
晴れ。雲もあったが、おおむね晴れで、雨は全く降らなかった。
昨日よりも、大気の状態が不安定になると、予報では言ってたが。
午後からは特によく晴れて来た。
昨夜は蒸し暑く、認知症の母の部屋はエアコンを28度でかけっぱなし。
午前0時過ぎに、母が起きてきて、トイレへ。
以降、頻繁に出てくる。トイレから帰って、部屋へ入るなり「オシッコや」とまたトイレへ行こうとする。
これを3回連続で繰り返した。
その後も、部屋に戻るとテレビを付ける。
母が寝た頃に、テレビと照明を消すと、すぐまた起きてきてトイレへ。
部屋へ戻るとテレビをつける。の繰り返し。
朝は7時前に、階下の音で目が覚めた。私はエアコンは無しで、窓も入り口の戸も開けたままだから、階下の音がよく聞こえる。
朝の時点で室温は31度。扇風機は回してるけど、汗だくだった。
母がトイレへ入ったので、私は足元がふらつきながら、慌てて降りて行って監視。
その時はオシッコだけだった。
今日はディサービスもないので、もう少しだけ寝ようと思った。
次に目が覚めたのは8時半過ぎだった。外は日差しが照ってる。
私がトイレへ行くと、便器にウンチの痕跡が。しまった。私が寝た1時間ちょっとの間に、母がウンチをしたのだろう。
どうせ、またわずかな紙で拭いてるだろうから、手に付けていないか。
部屋を覗くと、母はテレビも照明もつけたまま、イビキをかいて、まだ寝ていた。
今、起こすよりも、先に朝食の支度を。
昨日の雨で、盆栽などへの潅水は必要なかった。
朝は、梨を2つ剥いた。生協で取ったものだが、小さめで、甘さがない。
母用のコーヒーを、低脂肪牛乳で作る。カフェオレ状態。私はコーヒーは飲まない。
インスタントのポタージュスープ、袋に入った長期保存可能なメロンパンを出す。
私のは冷蔵してある半生のプレーンのコッペパンを2個。トースターで焼く。
私はヤクルトのミルミル、母のは高血圧の人用のプレティオ。
私は毎朝、魚ソーセージも食べてる。それと野菜ジュース。
母はカゴメ野菜生活100の紫の野菜ジュースを小さなコップに1杯。
母に起き抜けに飲ませるスポーツドリンクを小さなコップに入れて、レンジで温める。
履き替えさせる為のオムツパンツも用意。
そして母を起こしに行こうとすると、先に母が起きてきた。
まず、右手の指を検査。それから洗剤で手を入念に洗わせる。
そしてトイレへ。母も入るつもりでいたようだが、ウォシュレットでお尻を洗わせるため。
オムツパンツを下ろして、便座に座った母の左足のそばに、
直径5mmほどの黒く丸い物体が落ちてる。扁平状態になった、どうみてもウンチだ。
今、スリッパで踏んだのか。どこから出てきたのだ。
オムツパンツを手前へ引っ張って、中を見たが、特に汚れてるようでもない。黄色く大きなオシッコの跡はあったが。
その物体を紙で取り、床はトイレクイックルで拭き、母の左足のスリッパの裏も拭く。母を便座に座らせたままで。
とりあえず、ウォシュレットで入念にお尻を流す。ノズルは前後に動くモードにして、母にもお尻を動かして、「肛門に当たるようにしろ」と言って。
私が用意した、厚く重ねたトイレットペーパーを渡し、「これで拭け」と。
ところが、紙に少しウンチが付いた。あれだけシャワーで洗ってるのに。それで、もう一度、便座に座らせ、ウォシュレットで洗う。そしてまた厚い紙で拭かせる。
トイレから出て、手を洗剤で洗わせてから、部屋へ行かせて、スポーツドリンクを飲ませ、その間に私は雨戸を開ける。最近は開け閉めも私がしてる。そしてパジャマを脱がせて、着替えさせる。
オムツパンツを下ろす時が問題だ。内側の汚いところを触ったり、裏向けにしてしまったりするから。
ところが、今回はパンツを下ろしかけた途端、ポロっと畳の上に、さっきより大きな、
直径1cm位の黒く丸い物体が落ちた。
また扁平になってる。これもやっぱりウンチだ!
いったい、どこから出て来るのか。お尻に張り付いていたのか。確かにパンツを下ろしてから、一瞬の時間差で落ちて来た。
慌てて、ティッシュで取り、畳はアルコールティッシュで拭きまくる。
幸い、かなり乾燥してるので、跡が付く事はない。
オムツパンツは内側が少し汚れてる。トイレで見た時は気付かなかった茶色に。
母の後ろに回り、お尻を見るが、肉が垂れてるので、何も見えない。
それで、
下半身裸のまま、母をトイレへ連行して、またウォシュレットで入念に洗わせる。
母は私が渡した紙で拭いた後、パンツを上げようとして手でまさぐるが、そこでパンツが無い事に気づく。
「私のパンツ、どこ行ったんやろ」
母の部屋の畳は傷んでる。いつも座椅子で擦れるからだろう。
そして汚い。私が掃除機をかけてるが、昔の事は忘れない。
2009年12月に亡くなった父も認知症で、2005~2006年頃だったか、家とショートスティを行き来してたのは。オムツをしていて、中で垂れ流し状態だったので、当時は母が父のオムツを替えていた。
私が「手袋をしろ」と、使い捨てのを用意してるのに、母はいつも素手でしては、
やっぱり
当時から手にウンチを付けていた。
そして私は当時から「手を洗え」と母の手を洗わせていた。
仕事から帰宅した私は、まずドアの取手などをアルコールティッシュで拭きまくる事から始めていたのだ。
ベッドに寝た状態の父のオムツを交換するのに、母は腰が痛くなると、父を立たせてオムツを外すと、父はそのままヨタヨタと歩いて行き、ボトボトとウンチを畳の上に歩きながら落としていた。しかも軟便だ。
拭いたって、畳の目に入ったものは取れない。私が目撃した時は、ケルヒャーのスチームクリーナーを持ち出して、洗浄した事もあったけど、そうして汚すのは1度では無く、私が知らないうちにも起きていたハズだ。
もう何年も前の事だが、私は今だに、この和室へは素足では入らない。
必ず、スリッパを履いたまま入る。
そこは私にとって「汚染地帯」なのだ。
父のオムツは定期的に交換してたので、いつ何時、トイレへ入って汚すかわからない、今の母よりは楽だったかもしれない。(どっちもどっちか)
オムツを外して、その都度、お尻を専用の使い捨てペーパーで拭く。これが母には重労働だったし、その最中、必ず父は手をお尻にやって、ウンチを手に付けてしまうので、私がその手を上で押さえる役だった。
当時は私が父のお尻を拭くのは、おぞましくて出来なかった。父は小柄で、その頃は痩せてガリガリだったから、体の向きを変えたりするのは楽だったけど。
今は、母がお尻をウンチで派手に汚した時は(ウォシュレットで洗い切れない状態の時は)、私が手袋をして、お尻拭きで拭いてるわけだけど。
当時はヘルパーさんに、父のオムツ交換を日に何度か来てもらうようになった。
ところが、母が
「介護の人がリモコンを盗んだ」とか言い出すようになって困った。
そのうち、母は「介護の人が勝手に押入れや引き出しを開けて、財布からお金を盗む」などと言うし、何かが無いと「介護の人が持って行った」と言う状態で、ヘルパーも部屋へ入れなくなった。
勿論、無いと言っても、今と同様に、母が「取られる」と思って、どこかに「隠す」から見当たらなくなるわけだ。
当時の母は、父を介護しながらも、
心底、認知症になった父を嫌悪し、憎んでいたように見えた。
父がほとんど寝たきり状態になって、抵抗力も無くなってからは、母が食事を食べさせながら、食べなかったり、汚したりすると、平手打ちする事もよくあった。
当時の母の心境は、まさに今の私の母に対する心境と同じかもしれない。
愛情深い人間関係が前提にあった夫婦などで、その一方が認知症になった時に、それでも愛を持って接する事が出来るのかもしれないが、単に親子や家族だというだけでは、認知症になった相手を忌み嫌い、介護しなければならない運命になった事を恨むようにもなるだろう。
我が家では、何の因果か、こうして認知症との戦いは連綿と続いてるのだ。
両親とも認知症と言う事は、私だって、将来可能性があり得る。でも、もし私がそうなっても、子供とか自分の面倒を看てくれる人はいないわけだし、年金だって国民年金でわずかだし、貯蓄も無いとなれば、もうそうなるまでに早く死ぬしかないだろう。
さて、今日の夕食はどうすべきか迷った。前から予定してるレンジでチンするトンカツにしようかと。

しかし、今日はご飯を炊く日なので、その炊飯土鍋は洗わず、おひつとして2日目に残りのご飯を食べるから、今日、フライパンを使うようにしたい。
今、フライパンで焼くとしたら、また魚になってしまう。
それで、レンジでチンするトンカツにするとして、キャベツの千切りでもあればいいのだが、それも無いから、ナス3本を輪切りにして、フライパンで蓋をして蒸し焼く。いつものように。これには汁物のつゆの原液をかけておく。
後1品として、また袋から出すだけの野菜豆を使う。大豆と人参、シイタケ、ゴボウ、コンニャクなどが一緒に炊かれて入ってる。
トマトは家で取れたもので、母の分は一口で食べられる小粒のを湯通しして皮を剥いてある。
いつもの汁物はマイタケ、エノキ、ほうれん草、豆腐。卵は無し。
生協が火曜日に6個入りを持ってくるので、週に1日は足らないのだ。
トンカツはレンジでチンするだけだけど、そのタイミングが難しい。母を呼んで来ないといけなし、先に布団も敷いておきたいし。
父の仏壇にも一切、ご飯と一緒に供えておきたい。
母を呼びに行こうとすると、トイレの照明が付けたままになってる。
消す為に開けて、便器を覗くと、なんとまたウンチした痕跡が。しまった。
これで、食事は後回しにして、まず母の手を洗剤で入念に洗わせる。母はウンチしようが、手など一切、洗わないから。
それから、トイレへ入らせて、ウォシュレットでお尻を洗わせる。
トイレから出たら、また手を洗剤で洗わせる。
私は、母が触った可能性のあるところを全て、アルコールティッシュで拭いて回る。
それから母の布団を敷かせる。早くしたいので、私も手伝う。私がすれば、1~2分で敷けるのだが。
その後、また手を洗わせて、やっと食事。
私はモヤシを1袋、汁物のつゆの原液をかけて、ラップしてレンジでチンして食べる。
それと小さなカップの納豆も。
私の食事は以下。
トンカツはレンジでチンしてから、少し経ったせいか、とてもサクッとしてるとは言えない。
そして油ぎってるで、キッチンペーバーの上に乗せる。
それで、母の分は、ナスと一緒にトンカツを皿に乗せるつもりだったけど、別にした。
うまいトンカツが食べたいなぁ。
包丁で切ると、私の分は特に衣が剥がれて、汚らしくなってしまった。全然、サクッとは切れないし。
これだったら、スーパーの惣菜コーナーで売ってる、揚げたてのトンカツがあったはず。
まぁ、今晩のは2枚で328円だから、値段相応か。
ナスは3本のうち、母に4切れ以外は全て私だが、既に焼きたてをつまみ食いしてしまってる。
私の汁物はこの時点で、豆腐が見えてる1切れしか入ってない。お椀に入らないので、鍋に入れたままで、後から。
あらかた食べた後が以下。
母の方は、ご飯が先に無くなって、汁物の具は手付かずで残ったまま。
逆に私はご飯が残ってしまってる。

納豆をよ~く混ぜ混ぜして、ご飯にかけたけど、食べるのは納豆の乗ってる部分のご飯だけ。
この後、前日の残りのキュウリの浅漬、さらに梅シソのふりかけで残りのご飯を食べた。
今日も母に歯磨きさせて、トイレへ行かせて、パジャマに着替えさせて、布団に入れたら、9時過ぎだった。
母は横になると、決まって「は~るよ来い、は~やく来い」の歌を唄う。季節外れもいいとこだが、これがバカの一つ覚え。
しばらく、繰り返し歌ってるうちに、寝てしまうようだ。自分への子守唄代わりか。