2008 D1グランプリ 第3戦
投稿日 : 2008年06月03日
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2008年のD1グランプリ、第3戦は三重県の鈴鹿サーキットで5月24日(土)~25日(日)に開催されました。
F1開催で世界に名を馳せる鈴鹿ですが、既にD1開催も2006年以来3回目となりドリフトファンにとってもお馴染みのコースとなった印象です。
土曜日の予選までは雨が降り続いた鈴鹿ですが、日曜早朝に雨は止んで、無事に1回戦単走からトーナメントまでをドライコンディションで戦うことが出来ました。
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審査エリアは2006年から変わらず、通常とは逆走でコースを使って逆バンクに審査員席を設けるレイアウト。
観客は逆バンクのアウト側を中心にコースサイドに大勢が陣取り、主催者発表で12,000人という観客動員数となりました。
開会式にはベスト16トーナメントを戦う面々が勢ぞろい。
観客からも大きな声援が贈られると共に、競技開始直前にはウェービングも行われて、大変な盛り上がりを見せました。
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以前はドリフトといえばAE86やS13~S15のシルビア、FC3S/FD3Sといったあたりが定番の車種でした。
そんな中でハイパワーセダンを駆る選手もいたのでしたが、数年前はまだまだ"非主流派"という感じで、もっと言えば"珍しい車種選択=イロモノ"的な存在でもありました。
しかしスポーツモデルの衰退によって、後輪駆動のハイパフォーマンスモデルは存在自体が限られるようになってくると、大柄な4ドアセダンに注目が集まるようになってきます。
紫色の最終型ローレルは春山隆選手。
同車には1989年デビューのC33型から最終型まで、三代にわたってインタークーラーターボエンジンを搭載した「クラブS」というスポーティグレードが用意されていました。
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1996年にデビューしたJZX100型マークIIで参戦しているのは斉藤太吾選手。
マークIIはバブル期に産まれた「ハイソサエティカー」、略して"ハイソカー"の代名詞として圧倒的な人気を集めました。
その地位を構築したのは1984年にデビューしたGX7#系と言えますが、デビュー翌年秋に追加されたのがツインターボエンジンを搭載した「GT TWINTURBO」グレード。
以降、GX8#系ではツインターボエンジンは排気量を2,500ccにアップ、そして1996年に登場したX100系では外装などをより差別化した"ツアラー・シリーズ"を展開、ツインターボエンジンを搭載した「TOURER V」にはマニュアルミッションもしっかり用意されました。
兄弟車として一世を風靡したチェイサーやクレスタが廃されてマークIIのみとなった最終型のX110系にでもターボエンジンモデルは残され、マニュアルミッションとの組み合わせも用意され続けました。ただし名称は「グランデiR-V」となり、ツアラーシリーズは結果的に一代限りで消えることになりました。
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D1に参戦するセダンの中でもひときわ個性的な存在として注目を集めているのが廣田友和選手のヴェロッサ。
2001年に100系マークIIとコンポーネンツを共用して登場、それまでのチェイサー/クレスタに代わるモデルとして新たなユーザー開拓の使命を帯びていました。
特徴はなんと言っても"トヨタらしからぬ"個性的なデザイン。
イタリア車的な感じを狙った妖艶さをアピールしていましたが、如何せん本場イタリアの車に対してはデザイン的な未消化部分を隠しきれず、デビュー早々に"不人気車"の烙印を押されてしまった感がありました。
しかし280psを発揮するターボエンジン+マニュアルミッション搭載のグレードは、ドリフト人気の高まりに比例して注目を集めていきます。
今や中古車市場では、程度の良いヴェロッサの「VR25」マニュアルミッションモデルは、高いリセールバリューを期待できる一台になっているのだとか・・・。
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さて、競技の方はベスト16トーナメントで1回戦からサドンデスの応酬を繰り広げたAE86スプリンタートレノの吉岡稔記選手が注目を集めました。
勝ち進んだことに加えて、実は吉岡選手が駆るAE86にとって、この第3戦・鈴鹿はラストランだったのです。
次戦から新車を投入すると公表しているだけに、ラストランを飾る走りは観客からも大いに喝采を集めました。
結果的には残念ながら3位に留まりましたが、NOSで武装したAE86らしく、より新しい年代のハイパワーマシンをブッチ切るハイスピードドリフトを最後まで堪能させてくれました。
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決勝まで駒を進めた選手の一人が、TOYOワークスの黒井敦史選手。
ベスト16の1回戦では同じくTOYOワークスで昨年チャンピオンの川畑真人選手と対戦、見事に下して決勝戦まで勝ち進んできました。
残念ながら優勝には一歩届きませんでしたが、これでシード入りを決めた黒井選手。
次戦以降も戦いぶりに注目の選手です。
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決勝に黒井選手とともに駒を進めてきたのは、GOODYEARサポートドライバーの一人である手塚強選手。
平岡英郎、熊久保信重、そして吉岡稔記の各選手を下してここまで勝ち残ってきた手塚選手には初優勝の期待がかかっていました。
しかしその結果は「不戦勝」での初優勝。
対戦相手となった黒井選手のマシンがオイル漏れを起こし、決勝での出走を認められずに優勝が決するという、なんとも"肩すかし"な結果でD1グランプリ第3戦は幕を閉じたのでした。
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