2018年10月31日
業界の実情も経済も全く知らないおっさんの、単なる「感想」と「妄想」である。
最近、クルマ好きとしては誰でも名前だけは知っている「KYB」が話題なので。
ここ数年この手の話題には驚きもしなくなったが、あまりに多いのはどういうことなのだろうか。
自動車関連企業の不祥事と言えば、最近では無資格者検査、燃費不正だろう。
KYBは自動車に関しては部品メーカーだが、同じく免震装置関連では東洋ゴムにも同様の不正があった。
ちょっと前はタカタ製エアバッグ、もっと前は三菱ふそうのハブ強度、リコール隠し、というのもあった。
よくよく考えれば、別に最近のハナシではない。が、やはり三菱のリコール隠しが大問題となったこの20年くらいで急に増えたように思う。
あらゆる問題が「バブル崩壊」「失われた20年」に重なってくるように見えてしまうのは自分の年齢と世代のせいかも知れないが、やはり関連性がないとは言えないだろう。
ただ個別の問題となると、それぞれの中身を正確に判断する必要があるハズだ。まして「モノづくり」においては、技術的な問題はまず技術的に理解し、そこから倫理的な問題を議論する必要があるハズである。
無資格者検査の問題はとても20年どころではない相当昔からのことだそうで、だとすればその事自体にどれだけの問題があったのか、どのような実害があったのかは、もはや判らないと言っていいハズである。となればむしろ自動車の整備や検査制度そのものにも問題があるということもにもなるだろう。これについてはいわゆるコンプライアンス問題だが、「コンプライアンス」という言葉が定着したのはそれこそこの10年くらいのものであり、それ以前と以後では世の中の空気に違いがあったことは間違いない。自身も完全にその時代を生きてきたおっさんとしては、正直「実害がなければいい」という考え方自体は間違っていないとすら思っているのも事実である。
燃費不正についても、もちろん不正には違いないのだが、それによって実害が生じるワケではない、といってもそれほど間違いではないだろう。そもそも日本の燃費表示制度そのものが、欧米なら訴えられてもおかしくないほど実態と乖離した誇大広告のレベルだというハナシもあったのだから、本来ならそっちの方が問題となるハズである(最近制度も変わったようだが)。もちろんそのような制度自体、表向きは行政が作ったことになっていても、業界の利益のためにやっているということには間違いない。
ただ、同じ「不正」でもフォルクスワーゲンの排ガス規制逃れはさすがにレベルが違うとは思う。欧州ではCO2排出量が少ないディーゼルの方がガソリンより環境に良いとされ、とはいえそれもあくまで技術を磨いてきたからこそであり、経済界全体の勝手な都合でディーゼルを放置してきた日本が間違っているのだ、と思っていた自分にとっても、やはり騙されたような気持ちになり多少のショックは受けた。こうなるとさすがに仮に実害がないとしてもメーカーに対するイメージが悪くなるのは当然である。ただこれについても、いったいどのくらい環境に影響を与え、どれくらい実燃費との乖離があり、どれくらいエンジン出力に影響するのかはあまり定かではない。
結局これらのいわゆる「不正」は、「ルール」に対する「違反」が意図的に行われていた時点で確定するものではあるが、現実的にどのような影響があるかということの方が重要であり、そこまで正確に事実を認識する必要があると思う。そもそも「ルール」とは何なのか、誰が、何のために、どういう基準で作ったのか、というところも本来問題となるハズである。また例えば自動車の制限速度をいったいどれだけの人々が順守しているのかというような、そもそも実効性自体に疑問があり、ルールや規制が検査や取り締まりの矛盾を生み出すだけとなっている場合も往々にしてある、というよりむしろほとんどがそうだということも、紛れもない現実なのである。
更に、何か問題が起きた時あるいは何か特定の利益を生み出そうとする時、規制、基準、認証制度を作るのが業界と行政の常套手段となっているという側面もある。業界としては問題解決、基準達成というお墨付きを得ることになり、行政としては業界との繋がりと天下り先団体による利益に繋がるのである。
例えば大地震が起きた時、建物の耐震強度が問題となりその解決策として新たな工法や基準を行政が業界と共に作り出し、そしてそれが業界にとって新たな商品となる。KYBにしても、大震災後の耐震補強の流れに乗って販売を拡大し、「耐震補強に有効」「最新の基準を満たしている」ということを持って利益を得ているのであり、基準そのものが営利企業としての商品であり目的となっていると言ってもいいのである。技術的には、このデータの改ざんによって実際地震が起きた時にどれだけの影響があるのかなどということは、本当の意味で判るハズもなく、そして実際「影響はない」というところに落とし所を持っていくというのが問題発覚時点で規定路線なのだろう(もちろんその代償を支払う事にはなるが)。
組織というものは、一旦手にした利益は永遠に得続けられる前提で全てを判断しようとするものである。利益は全て織り込み済みとなり、それ以外は全てコストとして削減するべきものとなる。これらは組織の論理で生きる人間には当然のことであり、「不正」とはこれらの人間によって生み出されるのである。
フォルクスワーゲンの件は、当初は環境とコンプライアンス意識の低い一部の技術者の過信に基づいて安易に行われたものだと言われていたが、当然ながらそのようなことなどあるハズもなかった。三菱の燃費不正も、特定の部署の独断であるかのような情報も一時流されていたが、同様である。
現場の一技術者にはこのようなことを行う理由はそもそも存在しないし、責任は全くない。ただ、自らを一技術者ではなく組織の一部として認識していたとしたら、彼らも責任を負わなくてはならないだろう。
そしていわゆる「不正」よりもはるかに問題が大きいと言えるのは、現実に人命に関わる被害が起きたタカタ製エアバッグと三菱ふそうのハブ強度問題である。
タカタ製エアバッグの問題は、技術的な問題により重大な結果につながっていたものであり、しかもそれを認識しながら対応を怠ったということに対しては、消費者としては言うまでもなく、モノづくり、技術を尊ぶ者として憤りを禁じ得ないものである。
が、こと日本国内においては問題の重要性の割に大衆の「負」の感情はそれほど大きくなることはなく、騒動の収束も早かったように思う。おそらくそれは問題発覚後の国内自動車(完成車)メーカーの対応が、スピード的にも内容的にも的確だったからに他ならないだろう。結果としてタカタ社に全ての責任があるように大衆の意識をコントロールすることができたということもあり、自動車(完成車)メーカーの信頼が大きく揺らぐような事態とはならずに済んだのである。
その点、三菱ふそうのハブ強度問題は、さすがにかなり前のことで記憶が定かではないが、最近の問題よりも社会の関心はかなり高かったように思う。それはやはり問題の重要性に対して、メーカーの対応のまずさが際立ったことに他ならないだろう。自分も極々間接的にこの問題に関わることがあったのだが、メーカー側の対応はとても納得できるものとは言いがたいものだったと記憶している。結果として人々の「負」の感情に火を付けることとなり、メーカー自ら問題を大きくしたのである。当初この問題自体は大型車のみで一般ユーザーにはあまり影響がなかったが、この後乗用車についてもリコール隠しが発覚することとなり、メーカーとしての凋落のきっかけとなったことは間違いないだろう。20年後の今になって映画にまでなるほどの大事件だったのである(ちなみに自分は映画も原作も見ていないが)。
それまでは、「ミツビシ」と言えばWRCや「パリダカ」への参戦によるイメージ戦略が広く浸透し、海外での日本車メーカーとしての知名度はかなり高かったそうだ。国内でも「パジェロ」を筆頭に「RVR」などのSUVをはじめ、「スタリオン」「ギャラン」「ランエボ」「ミラージュ」「GTO」「FTO」などスポーツイメージも充分高かったし、またワンボックスの「デリカ」は「スターワゴン」「スペースギア」共に当時自分が住んでいた地域ではかなり人気があった。「ミニカトッポ」「ミラージュディンゴ」など個性的なコンセプトやデザイン性でも充分に魅力的だったし、「ディアマンテ」「レグナム」など保守的なセダンやワゴン、「ミニカ」「パジェロミニ」といった軽まで、こうして思い返してみると驚くほどのラインアップと国内シェアを誇っていたのである。当時F1人気が絶頂期だったホンダよりも上だったわけで、現在の状況と比べると「たった」20年でこれ程までに変わるのかという感じである(こうして考えると現在の2位というホンダの国内シェアは、ニッサンとミツビシの敵失によるところが大きいのかも知れない)。
リコール隠しによって傷ついた信頼が回復することなく、そして再び発覚した燃費不正という不祥事をきっかけについには日仏連合に吸収されることになったのは、クルマ好きとしては全く残念としか言いようがない。
が、それ以前にニッサンはこのような不祥事がなくとも業績不振に陥ったわけで、不況と構造的国内市場の縮小により、ミツビシもいずれはこうなることは避けられなかったという見方もできるのかも知れない。そもそも「三菱」という巨大な「力」の下にあったワケで、不祥事による販売不振などその気になればその巨大な「力」でどうにでもなったのかもしれない。にもかかわらずこのような事態となったのは、自動車産業の行く末をその「力」は予測していて、そしてあえて自動車メーカーとしての未来を捨てた、ということも、もしかしたらあるのかもしれない。
また逆に、それだけの「力」に溺れたというようなことが、もしかしたら不祥事の根幹にあったのかもしれない。
こうしてかつての車名を列挙すると、ミツビシはまさにあの頃の日本車絶頂期を支えていたということを改めて実感する。20年後このような状況になることなど当然誰も思っていなかったワケで、なんとも残念な気持ちになるのは単なるおっさんの郷愁だけではないだろう。
関連する企業の一社員にたまたま話を聞いたことがあるが、当然現場の人間は我々単なる外野の人間とは比べ物にならないほどつらい思いをしているハズである。リコール隠しの問題は内部告発によって明らかになったと記憶しているが、かの社員も「このようなことが起こるのは当然だ」というようなことも話していた。
社会が成熟に向かい、全てが経済と組織の論理に収れんするとき、このような問題が起きるのは自然の法則なのだろう。そしてあらゆる組織、国家あるいは社会全体も、いずれ同じ運命をたどるのであり、それは誰にもどうすることもできないのだろう。
Posted at 2018/10/31 23:57:46 | |
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