
曇り後雨。昼過ぎから雷雨になり、強く雨が降る。
強い雷雲の中心が外れ、雷鳴は聞こえるけど、近くに落雷する事はなかった。
朝、認知症の母をディサービスに送り出すと、母の着てた服を全て、パジャマも含めて洗濯し、外に干して、昼過ぎには、雨雲の接近をレーダー画像で察知して、取り入れてから雨が降った。
母の部屋を含めた1階の掃除は、午後4時過ぎからになり、慌てて済ませて、食事の支度にかかった頃に母が帰宅。
まず、手洗いさせて、服を普段着に着替えさせる。
ディサービスから着て帰った「よそ行きの服」は、風呂に入れてもらってから着替えた、持って行った新しい服なので、次回のディサービスにも着て行く。
それで、脱いだその服を「ハンガーにかけろ」と言って、母にさせるのだが、このところ、
服をハンガーにかけるのさえ、まともに出来ない。
袖の穴からハンガーのフックを出すようにしたり、以下の画像のように、肩をハンガーにかけずに、袖が前後に来てしまってる。
さらに今日の母は
「オシッコしたいんやけど、トイレどこやろ」と言って、トイレの場所がわからない。
トイレへ誘導して、入る時、母専用のスリッパが脇に立てかけたままで、それは朝、母が出かける直前にトイレに入った時に、自分でそうしたもの。普段から母は自分のスリッパを脇に立てかけ、私がその都度、「立てるな」と言って、今度入る時に履きやすい向きにして置くようにさせる。
朝はこれから出かけるので、立てかけておいてもいいだろうと思ったのだが、そのままで、帰宅後、母がトイレに入る時、子供がするように、素足(靴下を履いてる)のまま、トイレの中へ入ってから、立てかけたスリッパを履こうとする。
トイレの床は綺麗では無い。その為のスリッパなのに、それを持ち出したり、素足で入ったりするんだから、私の衛生感覚からは受け入れ難い。
さらに母は、トイレに入ってからも「ここでしてええんか」と言う。
夜中、私が寝てしまってる間に、母がトイレの場所がわからなくなったらと思うと。
今は亡き父がそうだった。やはり認知症で、早い段階から、夜、トイレがわからず、また部屋の出口もわからず、その場で漏らしたり、部屋の隅で立小便をしたりした。
当時はまだマトモ?だった母が一緒の部屋で寝ていて、気付いて誘導する事もあった。
私が母と同じ部屋で寝るなんて、まっぴらだ。
夕食はサバのみぞれ煮。甘辛い、しょうゆ味の煮付け。冷凍物で湯煎するだけ。
その前に、ブロッコリーを湯がいておいて、その残り湯でサバを湯煎した。
ブロッコリーは軸も輪切りにして、私が食べる。
野菜豆と書かれた大豆の炊いたものは、小さく刻んだゴボウや人参、シイタケ、コンニャクも入ってる。袋からだすだけ。
いつもの汁物はマイタケ、エノキ、ほうれん草、豆腐、卵1個を溶いて入れてる。
母はサバや大豆はご飯と一緒に食べる。
が、汁物の中の野菜やキノコは食べたがらない。それはいつものように、私が「食べろ」とうるさく言って食べさせる。
それでも食べないマイタケは私が箸で母の口へ。
ブロッコリーも2房だけ、そうて食べさせた。残りは明日の朝に食べさせる。
夕食が終わって、私が洗い物をしてる間、母は食卓に座ったまま、こっくりしてうたた寝。
この後、歯磨き、トイレへ行かせて、パジャマに着替えさせて、布団に入れる。
それは8時半過ぎだったか。
しばらくはテレビを付けて、見ていたようだ。
11時半頃、テレビも照明もつけたまま、イビキをかいて寝てるので、それらを消すと、とたんに起きてトイレへ。
そこでウンチした。
この後、部屋へ戻ってから、水を飲ませる。それから、またテレビを付けてた。
Posted at 2012/08/11 23:59:48 | |
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