
人間社会に於いて、このような施設が無くては社会が回らないのであればとても残念だ。先月、ワシの家のすぐそばでヒヨドリという野鳥が争っていた。同じヒヨドリ同士の2ペアが子育ての場所を巡って争っていたのだが、その時に感じたのは人間って生き物はコイツら以下だな。ってことだ。
ワシの幼少期、子どもを棄てるロクデナシは少なからずいた。
ワシの身近なところでは、立川基地のメリケンクロンボ軍人野郎が貧しい日本の女と同棲して焦げ茶色の合の子が産まれる。ところがメリケンクロンボ野郎は実は自国に妻と子どもが居たり、或いは様々な米軍ローカルルールが妨げになって日本人の女とは入籍に時間と手続きが大幅に掛かったりしてモタモタしているうちに任期切れで他の国に行ってしまったり。
そんな諸々の理由によって、焦げ茶色の子どもと共に置き去り、棄てられた日本人の女が頼ってワシの通っていた北多摩郡田無町の幼稚園の在る施設に住んでいた。
そういうことから、ワシの幼稚園時代の思い出に焦げ茶色の友だちが数人居た。確かに居たのだが、摩訶不思議なことに卒園式のときの団体集合写真には焦げ茶色の友だちはひとりも写っていない。この事実を問いただそうと数年前に幼稚園に連絡しようとしたところ、ワシの幼稚園は2013年3月で閉園していて、意図、真相はわからず。
ま、半世紀以上も前のことなので、現代の赤ちゃんポストとは事情も異なるし、目的も異なるのかも知れん。
ワシは生きるために毎日必死なヒヨドリが懸命に子育てに一日中飛び回って子どもに食べさせる虫の幼虫、カナヘビをかき集めて来るのを見ていて鳥なのに凄いなって思った。
人間は豊かになり過ぎて、娯楽に夢中になって子育てよりも自分の楽しみや快楽を優先するようになった地球上で最低の生き物。
ワシの幼少期、日本はまだ戦後で特に都市部は貧しかった。娯楽の前に明日の食べ物の心配をしていた。だが人間社会では赤ちゃんを棄てるのがいつの時代でも当たり前のように有った。
ワシの初恋の相手だった小学校の同級生の女の子も、本人が高校に進学するときに戸籍が必要になって、実は養女だったことを知って嘆き悲しんでいた。
ワシのブスの古女房が幼少期には、食いぶちを減らすために産まれたばかりの赤ちゃんを自分ちの畑に穴を掘って生きたまま埋めた。ということも聞いたことがある。会津の山奥では戦後15年以上経ってもそんなことがまかり通っていたんだ。部落、村ぐるみでな。
そんなことをしていたから、今では部落、村ごと消滅の危機に瀕しているワケだ。
赤ちゃんポストが増えれば、会津の山奥と同様、例えそれが東京であっても社会消滅の危機は刻々と迫っているってことだ。
Posted at 2025/06/12 03:06:51 | |
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