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2020年11月30日 イイね!

次期クラウンのニュースについての感想と妄想

業界の実情も経済も全く知らないおっさんの、単なる「感想」と「妄想」である。

2020/11/13、クラウンが次期モデルでセダンをヤメてSUVクロスオーバーになる、かもしれないという衝撃のニュースがあったので感想。

もちろん現時点では公式発表ではないためウワサの域を出ないのだが、ベス○カーの類ではなく中日新聞が報じたということで、それ自体が大きなニュースとなったようだ。たかがクルマのモデルチェンジがここまでニュースになるのは、やはりそれがクラウンだからである。
当然これ自体何らかの情報戦略で、メーカー側が世間の反応を見るためにリークしたとか、ディーラー側がメーカーに圧力をかけるためなど何らかの意図があってのことだろうが、いずれにせよどちらかに転ぶ可能性があってのことなのは間違いないだろう。
ディーラーにとってはかつては黙っていても売れる上に利益率も高いまさにドル箱商品だったワケで、売れなくなったとしても現状維持を望む声が大勢を占めるのは社会の法則であり当然だろう。仮に廃止となれば相当抵抗があるハズだ。
ただメーカーにとっては100年に一度の変革期にそんなことは言っていられないのであり、名前を残した上で現在売れまくっているSUVとして生まれ変わるというのは確かに最善策に思える。この辺りのディーラー対メーカー、あるいはディーラーメーカー双方の賛成派対反対派の綱引きあるいはそれを見越して先手を打ったというような駆引きが、今回の情報リークという形で現れたのではないかと思う。

この事自体は2018年3月に書いた通り必然だったと言える。何せセダンには需要がないのだ。クラウンですら、というか「日本市場では」ということであり、アメリカや中国では需要があるのであって、トヨタであれば「マークX」を廃止し北米向けカムリにそのポジションを置き換えたし、ホンダであればレジェンドもアコードもそうである。そしてこれでついに国内専用セダンは絶滅することになる(違う意味で今話題の「センチュリー」はやはり「別格」として)。
これも2018年9月に書いたが、そもそも国内市場はオマケであり国内専用という存在がもはや絶滅寸前なのであって、もはやミニバンと軽(トヨタならダイハツ系)しか残らないのだ(そう考えるとダイハツ、スズキにはある意味「日本車」の「将来」がかかっているとも言える)。トヨタで言えば、最新カローラのモデルチェンジによってクラウンとアルヴェル、ノアヴォクのみとなった。
今回のニュースによればクラウンは国内専用モデルとして生き残る可能性はあるということになるようだが、おそらくメーカー的にはそもそもフツーなら廃止、でなければグローバルモデルに置き換えということになるハズで、現状維持派に対し「さあどうする?」と選択を迫っているようにも見える。これはやはりディーラーがメーカーを支えてきたトヨタ、そしてそのディーラーを支えてきたクラウンであるが故の問題であり、それ故どちらに転ぶ可能性もあると言えるだろう。
ただ、いくらかつては他社のパクリを2年もあれば市場に出せるのがお家芸だった「開発力」のあるトヨタとは言え、今の時代これから次期モデルの方向性を決め、そして開発をスタートするということではあまりに遅すぎるような気がする(実際のところは知らないが)。だとすればおそらく高級SUVは開発中、クラウンは廃止、じゃあそれをクラウンにするのは?ということになったのではないかという気もする。

国内市場でセダンに代わって主流となったのはミニバンとSUVである。クラウンで言えばその座を奪ったのはアルファードとハリアーだろう。
おっさんの記憶では、バブル期まではSUVと言えばハイラックスサーフやテラノ、ビッグホーン、そしてパジェロが大人気だったが、この頃はまだSUVという言葉はなく一般的には「四駆」などと呼ばれていた。現在SUVブームと言われているのは世界的な潮流のハナシで、もしかしたら日本は世界の先を行っていたのかもしれない。
ただ団塊ジュニア世代が社会に出た頃は、当時比較的安価だったスポーツタイプに比べワンランク上の価格帯で、ちょっと頑張らないといけないイメージだった。乗っているのはやはり30代以降が多かったし、パジェロを新車で購入した同年代の知人の「400万円」というハナシを聞いてさすがにムリだと思った記憶がある。この頃の若者はまずスポーツタイプ、ヤンキーはセダン、オシャレ派は四駆というキャラクター設定ができており、四駆はむしろ「都会派」「トレンディ」だった。この流れを受けて乗用車ベースの比較的安価な四駆、ホンダCR-Vがそれなりにヒットし、その後トヨタがRAV-4でごっそり持っていったというようなこともあった。バブル崩壊で先に挙げた4車種は全て消えていったが、この2車は曲折を経ながらも存続している。
そして登場したのがハリアーである。当初から高級「感」を最大のウリにしていたため、身近でも40代50代に所有者がそれなりにいた記憶があるし、街中でもかなり見かけたものだった。今思えばこのハリアーがクラウンの最大のライバルとなっていた、つまり30年前からそれは始まっていたのであり、アルヴェルがクラウンの座を脅かすようになったのはそれからずっと後のことである。

おっさんの記憶では、アルファードが登場したのはバブル崩壊後に登場したオデッセイ、しばらく後のニッサンエルグランドの大ヒットにより高級ミニバン市場が定着した頃で、相当遅れてきたトヨタが後出しジャンケン一人勝ちというこれまたいつもの必勝パターンだった。15年ほど前の記憶では当時知人でも数人いるほど大人気で、価格的には結構ギリギリという人が多かったが年齢層は30代から40代といった比較的若い層からも支持されていた。
この頃はまだファミリー、中年といったイメージであり、価格的には大差はなかったもののクラウンとは明らかに違うジャンルという感覚だったし、今思えばこの頃から知人でクラウンを所有しているのはヤンキーしかいなかった。また当時は今ほどオラオラ感全開ではなくヤンキー需要はオデッセイ、エルグランドが主流で、現在のオラオライメージが定着したのはこの次のモデルからである。特に2018年3月のモデルチェンジ以降アルファードがバカ売れしているそうで、それ以前は売れ筋だったヴェルファイアとの差を逆転、それも圧倒的な差となっているそうである。
この時アルファードのデザインについて一般的なクルマ好きの評価は「下品」だった。あまりにあからさまなオラオラ顔がそう評されたのだが、それは当時のクラウンから始まったデザインの流れ、イメージ戦略であり、そして結果としてまさに予想通り圧倒的オラオラ顔のアルファードが圧倒的人気を得たのである。
組織の重役用としての需要も増加しているそうだが、「高級車」の定義がオラオライメージの定着によって書き換えられるというのは、クルマ好きとしてはもはや絶望でしかない。ただこれも以前書いた通り、高級車の定義などとはそもそもそういうものだということであり、下品はまさに商売の基本であることをも証明したワケである。ステップワゴンもセレナも、そして直近のモデルチェンジでオデッセイも晴れてオラオラ顔になった(おそらくオデッセイについてはこれが最終モデルとなるだろうが)。
大衆にとっては所詮ステップワゴンもセレナもノアヴォクも同じにしか見えない、言ってみれば冷蔵庫や炊飯器のようなものであり、売れるクルマとは「ちょっとよさげな冷蔵庫」と言ってもいいだろう。モデルチェンジで人気不人気を交互に繰り返すステップワゴンに例えると、先代RK、その2つ前のRFはまさにそうだったし、現行RP、2つ前のRGは敢えて他者との違いをウリにした結果クルマとしての評価を得る代わりに全く人気がなかった。大衆にとって「他者との違い」が肯定的に評価されるのは「序列が高い(ように見える)」という一点のみであり、それ以外は「他者と違わない」ことによる安心感の方がはるかに上回るのである。クルマを含むあらゆる商品の選択の基準は大衆にとっては所詮「美人コンテンスト」的心理であり、そしてそれを利用することに長けた者が社会での勝者となるのだ。

言うまでもないが、「高級車」の需要はクルマが存在する限りなくならないだろう。
日本人にとって高級車といえばやはりベンツやBMWといったドイツ車が筆頭であって、それはクラウン全盛の時代の30年から40年前でもそうだった。ベンツはやはり別格であり、本物の金持ちまたはヤクザという認識であって、一方クラウンはやはり庶民の憧れというレベルだった(ちなみにおんぼろBMWは周りにも多少いたものの本物のマニアか単なる見栄っ張りと認識されていた)。まして現在は地方都市にまでアウディやBMWのディーラーが店を構えており、これは30年前にはなかったことだ。それだけ輸入車が身近になりその比率も高くなっているのだから、その意味でもクラウンの需要は下がっているだろう。

日本の高級車は常に外車を基準に発展してきたのは間違いないだろう。言うまでもなく走る曲がる止まるという基本性能、つまりエンジン、ブレーキ、シャーシがその主体であり、加えて静粛性、乗り心地、そして見た目の高級感、豪華装備ということになるハズだ。
ただ、走る曲がる止まるという基本性能は一定の水準に達した後もどこまでも向上していく、というワケではない。まして現在の日本においては整備された道路を100km/hすら出すこともなくただただ「移動」するだけであり、200km/hで何時間も安全に走行することまで考慮しなければならない欧州、アメリカとはやはり基準が違うのである。これはメーカーのクルマ作りの問題ではなくユーザーのクルマ選びの問題であり、文化も技術も、結局大衆に選ばれるのであって、そこそこの土壌に根ざしたものが最後に残るということなのだろう。つまり大半の日本人にとって、走行性能も静粛性も、高級車の基準とはならなかったのである。

となれば日本人にとって高級車に必要なのは、他人から高級車だと認識されることのみである。まして序列思考の人間にとってそれは最も重要なことであり、かつてクラウンが持っていたのはまさにそれだった。静粛性や走行性能の高さはあくまでそのために付随するものであって、まして自分が乗って楽しいことでは全くないのだ。
そのような明確な目的の対象であるクルマの需要が一度減り始めると、それまでに比べ街で見かける度合が減り、他人に認知されるという最も基本的な要件が相対的に低下する。つまり「彼ら」にとって最大の魅力が低下するのである。彼らはその一点において貪欲であり、その魅力が少しでも高い方を常に選択し続けなければならないのだ。他人の目を基準として何かを選択するというのはやはり「美人コンテンスト」「ゲーム理論」であり、その対象における真の価値とは全く無関係に、一方的に、急激に進むものである。その意味では、クラウンは確かにもはやかつての神通力を失ったと言って間違いない。

一方、特にメーカーにとっての転機となったのはトヨタ「セルシオ」だった。バブル絶頂期に登場したこのクルマは世界の高級車に影響を与えたと言われるほどであり、当時から明らかにクラウンより格上とされていた。メーカーとしてはここからまさにグローバル市場で対等に勝負できる高級車を目指すこととなり、その成果としてレクサスブランドが生まれたのである。国内的にはレクサスが高級車ブランドとして定着したのかどうかはよく分からないが、あくまでそれはグローバル戦略でありこの時から国内は二の次となったのである。このときからクラウンが序列の頂点として認識されなくなっていったのは間違いないだろう。
とは言えセルシオは新参モデルであり、しかもさすがに手が届かない価格帯であったのは間違いない。当然これもメーカーが意図したものであり、クラウンとは競合しないことが前提だったのだろう。セルシオという名前が消えたのも、あくまでその流れによるものである。
そして今やかつての「外車並み」の価格で日本車が売れる時代である。それはそれで日本車の技術レベル、そしてブランドレベルが外車並みに上がったということにはなるのだろう。感覚的にはレクサスにそれがあるのかどうかはやはりよく分からないし、ましてレジェンドやアコードがそれに代わるとはハッキリ言って全く思えないのだが、要するに時代が変わったのであり、それが理解できないおっさんユーザーなどメーカーにとってそもそもどうでもいいのである。

世界水準という意味ではもう一つ、これらの流れが国内でのクルマ価格の明らかな上昇を招いている、ということになるようだ。国内市場の主役が軽に取って代わったのは、このような理由であることは間違いない。
なぜそうなるのかといえば、一つは「ディズニーランド」の料金で説明できるそうだ。
おっさん的には全く興味はないが、ここ10年で東京ディズニーランドの料金は相当値上げされているそうで、近い将来庶民には手が届きづらいところまで行くだろうと言われているらしい。これは中国を初めとする新興国市場が急成長しているためであり、要は世界的な相場にどうしても引きずられるということなのだそうだ。これはいわゆるマクドナルド指数という、ハンバーガー一個の価格が相対的にどれほどの価値を持つのかを顕すというのと同じようなことでもあり、アメリカや日本ではファストフード、もっと言えばジャンクフードであるハンバーガーが、途上国では高級品となる、ということにも通ずるものである。
もちろん価格とは市場により決まるものでありこれは絶対的な指標としては機能しないハズだが、一つの要因であることも間違いないだろう。グローバル化により主戦場が世界となった結果、日本車の一つのモデルの価格がそのような性質を持つのは間違いない。
ディズニーランドもクルマも、額面上の価格が上昇しても日本人の収入が上がれば相対的には変わらないし、収入が上がれば価格も上がるのが経済の理論上フツーである。つまり収入が低下しているのにクルマの価格が上昇し続けるということは、日本人が相対的にそれだけ貧乏になった証拠なのである。

その上で、クルマそのものについては終わりのないコストカット時代が続くのである。感覚としては、バブル期と比較して現在のクルマは確かに安全性や環境性能と言った部分の機能的品質は上がっているものの、内外装の質感などが向上しているとは正直全く思えない。確かに軽についてはここ数年明らかに向上したといってもいいとは思うが、現在のミニバンやSUVなどは、300万円以上のクルマには到底思えないというのがおっさんの感覚である。
値上がりするということはそれまでの品質を基準として価格が上がるということであり、逆に言うと価格を基準にすれば相対的にクオリティが下がるということだ。バブル期に300万円くらいのイメージだったクルマが現在は500万円するとすれば、現在300万のクルマはバブル期の200万クラスの品質になる、つまり品質が劣化したのと同じなのだ。
もちろんこれはバブル期を基準にするからであり、相対的にそう感じるということでしかない。つまり個人の中にある基準がどこにあるのかによって変わってくるのであり、良かった時代と比べれば、全ては悪くなったということになるのである。そう考えると、良かった時代のぼんやりとしたイメージで今のクルマに対して文句ばかり言う人間、つまりおっさん世代、おっさん基準こそがメーカーにとってはジャマな存在と言えるだろう。

こうして考えると国内市場はやはり相当重苦しい時代が続くことになり、それはメーカー、ユーザーとも同じだろう。終わりに向かって縮小し続けるだけ、と言うよりもはや終わった時代を生きているに等しいのかもしれない。
そんな中、クラウンがSUVに生まれ変わるとすれば、廃止されるよりはまだ多少明るいイメージで捉えることができるのかもしれない。
Posted at 2020/12/01 06:09:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ

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