まだ見ぬコペンくんばかりの話ばかりでもなんなので、
昔話になりますが70ナローの件をもう一度まとめておきます。
(長文注意)
私の生まれた年は1974年。かの「スーパーカーブーム」を牽引した、池沢さとし氏の『サーキットの狼』の連載が始まった年である。
元来クルマ好きであった父の影響もあり、私に与えられるおもちゃは車関係が多かった。その中でもお気に入りだったのが、1/24モデルの、赤いランボルギーニ・カウンタックや、ポルシェ911(今にして思えば、トレイウィングのRS3.0だったかもしれない)、少し毛色は違うが、ラリー界でその名を馳せたランチア・ストラトスと言ったところである。
ポルシェに関しては、独特の愛らしい風貌(顔つき)や、特にナローボディのリアビューが大のお気に入りで、理屈とかそういうもの一切抜きにして「いつか乗りたい車」と、心に刻み込まれていた。
時は流れて200X年。多少の収入を得た私は、予てからの夢であったポルシェ乗りを目指す。しかし、私の希望であった1970年代のポルシェは所謂クラシックカーの範疇となっていた。メンテナンスにかかるコストもさることながら、信頼できる業者を当たって他県にまで足を伸ばすには仕事の関係で時間も取りにくい。そのような消極的な理由から、「最新のポルシェは最良のポルシェ」という標語を信じて、type 997でポルシェデビューすることになる。
「最新のポルシェが最良のポルシェ」。確かに、新しい997は素晴らしかった。日本の公道では発揮しきることはない(はず)の十分すぎるパワー、グラマラスなボディ、ギラギラとしたオーラをまとうその姿は、まさに良家のお嬢様を彷彿とさせる。
しかし、安全性能その他を追求した結果、車両重量は1500kgに迫る勢いで、小気味よく走るクルマというよりはGTカーという存在になっていた。そして、一般的にポルシェに纏わるイメージ~運転が難しい、ある一定以上のクラッチワークが求められる、オイルで走る(空冷)~は微塵も感じられない、“現代のクルマ”であった。
人生目標であった911ユーザーにはなった。しかし、ちょっと何かが違う…そんな折、知人の紹介で、クラシックポルシェ好きな自動車屋さん、巴自動車商会(現
CB&R Watahiki)の綿引先生との出会いがあった。
「先生」というのは如何か? という方もいらっしゃるであろうが、ある一定以上のスキルを持つ自動車整備士の方は、健康診断(定期点検)や心臓手術(というのも極端か…まぁ、エンジンメンテナンスなど)、骨折の手術(板金他)から美容形成(ペイント)までこなす、クルマにとっての医師のようなものである、というのが私の持論である。綿引さんに面と向かって「先生」というのは流石に気恥ずかしく、直接呼びかけたことはないが…何度かお会いするうちに、綿引先生は、全国紙に特集を組まれるような名の通った医師ではない(?)ものの、氏のポルシェに対する熱い情熱と知識、仕事の忠実さは間違いないと確信した。そんな偉大な方がなんと近所の住人というのは、私にとってこの上ない幸運であった。
そんな中、原点回帰というか、ナローもしくは、1970年代のポルシェに再び恋をした。ナローのスッキリしたボディーラインに再び魅せられてしまった。
とはいえナローの価格は2010年時点で既に高騰し始めており、良い個体はマニアや業者間の個人売買が多いらしく、仮に一般人向けの売り物があっても価格が高い場合がほとんどだった。必死に探してまで欲しいという気持ちは無い、というか、どうせ手が届かなくて買えないだろうと思っていた。
しかし、信頼できる主治医を得た私の心は動いた。
新たなポルシェライフをスタートさせるべく997を売却する決意をする。
私が購入した997は、996からのモデルチェンジと重なるタイミングであった関係から、発注してから2年がかりで手に入れた個体であった。所謂「納車までの熱い想い」をそれだけひきずったクルマであったため、いざ別れるときの後ろ髪を引かれる感はこれまでになく辛いものではあった。
売却から3か月後、私にとってのクラシックポルシェ1台目となる1970年の911Tがタイミングよく私の目の前に現れるのである。
・・・以下、多少被りますが
2010年の記事に続きますw
Posted at 2015/02/20 22:04:51 | |
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