1931年12月22日生 - 2022年 7月16日没
享年 90歳
多くは語りません。
①「羊の皮を被った狼」
②「猫足」
③「気の狂ったアヒル」
④「ダチョウの卵」
⑤「ゴムひもの緩んだパンツ」
⑥「枯葉マーク」
⑦「公衆便所のベンチレーター」
⑧「稲荷の鳥居」
⑨「フランス野郎」
⑩「毒キノコのお化けみたいなの」
等々の歯に衣着せぬ毒舌的な表現で人気を博しました。
自分は、三本氏の言葉にはセンスやユーモアが詰まっていると思っています。
最初の二つはまだしも、後のは分かりますか?
① プリンス・スカイラインGT
② 多くのフランス車
③ BMW328ciクーペの回でダンパーを長年変えずに乗っている車の乗り心地に対して(決してBMWの乗り心地に対して語ったわけではなく、三本氏はBMWの乗り心地に対して、ロープロファイルタイヤを履いているのが信じられない程、乗り心地がいいと語っていました)
④ エリマキトカゲミラージュ(2代目C10系)のスタイリングに対して
⑤ トヨタ2代目カムリ&初代ビスタ(SV10系)のスタイリングに対して
⑥ 「紅葉マーク」を蔑称したものであり、放送後警視庁から呼び出しを受けました。氏の発言の後、多くの自動車雑誌は「落葉マーク」と蔑称していたとのこと
⑦ トヨタ・MR2(初代AW系)の右側リアクォーターパネルに取り付けられたエアインテークダクトに対して
⑧ ホンダ・ストリーム(初代RN1型)のテールランプのデザインに対して
⑨ 日産自動車の経営再建に邁進したCEOのカルロス・ゴーンに対するコメントと思われる
⑩ SUV等で見られる片側だけの補助フェンダーミラーを指して (きっとLRか、ランクルのですよ)
以上、全てテレビ神奈川『「新車情報』」での発言です。
2005年10月25日から11月12日まで
モータファンダイアリーズ - コラム&エッセイ-<新車情報よもやま話> で
『新車情報』を降板した本当の理由を明らかにし、反響を呼びました。
<新車情報よもやま話> 最終回
2005/11/12
全国に放送ネットを持つ、所謂(いわゆる)メジャー局とよばれるTV局に比べれば、地域放送に徹すべきUHF局は、資本も小さく電波サービス域も小さい。特に経営者人事の移り変わりも頻繁なように思えた。ことさらTVK(TV神奈川)の社長などは、3~4年毎に代っていたのではないかと思われた。TVKは株式会社の法人格を持つ会社というが、大株主は県や横浜市のようで、社長や役員が替わると、上層部は県や市の俗にいう”天下り”族の止まり木的な一面を持っていたように伺えた。
県庁や市役所の局長級といえども、商業放送会社の運営の長としての適性をお持ちの方は滅多にいない。それはそうだろう。民衆や法人から上納された税金は、どんなにヘマな行政をしても、税収の方法は変らない。それをボロが出ないように使い果せば次の年度の予算でつじつまを合せればよい。
そんなオカミから来た人達が、努力してスポンサーが納得できる番組を制作し、視聴者に満足を与えられるものとしなければ放送局とはいえない。というより商業放送はなりたつ訳はない。 早い話しが税という集金方法で議会が定めた仕事に税をどう使うかは、ヤクニンの腹ひとつできめることが出来る。そうでない監査機関がある、という反論もあろうが、この監査をするのもヤクニンだから、同じ穴のタヌキかムジナみたいなものだ。そうした親方の元で、放送事業の向上、改革などがスピーディに展開する筈がない。
たとえば、スタジオにクルマを持ち込むのに、大道具倉庫を通過しなければならない。収録日は大騒動である。大道具を除けて、クルマを入れる。収録が終わるとまた大道具を戻す。その人手のいる作業があるために、収録日を固定しなければない。故に飛び込みでスタジオ放送する速報性は許されないということになる。 スタッフの編成にしても。局直属のカメラマンはいない。ディレクターもいない。皆外人部隊だ。こうなると自動車業界を揺るがすような物事が起きても、新車の発表会があっても取材出動は出来ない。「新車情報」はこうした背景もあって、話題の新鮮さに欠けるようになってしまったのである。
番組の財布を握っているプロデューサーは局のプロパーである。「新車情報」は約28年間にプロデューサーが8~9人代った。その内の3~4人はキャスターの私の待遇向上に知恵を使ってくれ、感謝している。 その他の人達は、私の待遇を劣化させて己が功績とした。放送前夜の宿泊は放送の7年目に禁じられた。駐車場の確保は13年目に打ち切られた。
誰かの利便を取り上げて経費の削減をするというやり方は、政府の大小を問わず日本の行政のあり方で、これこそオカミの天下り親方の大御心に沿うものだったようだ。 私は、どのTV番組で働く時も、契約は文書にしようとは思わなかった。なぜなら、もし、自分の意に染まぬ言動を強いられるような事態が生じた場合、いつでも辞められるように、と考えたからである。
'77年から'05年までにTVKテレビの社長が何代かわったか確かなことは知らない。この局でもっとも長く続いている番組のキャスターを務めながら、社長と正式に面談をしたことがなかった。私がキャスターを辞める決意をしたのは、TVKテレビが自前の仮局舎のような建物から、神奈川新聞の社屋へ移ったときだった。
局社は、2階に出演者控室と小型スタジオ、3階に副調整室(サブ)があり、クルマが入れるスタジオはなかった。驚くことに、1階レストランの片隅にクルマを引き込み、そこで収録をする、というのだ。レストランはビュッフェ方式で、お客が入ってくる。収録中に昼食時間となり、「ワイワイ」という喧噪ぶり、食器の当る音、スプーンやフォークが床に落ち「チャキーンッ」という音。その中で収録を行う。ゲストは喧噪の中で緊張と集中をしなければならない。私がこんな雰囲気にゲストとして呼ばれ、遠慮会釈ない質問の攻勢を請けなければならなかったら、物も言わずに席を立つだろうと思った。それでも、こんな雰囲気の中で2~3本は収録した。私はゲストとして来てくださった方に心から「申し訳ない。済まない」と平素下げたことのない頭を下げた。今でも恥ずかしいことをしたと恥じている。
レストランの隅で、ある日収録寸前の数分間、神奈川新聞の局長からTVKの社長に移ってきた人物と合った。私は、一出演者としては生意気な態度だとは思ったが、いきなり彼の尻を平手で力まかせにひっぱたき、「こんなところで本気の放送ができると考えているのですか!?」と言った。すると彼は「その内なんとか配慮しましょう」と苦笑していた。なんとかするというより、テナントとして入居したレストランが、何かの加減で夜逃をしたとかで、居なくなった。代替りでビヤホールのような商売の店が来たが、収録日の土曜日は客が少ないとの理由で休むようになった。こんな事情が「配慮」だったのかも知れない。放送の場の改善はそれっきり音沙汰なくなった。
私の心づもりでは、30年は新車情報を続けてもいいかなァとは思っていた。しかし、こんな雰囲気ではとても続けられないという思いが強くなったので、'05年の新年会に、勝手に「近い将来に辞めたい」と招待客の前で言明した。番組の編成替は4月だから、3ヶ月も前に伝えておけば、という私の最後の放送に対する配慮で、局も方針を立てやすいだろうと考えたからである。
局からは、「後任のキャスターを推薦してくれ」と言ってきた。私は断った。それに加えて「新車情報」というタイトルは使わないこと。私の構成や進行方法は踏襲しないこと。全く新しいスタイルで発足すること。要望として伝達しておいた。
私は、もう少し私の意志が局側や制作スタッフに伝わるならば、世界中の自動車情報館の紹介を番組の特集として行いたかった。私有のミュージアムにコンセンサスを得るのは難しい。メーカーの持っている博物館なら、多少の条件はつけられても、可能性は高かった。「貴殿がやってくれるなら、よろこんで協力しよう」と云ってくれたところもあった。
ダイムラー・クライスラー、BMW、ルノー、アルファ・ロメオ、トヨタ、ホンダ、スズキ、その他、コンセンサスに時間のかかるアメリカのメーカーを除き、多くのメーカーは好意的だったからである。各ミュージアムで収蔵車全車と初めて造った製品、ミュージアムが特に誇る収蔵車10~15台の解説を館長にやって頂き、原語で収録し、日本語ロールテロップで電波に乗せる。本番放送テープのほかにDVDを作り、市販できるようにし、お世話になった各メーカーや博物館でも販売できる約束をする。そんな途方もない夢を実現したかったのである。そして10年に一度改訂版を出すことにすれば、どの様な変化をたどるか解るだろうというのが狙いであった。
テレビジョン放送と映像と、ジャーナリズムの使命はいくらもあるのだが、何より気分の良い時間を過したくもあった。私は評論家と呼ばれたくない。顔や風貌など世間に知られなくてもいい。ジャーナリストとして、生産材として、生活便益用具として、玩具として趣味対象としてのビークルの功罪を誇張することなく、正確に伝えられる人でありたい。
最後の収録日に元アシスタント数名と名も顔も知らぬ視聴者が花束を持って来てくれた。涙が出るほど嬉しかった。
私はBLOGという、いわば独り言のようなものを、不特定多数の方がたがコンピューターを通じてどの位の人たちにどの程度意思伝達されたものか想像もできない。それよりヒトリゴトを云わなければならぬ理由もない。三栄書房の社長の依頼で、愚痴とも、内幕暴露とも、恨み言ともとれる長文を憎悪しているコンピューター像面に流したことを”軽くヤバイ”行為だったと恥じている。
三本氏らしい決断の仕方だと思いました。
自分のサッカー観や自動車観を育ててくれた方々が
一人、また一人といなくなっていきます。
悲しいことです。
ご冥福をお祈りいたします。
Posted at 2022/07/17 08:42:10 | |
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