
最近感じた、人について語ってみる。
先日、組合上部団体加入30年を記念して当時の仲間と久しぶりに談笑した。
私の様に退社した方もいるし、現在も勤務している方もいるし役員になった方もいる。
会社は、入社当時資本金1億円、従業員350名だったが
退社(勤続11年)する頃には、2部上場して一部上場まじかだった。
どうして30年も経過して集まる事が出来るのかって思いませんか?
それは、ま、戦友みたいなもので、真剣に、会社を良くしたい、自らの生活を良くしたいとの目的に議論し、その結果が、30年の年月を経て判断され、その時の決断が間違いではなかったと思えるからだと思う。
とにかく、議論は交わした。
一方的に自分の意見を言う、言い合いではない
相手の言う事を理解して、自らの意見を言う話し合いだ。
会社との交渉もそう
言い合いではなく話し合いを行った。
そのおかげで30年経過した中でも記憶が鮮明で共通の話題が生まれ談笑できる。
まるでTVドラマの「コールドケース」を見ている感じで顔まで当時の様に見えてくる。
どこかの国の様に自分の主張を述べて人の話に耳を傾けないのは、話し合いにもならないし進歩も発展もない、
だまし絵で例えると、こうだと思ってしまえばそのようにしか見えないが、作者の意図を理解し、方向を変えたりすれば真実が見えてくる。
相手を理解すれば見えない答えが見えてくるものだ!
そう言えば、娘のところへ厄介になったのだが
娘夫婦は、子供(孫)を良く叱る
孫は、よく話しかけるのでそれが毎回毎回続くのがストレスらしい。
そんな娘夫婦、どちらも長男、長女なので弟や妹が小さい頃の記憶が残っているだろうと
比べてみるとどうだと聞いてみた。
そう言われると同じだと答えたので、子供なんてそんなものだ、いちいちストレスを感じていたら大変だと話した。
どうも私の娘は、私に似たようで
よく私に「パパは、いつも自分の言っていることが正しいのでしょう」と言っていた。
理由を述べて話すのだが、逆にそれが分かっているだけに認めたくないところが出るらしい。
現在の娘を見ていると「いつも自分の言っていることが正しい」だけが伝承されている様に思う。
孫が、親に話しかけるのは、聞いて欲しい、理解してほしい、かまって欲しい等の理由から兄弟でもいればそんな部分をフォローしてくれるのだが、逆に一人で大変なのに二人目なんてと言い返す。
私にすれば一人も二人も変わらない、自分の食べる分を少し分け与えれば子供は育つ
良く、親になって自分の親の苦労が分かると言うが、私の娘は親になったの? なんて思う
ま、そのように育てた私にも責任は有るが、親元を離れ15年も経過すると娘自身の経験から学んだものの影響が大きいのだが、やはりフォローしきれていない親の私の責任だろう。
ま、何にしても言い合いではなく話し合い、子供(孫)との会話も子供では無く一人の人として相手の立場になってと、
人と人との有り方を感じた1週間でした。
Posted at 2016/07/21 17:15:21 | |
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