
曇り。
昨日まで、確か今日は晴れるように言ってたハズなのに、今朝になると今日は曇りだと言い、明日は晴れると。
あれはもう
何年前になるだろうか。
今は亡き父が認知症になって来て、母に暴力を振るうようになった頃。
私が夜、仕事から帰宅すると、母は家の外に避難していて、
「殺されるかと思った」という事もあった。父は小柄で大人しく、そんな事をする人間ではなかった。
私は玄関を入るなり、「コラ~」と怒鳴り、父の胸ぐらを掴んで、片手で吊し上げた。
すると父は「すみませ~ん。もうしません」と、強い相手には子犬のようになる。
施設でも、他の年配女性の利用者に対してのみ、暴力を振るう事が多かったと言う。
休日に私が家でいても、階下で母の悲鳴が聞こえ、慌てて降りて行くと、父が母に馬乗りになってる事もあった。
私は何度か
そんな父を平手打ちにした。
当時、父は母の後ばかり付いて回り、「お前の顔は変や」とか、くだを巻いて、からむというのか、本当に酔っぱらいのようでもあった。
元々アルコールには弱く、マトモな頃、夕食にビール1杯を飲む程度で、酔っ払ってるところなんて見た事も無かったのだが、認知症でそうなるのか。
(私はアルコール類は一滴も飲まない)
しかし、私が子供の頃から、世の中の疑問に思う事、不思議に思う事などを父に尋ねても、言う事が支離滅裂で、論理的な説明が出来ず、「何を言ってるんや」と感じてた。
その点、
母は昔から口達者だった。
だから、何かを発注したり、家の中の決め事は、ほとんど母が主役だった。
西宮市に住んでた頃、父はバイク(ホンダのスーパーカブ)で、隣の尼崎市へ通勤していた。関西電力の火力発電所に勤務してたのだ。だから、ずっと3交代だった。
通勤途中、
2度続けて交通事故にあった事がある。
足の骨を折って40日ほど入院。ところが、退院して1月ほどで、また事故して病院に入った。
家でいても、脚立から落ちて救急車で運ばれたり、家を新築する間、一時的に入居したアパートの階段で滑り、コンクリの手すりで額を打って大きく切り、玄関でボタボタと出血し、血溜まり出来るほどだったのを覚えてる。
仕事場でも、急に動いたバルブ?のハンドルが頬を貫通し、歯を何本も折ったり、
父はやたらケガが多かった。
それだけ不注意だったのだろうか。
認知症というのは、症状がハッキリ出てきて、初めて周囲が気づくけど、かなり前から静かなに進行してるのかもしれない。
父がアルツハイマー病と診断されてからの進行は早かった。当時の唯一の薬、アリセプトは飲んでいたものの、2年ほどで言葉を失い、間もなく寝たきりになった。
そんな父が最初に「おかしい」と感じだしたのは、定年後、バイクで買い物に出かけて、帰り道がわからなくなってしまう事が2度続いた頃だった。
父が認知症になった頃は、まさか、
母まで認知症になるとは思ってもみなかった
以下は、その頃の母から聞いた話しである。
認知症になり、人と話さず、一人で庭に出て、草をむしったりしてた父に、もう昼前だから、家に入るように母が言ったらしい。
素直にそれを聞くわけも無く、母が父の手を引いて、連れて入ろうとすると、父は母を突き飛ばして、家の門から出て行ったらしい。その時に、父もけつまずいて、転んだのを、母が見てた。
母は昼食の支度をする為に、一人で先に家に入ったそうだ。
それから30分以上だったのだろうか、昼食が出来たので、父を連れ戻そうと、家の玄関を出ると、門柱の影に警官が隠れれるようにいて、「こっちへ来い」と合図をする。
母が「何ですか」と出て行くと、
多数の警官がどっと入り込んできた。
同時に、母は警官らに保護された。
母は「何事ですか」と尋ねると、警官は「犯人は中にいるのか」と言う。
母は「誰もいません」と言うのに、警官らは、各部屋を調べて回ったと言う。押入れの中なども。
犯人が隠れてるかもしれないと思ったのだろう。
その時、
家の周囲にパトカーなどが10台近く来ていたと言うのだ。
なんでも、父が門から飛び出した時に、ころんで腕に怪我をして、そのまま向かいの家に入り、「強盗に襲われた」と言ったらしい。
それで、向かいの奥さん(母より年上の婆さん)が、警察に電話したらしい。
父は「包丁を持った男に切りつけられた。自分は逃げ出したけど、(妻が)家で人質になってる」と言ったらしい。
それで、大勢の警官が、パトカーなどで押しかけたと言うのだ。
この事件?は、私が仕事中に、母からの携帯への電話で聞かされた。
驚くと同時に、父の狂言だったので、呆れもした。
父は認知症という事で、特にとがめられなかったようだ。
この話しは、私の妹も、母から直接聞いて知ってる。
でも、そんな事件がニュースになった事もないし、今にして思えば、
本当にあった事なのだろうかと思う。
ただ、当時の母の状況説明が詳しく、私もその現場を容易に想像出来て、疑う余地はなかった。
多数来たのは警官とは言わず、警察と言ってたか、防具を身に付けた機動隊みたいな人とも言ってたか、周囲に止まってたのは、白黒のパトカーだけでは無く、赤色灯をつけた乗用車、つまり覆面パトのようなのも来てたと言ってた。
私は、都会人の常?で、
近所付き合いなんてまるで無い。
むしろ、隣とは、そこの猫の事で険悪な関係でもある。
西宮に住んでた頃も、2件の家で、いつも隣とは険悪だった。
だから、近所の人に尋ねる事も無ければ、話しを聞く事も無い。
東日本大震災では、仮設住宅などで避難生活をする際、近所同士が一緒でありたいなんて事を聞くけど、私なんかまっぴらだ。
もし避難生活するなら、全く知らない人同士のほうが、はるかに気が楽だ。
これは都会人ならではかもしれない。
ただ母は、当時の北隣の人や、向かいの、父が駆け込んだ家の婆さんとは懇意にしてた。
警察に連絡をしたという、その婆さんに聞けば、真相がわかるかもしれないが、既に他界してる。
北隣の人も転居してる。
それから1~2年してからだったか、
母にも異変が現れるようになった。
父の事もあり、母は自分でも心配になり、近くの神経内科だったか医院に検査に行ったらしい。
すると、その後日、母が庭で草取りをしてたら、隣の奥さんと、(我が家にも来てた)ダスキンのモップを交換しに来る人が門の所で立ち話をしていて、それを生垣の影で母が聞いたと言う。
そのダスキンレディー?が「隣の奥さん(母の事)、○○医院で脳の検査したそうよ」と隣に話してたと言うのだ。
それはその医院の看護師なりが、この団地内に住んでいて、それでそんな噂をダスキンレディーに話したんだと母が言う。
私は母の話しを真に受けて、その医院へ、患者の情報の守秘義務があるのではないかと抗議したし、ダスキンの支店にも、「そんな噂話しをバラまいていいのか」とクレームを入れた。
他にもあった。父の介護の今後の事で、施設に母が呼ばれて、話し合いをしたと言う。
そういう話し合いは、今、私が、母の事で、実際に時折りある。
で、その席で、ケアマネージャーや施設の人、全員が母を罵倒したと言うのだ。着替えの服の事とか、家人の対応がなってないと責め立てられたと言う。
「いつも来てるケアマネなんか、私の味方になるべきやのに、一緒になって私に怒るんや」と言ってた。
私が施設に電話をして確かめたけど、とてもそんな事はなく、談笑を交えて、父の今後の事について話し合っただけだと言うんだ。
それを母に言うと、
「アンタは親の言う事と、他人の話しと、どっちを信用するんや」と声を荒げた。
他にもあった。母が一人で、腰痛の為、整形外科へ行って、ベッドで寝かされてた時に、枕元に腕時計を置いて、そのまま忘れて来たと、私の仕事中、携帯へ電話があった。
私はすぐ、その医院の番号を調べて電話した。もちろん、そんな時計は無い。
「捜しておきます」とは言われたけど、母は「もう誰かに盗られたんや」と怒っていた。
さらに、クリーニング屋が、持ち帰った服を紛失したと、また仕事中に母から電話。
クリーニング屋に電話すると、「ちゃんと届けました」と言うではないか。
何が無くなったのか、母に電話で確認し、帰宅すると、家にあるではないか。
それを言うと、クリーニング屋が来て、何も言わずに、家の中へこれを投げ入れて行ってしまったと言うのだ。
さらに酒屋が、注文を聞いた、しょう油を届けたばかりなのに、「届いない」と電話をもらったとか、
米屋が注文を受けて、米を届けて帰ったのに、すぐまた電話で「米を持って来てくれ」と頼まれたり。
その米屋は、家族にも認知症の人がいて、それでもしやと思ったらしい。
私に直接連絡があり、「これからは息子さんから電話がないと、持って行きません。それでよろしいですね」と念を押された。
こうして、
母も認知症なのだと、私も気付くようになった。
それで、クリーニング屋にも連絡し、母が何か電話してきても、相手にしないようにお願いしておいた。
すると、母は私に「アンタはあちこちで私の悪口を言って、私が電話しても相手にしないように言ってるやろ」と激怒していた。
こうして、「認知症の始まり」は、家族よりも他人が先に異常に気づく事があるかも知れない。
家族は「まさか」と思うし、私のように日中は仕事で、家事の全ては認知症になりつつある本人がしてる場合、家族は気付くのが遅くなるのだ。
もうこの頃から、
母の言う事は信用しなくなった。
ダスキンレディーの事も、母の妄想に違いないと思った。だから、悪い事をしたと思ってる。
この頃から、私が仕事中に「アンタ、家の通帳を持って行ったやろ」と、母から日に何度も携帯にかかるようになる。
認知症になり始めた頃というのは、それが進行して、ぼ~としてくれてる状態よりも、ずっと周囲が困る状況が発生する。
今も大変だが、昔の事を思うと、それでもまだ
「今のほうがマシだ」と感じる事も多いのだ。
今朝も早く、母がトイレへ入った気配を感じ(便座から立ち上がる時、下ろしたオムツパンツが便座に引っかかって持ち上がり、その後バタンと落ちる音がする)、慌てて降りて行く。
「ウンチしたんか」と聞いても「してない」と言うが、便器を覗き込むと擦り落ちた跡。(既に流してる)
「ウンチしてるやないか」と便座に座らせて、シャワーさせた。
が、先に自分で紙で拭いてる。手に付いてないか、服に付いてないか。
その時はわからなかったが、オムツパンツを替える時、やっぱりそれにウンチの付いた手で触った跡があった。
母が一人でウンチをすると、確実に手に付けるのだ。
今晩もそう。一旦、寝たので、テレビと照明を消した。が、1時間ほどで起きて、トイレへ。(いつもドアは全開)
便座に座った状態で「ウンチしたんか」と尋ねても「してない」と言う。
それで、私が多く取って用意した紙を手渡し、それで拭かせたが、お尻まで拭こうとするので、慌てて便器を見ると、やっぱりウンチしてるではないか。
すぐにシャワーをさせた。
夕食はサンマの蒲焼。冷凍物を焼いて、添付の甘いタレを付ける。
それを焼く前に、フライパンにナス4本を輪切りにして、蓋をして蒸し焼く。
いつも2本だけど、出来たのを私がつまみ食いしてしまい、急きょもう2本を焼いた。
カニシュウマイはチルトで、レンジでチンするだけ。
いつもの汁物はマイタケ、エノキ、ほうれん草、豆腐、卵1個。
母はサンマの蒲焼もアッと言う間に食べた。
シュウマイも。汁物の豆腐やほうれん草、マイタケは嫌がったけど、「食べろ」と言って、全て食べた。
今日も母は家で、昼食は抜き。午後2時位に生協が持って来た冷凍のタイ焼き1個を食べさせた。
夜は1~2時間、寝ると、起きて来てトイレへ。それからまたテレビを付ける。
そして、「いろんな人がやって来て、かなわん」と、テレビの中の人に文句を言いまくる。
それがすむと「兄貴~、どこや。2階で寝てるんか~」と言いながら、ウロウロする。