2016年08月13日
自動車のデザインについて書きましたがまだ書き足りない感じがしたので引き続き書きたくなりました。
よく未来的デザインと言われるシトロエンのDSは、初代が出て既に60年以上経っていますが、それだけ時間が経過しているというのにこれを越える未来はデザインというのが出てきてないのは、なぜなのかなと思うのです。
初期のDSは、シングルライトは多少の古臭さはありますが、66年のフェイスリフト以後のクルマは、全く古さを感じないデザインです。
最新型のプリウスは、未来を体現していると思われる方がいるのか疑問なのです。
私見なのでお許し願いたいのですが、どうも陳腐化した未来のデザインという感じがするのです。
正直、乗っては旧型より乗り心地は遥かにいいですし、旧型からの妥当な発展型だと思えるのですが、未来志向を狙ったデザインが、既に陳腐に見えるのです。
最近のBMWのデザイントレンドは、嫌いなのですが、旧型からの流れを見ながら、新型を見ると妥当な流れで来ていることが分かるデザインだと思うのです。
しかし、プリウスのデザインは、妥当なモデルチェンジと見ることが出来るでしょうか?
もちろん中に乗ってしまえば、外観が見えないからどうでもいいという方も多いでしょうが、同型車と並ぶと外観を見る羽目になったときどう感じるかということです。
実は、以前は自分も性能さえよければ、外観を気にしないタイプだったのですが、その考え方を改めさせられたのは、前の方のリード110に乗っているときのことです。自分の乗っていたのは黒だったのですが、他人が乗ってるのを見たときに正面から見たところが、まるで黒人女性が超スモール目のブラジャを付けてるように見えてしまったので、それ以来見るのも嫌になり、シグナスXに買い換えることにしてしまったのです。
機能的には、満点だったのですが、人から見られてどう思われるかと考えるとぞっとしてしまったのです。
最近街中で最新型プリウスをよく見かけるようになったのですが、それが販売をスポイルの一つの要因ではないかと考えるのです。
誰しもカッコの悪い車には乗りたくないと思います。
昼間はまだ良いのですが、夜あのテールランプを見るとなんともイライラするのです。
以前のブログにも書きましたが、普通クルマというのは、後ろから他人の車を眺めていることが多いので後ろ姿は絶対に大事だと思うのですが、現行プリウスのテールは、残念ながら陳腐な未来デザインに見えるのです。
贔屓目かもしれませんが、既に60年経過しているDSの方が新しく見えるのはなぜなんでしょう。
しかし、必ずしも未来志向のデザインの車が増殖しすぎても気味が悪いことになると思います。
これは、東京駅八重洲口のタクシー乗り場の車が、全部DSと考えたら、きっとうんざりしてしまうと思うのです。
もしそれが現行のプリウスだとしたら・・・・・
考えるだけで恐ろしいです。
Posted at 2016/08/13 23:28:43 | |
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2016年08月13日
今日は、親戚のうちへのお参りをするため、朝もハヨからV70に乗って出かけました。
朝早く出たのは親戚のうちへ行くだけではなく、いつも行く、パン屋のアウトレットに行きたかったので、そこに向かって、まずは出発しました。
これならば、多少の予定時間のズレでもフォローができると思い出かけたものです。
なぜそんなに早く行くかというと、そのアウトレットは朝の7時からやっていて、人気の商品が売り切れてしまうのです。
この時間だと、いつもの保土ヶ谷バイパスは、渋滞の真っ只中ですが、今日は流れています。
走ってながら周りの車のナンバーを眺めてみると、相模、横浜以外が多く、交通量の割に流れが今ひとつなのです。
いつもだったら狩場から、一号を通っていくのですが、今日は環状4号に出て向かうことにしました。
なぜ環状4号が嫌いなのかというと、覆面や白バイがウジャウジャいるので、なるべく通りたくない道なのです。
早い時間であり、この道があまり魅力的な観光地につながっていないこともあり、走っているのは地元ナンバーの乗用車か、コンビニ配達の車ばかりなので、走りやすくあっという間にアウトレットショップに到着。
予定通りのモノを手に入れてから本日の本題であるお参りに向かったのは言うまでもありません。
オフクロと同行しているのですが、本当の目的はお参りではなく、V70に乗ってただぶらぶらしたいのです。
早朝のアウトレット訪問もその一環で、とにもかくにもV70に乗っているのが大好きなオフクロです。
親戚のうちから出ると
「どこか行きたいところあるかい?」
「アイス!」
アイスというのは、横田基地の横にあるアメリカンアイスクリームの店なんですが、そこのあるフレイバーがともかく好きで、それを食べに行こうということなのです。
「わかった。」
と言って一般道をトコトコ走り始めました。
さっきと同様交通量は少なめですが、一般的に言われる表道は、結構な交通量があるので、裏を狙って、鶴川の駅前をエスケープして、その先に出て、さらに国道に出ず、日大三高の裏を抜けて一気に唐木田まで出て、八王子と日野の間くらいに出て多摩大橋を渡り、奥多摩街道を左折して国道16号に合流して、目的地に近くなってくると、なんといつも来るウイークデーには一台も駐車場にクルマなどないのに今日は満車で、店に入れません。
いつも空いているのに今日混むということは、ここは観光地だったのかという理解を新たにしました。
さて、どうしよう・・・・
「ねぇ前から言ってみたいと思っているイタ飯屋があるんだけど行ってみていいかな?」
オフクロに言うと
「いいよ」
というので向かうと、こっちも一杯。
まだ日も高いし、昼をどこで食べるかと考えてしまいました。
いつも何気なく通っているので、混んでいるなど夢にも思いませんでした。
出鼻をくじかれたので、この近くの飯屋を思い浮かべると、一番近い盛り場は、立川。
そうか!立川に行ってみよう。
行ってみるといつもの休日だと混んでいる駐車場が、簡単に入れるのです。
どうなってるんだろう?いつもと逆だぞ!そう思いながら極々当たり前のお昼を食べることとなってしまったのです。
早い時間から移動しているので、まだまだ早い時間なので、近所の見所といえば、国立駅前のロータリーでも見に行くかと思って、ロータリーをぐるり。
これには、オフクロも
「日本にもこんなところがあるなんて・・・」
と驚いたようでした。
今日はさらにここから、調布の駅前に向かおうと思ってクルマを甲州街道に向けました。
しかし、ここも交通量の割に流れが良くありません。
府中に入ったところで、甲州街道に見切りを付け、東八道路に入って行きました。
やはりこの道は、表道ではないようで、空いていて、あっという間に調布へ到着しました。
ここで驚いたのは、数年前に来た時は、駅前は再開発中で、空き地だらけだったのにパルコができ
水木しげる博物館行きのバスが、待機している。
そしてなんと地上を走っていた線路が地中に入ってしまっているのです。おったまげたぁ!
その帰り、矢野口に抜ける街道に出ると京王線の立体交差がきれいに消滅しています。
生まれて初めて、立体交差ができて消滅するのを見ました。
なんだかんだ言って近場とは言え、なかなか来ることのない場所ですから、発見することが多く、新鮮な体験ができました。
しかし、いま燃費の悪さを呪っているというのに一般道ばかり走行ということは、次の給油日が怖い感じがしています。
Posted at 2016/08/13 22:43:45 | |
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2016年08月13日
当時社会人として働き始めて自分で車が買えるようになった頃、勤めていた会社の中で、セカンドカーに外車をもつくことがステータスになっていました。
周りに独身者が多いにも関わらず、一人で二台所有が当たり前で、人気があったのがプジョー205で、二台くらいありました。
この会社は、自動車会社との関係が深く、自家用車を通勤に使っているわけでもないのに登録が義務付けられていて、当時既にクルマを複数台数持っていましたが、登録は、EP71スターレットで登録していました。
スターレットに車検が近づく頃、トヨタ系自動車会社の社内キャンペーンで、買い替えを促されて今となっては珍車ですが、AE95でスプリンターという変わり種を購入したのでした。
「オマエ、自分ちから通ってるんだから、スプリンターなんて地味な車じゃなくてなんかセカンドカー を持てよ。」
ある日先輩にそそのかれました。
今なら、絶対にそんな言葉に聞く耳は持たないのですが、そこそこ収入もあるし、浮かれ気分でその気になりました。
前述の通り、会社に秘密の”隠し妻”が既にいる私は、憧れてはいるもののプジョー206を買う余裕はなく、どうしようかと悩んでいる時に友達が、クルマで事故を起こしたという話が出てきたのです。
会社以外の友達ですので、詳しく話を聞いてみるとどうもアルファ2000GTVらしいのです。
事故の状況を聞くと箱根にあそびにいき、渋滞で止まっているところへ転倒したバイクが、滑りながら飛んできて、ちょうどフロント右のタイヤに当たり、サスのアライメントが狂っているのです。
これを当時の伊藤忠に持ち込むと、修理不能で買い替えという話だったので、内心しめたと思ったのです。
なぜなら、いとこの連れ合いが、板金屋なのですが、彼の板金屋の出発点が、アルファーロメオ屋の板金屋からなのでした。
早速、義理のいとこに電話をして
「ねぇ200GTVなんんだけど、フロントのアライメント狂ってるの治せる?」
と聞くと、
「あれな!あれウイッシュボーンの上が一本物で曲がり安くて大変だから、ディーラーがやりたがら ないの。俺は平気だよ。」
と言ってくれたので、大枚桁の枚数で2000GTV側が手元に来ることとなりました。
修理代は、親戚のよしみで、大吟醸二本で済んだので、全くタダみたいなもんでした。
幸いこの車はしっかりした履歴があって、以前のオーナーは、関西の新聞社だということが分かっています。
なんで新聞社が、赤の2ドアーなんて持っているかと不思議でした。
しかしこの車は、元色が赤ではなく、渋い紺だったのです。
色替えかぁ。とは思いましたが、当時はロソのアルファーは大人気でしたので、気をよくして乗りまくりました。
この車のおかげで、会社の諸先輩達からは、隠し妻の存在もバレることなく、
「社内一のエンスジャースト」
と呼ばれるようになったのです。
もう随分昔の話ですが、今でも軽快な操縦性と給排気音は、強烈に残っていて、あれぞアルファという車でした。
ただ、音の割に早くなく、全力の86(といっても初代の方です)と競争するとあちらの方がわずかながら早かったように思います。
アルファーを知ってる奴からは、
「なんで1750にしなかったの?」
と言われましたが、カッコつけて入手の秘密は絶対に言いませんでした。
しかし、この車に乗ったおかげで、このあと外国車のフリークになったことは言うまでもありません。
Posted at 2016/08/13 07:22:23 | |
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