最強の王と呼ばれるヘンリー8世ですが、肖像画を見た瞬間、恐怖におののきました。当時の肖像画はかなり盛って描かれていると思われますが、それなのにこんなに酷薄で残忍な表情とは……実物はどんなに恐ろしかったことでしょう。
男児にこだわったヘンリー8世は6人の女性と結婚し、2度離婚。そして2人の妻を斬首の刑に処するという、戦慄の夫婦生活でした。宗教を改めてまで結婚した妻に無実の罪を着せて処刑したことも……。肖像画を見て気に入って結婚した妻と実際会ったら容姿が想像と違ったので即離婚したり、やりたい放題です。自分にたてつく人間は次々と処刑。人相に表れるわけです。
ただスペックは高くて身長は180センチ超え。運動神経が良くて、乗馬にテニスに狩猟などあらゆるスポーツが得意だったようです。音楽の才能にも恵まれ、フルートやリュート、オルガンを演奏。さらに詩を書いたり、オールマイティな王様です。だからこそその万能感が傍若無人な行状につながったのでしょう……。反面教師になりそうな肖像画です。
言い伝えからは暴君です。この方の肖像画、小さいんです、もうB5の用紙くらいに... 説明だけ聞いていたら一番大きそうなのですがね。ラインがありますから近付けないし、人気があるから人は多いし...
(在位 / 1558 〜 1603)
襟もすごいですが、ドレスにも真珠がてんこ盛りで、何重にも巻かれた真珠がボリューミー。髪にも真珠がついていて女王にしかできない境地の超ゴージャスなコーディネイトです。
「大量に付いている白い丸いものやネックレスは全部真珠です。当時はダイヤモンドよりも真珠のほうが高価で貴重でした。また、当時の真珠はすべて天然もので、奴隷が命をかけて海に潜って何千と貝を採ってきた中からやっと数個あるくらいだったんです。ちなみにリボンに付いている黒い四角いものはダイヤモンドです。当時はダイヤモンドをカットする技術がなく、ダイヤはキラキラしてなくて黒っぽく見えました」
ちなみにこれらのネックレスやドレスは現存しておらず、その後リメイクされたり、付け替えられたりして代々サステイナブルに受け継がれているそうです。
華やかに飾り立てていますが、それが権力の象徴でもあるわけで、肖像画は隅々まで見る価値があるのですよね。
(1603 〜 1714)
🏴スコットランド人によるスチュアート家
テューダー朝は1603年にエリザベス1世の死で終焉を迎えました。王位はスコットランドでジェームズ6世として統治していた縁戚のジェームズ・ステュアートに引き継がれ、彼はスコットランドの称号を保持したままイングランドでジェームズ1世となりました。ジェームズとその子孫、ステュアート朝は、1世紀以上に亘りイングランドを統治しました。この時期は激動の時代で、国王が処刑され、1649年から英国史上一度だけの共和制が敷かれました。1660年に君主制は復活したが、1688年から翌年にかけての「名誉革命」は、王権に新たな制限を課し、国王による統治の性質自体を大きく変化させました。 ステュアート朝での芸術支援はチャールズ1世と多くの廷臣によって主導され、ヴァン・ダイクやルーベンスらの大陸の先駆的な画家たちがイギリスへ導き入れられました。これらの画家が制作した作品と、この時期に蒐集されたオールド・マスターの絵画コレクションは、17世紀全般にわたり宮廷内外に強い影響を及ぼし続けました。
(在位 / 1702 〜 1714)
『女王陛下のお気に入り』で人生が映画化されたのが、こちらのアン女王。脚色されているとはいえ、女王とは思えないグダグダなライフスタイルが衝撃的でした。
アン女王の人生は幼少期から波乱万丈でした。健康問題に悩まされ、祖母と叔母、母親を相次いで亡くします。デンマーク王子と結婚するも、おとぎ話のように幸せな生活とはいかず、17回も妊娠したのに流産・死産を繰り返し、無事に生まれても長生きせず、1人も成人しないという哀しい運命に……。『女王陛下のお気に入り』では、亡くなったお子さんのかわりにうさぎを多頭飼いする姿が描かれていました。
また、映画に出てきた、親友以上のディープな関係だったサラ・ジェニングスや、お気に入りの女官アビゲイル・ヒルは実際に存在していたようです。孤独なアン女王にとって、2人の女性たちは心の慰めだったことでしょう。
アン女王の肖像画を見ると、その瞳に孤独が宿っているように見えます。ゴージャスな衣装を着ていても隠しきれない寂しさが。国をめる立場でも全てを手に入れられないということを物語っているようです。
少し曇った表情に引き込まれる肖像画でしたね。憂さと共に親しみを感じてしまうというか... 地味な感じがまた素的なのです。
(1714 〜 1837)
🇩🇪ドイツ人によるハノーヴァー家
1714年、アン女王が世継ぎのないまま亡くなり、英国は危機に瀕していました。英国の立憲君主制を守り、プロテスタントの君主に王位継承させるために、議会はジェームズ1世の曾孫で、ドイツ・ハノーファー家のゲオルク(英名はジョージ)に王になるように求め、ハノーヴァー朝が始まりました。 1688年に国外追放されたカトリックのステュアート家に味方する多くの人々はその復興を訴え、1715年と1745年のジャコバイト蜂起を支持しました。 ジョージ王の時代は産業革命がおこり、大英帝国が大幅に拡張し、消費主義が現れ始めたことで知られます。芸術や建築が優雅さを特徴とした時代である一方、君主や主要な政治家を揶揄する痛烈な風刺画が流行した時代でもありました。1768年には、ロイヤル・アカデミーがジョシュア・レノルズ卿を初代会長として設立されました。18世紀後半までには、外国人芸術家たちが絵画制作を主に請け負っていた時代は過去のものとなり、アラン・ラムゼイやトマス・ゲインズバラ、ジョージ・ロムニー、ジョージ・スタッブスなどの英国人芸術家が台頭しました。
(在位 / 1820 〜 1830)
ジョージ4世は、まじめで好感度が高かった父親のジョージ3世と比べるとかなりの放蕩息子で、飲む・打つ・買う、に加えて大食いという、欲望のリミットがない方だったようです。女性関係では、未亡人と違法に結婚したり、借金返済のためにドイツの王女と結婚した後、結局愛人と暮らしたり……かなり乱れています。食欲も激しくて、お気に入りの朝食は、ハト2羽、ステーキ3切れ、白ワインとシャンパン、ブランデーというすごい高カロリーとエンゲル係数の高いメニューだったようです。当時は、その体型から「クジラ王子」と揶揄されることもありました。
ただ、ジョージ4世は好色で大食漢なだけでなく、芸術的な審美眼が高かった、という長所も。美術館のコレクションを充実させた、という業績があります。
良くも悪くも英国王室を代表する方のお一人でしょう。この血筋が脈々と後世へと引き継がれていくわけですがね...
【ヴィクトリアの時代】
(1837 〜 1901)
ジョージ3世の孫であるヴィクトリア女王は、叔父ウィリアム4世の崩御後、1837年にわずか18歳で即位しました。63年の在位は、当時これまでのどの王たちよりも長かったのですが、ヴィクトリアは統治者というよりは君臨者でした。この頃、君主は強大な政治的権力を振るうことはなく、名目上の国の代表者としての役割を担っていました。 ヴィクトリアの治世中に起こった科学、テクノロジー、哲学などの発展は、現在の私たちの生活を形作っています。例えば、麻酔薬や細菌論の発達、チャールズ・ダーウィンの進化論、電波の発見などです。 ヴィクトリア女王の統治下、大英帝国はカナダやオーストラリアのみならず、インド、マレー半島や、アフリカの植民地支配に成功し、世界の大国へのし上がりました。 この時代の国王の肖像画において画家たちは、公的権力を持つ女王としての姿と、伝統的な女性らしい貞淑なイメージという、相反する現実を統合させようと試みていました。またこの頃、印刷技術の発展によって、大衆の王家の肖像への需要が大いに高まりました。1860年以降、写真が市販されるようになったことは肖像画の手法に革命を起こし、ヴィクトリア女王と夫アルバート公は、写真を自分たちの肖像に使うことを進んで受け入れました。こうして王室の写真画像は頻繁に複製され、王室に対する世間の認識を変化させていきました。
(在位 / 1837 〜 1901)
物思いにふけるヴィクトリア女王。黒い服をシックに着こなしていて、真珠が似合っています。どこか強いメッセージ性を感じる肖像画です。
「愛する夫のアルバート殿下が亡くなって喪に服しています。真珠は涙を表すとも言われているので喪服に合わせていますね。女王である彼女がずっと喪服を着ていたから、宮廷の女性もそれに合わせなければならず、華やかな格好ができなくなってしまいました。この頃、ジェットという真っ黒な石が爆発的に流行ったようです。また、亡くなった人を偲ぶセンチメンタルジュエリーも流行しました。亡くなった人のポートレイトをペンダントにして着けるとか、遺髪を入れたジュエリーとか、骨壷のモチーフとか……。ヴィクトリア女王は流行を牽引するトレンドセッターでした」
小柄で可愛らしい女性だったらしいです。女王が君臨する期間は国が安定すると言われていますが、この方が決定的に示して将来的にエリザベス2世へと受け継がれていくわけです。
(1901 〜 1917)
正真正銘、本物の肖像画ばかりですから迫力というか、神聖ささえ感じましたね。
ゴシップという言葉があるように、英国王室には興味本位の噂話が後を絶ちません。
限定された空間や抑制された生活にタガが外れてしまうのでしょうか、自分はそこに人間の生々しさを感じて英国王室ウォッチャーであるわけです。
権力を生まれつき持って育ち、ある意味で自由奔放な方が多いですから...
ウィンザー朝は、第一次世界大戦中にジョージ5世が王室の公式名をザクセン=コーブルク=ゴータ(1901年~)から改名し誕生しました。王室は、第一次・第二次世界大戦、テクノロジーや社会的道徳観の急激な変化を切り抜け、前例にない大きな変動の時期に君臨し続けてきました。1936年にはエドワード8世が離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと不倫交際の末に王位を放棄し、王朝に強い衝撃を与えましたが、次王ジョージ6世が即位してまもなく第二次世界大戦に突入、王と女王はロンドン大空襲中も疎開せずロンドン市内に留まり、多くの民衆から賞賛を受けました。 1952年にはエリザベス2世がわずか25歳で即位しました。女王の肖像は、映画スターのような魅力的な姿や、時代を超越して務めを果たす姿、理想的な母としての姿など、現代の君主としての多様なイメージが表れています。女王の子孫たちもまた、王室のセレブとして世界中のメディアから向けられるスポットライトのまばゆい光の中で育てられてきました。 現在、エリザベス2世の在位は英国君主史上最長を誇ります。今日、国のトップとしての女王の職務は、イギリスの代表として認められた新世代の子孫たちや、彼らが世界中で支援するチャリティーによって支えられています。
【HPより転載】
ウィンザー朝は近代ですから、オリジナルに詳しいですのでよければ。
最後の動画、父上であるジョージ6世の『英国王のスピーチ』を思わずにはいられませんでした。全国民、いや世界中へ感動を発信されたのではないでしょうか。
数日前に、ご夫婦で新型コロナウィルスの予防接種を受けられたとのニュースが流れました。ご健在のご様子で何よりです。
オリジナルやRe:でも触れましたが、エドワード8世とか、もう本当に...
ダイアナ妃や最近のヘンリー皇子の行動も伝統かなと思えてしまいます。
家系図はこちらの方が見やすいですかね。
昨年の秋から早く行きたかったのですが、この状況で躊躇してしまい... 開催はこの三連休まででしたし、緊急事態宣言が出る前に思い切って行って来ました。
館内は感染防止策がこれでもか、という程に徹底されていましたが、年明けすぐということもあってか混んでいました。
出来ればやっぱり人混みは避けたいですねぇ...
このブログのカテゴリーは GOODS にしたのでした、忘れるところでした。
何をお土産にしたかといいますと...
実用的なものが欲しかったんですが...
歴代の KING & QUEEN の肖像画似顔絵のイラストが描かれた、コレ葉書です。通常の倍の大きさですね。
ガレージにでも飾っておきましょうかw