品機器を販売すると言うかもしれない。製品の技術面の素人には単品コンポーネントのヒットは無理。
この様な下心もあって、小型の単品オーディオコンポーネント機器を展開するには水平ローディング式メカニズムの実現が不可欠だった。
こんな時にカセットデッキの企画で行き詰まっていた主任設計の一戸さんが相談して来たので、『待ってました!』と水平ローディング式メカの展開を焚き付けた訳です。
水平ローディング式カセットデッキも実現すれば、ポイントコンポのコンセプトでミニコンポ市場に侵入出来る。
さらに、横幅434mmのピュアオーディオ機器は大き過ぎて邪魔もの扱いされている。
指す展示場所はミニコンポ売り場で水平ローディング式メカニズム採用のカッコいい単品コンポーネント機器。
こんな紆余曲折があったポイントコンポと名付けたものを、営業部の稗田君がプレスタという愛称で販売展開した

水平ローディング式カセットデッキは大ヒットして社長賞で50万円貰った

基本設計は変更せずに天板をアルミ材で豪華仕様にした。

ヤフオクでこんな価格で売っている!
最近デノンのホームページを見たらデンオンのCDプレーヤーの評価を築いたのはDCD-1650だと言っている。
製品の企画要素としての他社差別化の具体策はもちろん、ミクロとしての機器内部で使われるデジタルICやOPアンプの知識が無く、市場の動向の様なマクロの視点も持っていない設計幹部の人達には【趣味性の強いオーディオ機器の企画】は出来ません。
DCD-SA1で、当時のオーディオマニアや他社をモノマネして三田電波製の通常型水晶発振器MXO-183Sを【±1ppmの高精度水晶発振器】として嘘の、と言うよりも、意味の無い、音質向上にも効果が無い【商品偽装】を主導した当時のデノンの社長 市川君
反省しているか?