
この第二個日本グランプリで大破修復レストアした実車そのものがサーキットを走る姿と音を見たくて聴きたくてカーグラフィックのメンバーになりました。
https://youtu.be/FfwFCc5C7ZU?si=IWOU1j4xl3sjB9QJ
【第二回日本グランプリGT-Ⅱクラス】
1964年5月2日(土曜)に開催された

プリンス スカイラインの生沢徹選手がポルシェカレラ904GTS式場壮吉選手を6周目に式場壮吉選手はS字区間で塚本育子選手のトライアンフTR4を周回遅れにしようとしたが予測できないライン取りに戸惑い抜きあぐねた。

生沢徹選手はその隙を突き、ヘアピン手前の110Rで2台をまとめて抜いてトップに躍り出た。

観客総立ちのグランドスタンド前
生沢徹のスカイラインがトップで
走って来た!

ヘアピンで抜かれた式場はすぐ生沢の背後に続くスプーンカーブでは余裕で抜き返せる状態だったが眼前を走るスカイラインGT車内のバックミラーを見ると懸命にステアリングを操る生沢の表情が映っていた。
そこでスタート前の会話を思い出し、後続との間隔も開いていたので「あいつも言ってたから、1周徹の後ろをついてみようと考えた。
1周のみとはいえ、国産車が世界最強といわれるポルシェを抜いた出来事の反響は大きかった。

順位 選手名メーカー 車種名 周回数
1式場壮吉 ポルシェ904GTS 16周
2砂子義一プリンス S54 16周
3生沢_徹 プリンス S54 16周
4 古平 勝 プリンスS54 16周
5 殿行 宣行 プリンスS54 16周
6 須田 祐弘 プリンスS54 16周
7 山脇 惇夫 フェアレディ 16周
8杉田 幸朗 プリンスS54 16周
9 横山 精一朗 ロータスエラン 16周
10浅岡 重輝 MG-b 16周
11三保 敬太郎 フェアレディ 16周
12立石 宣 フェアレディ 15周
13J.ウィルソン フェアレディ 15周
14高木 敏明 フェアレディ 15周
15塚本育子 トライアンフTR4 14周
以下完走ならずリタイア
16服部 金蔵 フェアレディ
17久世 和宏 フェアレディ
18藤井 一 フェアレディ
19横山達 プリンスS54
20K.スウィッシャー ベレット1600
21田中健二朗 フェアレディ
22前田 一利 フェアレディ
23中島 茂樹 ベレット1600
24井口 のぼる フェアレディ
25真水 喜久雄 ロータスエリート
26佐伯 昌宏 MG-B
27堀 哲郎 サンビームアルパイン
28山口 良夫 ヒルマンミンクス
29高野 正也 MG-B
翌日のスポーツ紙一面には「泣くなスカイライン鈴鹿の華」との見出しが載りスカイラインGTのホモロゲーション用100台のうち5月1日に売り出された90数台はすぐに売り切れた。
プリンスではスカイラインGTの量産予定はなかったがユーザーからの反響に応えてオプションだったウェーバーキャブを標準装備するなど各部を改良した「スカイライン2000GT」を販売。
「スカG」「羊の皮を被った狼」との愛称で若者に人気を博し、「スカイライン伝説」が築かれていくことになる。
スカイラインGTがポルシェを抜いて1周トップを走った場面については、友人である生沢と式場の間に約束事があったのではないかと噂された。
スタート前、生沢が「お願いだから1周だけでも前を走らせてくれ」と依頼し、「徹ちゃん、もし俺を抜けたら1周前を走らせてやるよ」と式場が了解したという説である。
そして式場が周回遅れを抜きあぐねている間に生沢が前に出たので、式場は約束通り、生沢に前を走らせた。
トヨタの式場、浮谷東次郎、杉江博愛(徳大寺有恒)、プリンスの生沢、いすゞの浅岡重輝、新三菱の石津祐介、日産の三保敬太郎らは別々のメーカーと契約していたが、普段はホテルオークラの喫茶室「カメリア」を溜まり場とするレース仲間だった。
(彼らは904が三和自動車に納車されるところにも立ち会った。

レース前、生沢は式場のスタート準備を手伝い、レース後にはお揃いのVANのセーターを着て表彰台に上ったが、こうした行為は所属チームの反感を買ったという。
式場と生沢の対談やインタビューによると、「1周だけでも」というやり取りは友人同士の冗談だったという。
ポルシェ・904の突然の参戦はレース前から話題となり、様々な憶測を呼んだ。
904は4月1日にFIAの公認を受けたばかりの最新モデルであり、日本販売価格は571万円(当時の大卒初任給は2万円ほど)。
また、トヨタは今回苦戦が予想されており、GTクラスに出場させる車種を持っていなかった
このため、トヨタがプリンスの勝利(=宣伝効果)を妨害しようと密かに904を手配し、式場に個人名義で出場させたのではないかという「黒いうわさ」が流布した。
日産チームの田原源一郎いわく、「まだ生産台数も百台そこそこという最新型車が、こんなに早く日本にくるわけがないし、また個人でこれほど多額の費用もだしきれないはず。
トヨタの仕組んだ大芝居です。
プリンス陣営は噂を本気で受けており予選で904がクラッシュするとピットで肩を組んで大喜びし、「ざまぁみろ」と言う者もいた。
また、決勝レースに間に合ったのは「トヨタの社員が修理に手を貸したから」ともいわれた。
この「トヨタ画策説」は日本のモータースポーツ史やヒストリックカー関連の文献でたびたび取り上げられている。
自動車評論家の見解は「いずれも根も葉もない噂に過ぎない」(小林彰太郎)、「トヨタ自販が援助して急遽取り寄せた(桂木洋二)、「トヨタが空冷エンジン研究用に購入したテスト車を式場が借り受けた(大久保力)と様々である。
式場は後年のインタビューで「話としては面白いですけど、全然そんなことはなかったんですよと語り、自身の購入経緯を説明している。
トヨタとは第1回大会の時から、同社が出場する予定のないGTやスポーツカーレースには、トヨタ以外の車で個人エントリーすると約束していた。
式場はワークス専業レーサーではなく職は雑誌『Five 6 Seven』(わせだ書房)の編集者だった。
最新型の904を入手できたのは、前年の日本GPに招待出場したポルシェワークスのフリッツ・フシュケ・フォン・ハンシュタイン監督のおかげだった。
式場は友人と日本ポルシェクラブを設立しており、ハンシュタインが帰国する際、来年の日本GPにポルシェで出場したいので、ポルシェ・356B 2000GS(カレラ2)のような勝てるクルマを中古でも構わないのでお世話願えないでしょうか、と相談した。
その後、西ドイツ(当時)と手紙や電報でやり取りする間に904がリリースされ、ハンシュタインがアメリカ輸出分のうち1台を提供してくれることになった。
最後の電報には「ヨーロッパではペダル位置調節用のピアノ線が切れる事故が続出している」との注意書きと代用品の指示があった。
571万円という価格については、ノーマルの356が250万円超なので、2台分と考えれば破格に安いと思った。
費用の半分は父親(式場病院専務理事)に出してもらい、残りはトヨタとの契約金とアルバイト収入で賄った。
式場はジャズシンガー・ギタリストとしてかなりの額を稼いでおり、成城大学の同級生ミッキー・カーチスと共演したこともある。
空輸についてはパンアメリカン航空がスポンサーになってくれた。
一方、当時のトヨタ製品企画室工長(チーフメカニック)は「第2回日本グランプリからサーキットに行くようになりました。
このときは式場壮吉さんの助っ人でした。
大切なポルシェ904GTSを壊されないように、コースに陣取って監視していましたとの発言を残している。
904の修理にガレージを提供した藤井正行は、ポルシェ日本代理店(当時)の三和自動車関係者と一緒に作業したと証言し、「一部の週刊誌などで報道された様な、この904の修理に某国産車メーカーが全力をあげて協力したなどということはデマゴギズム以外の何物でもないことを、はっきりと申し上げておきたいと述べている。
安藤純一(マシンコンストラクターブーメラン[要曖昧さ回避]代表)の父である安藤実はトヨタの経理を担当していた(最後は取締役経理部長)。
安藤は「親父はレースに関わるお金の調達なども行っていたらしいんです。人づてに聞いた話なので詳しくは分かりませんが、例の式場壮吉さんのポルシェ904の資金調達にも関係していたようですね」と語っている。
ーーーーーーーーーーーーーーー
宿泊していた旅館とは何処だろう?
ポルシェ904GTSの修理は名古屋
鈴鹿サーキット近辺旅館ではなく名古屋の藤井ガレージに運ばれ、2日間の徹夜作業で応急修理された。
FRPカウルの割れた箇所は旅館の浴衣を裂き、エポキシ樹脂を染み込ませて成型した。決勝日の朝、鈴鹿へ自走して戻る途中に名四国道の渋滞にはまったが、運良く通りかかった白バイに先導してもらいサーキットに到着した。
この間、レース予定時刻を過ぎたとプリンス陣営が抗議すると、大会本部から「ポルシェは観客の目当てだから、到着するまで待ってやってくれ」と頼まれたという。
スタート4分前、傷跡も痛々しいポルシェがグリッドに滑り込むと、スタンドから嵐のような拍手が起こった。
プリンスのレース責任者の櫻井は「俺たちが遅れたら認めてくれないのに」と悔しがった。
富士スピードウェイホテル三階ロビー
トロフェオラウンジは1960年代の
東京赤坂にあったホテルオークラのコーヒールーム カメリア の再現になれるか?
https://youtu.be/tULzw0PZ3Yg?si=uaC4psG9694BUmN5
プリンススカイライン54B
ポルシェ904GTS
CGTVでの904GTS動画
ハンシュタイン
106台生産 米国向け6台を1台
カレラ2
トライアンフTR4
第二回日本グランプリGT-2クラス
ホテルオークラ
生沢徹
式場壮吉
塚本育子
浅岡 いすゞ
ミッキーカーチス
みほけいたろう
本田ひろとし 無限
プリンス自動車の部長さん
桜井慎一郎
プリンス自動車の偉い人
中川良一
【富士モータースポーツミュージアム】
★ 式場壮吉さんの死去を謹んでお悔やみ申し上げます
https://youtu.be/tULzw0PZ3Yg?si=uaC4psG9694BUmN5