
1月4日(金)晴れ時々曇り。朝、粉雪が舞った。この冬の初雪だ。日中も気温が低く寒い一日。
朝4時前、トイレの警報音で慌てて下りて行くが、認知症の母が既に便座に座った直後で、「もっと後ろへ座れ」と繰り返し言って、手で膝を押したりするが、微動だにせず。まだ世間は寝てるのに、大きな声を出してしまう。それでも無視するので、母の頭を平手で叩く。
「痛いなぁ、兄貴に言うたる」と言いながら、やっと腰を浮かして動くが、もう既に遅い。
便器の前にはかなりのオシッコが。これだけこぼれるのが不思議。どこから。膝上当たりで止めたバジャマのズボンやズボン下、オムツパンツが便器に張り付くほどで、すき間がないのに。それらも濡れてるという事か。
ともかく、毎回言っても、全く学習はせず、便座に浅く腰掛けるというのか、お尻がころうじて乗ってるだけの状態でオシッコをするのだから、ほとんどが便器の外に出てしまってる。
午前中、北側の屋根の瓦に
少し雪が積もった?か色が付いた程度。
路面などには一切、雪は無い。
昨年の冬も積雪と言うほどの雪は降ってない。例年、1度か2度は、10cm位は降ってるのに。
大雪は困るけど、1度位は雪景色を見たいと思う。
画像は2階の私の部屋の出窓からの撮影だが、
家と家の間に家、という感じで密集してる。
このような環境に住んでると、野中の1件屋に憧れる。
今日は今年初めてのゴミの収集日。それも、月に1度の資源ゴミ。
朝の6時半頃から、新聞紙をくくったり、おもに生協のカタログばかりを本や雑誌として別にくくる。
また少し溜まった段ボールも束ねる。それにペットポトルも。
今は、お茶は水出し茶でパック入り粉末から毎日のように作ってるので、以前のようにペットボトル入りの茶は買ってないから、500ml入りのスポーツドリンクのボトルが主で、数も少なくなった。
それらを用意して、家の門から出ようとしたら、目前をハイエースが。朝、出かける人の車の向きと逆だし、ゴミステーションの方から来たのでピンと来た。
いつも、資源ゴミの日に、団地内を走り回って、ステーションから
新聞紙だけを持ち去る輩だ。
通り過ぎる瞬間ににらみ付けたが、助手席側は中年の女性。しかもあの顔は日本人では無い。
ブラジル当たりの中南米系だ。
こうして、市の財源になる筈の新聞紙などを持ち去るのを条例で禁止し、罰則を設けてるところもあると聞くが、このステーションにも、複数の国の言語で持ち去り禁止と書いてはあるけど、お構いなし。朝からむかつく光景を見た。
まだ時間が早いので、部屋に戻って、ブログを書くが、パソコンの前に座ると、強い睡魔に襲われる。
このところ、パソコンの前の椅子に座ったまま、首をうなだれて、変な格好でうたた寝してしまう。
足が下がったままで、うっ血して痛くなる。こんな事をしてると、
エコノミークラス症候群になってしまいそう。
つまり、足の静脈内の血液が停滞して、血栓が出来てしまい、それが肺の血管へ移動し、詰まってしまう事で、呼吸困難などの症状が出て、最悪の場合、死に至る。
かつては仕事の帰り、睡魔に襲われ、途中の深夜スーパーの駐車場などで、
愛車の中で寝てしまうのが常で、その頃から、気にしてて、当時は血栓を溶かす作用があるとさせるサプリのナットウキナーゼを必ず毎日飲んでいた。
今は、毎晩、納豆を食べてるので、そのサプリは飲んでないのだが。
しかし、座席の低い、愛車のシートをリクライニングして寝ると、足との高低差は少なく、エンジンはかけっぱなしで、冬季でも足元から暖かく、あの愛車の中で寝るのは気持ちがよかった。
自分にとっては
極楽みたいなもんで、そのうち、今晩はどこで寝ようかと、ホームレスみたいに車を止める場所を捜したものだ。
当時は月に2千キロ、年間で2万キロは確実に走っていて、なおかつ、毎晩、アイドリング状態でエンジンを回しっぱなしだったから、休みは月に1度あればいいほうだったので、当時は今とは比較にならないくらい、愛車のエンジンを動かしていたものだ。
当時のクセで、今でも布団の中に入らず、ベッドの上のカバーの上で、服のまま寝てしまうのが日常だが、寒いし、愛車の中のほうが快適だったように思う。
それが今は、椅子に座ったまま寝る事も多くなってしまって。
朝食は10時過ぎから。
今日は
生協が新年の特別配達で持って来る筈なのだが、年末と同様に時間がいつもと違って、いつになるかわからない。
午後2時半頃、母に暖めたスポーツドリンクを小さなコップで飲ませる。
母の部屋はエアコンをかけっぱなし。
生協は午後3時半頃に持ってくる。正月の間、何もなかったけど、今回の配達では菓子も注文していて、つい食べてしまう。
普段は朝食後、夕食まで、お茶か水しか飲まないのに、
一旦、何かを口にすると、もう止まらないほど、
次々と食べてしまう。
脂肪0%というヨーグルトや、ミニキャラメルコーンを2袋、小麦野菜バーというバターたっぶりと思えるスナック1袋、スティックのり塩とかいう、ジャガイモを細かく切って揚げたもの1袋を食べてしまった。
私ばかり食べるのは悪いと思って、もう4時前だったけど、母にも生協が持って来た冷凍のミニたい焼きをレンジでチンして食べさせた。今度はスポーツドリンクを普通のコップ1杯に添えて。
そろそろ夕食の支度をと思ってた、午後6時過ぎ、チャイムが鳴って、ゆうパックの配達。
重なるもんで、お菓子などを送ってもらった。さっそく開けて、誘惑にあっさり負けて、イカの剣先を揚げたもの1袋をたいらげ、さらにいろんな菓子を次々に食べる。
もう、
今日はオヤツを食べ過ぎ。
夕食が要らないくらい。一人身なら、もう何も作らなくて済ませるのだけど。
その夕食はおでん。レトルトで袋から出して、鍋で暖めるだけ。
これに、前から生協が持って来て、使う機会がない、小さなハム・ソーセージ。コレを輪切りして、おでんの中にほり込む。
いつもの汁物も別に作る。マイタケ、豆腐、ほうれん草、卵も1個溶いて入れる。
おでんの中にゆで卵が1個入ってるけど。一人1個半の卵を食べる事になる。
エノキは買ってなくて、ずっと切らしてる。
おでんに入れたハム・ソーセージのせいか、この汁がなんとも美味しくなった。
私はご飯が最後まで残るので、小さなカップの納豆をかけて、その部分だけ食べて、残ったご飯にはおでんの汁をかけて食べた。
母はおでんはあまり好きでは無い。「これなんや」を繰り返し、私がその都度「食べろ」と言うのに対し、母は
「アンタ食べたらええんや」などと繰り返す。
コンニャクなんかかじっておいて、「これアンタ食べ」と箸に突き刺して差し出してくる。誰が食べるか。
汁物はさらに食べない。「コレを食べろ」とまず、ほうれん草を食べさせる。そしてマイタケ。
最後に残った豆腐は、私が母の後ろで洗い物をしながら、「コレを食べんかい」と何度も椀を手元へ移動させるが、母はすぐに遠くへと押し出す。
3切れほどの豆腐を食べさせるのに、散々怒鳴って。母もなかなか食べようとしない。
この攻防が終わったら、母に薬を飲ませる。次がサプリ。これがまた苦労する。なかなか飲み込まないのだ。
やっと飲んだら、私は洗い物の続き。この間、母は私の背にある食卓の椅子に座ったままだが、
「足が痛い」と言い出す。長く椅子に座ってると、血液がどどこおって、私が夜間、椅子に座ったままで足が痛くなるのと似てるかもしれないが、母の場合は下肢への動脈の狭窄が考えれる。少し歩いただけでも足を痛がるので。
今は、座ったまま、しきりに足をさすって痛がる。両足の全体が痛いようだ。
洗い物を済ませたら、母の血圧を測定。朝晩2回計ってるが、ディサービスの朝は時間が無くて、測れない事が多い。
いつも台所の食卓で計るのだが、ここはエアコンが壊れていて、僅かな暖気しか出てこず、暖かくはないので、血圧も高めになり、薬をいろいろ変えてもらってるけど、上が140~160、下が80台後半という事が多い。
この後、「ここに座ってろ」と言って、台所のエアコンを切り、母の部屋でエアコンを入れて、布団を敷いておく。
台所へ戻って、母を椅子から立ち上がらせて、洗面所へ連れて行き、歯磨き。このところ、飲み込まずに、口をゆすぐ事が出来てる。
そしてトイレ。朝からしてないので「ウンチしておけ」と迫る。
母は
「ここでしてええんか」「受けるもんがいる」とか、
「さっきの人がしてたから」とか「お金が要るんか」等とあれこれ意味不明な事を言う。
ここで、ウンチが出たけど、量的には少ない。ウォシュレットでお尻を洗い、トイレから出たら洗剤で手を洗う。
そして、暖房をかけてある母の部屋でパジャマに着替え。手にハンドジェルをぬって、布団に入れる。
ちゃんと
枕に頭を乗せる位置に寝かせるのも苦労する。
一旦、横になってしまうと、「もっと下や」と言っても、まるで動かないから。
最近は布団をめくっておいて、足元のこたつへ足が付くように座らせてから、横にならせる。
首元に布団を押し付けて、すき間が無いようにして、終了。
今日は少し早く、10時40分頃だった。