平均速度210.795km/h、
24時間レースでの記録です。
1966年の
ル・マン24時間レースの実話を題材としている有名な話ですから、結果を知ってはいました。映画が始まる前まではフォードを応援する気持ちでいました。
ランドローバー(LR)は1978年、創設したローバー・モーターの親会社となっていたBL社から子会社として再組織され、その後1986年からはローバー・グループ、1988年からはブリティッシュ・エアロスペース、1994年からはBMW、2000年からはフォード・モーター社に売却されました。
その後、2008年にインドのタタモーターズへ売却されて現在に至っていますから、ディスカバリー3(L319,2004-2009)は正にフォード傘下時代に開発・販売されていた車種となります。ですからV6はエクスプローラーと同じフォードエンジンなのですね。
フォード側を贔屓したい気持ちは分かっていただけると思います。だが、しかし...
映画を観終わった後では、少し違う感情が芽生えました。フォードという大企業が車の宣伝のために湯水の如く大金を費やし、フェラーリの買収に失敗したが故の恨みを果たす目的でレースにエントリーする姿勢と、フェラーリという道楽であるかもしれませんがレースをするために車を販売しているメーカーとでは、後者の方がピュアに思えてしまったというのが感想です。
人、それぞれでしょうが...
【史実】
1960年から63年のル・マン24時間レースに4年連続して連勝するなど、60年代初頭のレースで最強だったフェラーリは、モータースポーツへの過剰投資や当時イタリア北部で勢力を増していたイタリア共産党などの左翼政党が後援した労使紛争とそれがもたらしたストライキ、さらにフェラーリの妻のラウラによる現場への介入により、61年11月には主要メンバーによるクーデターが勃発して、役員8名が去るなどの事件が起きたことも影響して経営困難に陥りました。
その後63年に、レースでの活躍を望んでいたヘンリー・フォード二世率いるフォードが買収することになり、マラネッロの本社で契約の直前まで漕ぎつけます。しかし、金銭面で最終的に折り合わなかったこと、さらにモータースポーツ部門を引き続き統括したかったエンツォ・フェラーリが突如これを破棄しました。この背景には、フェラーリを外国の企業に渡したくなかったフィアット・グループのトップの意向も影響していたと言われています。
これに怒ったヘンリー・フォード二世が、フェラーリを破ることを目指して、当時「モータースポーツ史上最高額」とも言われるほどの多額の投資をして「GT40」を開発し、アメリカ国内外の選手権で経験を積みつつ、64年にル・マン24時間レースに参戦しました。しかし、ル・マン向けに開発したマシン「250LM/275P」に対し、ノウハウがないフォードは苦戦し翌年にかけて連敗を喫します。
しかしキャロル・シェルビー率いる「シェルビー・アメリカン」の助けを借りマシンを改良し、さらに経験豊富なドライバーを擁して6台もの大量エントリーをすることで66年に初優勝を飾るのです。その後フェラーリはF1に集中し、以降数年間はフォードが連勝することになるのでした。
【映画】
レーシングドライバーのキャロル・シェルビー(
マット・デイモン)は、59年のル・マン24時間レースで優勝する栄光に輝きましたが、そこから程なく心臓病のためにキャリアを終えることになってしまいました。引退後は自らの理想のスポーツカーを作るためにシェルビー・アメリカンを設立し、多数のセレブリティを顧客に抱え、経営者兼カーデザイナーとして成功しましたが、心の中ではレースを渇望していたのです。
イギリス人レーサーのケン・マイルズ(
クリスチャン・ベイル)は、第二次世界大戦の終結後イギリス軍を除隊すると、家族とともにアメリカへ移住し、自動車整備工場を経営しながらレースに参戦していました。レーサーのマイルズが整備する車は一般人には扱いにくい品質になり、マイルズ自身の偏屈な性格もあいまって経営は楽ではありませんでしたが、純粋に車を愛するマイルズは妻のモリーと息子のピーターから敬愛され睦まじい家庭を築いていました。
あるレースの現場でマイルズと出会ったシェルビーは、会話の流れからマイルズを挑発してしまい、怒ったマイルズからスパナを投げつけられます。しかしレースでは、マイルズは巧みなレース運びを見せ、そして冷静な判断と果敢な追い抜きで最終周回にトップを奪い優勝。シェルビーは、観戦している自分と同じタイミングで同じ判断をしたマイルズの優秀さを認めて、投げつけられたスパナを持ち帰ると、オフィスにそれを飾ったのです。
一方、レースには優勝したマイルズでしたが、税金の滞納から整備工場を差し押さえられてしまいました。レーサーとしてももう若くない40代半ばの年齢もあり、家の差し押さえまでは避けるために、レースをやめて地道に働くとモリーに告げます。
63年、アメリカ巨大自動車メーカーであるフォード・モーターを率いるヘンリー・フォード二世会長は、会社の現状に飽き足らずさらなる成長のアイディアを募っていました。30代にして早くもフォードの副社長兼総支配人にまで昇ったリー・アイアコッカは、これから自動車を新たに買い始めることになるベビーブーマー層に訴求するため、従来のフォードのブランドイメージを一新することを考えます。そして導いた策は、ル・マン24時間レースを4連覇し全世界的なあこがれのブランドとなっているにもかかわらず、経営危機に陥っていたイタリアの自動車メーカー、何とフェラーリの買収だったのです。
意気揚々とマラネッロのフェラーリ本社を訪れたアイアコッカを出迎えた創業者のエンツォ・フェラーリは「市販車部門はフォードが株の過半数を持つが、レース部門のスクーデリア・フェラーリはフェラーリが支配する」という条件を検討します。しかし「仮にフォードがレース参戦に反対の立場となった場合はレースから撤退する」という内容は、スポーツカー生産よりもレースへの参加に至上の価値を置くエンツォにとって論外であり、土壇場でフォードの提案を破談にしたばかりか、その裏では同時にフィアットに対してフォードを出汁に使った売却話を進めていたのでした。エンツォはアイアコッカに対し「ヘンリー二世は所詮二世。偉大な祖父には遠く及ばない」と言い放ちます。
フェラーリの買収には失敗したアイアコッカですが、ヘンリー二世への報告では悪びれずにエンツォの言葉をそのまま伝え、激怒したヘンリー二世は「フォードの優秀なエンジニアを結集し、社の総力をあげて64年のル・マンでフェラーリを打ち負かしてやる」と決意します。ヨーロッパのレースをブランドイメージ向上に利用することに必ずしも乗り気でなかったヘンリー二世を心変わりさせたのはアイアコッカにとって目論見通りだったわけです。
レースに勝つためには経験豊かな監督とドライバーが必要になると心得ているアイアコッカは、ビジネスを通して関係の深いシェルビーに、レースに参戦するためのマシン開発を依頼し、レースへの情熱が冷めないシェルビーはこれを快諾します。シェルビーは開発を担当するテストドライバーとして迷わずマイルズに誘いの声をかけますが、すでにレースから身を引くことを決めていたマイルズは「わずか90日で王者フェラーリを負かすマシンを作る」という野心的プロジェクトには大いに気を惹かれますが、フォードのような巨大組織の中に自らのような者を置いてレースに参加すれば、会社のあちらこちらから要らぬ横槍が入って上手くいかないだろうという懐疑を抱きます。
シェルビーはル・マン参戦の発表会にマイルズを招待しそこで参加するかどうか決めてくれと言うのですが、そこは着飾ったフォードの重役が居並び、ル・マン参戦と並ぶフォードの目玉であるマスタングの発表会を兼ねていた、マイルズにとっては居心地の悪い場所でした。展示されている自動車に興味津々で乗り込もうとした息子ピーターに「手を触れないように」と注意した上級副社長のレオ・ビーブに対し、マイルズはフォード車に対するありったけの悪罵を浴びせると、シェルビーのスピーチの途中で帰宅してしまうのです。
それでもマイルズを諦められないシェルビーは、イギリスから空輸されてきたばかりのフォード・GT40の試乗にマイルズを誘い出します。ハンドルを握ったマイルズは、解決すべき問題を山のように抱えていますが速さは間違いないマシンの素質に心を動かされます。フォードから提案された報酬額も経済的に苦しいマイルズには魅力的でした。そして、レーサーとしての自分を何より愛している妻と息子の存在が後押しとなり、マイルズはシェルビーと手を組みレースの世界に戻ることを決めたのです。
2人を中心としてGT40の開発は進みますが、24時間壊れずに走り切るレースカーを準備するにはあまりにも時間が足りませんでした。そのような状況であればこそ、マシンのことを最も良く知るマイルズをレース本番で走らせるのは当然とシェルビーは考えていましたが、フォードは「ル・マンではマイルズを走らせない」と決定します。若年層に清新な格好良さをアピールしたいフォードにとって、レースの花形であるドライバーが粗野な40代のマイルズというのは全くそのイメージに合致しないものであったからです。
純粋にレースに優勝するためには無用の判断が降りてくるというマイルズの心配が最悪の形で的中してしまったわけですが、自らの無力を詫びるシェルビーにマイルズは「最大の不安要素であるギアボックスに十分注意しろ」と告げます。アメリカの工場でモリーとともにラジオでレースの様子を聞きます。果たして64年のレースでは、コースレコードをたびたび更新するなどGT40の速さが明らかになる一方で、マイルズの予想通りギアボックスが壊れ、5連覇を達成したフェラーリに対し、フォードは全車リタイアという惨敗を喫してしまうのです。
ヘンリー二世に対し敗戦の報告を行うためにフォード本社を訪れたシェルビーは、敗因を率直に、会長と現場の間に何十人もの人間が入り込んで情報伝達を阻害し様々な部署から横槍が入るフォードの体制だと直言し「会長は本気でル・マンに勝つ気があるのか」と迫ります。ヘンリー二世はそれに応え、プロジェクトを自らの直轄として指揮系統をシンプルかつ明確にし、再度シェルビーに仕事を任せるのです。ル・マンへの再挑戦のためにマイルズの家を訪問するシェルビーでしたが、その都合の良い態度に怒るマイルズとの間で喧嘩が始まります。だが、2人の本音はやはり共闘にあることを、(椅子を出してw)喧嘩を見守るモリーは理解していたのです。
再起した2人の力でGT40の開発は加速し、ブレーキには大きな不安を抱えるもののその他は順調に進化していきます。一方で、現場には最高責任者として、2人とは何かと折り合いの悪いビーブが送り込まれてきました。「レース中のエンジンの回転数に至るまで全部自分が決める」というビーブの指揮の下で思うようなレース運びを妨げられる2人でしたが、時にビーブを無視してエンジンを全開にし、66年にはデイトナ24時間レース、セブリング12時間レースという大レースを立て続けに勝ち、ついにマイルズを擁して66年のル・マンに臨むことになります。ヘンリー二世とエンツォも見守る中、王者フェラーリと挑戦者フォードの、24時間の長く過酷な戦いの火蓋が切って落とされたのです。
ここまでにしましょう...
車を題材にした映画は良いですね。心が熱くなれます。
Posted at 2020/01/29 00:47:46 | |
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