• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2023年07月16日

第5回 個人的に自動車会社、好きな車を語ってみる☆〜日産編♪

第5回 個人的に自動車会社、好きな車を語ってみる☆〜日産編♪ さて、トヨタ、スズキ、ダイハツ、ホンダと来まして、ついに日産自動車について調べてみよう〜語ってみよう〜となりました!


そう第5回となります、今回は日産自動車です。




うーん。。。
実は日産には特別な思い入れがありましてね。。。

ちょっと写真はないのですが私が初めて買ったクルマがドノーマルの日産S13シルビアK'sです☆

この車にどうしても乗りたくて免許を取りました!

当時の写真がない為1番近い画像を拝借しました。
(Nosweb.jpより)

ただ、初めての車はサンルーフ付きで雨漏りが凄く、さらにタービンブローやエアコンもブロー、オイル漏れも激しかった上に自損事故もして廃車になってしまいました。


そして飽きずに再度購入(笑)


アオシマ プラモデル 1/24 ザ・ベストカーGT No.079 S13 シルビア後期型 エンジン付
(こちらも写真がない為青島文化教材社さんより)



今度もまた黒のK'sでワチャワチャ弄ってある車を買っちゃいました(笑)

見た目はノーマルだけどTEIN車高調、ワタナベのアルミ、エアロはノーマル、A'PEXiのマフラー、社外タービン、社外ブローオフ、社外エアクリ、得体の知れないROMチューン車に乗ってましたが、国道で追突されて廃車になってしまいました(泣)


2台合わせても6年くらいしか乗れなかったこともあり、シルビアにはやはり今でも特別な思い入れがあります。


しかし、なんで写真が1枚も残ってないのか😭


実は、今のワゴンRは昔の2台目のS13シルビアみたいにしたくて、ワタナベのアルミ履いたり、ステアリングも当時シルビアに付けていたそのままのmomo VELOCE RACING
、ホーンはmomo CORSE BLACK にしたり、シートも当時のRECAROル・マンカラーにしたりしているわけで(笑)







今の車も気分はシルビアのようなつもりで乗っています(笑)



まっ、そうゆうわけで私は、MT車好きの古い人間なんですよ。。。(笑)


だいぶ前置きが長くなりましたが、やはり日産車はねー、ホンダ車もそうなんですが過去の車の印象しかないんですよね。。。



ホント、昔が良すぎてね〜、



とゆうわけで個人的な感情がだいぶ入ってしまいますがどうか怒らないで頂きたいものです(汗)


日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ、英: NISSAN MOTOR CO.,LTD.)



神奈川県横浜市に本社を置く、日本の多国籍自動車メーカー。

同社の筆頭株主のルノー、三菱自動車工業の3社と、ルノー・日産・三菱アライアンスを形成している。

また三菱自動車工業の筆頭株主でもある。

神奈川県横浜市のグローバル本社

1905年に、鮎川義介が最先端技術であった鋳物技術の習得へ渡米した際に、米国工業の頂点に自動車工業があると見たことに端を発する。

義介の帰国後、大叔父の井上馨の斡旋により、親戚の久原家、貝島家、藤田家、三井家の出資を受け、1910年に福岡県戸畑市(現在の北九州市戸畑区)において戸畑鋳物株式会社(現在のプロテリアル、旧日立金属)を創設し、義介が専務技師長となり鋼管製造の傍ら、1924年には農業用・工業用・船舶用石油発動機製造販売へ事業を発展させた。

戸畑鋳物東京製作所(深川)を新設し1929年(昭和4年)に自動車用マレブル鋳鉄製造を始める一方で、久原家が興した久原鉱業の社長に就任して同社を改組し、1928年に日本産業株式会社(略称、日産)とした。

これが後の日本産業コンツェルンの基となる。



【ダットサンの成り立ち】



『快進社』


明治時代末期の1911年(明治44年)、輸入車の模倣で実験的に作られた一品モノに留まっていた自動車を国産化すべく誕生した「快進社」は、1914年(大正3年)にエンジンまで純国産のダット自動車(脱兎号)を開発、1918年(大正7年)にダット41型乗用車を発売します。

DAT号と快進社の従業員。

快進社は乗用車の分野では輸入車が圧倒的な力を持っており、とても太刀打ちできず、トラックの分野に参入する。

それは陸軍がトラックの国産化政策を進めようとしていたからだ。

第1次世界大戦で人員や物資の輸送に自動車が役立つことがわかり、民間企業に製造を委託しようと考えたのだ。

しかし、快進社の規模は小さく、陸軍はまともに相手をせず認定しなかった。

交渉の末にようやく認定されたのは1924年である。

それでも経営状況は好転せず、1925年に快進社は解散。


『実用自動車製造』

一方で大阪の久保田鉄工所(現クボタ)を中心として自動車を造ろうという機運が盛り上がり、1919年に実用自動車製造が設立された。

アメリカ人技師のウィリアム・ゴルハムの指導を受け、三輪自動車のゴルハム号の製造が始まる。

実用自動車製造の三輪自動車。右端に写るのが、開発を指揮したウィリアム・ゴルハム。



しかし事故が多く、安全性に疑問を持たれ苦戦していた。

1919年、実用自動車製造は四輪乗用車のリラー号を開発して販売していたが、販売は低迷して経営危機に陥っていた。

陸軍のあっせんで快進社と実用自動車製造は合併して生き残る道を模索する。

1926年にダット自動車製造が設立され、実用自動車の工場でダットの保護自動車が製造されることになった。



戸畑鋳物株式会社の傘下として、1931年にダット自動車製造株式会社を収めるものの、1933年(昭和8年)ダット自動車製造株式会社が、株式会社石川島自動車製作所と合併し自動車工業株式会社(現在のいすゞ自動車)を設立するに際して、戸畑鋳物株式会社がダットサンの商標と製造権、および、大阪工場を無償で譲り受け、日本産業株式会社の出資を加えて同年12月に、新ためてダットサンの製造のために自動車製造株式会社を設立する。


1933年式ダットサン12型フェートン。

ダットサンという名称は1932年の10型から採用された。




日本産業コンツェルンを、翌1934年(昭和9年)に日産自動車株式会社と改称したのが、興りである。

1936年(昭和11年)9月14日、自動車製造事業法に基づき豊田自動織機とともに政府から自動車製造許可を受けた。

なお、先の自動車工業株式会社は、橋本増治郎が1911年に設立した快進社がルーツであり、1914年に誕生したダット号が初の自動車の開発・製造であった。

しかし、ダットサンの知財と大阪工場を得たのは日産であった。




さて、ここからは日産の歴史を名車と共に載せて行きます☆


創業期より先進技術の吸収に積極的で、日産自動車は日本フォードや日本ゼネラル・モータースなみの大型乗用車を製造するため、1936年にアメリカのグラハム・ペイジから設計図や設備などを購入し、また戦時中の技術的空白を埋めるため、1952年にイギリスのオースチンと技術提携している。

1958年には、当時世界で最も過酷なオーストラリア大陸一周ラリーに自社開発のダットサン・210型で出場してクラス優勝を飾り、1960年には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」、「技術の日産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意としたことで医者の往診に愛用されたことから「医者のダットサン」としても親しまれた。

110型系(1955年 - 1957年)

ダットサン1000乗用車(210型)
画像は1958年オーストラリア・モービルガス・トライアル、Aクラス優勝の富士号


初代ダットサン・ブルーバード
P311型(中期型)
1960年10月 - 1961年8月



1966年8月1日には、経営難に陥ったプリンス自動車工業を通産省主導により合併。

スカイライン、グロリアなどの車種と、中島飛行機・立川飛行機の流れを汲む人材を戦列に加えた。



スカイラインスポーツのベースとなった1961年式「プリンス・グロリア」。テールフィンの生えたアメリカ車的なスタイリングを持つ、当時の国産最高級車だった。


ALSID-1

BLSID-3
61年式「スカイライン1900デラックス」。前出のグロリアとの差異は、エンジンがハイオク仕様のグロリアに対してレギュラー仕様となるため最高出力がやや落ちること、および内外装の細部のみ。これらの写真を見比べた限りではサイドモールディングとホイールキャップくらいしか違いがないが、グロリアのほうがアクセサリーが豊富なため車重はやや重く、スカイラインの1340kgに対してグロリア1360kg だった。



またプリンス自動車工業の宇宙開発事業を承継し宇宙航空事業部を発足させた。

1973年の米国環境庁(EPA)の燃費テストでサニーは第1位となり、この間、燃費向上のための高張力鋼板およびボディの防錆性の向上のための亜鉛ニッケルメッキ合金を用いた防錆鋼板(同社では「デュラスチール」と命名)、エンジンの燃焼制御技術の開発からCAD/CAM、産業用ロボットの開発まで、「技術の日産」として先端技術分野の先駆的役割を果たしてきた。

日産 サニー 4Drセダン 1973


しかし、その反面、戦時中に自動車の配給を独占していた「日本自動車配給株式会社」が戦後に解散となった際、日本国内各地の地元の有力ディーラーの大半がトヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車)に組織化されたために販売力でハンデがついてしまい、技術面では「技術の日産」と評されるほどに優位を保っていた反面、販売面ではマーケティングと販売戦略で業界トップとなったトヨタには及ばず、1980年代以降は更にトヨタとの差は広がった。



【901活動】

1980年代には「90年代までに技術世界一を目指す」という名の下、全車種を対象にエンジンをはじめ、シャーシやサスペンションの設計目標と、走行実験におけるハンドリング評価基準の大幅な底上げなどに力を注いだ「901活動」がおこなわれており、日本車の技術向上に大きく貢献したことでは一定の評価を受けている。



さぁ〜ここからですよ😀


1980年代後半のバブル経済(バブル景気)時代には、K10型マーチをベースにしたパイクカーの第一弾として限定1万台で発売され2か月で予約完売となったBe-1。

K10型マーチ

1985年2月発売型(日本仕様)

Be-1



日産・Be-1
BK10型


これは、話題になりましたね☆


私の中のマーチといえばこれ♪

1989年1月に登場したマーチの史上最速モデル、スーパーターボ


全日本ラリーのベース車として、1988年に登場したマーチR。Rのロゴマークが眩しい!!


マーチRのインテリア。レーサーの定番装備でもあった3連メーターや、MOMO製の3スポークステアリング


もうこの車は反則だね😀
車両重量は770kgにして
エンジンは直4SOHC+スーパーチャージャー+ターボ。


スーパーチャージャーにターボって(笑)

これは日産の最高傑作です☆




さて、当時日本唯一の3ナンバー専用の高級車であったY31型シーマ。

バブル時代のトレンドが再び注目され、「バブルの象徴」としてテレビでも取り上げられる機会が増えているのが、日産の初代シーマ(Y31型)だ。

これは怖いお兄さんがたくさん乗ってましたね(笑)


そして当時はデートカーとして人気となったS13型シルビアなどをヒットさせた😄

ライトウェイトスポーツの日産のS13型シルビア



はい!
出ました😀

S13シルビアです☆


S13型シルビアQs 前期。

’88-’89日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞、’88年度グッドデザイン大賞の受賞とメディアからの評価も高かった。

1.8L 16バルブ直4ターボのCA18DETエンジン 前期型

搭載するエンジンはCA18型の1.8L直4で、NAモデル135馬力のJ’s、Q’sと、ターボモデルで175馬力のK’sが用意されていました。そのK’sは、軽快に吹き上がるエンジンで、パワーもトルクもちょうど手頃、爽快な加速性能を持っていました。

1991年にマイナーチェンジしたS13シルビア後期型。

主な外観の変更点はリアスポイラー形状とアルミホイールのデザイン

それまで搭載していた1.8LのCA18型エンジンが、2LのSR20型に変更されました。

これによってNAは135ps/16.2kgm→140ps/18.2kgmへ、ターボは175ps/23.0kgm→205ps/28.0kgmへパワーもトルクも高くなって、断然力強くなりました。

手の届く価格、手頃なサイズ、振り回して走るのに充分なパワーと3拍子揃った頃で折からのドリフトブームのアフターバーナーに点火する役割を果たしたものシルビアでした。



それが今や中古車市場において手の届かない領域にあります(笑)

びっくりですね🥹


S13型シルビアの「リトラクタブルヘッドライト&ハッチバッククーペスタイル版」としてラインナップされた180SX(写真はTYPE2)

シルビアとのパーツの互換性が高かったため「シルエイティ」「ワンビア」と呼ばれる合成車も流行った。のちに「シルエイティ」は日産純正として500台限定で販売されている(写真はTYPE2)



さて、「Be-1効果」や「シーマ現象」なる流行語まで生みだし、「901活動」のもとで開発されたR32型スカイラインやZ32型フェアレディZなどのスポーツ系車種をはじめとしてP10型プリメーラなどのセダン系車種なども高い評価を得るなど存在感を示していた。


『R32型スカイラインGT-R』


R32型スカイラインGT-Rは2ドア・クーペ、4人乗りのみ。当時、日産でおこなわれていた運動性能向上運動「901運動」の集大成ともいうべきモデルだった。

サスペンションは前後ともマルチリンク。



『Z32型フェアレディZ』


z32 2シーター ノーマルルーフの5速ツインターボ


ちなみにこちらは私の親友T.OHTANI君が乗ってました☆





2by2


『P10型プリメーラ』


4ドアセダン(後期最終型)
1994年9月 - 1995年9月

ちなみにこちらも私の親友T.OHTANI君が乗ってました☆



『スカイラインの歴史』


日産・スカイライン(3代目)
C10型
通称:ハコスカ(箱スカ)

2000GT-X



GT-R

日産・スカイライン(4代目)
C110型

2000GTX-E(Sタイプ)

GT-R

日産・スカイライン(6代目)
DR30/HR30/FJR30/ER30/VPJR30/VSJR30
通称:ニューマンスカイライン、鉄仮面(後期型RSの通称)、New愛のスカイライン(前期)

前期型(1981年-1983年)
2ドアハードトップ2000ターボGT-ES



後期型(1983年-1985年)
4ドアセダン2000ターボRS-X


テレビドラマ「西部警察」に登場したマシンRS-1。2000ターボRSをベースとしており、赤灯などを除いたエアロパーツ類は当時一部ディーラーオプションとして設定されていた。

日産・スカイライン(8代目)
BNR32/HCR32/HNR32/HR32/ECR32/ER32/FR32/HNR32改

前期型4ドアGTS-t



GT-R



すいません。。。
自分の好きなところしか載せてません(⁠+⁠_⁠+⁠)



『フェアレディZの歴史』


初代 S30型系 (1969年 - 1978年)

2by2(GS30型)

2代目 S130型系 (1978年 - 1983年)

280Z Tバールーフ 2シーター

280ZX リア

280Z 2by2

3代目 Z31型系 (1983年 - 1989年)

300ZX 2シーター (前期型)

300ZX 2/2 (後期型)

4代目 Z32型系 (1989年 - 2000年)


5代目 Z33型系 (2002年 - 2008年)




『プリメーラの歴史』


初代 P10型/W10型系(1990年 - 1995年)

5ドアハッチバック(欧州仕様)

2代目 P11型系(1995年 - 2001年)

4ドアセダン
1997年9月改良型


◉1989年は国産車のビンテージ・イヤーといってよく、スポーツカーに限ってもユーノス「ロードスター」(NA)が生まれ、トヨタ「MR2」(SW20)が一段とスポーティに生まれ変わり、ホンダ「CR-X」にVTECを搭載したSiR(EF8)が追加され、ラリーで活躍していたトヨタ「セリカGT-FOUR」(T180)がモデルチェンジしてより戦闘力を高め、日産「フェアレディZ」(Z32)は一気にモダンになった。


ホント全メーカーこの時代か最高の時代だったのではないか😄





しかし、1991年のバブル経済崩壊以降に開発・発売されたU13型ブルーバード(特にEEX/SSS系の4ドアセダン)やC34型ローレル、B14型サニー(同B14型ルキノクーペを含む)、S14型シルビア、R33型スカイライン(同R33型GT-Rは除く)、R11型プレセア、N30型ルネッサなどの車種は終始、販売不振に終わり、低迷の兆しは見え始めていた。

9代目 U13系ブルーバード

セダン

7代目 C34型系ローレル(1993年 - 1997年)

前期型
1993年1月 - 1994年1月

後期型
1994年9月 - 1997年6月

8代目 B14型系サニー(1993年 - 1999年)

中期型 1.5EXサルーン
(1995年9月 - 1997年5月)

後期型 1.5EXサルーン
(1997年5月 - 1998年10月)

6代目 S14型シルビア(1993年 - 1999年)



前期型(1993年10月-1996年6月)

後期型(1996年6月-1999年1月)

9代目 R33型スカイライン(1993年-1998年)

セダン 1993年販売型 GTS25t タイプM



セダン 1996年1月改良型 GTS25 タイプS/S

2代目 R11型プレセア(1995年-2000年)

1995年1月発売型



1997年6月改良型 2000レフィナL

N30型ルネッサ



ルネッサ(前期型・1997/10-2000/1)



『S14シルビアとR33スカイライン』


S13シルビアからフルモデルチェンジを図ったS14シルビアの登場は1993年。

S13の成功後だけに、大きな期待が寄せられていました。

しかし、全体に大型化が図られ軽快さがスポイルされたことに加え、丸みを帯びたデザインが重たいイメージに拍車をかけたために批判を浴びます。

S13が近未来的でスタイリッシュなボディデザインと高い走行性能から販売台数は約30万台にも及び、5年間販売されました。

その後もマイナーチェンジをし、特別仕様車を投入するなど精力的に販売数の増加に取り組みますが、先代S13とほぼ同等の販売期間にもかかわらず、8万5千台あまりの販売でS14の生産は終了します。

S14シルビアに搭載されたエンジンは、S13後期から引き続きSR20型でした。

しかし、後継のS15に搭載されたSR20エンジンと比べても遜色のないほど、大幅なパワーアップが図られています。

自然吸気のSR20DEで160ps、ターボのSR20DETでは220psの最高出力を発揮。1997年に作られたオーテック特別仕様車は、250psとS15とまったく同じ出力です。

実は車重の増加に見合うポテンシャルの引き上げがしっかりと行われていたので、見た目のイメージほど走行性能は犠牲になっていません。

S14シルビア不人気の理由となった、ボディサイズの大型化はクルマの運動性能という意味では決してマイナスではありませんでした。

トレッド幅とホイールベースの拡大によって走行安定性が向上。限界領域でのコントロール性能も高かったことから、当時盛り上がりを見せていたドリフトシーンで注目を集めます。

また、ボディ剛性も曲げ剛性で約200%、捻り剛性で約150%とS13から大幅にスペックアップしていたことも、ボディに無理を生じさせるドリフトには有利な点でした。さらに足回りも。

S13と共通ながらストローク量が確保されていて安定性が増しています。

いずれのポイントも、ボディの大型化によって実現した性能です。

当時の日産デザインを象徴するS14の丸みを帯びたやわらかなスタイリングと、大型のボディサイズによる高い居住性は現在では魅力の一つとして見直されています。

S14と同様に大型化で不評を買ったもう一つの日産車がR33型スカイラインです。

しかし、R32の高騰を皮切りに大きく見直され、海外を中心に高い評価を得るようになったのはご存じの方も多いでしょう。

「R33」って呼ばれる9代目スカイラインが登場したのは、1993年。

日産・スカイラインGT-R(4代目)
BCNR33型

1997年改良型


技術的にも凝っていた。作り手の思い入れを感じさせるモデルだ。

搭載された新技術は多い。

ひとつは、電動式になった後輪操舵の「スーパーHICAS(ハイキャス)」。

橫G応答制御が加わった。

もうひとつは、アテーサE-TS(電子制御トルクスプリット式4輪駆動システム)採用のフルタイム4WDモデルの設定(1993年11月に地追加設定)。

当時は、しかし、批判にさらされたクルマだった。「大きい」とか、「太った」とか、「おとなしく見えすぎる」とか。

先代のR32スカイラインは「室内が狭い」と言われ、かつ衝突安全性のためにはクラッシャブルゾーンの大きなボディが必要だったが、スカイラインにスポーティさを期待しているひとたちには、どうにも不評だった。

1995年1月に追って発表されたR33のGT-Rも、やはりおなじ批判にさらされた。

でも280馬力(と公表数値以上の)パワーと、37.5kgmの最大トルクを実現。

すくなくとも数値上の性能は向上していた。

いたずらにデカくなったという批判を事前に回避するため、日産はニュルブルクリンクでR33GT-Rを走らせた。R32GT-Rが8分20秒だったのに対して、R33は7分59秒。

“名車”と高く評価されたR32GT-Rより21秒もタイムがちぢまったことをさかんに喧伝。

RB26DETTエンジンに、アテーサE-TSとメカニカルLSD(VスペックではアクティブLSD)、さらに電動スーパーHICASにはヨー(旋回したときの慣性)レートフィードバック制御も盛り込んだ。

250馬力の6気筒ターボエンジン搭載の「GTS25tタイプM」だって、とても操縦が楽しいクルマである。

とゆうわけで、S14シルビア、R33スカイラインだって究極の名車なのだ(笑)



私は別に日産の関係者ではない(笑)
雑誌から抜粋したもので私もそう思うのだ(笑)




【経営危機】

バブル崩壊の影響で、高価格で収益性の高いシーマやセドリック、グロリアなどの高級車の販売が減少した上に、もともと商品企画(いわゆるマーケティング)や販売戦略が不得意な上にヒット車種を数多く出せないこと、さらに過激な組合運動に足を引っ張られ抜本的なコスト削減もままならないまま財務内容はますます悪化の一途を辿り、「901活動」でコスト上昇を招いた走行実験部やデザイン部を中心としたリストラを断行してもなお1998年には約2兆円もの有利子負債を抱え経営危機に陥ってしまう。

その中でも、A32型セフィーロ、E50型エルグランド、K11型マーチ、C23型バネットセレナ(のちのセレナ)などがコンスタントに販売台数を記録して経営危機に陥っていた日産を支えていた。

2代目 A32型セフィーロ(1994年 - 2000年)

前期型

後期型

2.5 Sツーリング(後期型)

初代 E50型エルグランド(1997年 - 2002年)

キャラバンエルグランド

ホーミーエルグランド ハイウェイスター

後期型(2000年8月 - 2002年5月)

2代目 K11型系マーチ(1992年 - 2002年)

1992年1月発売型



1999年11月発売型


初代 C23型バネットセレナ/セレナ(1991年 - 1999年)

前期型 (1991/6 - 1994/4)
2.0 FX

中期型 (1994/5-1996/12)
2.0 FX フルオートフルタイム4WD

後期型 (1997/1-1999/6)


しかしながら、R34型スカイラインGT-RやZ32型フェアレディZ、S15型シルビアを始めとしたスポーツカーも後継機を世に送り出すこともなく生産中止となった。

日産・スカイラインGT-R (5代目)(1999年 - 2002年)
BNR34型

M−Spec Nür



7代目 S15型シルビア(1999年 - 2002年)

オーテックバージョン

ヴァリエッタ

スペックRエアロ


さて、ここまでダラダラ書いてしまったが。。。


私の日産愛はこのあたりから終息していく。。。



その後、軽自動車市場の拡大を背景に、軽自動車を含めた日本国内シェアで、ホンダの後塵を拝するようになり、国内シェア第3位に転落した。



【ルノーと資本提携へ】


継続的な販売の不振により、2兆円あまりの有利子債務を抱え倒産寸前の経営状態となった1999年3月に、フランスの自動車メーカーのルノーと資本提携(ルノー=日産アライアンス)を結び、同社の傘下に入り更生を図ることとなった。

提携内容は、ルノーが6430億円(約50億ユーロ/330億フランスフラン/54億USドル)を出資し、日産自動車の株式36.8%、および日産ディーゼル工業の株式22.5%を取得するとともに、日産自動車の欧州における販売金融会社も取得するというものだった。

当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさや労働組合の抵抗などを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行き先を危惧した。

同年中に日本人社長の塙義一は解任され、ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)であったルイ・シュヴァイツァーの指示より同社副社長のカルロス・ゴーンが新たな最高経営責任者(CEO)に就任した。

ゴーンらのチームは、同年10月19日に発表した「日産リバイバルプラン(NRP)」のもとリストラを進めた。

ルノーから資金や人員が注入されると同時に、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場や、京都府宇治市の日産車体京都工場などの生産拠点の閉鎖、資産の売却や人員の削減とともに、子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入の見直しなどによってコストを削減した。

またこれに先立って外国企業の影響を避けるため、宇宙航空事業部が石川島播磨重工業に売却され、IHIエアロスペースが設立された。

更に、車種ラインアップの整理と同時にデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行ったことで販売台数を伸ばし、2003年6月には当初の予定から前倒しで負債を完済した。



【2000年代以降】


ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4月からはルノーの取締役会長兼CEO(PDG)も兼任している。

2013年11月までは、ゴーンCEOの指揮の下で日産自動車生え抜きの志賀俊之が最高執行責任者(COO)を務めていた(現在は日産社内でのCOO職は設けていない)。

2008年には、サブプライムローン問題に端を発した世界的な金融危機や原油高騰による不況の中、世界販売台数は0.9%増加し、アメリカでは自動車販売台数が18%減少の中、日産は10.9%減にとどまった。

2007年春に、企業誘致に熱心な横浜市の「横浜みなとみらい21(MM21) 地区」66街区に本社社屋の建設を着工し、2009年8月2日に「横浜グローバル本社」として竣工した。

2014年には、2018年までにルノーとの部品共通化を7割まで拡大すると発表した。

三菱自動車工業との共同開発で軽自動車の販売をしておりミニキャブ→クリッパー、ekワゴン→デイズとして販売している。

2015年度、2010年代の営業利益のピークを迎える。

北米市場の売り上げ増が拡大の原動力となっていたが、内情はモデルチェンジのサイクルを伸ばし、インセンティブの積み増しによる薄利多売が支えていたもので、ピークアウトした2016年度以降はインセンティブの効果も薄れ営業利益が激減していった。

モデルチェンジのサイクル延長は、カルロス・ゴーン代表取締役の方針によるものだったとされ、代表取締役が離脱(後述)した後は各国の投入する車種群の見直しが進められた。



【三菱自動車燃費偽装問題発覚】

2016年4月に三菱自動車の燃費偽装問題が発覚した事に関連し、5月12日に日産が2370億円で三菱自動車の発行済み株式の34%を取得し筆頭株主となり、戦略的アライアンスを締結すると共に、三菱自動車の再建を支援すると発表した。


同年10月20日に日産が2370億円で三菱自動車工業の発行済み株式の34%を取得し筆頭株主となり、ルノー・日産アライアンスに加わったことを発表した。

2017年9月15日に発表した新6ヶ年計画では三菱を含めてさらにアライアンスを強化し、アライアンス全体のパワートレインの共通化を従来の1/3から3/4に拡大するとしている。

2017年1月、ディー・エヌ・エー(DeNA)と提携し「自動運転タクシー」の開発を進めると発表した(2017年度より「Easy Ride」として実証実験も開始)。



【無資格者検査問題発覚】


2017年9月29日まで、同社の日本国内の全6工場で生産した21車種について完成検査の一部を未認定の検査員が行っていたことが明らかになり、新車販売を一時停止する事態となった。

同年10月6日、新車の完成検査を無資格の従業員が行っていた問題を受け、乗用車など38車種、計約116万台のリコール(回収・無償修理)を国土交通省に届け出た。




【2018年7月、排気ガス性能検査結果改ざん問題発覚】


【2018年11月、カルロス・ゴーンによる役員報酬に係る不正問題発覚】


筆頭株主のルノーから派遣されたカルロス・ゴーンが代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を2017年3月まで務めた。

同年4月からは会長に専念、また2005年4月よりルノーの取締役会長兼CEO(PDG)も兼任してきたが、2018年11月19日、金融商品取引法違反容疑で逮捕された(後述)。

日産自動車は同月22日に開かれた臨時取締役会で、同代表取締役のグレッグ・ケリーとゴーンの代表取締役会長職の解任を決議した。



【2018年12月、ブレーキ検査の数値かさ上げ問題発覚】



もちろん他のメーカーもいろいろ不祥事あってリコールとかやっているけど、正直カルロス・ゴーンの問題で決定的に日産のイメージは地に落ちてしまった。。。

しかも、日産の経営陣、幹部の問題で従業員は罪なく振り回されている。


1番は『技術の日産』って自分達で言わなきゃ良いのに😔

技術の高さや評判は他人が言うことであって(笑)


あと、キムタクのアンバサダーはなぁ〜。。。

もちろん木村拓哉さんが悪いわけじゃなくて、それこそ長い期間、トヨタの1994年にデビューした初代RAV4を皮切りに2004年から2017年にかけて断続的に歴代カローラ(カローラフィールダー)のイメージキャラクターを務めてきた記憶しかない(笑)

もちろん数々の俳優や女優さん達が自動車会社CMを移籍しているのだが(笑)



2015年の東京モーターショーで、トヨタのプレスカンファレンスにサプライズ出演したイチロー。豊田章男社長と。


かつては「イチロニッサン」のキャッチフレーズで有名だったイチローさん(笑)




ただ、私の中では、面白いクルマ作りの日産のイメージも無くなってしまった。。。




【NISSAN NEXT】


2020年5月28日に発表した2019年度決算で日産自動車は1992年決算以来27年ぶりの巨額の赤字決算に転落した(総額6712億円)。

これと同時に事業構造改革計画「NISSAN NEXT(ニッサン ネクスト)」を発表し、コスト削減、過去の過度な値引きに依存した販売体制・老朽車種の刷新、電動化への対応を打ち出した。

翌2020年度決算では新型コロナウィルス(COVID-19)の影響により減収減益になってしまったものの、2019年度決算時に掲げた、損益分岐点の引き下げ、生産能力の削減、新型車の導入に成功した。

業績は依然予断を許さない状況にあるが、快方に向かっている。

2020年7月15日、新CIが導入され、ブランドロゴが19年ぶりに一新された(詳細は後節)。

また、同年8月1日から10月23日まで体験型エンターテインメント施設「NISSAN PAVILION Yokohama(ニッサンパビリオン)」を横浜みなとみらい地区(61街区)に期間限定開設した。

2022年10月、ルノー、日産の両社は共同声明を発表し、資本関係の見直しとの引き換え条件に、ルノーが欧州で計画する電気自動車(EV)新会社に日産も出資を検討していることを明らかにした。

ルノーは現在、日産株43%を保有しているが、資本関係上の「不平等」を疑問視する声は根強く、このため、日産が出資比率の引き下げを改めて要請。ルノーが日産株を15%まで下げ、日産が持つルノー株の15%にそろえるのを軸に協議を進めると伝えられている。

2023年2月6日、日産とルノーは出資比率を15%の対等に揃えることなどを柱とした新たな提携で合意したと発表した。




【先進技術の日産】


先進運転支援システムにおいては日産が一歩リードしている。
過去の日産ばかりあげるわけにもいかないので、

『技術の日産』

を紹介しましょう。



1)前方衝突予測警報

日産の「インテリジェント FCW」はフロントバンパー下部などに取り付けられたミリ波レーダーにより前方とその前、2台の車両との距離を計測することができる。



2)ハンズオフ

日産のハンズオフ可能な運転支援システム「プロパイロット2.0」は、スバルやBMWのADASがハンズオフ可能なのは渋滞時のみとなっているが、日産のプロパイロット2.0は120km/hという国内で許される制限速度のマックスまでハンズオフを可能としている。






3)VCターボエンジン

自動運転といえば一般ユーザーが想像しやすい夢のテクノロジーだが、エンジニアにとっての夢を実現させたのが、「VCターボ」エンジンだ。

燃費やパワーを決める最重要パラメータである圧縮比を自在に切り替えることは理想のエンジンにつながる要素といえる。






4)プレミアム・ミッドシップパッケージ

日産スポーツのフラッグシップであるGT-Rにも日産のオンリーワンの技術が投入されている。ニスモ仕様では600馬力を発生するVR38DETT型V6ツインターボ、雪道からサーキットまでカバーするマルチパフォーマンス4WDなど、その構成要素はトピックスの連続だが、そうしたパワートレインを最適配置しているのが、日産が特許を持つ「独立型トランスアクスル4WD」だ。

このレイアウトの凄いところは前後重量配分を最適化するというだけでなく、ボディの振動をエンジンやトランスミッションの重量で打ち消しあう設計としている点にある。パワートレインをボディダンパーとして利用するという画期的なアイデアによってGT-Rの基本は作られている。





よく、自動運転のCMで手離しでの運転を公開しているが、私は、あくまでもドライバー本人が危険な凶器を扱っているということを自覚しなければいけないんだと思っています。

もちろん、これからの高齢化社会においてまさかの時の運転アシストはとても大事だと思うし、技術の進歩は推奨しますが、CMはあくまでもドライバーとしての自覚を養わせるような構成にしないといけないと思う。

その代表的なものがスバルインプレッサのアイサイトのCM。

私はインプレッサが大好きな車でもあるし、クルマを否定するのではなく、あの、

「娘を守りたい。だから私はインプレッサ。。。」

それは違うでしょ。
って思ってしまう。

「娘を守りたい。だから私は安全運転!」

じゃないのかな?
って思ってしまう。

不測の場合(飛び出しとか)に役立つアイサイトのCMに替えて欲しいと本気で思う。


私も何回か事故をしている。
だからこそ、常に左右の確認をしなければいけないと思っている。

駐車にしろ、発進にしろ、走行中にしろ、常に目視、動作確認をちゃんとしなければいけないと思う。

各社、運転支援システム等のCMが多いがそこに安全運転を前提にしているとはどうしても思えない。

自動運転技術や安全運転支援システムが進歩してもドライバーとしての自覚が後退したら意味がない。

安全運転に注意喚起をした上でのCMを作るべきだと私は本気で思います。



すみません。。。
熱く語ってしまった(笑)








最後にMT好きのおじさんからすると悲しいのが、200万円以下で買える貴重なMT車「マーチ NISMO S」も消滅してしまいました。

国内の日産車に残るMT(マニュアルトランスミッション)を搭載するモデルが「フェアレディZ」のみとなる……という事実です。

新型フェアレディZ(MTモデル)の価格は、524万1500円から646万2500円までとなります。

こんなん、貧乏人が買えるわけがない(笑)

そもそもスカイラインGT-Rはマニュアル車のみだったのに(泣)


そんな伝説の車達も中古車なのに高くて買えないし(笑)


とにかく日産は良いクルマたくさんあっただけにトヨタのMTラインナップの多さに感服します(笑)


最後に私の好きな日産の名車をもう1台取り上げて終わりにします😄






1990年フルモデルチェンジによってデビューした4代目 日産 パルサー(N14型系)

中でも、ラリー参戦を前提に開発され、イメージリーダーの役割も担っていた「GTI-R」はコンパクトなボディに高出力のターボエンジンを搭載した四輪駆動スポーツモデルとして、日産のコンパクトスポーツモデルのシンボル的存在だ。

3ドアハッチバックの日産 パルサー GTI-Rだが、230馬力を発生させる直列4気筒2000ccターボエンジンを搭載し、前後の動力配分50:50のビスカスLSD付きセンターデフ式四輪駆動(アテーサ)を採用。

実際、0-400m加速は13.5秒と、R32 スカイライン GT-Rに迫るかなりの俊足ではあったものの、前70:後30のフロントヘビーな前後重量バランスと195/55R14のタイヤサイズにより、いわゆる“曲がりにくい車”になってしまった。

開発当初からの目標でもあったラリーへ参戦し、1992年にスウェディッシュラリーで総合3位を獲得するも、エンジンの排熱をはじめ多くの問題が浮上し、さらに日産の経営不振と重なったこともあり僅か2年で撤退してしまう。


日産 パルサー GTI-Rに搭載されていたハイパワーなSR20DE系エンジンは、汎用性の高いエンジンであることから、当時の人気モデルでもあった初代 プリメーラへのエンジン移植や、同じSRエンジンを搭載するシルビアへのパーツ流用などが行われた。




いやー良かったですよね〜☆


以上日産の紹介になります♪

なお、やはり個人的趣味で古い車ばかりの紹介になりましたこと心よりお詫び致します🙇



それでは、また!






参考資料


Nosweb.jp
ホンダからデザイナーを引き抜きプレリュードの牙城を崩す|憧れだったシルビアS13 Q's Vol.2

car-moby.jp
ニッサン党なら「快進社」は知ってる?実はトヨタ以上の歴史を誇る日産のルーツとは

web CG
第100回:日産のルーツとなったダットサン 国産車開発を夢見た苦闘の歴史

第44回:『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)(その3)

仁義なき移籍!? 自動車メーカーのCMを渡り歩いたタレントたち

b-cles.jp
ダットサン(日産) サニー (3代目 B210 1973-1977):ボディを拡大すると共に個性的なスタイリングに

モタガレ
日産が誇るベストセラーコンパクトカー!日産・マーチ(K11型)は何が凄かった!?

ベストカーweb
よくこんなクルマつくったなぁ...マーチスーパーターボという傑作

S13シルビアは何が凄かったのか?当時の若者が熱狂したデートカーの魅力

日産180SXの魅力 ワンエイティは今こそ再評価すべき7!?【偉大な生産終了車】

web option
「日産よ、あの頃を思い出せ!」超絶スパルタンなマーチスーパーターボという傑作を振り返る

auto messe web
バブルの象徴だった日産「初代シーマ」中古車のチェックポイントは?【旧車セダン購入ガイド】

GQ japan
R32型スカイラインGT-Rは、一体なにが凄かったのか?

paper wave
希少なz32 2シーター ノーマルルーフの5速ツインターボに乗る方法を整理してみた!

旧車王ヒストリア
不遇の評価が見直されつつあるS14 シルビア! 実は高性能だった本当の魅力を詳しく紹介

東洋経済Online
「R33スカイライン」良い車なのに不評だった悲哀
今思えば洗練されたデザインとメカニズムだった

web car-top.jp
「技術の日産」を堂々名乗るにはワケがある! 他社の追随を許さないクルマの「圧倒的技術」4つ

くるまのニュース
日産「MT車が消滅」の危機!? 残るは「Z」だけ? マーチ生産終了でオジサン世代落胆の残念な現状とは

MOTA
GT-R超え!?日産 パルサー GTI-Rは速さへの情熱が詰まったコンパクトホットハッチだ!【MOTA写真館】

日産HP

Wikipedia

より抜粋、要約、画像添付。
ブログ一覧
Posted at 2023/07/22 00:00:41

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

関連記事

街角の風景!
oh車楽さん

6月のおはみなと、プリンスの丘自動 ...
きんちゃんNR-Aさん

堺浜ゆるゆるグダグダオフ会 に行っ ...
Bin Bridgeさん

日産創立90周年  エールを送る
クリューさん

街角の風景!
oh車楽さん

アートフォース・シルビア ・・・
P.N.「32乗り」さん

この記事へのコメント

コメントはありません。

プロフィール

「また下書きしたブログが保存されてない😤」
何シテル?   01/28 00:29
Hiro.Yです。よろしくお願いします。 R2に乗ってる親友の紹介で、参加しました。 愛車のワゴンRちゃんで趣味のお寺詣り、神社詣りに勤しんでます。マナ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/6 >>

      1
23 45678
9101112131415
16 171819202122
23242526272829
30      

リンク・クリップ

久しぶりの芸術鑑賞 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/06/19 10:45:57
愛車と出会って8年! 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/06/19 10:45:50
あくまでも個人的な意見です。〜相次ぐ不正発覚について〜 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/06/05 09:00:48

愛車一覧

スズキ ワゴンR ワゴンRちゃん (スズキ ワゴンR)
H10年式スズキ ワゴンR RRのMT車に乗っています。 プロフィール画像はみん友、S ...
日産 シルビア 日産 シルビア
これが乗りたくて免許取りました♪ 事故して壊れてまた、買い変えました☆ 最初のはフルノ ...
三菱 ミラージュ ミラージュちゃん (三菱 ミラージュ)
あーもう一度乗りたい🎵 この車今でもほしい車😃 僕の中ではよく回る、よく曲がる見た ...
その他 工具箱 工具ちゃん (その他 工具箱)
実はDIY 始めて1年半にして、これから一生懸命工具を揃えていこうと思っています♪ もち ...
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation