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2020年07月31日 イイね!

新型コロナと社会についての感想と妄想(その4)

学歴もなく経済も社会も全く知らないおっさんの、単なる「感想」と「妄想」である。

個人的にはほとんど興味はないが、本来なら今頃はオリンピックでお祭り騒ぎだったハズだ。
が、豪雨災害でそんな感傷に浸るどころではない人も多いだろう。
しかし、どんなに地震や豪雨などの局地的な自然災害で何百人何千人死んだとしても、オリンピックが延期や中止になることはおそらくない。そう考えるとやはり疫病の破壊力は凄まじいということになる。
現時点では「第二波」「緊急事態」という言葉が再浮上している状況だが、そんな中にあってもこの国が目指しているのはとにもかくにも来年2021年のオリンピックだというのが見え見えである。ライブハウスやカラオケは「不要不急」と言っておきながら、単なる(ただし巨大な)「興行」であるオリンピックはゴリ押しするというあからさまなダブルスタンダードにも、シラケているのは一部のおっさんだけのようだ。
ただスタンダード、つまり基準はその利権の大きさだということは明確ではある。
「メルトダウン」という圧倒的に不利と思われた状況を覆して実現したオリンピックである。そのためにどれほどの「努力」があったのかは計り知れない(逮捕者が出るくらいのことは当然なのだろう)。それを考えれば、意地でも「元」は取らなければならない、この巨大な「興行」に関わるあらゆるステークホルダーがそう考えるのは、経済の論理として当然である。
欧米で死者が急増し各国がロックダウンを実施するに至り、ついにオリンピックは2021年に延期された。日本はといえば、疫病の危険性を煽りつつも実際の対応はグダグダという状況で大衆の不安と不信が高まりつつある中、この決定によりようやくロックダウン側に方向転換することになる。
が、その内容といえば「不要不急の外出の自粛」「不要不急の興行やイベント開催の自粛」「リモートワークの努力」そしてそれに対する「罰則はない」「休業補償も行わない」という、全てのポイントがツッコミ待ちの中途半端な名ばかりの「ロックダウン」である。
オリンピックがいかに巨大な利権機構(と捕らえるか「産業」と捕らえるかの問題かもしれないが)かというハナシは置いといて、今回は日本型グダグダロックダウン、つまり「自粛要請」についてである。
自分個人としては、疫病の危険性自体についてはそもそもそれほどたいしたものではないと思ってはいるのだが、これについては思うところが多々あるので一応整理しておく。

まずロックダウンという言葉の定義、実際の内容において問題となるは「強制力がない」ということだろう。これだとそもそも「ロック」ではなくただの「ダウン」である(単なる語感のハナシだが)。他国と比較した場合これが日本型の最大の特徴であり、実際日本では公式にこれをロックダウンと呼んでいるワケではない。
他国の場合、特に欧州では割と高額な罰金が設定されているそうだが、当然そのためには明確な基準を設ける必要がある。というかむしろ人々の行動を制限するために基準を設けるのであり、罰金は実効性を確保するためそれに付随するものである。
確かに、日本には、罰則はないけど禁止、というものは、フツーに、いくらでも存在する。それでも禁止というからにはその内容は明確となっているハズだ。その上罰則があるとなればそれだけ結果が重いということであり、要は程度問題である。
今回の「自粛要請」については罰則どころかそもそも「禁止」でもない、つまり明確な基準がないのである。結局の所これは、疫病そのものの危険性がこの程度のものだから対応もこの程度で良い、ということになるのだが、日本という国家がそういう言い方をすることは絶対にない。

大衆におけるロックダウン賛成派が必要としているのは、強制力そのものというよりむしろこの「明確な基準」だろう。
大衆にとっては、まともな情報もない中、自分の命を守るため、疫病対策と経済活動の線引き、そして最終的な選択を行わなければならないのだ。そもそも個人によって考え方は異なるし、自分や家族に持病があればリスクの大きさが全く違うということになるのである。
当然ロックダウンにも賛成派と反対派が存在することになるのだが、情報不足と政府のグダグダ対応によって余計に不安が高まり、マスクや消毒液、トイレットペーパーなどの買い占めというパニック症状が発生していた状況で、欧米各国が次々に実施しているとなれば、ロックダウン賛成派の勢いが増すのは当然だろう。
疫病対策としては最善であることは間違いはない、だとすれば当然実施すべきだ、経済つまり一時的な収入は国が補償すればよい、というのが賛成派の論拠である。現実的な様々な問題は別として、本筋としては至極当然であり、疫病そのもののリスクを高く見た場合これに反対する大衆はフツーはいないだろう。
大衆におけるロックダウン反対派というのは、一時的とは言え娯楽、あるいは仕事が奪われることに対して否定的であることに加え、じゃあいつまで続けるのか、収入補償はどうせ後から増税で取り返されるだけだ、といった本筋からは逸れた、しかし現実的な問題をことさら大きく捉えているということになるだろう。この場合はそもそも疫病自体の危険性を相対的に低く見ているのだから、これもまた当然である(自分は一応こちら側である)。
ロックダウンが疫病対策と経済、二律背反するバランスの問題であることは言い尽くされているとおりであり、大衆も理解はしているだろう。だからこそ大衆とて明確に行動しようとする意識があるハズだが、そのためには当然明確な基準、指針、そして情報が必要なのは当然のことである。が、まず持ってそれがグダグダなのだから、賛成派反対派どちらにも大した根拠があるワケでもないまま、お互いを批判しあうという状況にあると言っていいだろう。そして当然のことながら、国家の対応は賛成派反対派どちらからも評価されることはない。

結論からすれば、今回の疫病対策としては「この程度でいい」というのが国家の判断なのである。考えてみれば中国で発生した当初から国内でのクルーズ船、そして現在に至るまでずっとグダグダだったのだから、国家としての対応は一貫していると言ってもいいのかもしれない。
どこまでリスクを取るのか避けるのか、ましてそれが大多数の命に関わる、つまり高度な判断である場合、それを個人に委ねるのであれば、バラバラになるのは当然である。もしそれを組織あるいは社会で行おうとするのであれば、明確な意思統一が必要なのは言うまでもなく、またその作業自体入念に行う必要があるのも当然だ。つまり「自粛要請」とは、疫病という個人の命に関わる問題、人類にとっても最大級とも言える難問に対して、組織、社会で対応することを完全に放棄したと言っても間違いではないだろう。
政治的にも、医学、科学的にも、この国におけるリーダー達は何も明確に発信していないし、共通理解を得ることを重要とは考えていない。明確にしないということは、責任を取らないということである。
リーダーには権力がある。権力とは「強制力」であり、いつどこで強制力を発動するかというのが権力者の特権であり、仕事であり、責任である。そして実際は、如何に責任を取らずにその特権を行使し、自らの利益を追求するということに長けた者が、賢いリーダーとして永くその権力の座に留まることができるのである。政治家も官僚も、そして組織の論理を理解しそれを忠実に実行できる人間は、何が自らの立場を脅かすのか、脅かすことがないのかを解っているのだ。そして自分の利益を最優先することに何のためらいもないのである。何も明確にすることなく、責任を取らず、なんとなく全体を自分たちの利益となる方向に誘導すること、それが政治手法として重要であり、そしてそれは徐々に確立されていくのである。政治に無関心であり、誰も自分で考えない、誰も責任を取らない、他人の判断に従うのみ、そのような国民と社会を確立したのであり、それは権力者、支配者にとって最も高度な統治だと言えるだろう。支配者とは、むしろ危機的状況でこそ、その支配者たる意味を持つのだ。社会学者、官僚、政治家は当然それが判っている。そして彼らにしてみれば、たとえ何千人死のうが、淡々と、粛々と、黙って、ただそこで生きている、そのような権力に従順な国民は確かに、他の国とは「民度が違う」のである。
それはまさに「神風」「特攻」「一億玉砕」の精神であり、日本の支配者やリーダー達からそれが消えることはないのだろう。

大衆の側としては一体なぜこうなるのかということなのだが、一つ言えるのは、やはりそれは「集団主義」だろう。
集団主義には正常性バイアスが強く働く。それによって「安心」を得ることには高い効果があることは確かである。
不安に生きるより、安心して死んでいく、そういう選択をするのが日本人ということになるのだろう。結果、安心して死んでいくなどとは程遠い死に方をすることは、つい75年前のことなのだが、そんな記憶も、ない方が「安心」である。
Posted at 2020/08/01 07:03:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ

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