
もう自分は今は42才です
4輪の免許は早生まれで平成4年です。
当時は新車で32GT-Rが販売されていました。
バイクの頃に埠頭のゼロヨンで
速かったのはロータリーに
L型のキャブターボ・メカチューン・
5M・6Mのフルチューンなどでした。
友達の紹介で F C 最速のFさんを紹介してもらい♪
助手席で乗せてもらった感じは今も忘れられません‼
スタートも抜群でシフトアップ時のアフターファイアーで‼
室内でも輝く明るさとウエストゲートのサウンド
と加速にビックリさせてもらいまた☆高1には刺激が強すぎでした。
そして平成2年に板金屋さんの先輩が修理で入った32GT-Rを
たしか350万円で買って綺麗に直して埠頭のゼロヨンに来ました‼
多分埠頭初だったと思います。
仲良しだったシルビアK先輩のCA18改T04Eが全敗してしまい!?
VVCを上げまくりがんばりましたが‼
K先輩は勝てませんでした。
そして FC のFさんもGT-Rに痺れを切らして出陣してきました。
しかしアテーサとRB26のブーストアップの前に負けてしまいました。
最初の埠頭は余裕で400mはありましたが!
門がつけられた最後の方はあって300m位だったので!FRのハイパワーの生きる!
3速から4速が生かされずに‼4WDのどっかんスタートに
追い付けなかったと思います。
神奈川の南部市場は追い付き抜き去るFRの強者も目撃しました。
その後埠頭は閉鎖され
FCのFさんはショップに預けてあった姿は見ましたが!エンジンは降りてました
シルビアのK先輩はユーノスコスモの20Bに乗り換えてました。
その2人の先輩はGT-Rに乗り換えませんでしたが‼
ゼロヨンをやめてしまった方や
BNR32に乗り換えた先輩もかなり居たことは確かでした。
そして!憧れていた先輩方がたった一晩でやられてしまった事実を受け止めることに‼
少し時間がかかりました……
特にその先輩方は!当時ゼロヨンの師匠と思ってましたので!
そんな馬鹿な!が事実でした。
流石に先輩方なみに悔しかったです。
書きにくいですが……
当時の自分は速かったGT-Rに……
メラメラと!!闘志に火がつきました。
16歳の夏の頃でした。
そして……
場所を峠に変え時間も遅くなった
深夜を駆け抜けるランナーの先頭はGT-Rが多かったです。
時は過ぎて4輪になり
週末に昔の湾岸のギャラリーをしても平成4年当時はGT-Rが強かったです。
そんな劇的な走りを見せつけられてもとても当時GT-Rを購入出来なくて
欲しい気持ちと勝ちたい気持ちの半々で挑戦を続けていたというのが……
本当の気持ちだったと思います。
そしていつの日かGT-Rに勝つ夢を持ち続けて真剣に挑戦していました。
当時シルビアでゼロヨンのGT-Rに挑戦していました‼
トランスファーの弱った車両とストール車両位しか勝てなかったです。
時間はかかりましたが‼シルビアにエンジン2機にミッション2桁
その他もろもろでタービン・カムも!!
純正にトータル400万使い頑張ってました。
部屋にはGT-Rのポスターを貼り続けていたのが‼本当の気持ちだったと思います。
それはBNR32のポスターでした。
当時は乗る気はなかった……はずはありません‼高嶺の花でした。
その気持ちを押さえて挑戦を続けました。
シルビアのエンジンとタービン周りの見直しの見積で150万の時に‼
売って乗り換えようか迷いましたが‼とどまってしまいました。
やっぱりGT-Rの300万以上は夢物語でした。
買った仲間もいましたが長くは維持できなかったです。
時はストリートゼロヨン最前線‼
馬力は鰻登りでした。
様々なクルマ達と共に過ごし‼ようやくGT-Rに乗ってみたい走らせてみたい☆
自分名義のGT-Rに☆借りて乗ることは沢山経験させてもらいましたが!
自分には!一大決心でした。
クルマ屋さんを何件もまわり
現在の専務の中古車屋さんで……
また!激震が……
自分は32GT-Rを探して回ってましたが‼
親身になって相談に乗ってくれて自分のクルマへの情熱と当時最高速への憧れを
全て専務にぶつけた結果‼専務は33GT-Rを進めてきました。
支払い限度額を指定して探してもらいました。
見つかったのは白い33GT-Rでした☆
マフラーと細かい所を抜いてノーマルでした!ホイールにブレーキパットまで!
それからはコツコツ小さな所から大変な所まで!ブーストアップですが!
専務に作り上げてもらいました。
しかし!田舎から湾岸までは!とても遠く金銭的にキツく貧乏で
ホイールまで3年かかりました。
湾岸に純正ホイールの人は当時自分だけでした……
一度だけGT-Rのミーティングに行ったら‼
ノーマルで湾岸?って年上のフルチューンらしき4人に仕様のみで
ボロクソに馬鹿にされたので!
それからは仲間以外のミーティングにはあまり参加しません。
しかし! そのミーティング出会った別の2人の湾岸の本物の現役の👍
○番と○番の先輩には今でも可愛がってもらってます。
勿論!後で何度も湾岸でお会いさせてもらい☆一緒に走らせてもらいました。
その2人の本物の湾岸の先輩方は勿論馬鹿にすることなどなく
今後の損の無いマシンメイクからその日に☆一緒に走ろうとまで!
言ってもらえました。
本当に嬉しかった🎵言葉でした。
摩訶不思議はその4人の自分を馬鹿にしてきた自称の湾岸の人達でした!
その場の湾岸の○番と○番の先輩に挨拶なしクルマから離れず....?
いまなら♪湾岸と聞けば♪真っ先にフロント回りと硝子をみます(^-^)v
今!思い出すと摩訶不思議な光景でした。
26才のソアラから始まった💪
湾○最高○👍
ありがたい先輩達の力を借りて☆
GT-Rで💪約5年湾岸○番をやり☆さまざまなランナーのほぼ先輩方には会い
一緒にやってきましたが!
その自称湾岸の先輩方4人には間違いなく会ってません!
違う時間の方々の走行後のミーティングにも……
何度も混ぜてもらっても発見出来ませんでした。
勿論!かすりもしなかったです。
その5年間の間は……クルマが手元にある時は!!
最強で湾岸に毎週上がり🎵
行けてない月でも2回位は上がってましたがいっこうに会えない
本当に不思議な4人でした。
特にそんな嫌な経験もあり自分はされてやなことは他人にはしないので
オリジナルを大切にする方から!ハードな方まで表裏ありません。
話はそれましたが
乗ってみての満足感は自分は今までの経験したクルマの中で1番です。
昔☆GT-Rに乗ってる先輩方が早く乗れ‼って言ってくれていたことは
本当だったと思ってます。
BCNR33も噂ほど悪くはないですよ♪
昔は散々敵と思って来たGT-Rを☆時間はかかりましたが乗って良かったです。
追加しました♪
懐かしい写真があり‥……
シルビアの戦国時代にサーキットで別のグループだった☆
SPSさんのブーストアップの頃のBNR32です‼
サーキットは勿論‼
ツーリングという名の全開バトルでも!他のメンバーは倒せても‼最後の壁はいつも
SPSさん☆ただ一人でした……
次のBCNR33はゼロヨンに全てをかけて☆
新車から徹底的なフルチューンに行き着いた伝説のドラッガー☆
I君のブーストアップの頃の写真です♪
最後は良きライバルでもあった♪
自分の当時理想的な仕様のBNR32に
乗っていた♪I君です。
サーキットとゼロヨンとストリートで!この3台には!!
絶望感をたいへんわかりやすく教えて頂きました(^-^)v
負けても負けても挑戦してました。
今思うとその挑戦への意気込みと勢いはさすがに今は負けそうです。
若くて負けず嫌いでした。
これも良い思い出になりました。
乗り越えられなかった壁!!
SPSさんの♪BNR32です。
新車から♪知ってるだけで♪幾度とリメイクされ!
2・7リッター♪3037TWINの本格的ゼロヨンマシンへ
I 君 ♪
ホイールはパナスポーツC5C2
有言実行した1人♪
昔から仲良し♪でも!良いライバルでも
あった♪こちらは別人の♪I 君 ♪
当時憧れた♪ガンメタのBNR32に
パナスポーツC5C
本当に羨ましかった♪
有言実行した1人
ワイパーレスからフルニスモ仕様に
当時♪I 君は乗っていました♪
しかも!足廻りはフルピロ♪
最後に……BCNR33のCMで
日産が語っていた……
私たちの国には、
GT-Rがあることを誇りたい。
素晴らしい言葉と思いました。
長文読んで頂き本当にありがとう
ございました。