
この世の中には道理というものがあります。
ものの道理というものがあります。
例えばそれは、すべての人間は未熟であるがゆえに何度も何度もこの地に生まれてくるということ。
そして起きること、与えられるものの全ては幸せの材料であり、それを自分の手で幸せに変えるんだということ。
また例えばそれは、幸せへの道のりが、時代と共に明らかに変わってきているということ。
今ここに、階段と、エスカレーターと、エレベーターがあります。
幸せに到達するには、私たちはどれを選べばいいのでしょうか。
道徳は言う。楽をしては幸せは得られない。階段を選びなさいと。
それは確かに正しい。
いや、ある時代においては正しかった。
人はそういうプロセスを経て学ぶ必要があった時代の話。
結果とか、成果にフォーカスするのではなく、ただ一点自分の力を完全に出し切ること。
そのために自分の力を完全に出し切るにふさわしい状態を作ること。
自分の力を完全に出し切ることは苦しいことではなく、とても楽しいんだということ。
それに徹すれば、エスカレーターどころではない、エレベーターで苦もなく簡単に到達できる時代になってきている。
今、そういう道が開かれている。
セリカを手放しさぞ辛かろうと、高校の同期が二人、忙しい中私の家を訪ねてくれました。
地元から関西に転職して、一度は完全に途切れた縁。
それが突如、去年の高校同窓会の総会幹事をきっかけに再会し、苦楽をともにすることで絆が芽生えた。
その彼らが今、私のために時間を割いて、こうやって集まってくれる。
私は本当に嬉しかった。こんな縁を与えられたことに、心から感謝しました。
そして彼らを自分ができる限りにおいて精一杯もてなそうと思いました。
でも、その時は嫁さんと大喧嘩をしている最中で、嫁さんの手料理には頼れない状況。
私は彼らが来る前に、近所の焼き鳥屋さんに出向き、持ち帰りで串を頼んでおきました。
そして焼きあがったら電話をくださいとお願いし、家に戻りました。
ほどなくして友人の一人が家に到着。
玄関に山積みされた18本のタイヤ…。
友人Hはそれを見て、しみじみとつぶやきました。
H:neJさん、辛いねぇ…。タイヤだけが残ったねぇ…。
居間で少し待っていると、焼き鳥屋さんからの電話が。
私が、『ちょっと取ってくるよ。』というと、友人Hは、『じゃぁ俺も行くよ。』と。
焼き鳥屋さんに行くために、裏口から出てクルマに乗り込みます。
日もとっぷり暮れて暗い中、目の前のホワイトパールのN-BOXに乗り込もうとする友人H。
私:H、せっかくだしこっちに乗っていこうよ。
H:え?
私:いや、だからN-BOXじゃなくてさぁ…。
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
私:いや、だからそっちのN-BOXじゃなくてさ…。
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
私:だからN-BOXじゃなくて…。
_, ._
(;゚ Д゚) …?!
(つд⊂)ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ
私:だから、セリカに乗っていこうよ。
H:は、はぁ!?neJさんこれどういうこと???
私:いやー、あの…、ゴメン!エイプリルフールなんよ…(;A´ω`)アセアセ
H:はぁー!?neJさん、マジで???
私:うん、ホントにエイプリルフールなんよね(;A´ω`)アセアセ
私:でも、その後日記も書けないくらい急に忙しくなっちゃってさぁ…。
H:う、うそやろ…。心臓が飛び出るかと思ったばい。
ほどなくしてもう一人の友人Nも我が家に到着。
彼はセリカの横を通ってきたにもかかわらず、全く気付いていなかった模様…。
私は、セリカを手放してはいませんでした。
乗り換えたのは、嫁が実家から借りていたダイハツ タントからホンダ N-BOXへ、ということでした。
でも、たとえエイプリルフールであっても、「セリカを手放した」とは書きたくなかった。
絶対に書きたくなかった。
書いてしまうと、それが本当になってしまいそうで怖かったからです。
実際、私は過去に一度、自分の意思に反してセリカを手放しました。
そして、身も心もズタボロになった。
糸の切れた凧のように、コントロールを失ってしまった。
そのときの事を思い出しながら、今、ここでセリカを手放したんだ、という状況に完全に感情移入して、涙をボロボロ流しながら書いたのが
「前編」でした。
というわけで、大変申し訳ございませんでしたーーーーー!!!
大事なことなので二回(ry
大変申し訳ございませんでしたーーーーー!!!
あとがきへ続く…。
Posted at 2014/09/02 21:30:41 | |
トラックバック(0) |
日記 | クルマ