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2012年08月12日 イイね!

オムツの交換

オムツの交換晴れ。雲もあったが、おおむね晴れで、雨は全く降らなかった。
昨日よりも、大気の状態が不安定になると、予報では言ってたが。
午後からは特によく晴れて来た。

昨夜は蒸し暑く、認知症の母の部屋はエアコンを28度でかけっぱなし。

午前0時過ぎに、母が起きてきて、トイレへ。
以降、頻繁に出てくる。トイレから帰って、部屋へ入るなり「オシッコや」とまたトイレへ行こうとする。
これを3回連続で繰り返した。

その後も、部屋に戻るとテレビを付ける。
母が寝た頃に、テレビと照明を消すと、すぐまた起きてきてトイレへ。
部屋へ戻るとテレビをつける。の繰り返し。

朝は7時前に、階下の音で目が覚めた。私はエアコンは無しで、窓も入り口の戸も開けたままだから、階下の音がよく聞こえる。
朝の時点で室温は31度。扇風機は回してるけど、汗だくだった。
母がトイレへ入ったので、私は足元がふらつきながら、慌てて降りて行って監視。
その時はオシッコだけだった。

今日はディサービスもないので、もう少しだけ寝ようと思った。
次に目が覚めたのは8時半過ぎだった。外は日差しが照ってる。

私がトイレへ行くと、便器にウンチの痕跡が。しまった。私が寝た1時間ちょっとの間に、母がウンチをしたのだろう。
どうせ、またわずかな紙で拭いてるだろうから、手に付けていないか。
部屋を覗くと、母はテレビも照明もつけたまま、イビキをかいて、まだ寝ていた。

今、起こすよりも、先に朝食の支度を。
昨日の雨で、盆栽などへの潅水は必要なかった。

朝は、梨を2つ剥いた。生協で取ったものだが、小さめで、甘さがない。
母用のコーヒーを、低脂肪牛乳で作る。カフェオレ状態。私はコーヒーは飲まない。
インスタントのポタージュスープ、袋に入った長期保存可能なメロンパンを出す。
私のは冷蔵してある半生のプレーンのコッペパンを2個。トースターで焼く。
私はヤクルトのミルミル、母のは高血圧の人用のプレティオ。
私は毎朝、魚ソーセージも食べてる。それと野菜ジュース。
母はカゴメ野菜生活100の紫の野菜ジュースを小さなコップに1杯。

母に起き抜けに飲ませるスポーツドリンクを小さなコップに入れて、レンジで温める。
履き替えさせる為のオムツパンツも用意。
そして母を起こしに行こうとすると、先に母が起きてきた。
まず、右手の指を検査。それから洗剤で手を入念に洗わせる。
そしてトイレへ。母も入るつもりでいたようだが、ウォシュレットでお尻を洗わせるため。

オムツパンツを下ろして、便座に座った母の左足のそばに、
直径5mmほどの黒く丸い物体が落ちてる。扁平状態になった、どうみてもウンチだ。
今、スリッパで踏んだのか。どこから出てきたのだ。
オムツパンツを手前へ引っ張って、中を見たが、特に汚れてるようでもない。黄色く大きなオシッコの跡はあったが。

その物体を紙で取り、床はトイレクイックルで拭き、母の左足のスリッパの裏も拭く。母を便座に座らせたままで。

とりあえず、ウォシュレットで入念にお尻を流す。ノズルは前後に動くモードにして、母にもお尻を動かして、「肛門に当たるようにしろ」と言って。
私が用意した、厚く重ねたトイレットペーパーを渡し、「これで拭け」と。
ところが、紙に少しウンチが付いた。あれだけシャワーで洗ってるのに。それで、もう一度、便座に座らせ、ウォシュレットで洗う。そしてまた厚い紙で拭かせる。

トイレから出て、手を洗剤で洗わせてから、部屋へ行かせて、スポーツドリンクを飲ませ、その間に私は雨戸を開ける。最近は開け閉めも私がしてる。そしてパジャマを脱がせて、着替えさせる。

オムツパンツを下ろす時が問題だ。内側の汚いところを触ったり、裏向けにしてしまったりするから。
ところが、今回はパンツを下ろしかけた途端、ポロっと畳の上に、さっきより大きな、
直径1cm位の黒く丸い物体が落ちた。
また扁平になってる。これもやっぱりウンチだ!
いったい、どこから出て来るのか。お尻に張り付いていたのか。確かにパンツを下ろしてから、一瞬の時間差で落ちて来た。

慌てて、ティッシュで取り、畳はアルコールティッシュで拭きまくる。
幸い、かなり乾燥してるので、跡が付く事はない。
オムツパンツは内側が少し汚れてる。トイレで見た時は気付かなかった茶色に。

母の後ろに回り、お尻を見るが、肉が垂れてるので、何も見えない。
それで、下半身裸のまま、母をトイレへ連行して、またウォシュレットで入念に洗わせる。
母は私が渡した紙で拭いた後、パンツを上げようとして手でまさぐるが、そこでパンツが無い事に気づく。「私のパンツ、どこ行ったんやろ」

母の部屋の畳は傷んでる。いつも座椅子で擦れるからだろう。
そして汚い。私が掃除機をかけてるが、昔の事は忘れない。

2009年12月に亡くなった父も認知症で、2005~2006年頃だったか、家とショートスティを行き来してたのは。オムツをしていて、中で垂れ流し状態だったので、当時は母が父のオムツを替えていた。
私が「手袋をしろ」と、使い捨てのを用意してるのに、母はいつも素手でしては、
やっぱり当時から手にウンチを付けていた。
そして私は当時から「手を洗え」と母の手を洗わせていた。
仕事から帰宅した私は、まずドアの取手などをアルコールティッシュで拭きまくる事から始めていたのだ。

ベッドに寝た状態の父のオムツを交換するのに、母は腰が痛くなると、父を立たせてオムツを外すと、父はそのままヨタヨタと歩いて行き、ボトボトとウンチを畳の上に歩きながら落としていた。しかも軟便だ。
拭いたって、畳の目に入ったものは取れない。私が目撃した時は、ケルヒャーのスチームクリーナーを持ち出して、洗浄した事もあったけど、そうして汚すのは1度では無く、私が知らないうちにも起きていたハズだ。

もう何年も前の事だが、私は今だに、この和室へは素足では入らない。
必ず、スリッパを履いたまま入る。
そこは私にとって「汚染地帯」なのだ。

父のオムツは定期的に交換してたので、いつ何時、トイレへ入って汚すかわからない、今の母よりは楽だったかもしれない。(どっちもどっちか)
オムツを外して、その都度、お尻を専用の使い捨てペーパーで拭く。これが母には重労働だったし、その最中、必ず父は手をお尻にやって、ウンチを手に付けてしまうので、私がその手を上で押さえる役だった。

当時は私が父のお尻を拭くのは、おぞましくて出来なかった。父は小柄で、その頃は痩せてガリガリだったから、体の向きを変えたりするのは楽だったけど。

今は、母がお尻をウンチで派手に汚した時は(ウォシュレットで洗い切れない状態の時は)、私が手袋をして、お尻拭きで拭いてるわけだけど。

当時はヘルパーさんに、父のオムツ交換を日に何度か来てもらうようになった。
ところが、母が「介護の人がリモコンを盗んだ」とか言い出すようになって困った。
そのうち、母は「介護の人が勝手に押入れや引き出しを開けて、財布からお金を盗む」などと言うし、何かが無いと「介護の人が持って行った」と言う状態で、ヘルパーも部屋へ入れなくなった。
勿論、無いと言っても、今と同様に、母が「取られる」と思って、どこかに「隠す」から見当たらなくなるわけだ。

当時の母は、父を介護しながらも、
心底、認知症になった父を嫌悪し、憎んでいたように見えた。
父がほとんど寝たきり状態になって、抵抗力も無くなってからは、母が食事を食べさせながら、食べなかったり、汚したりすると、平手打ちする事もよくあった。

当時の母の心境は、まさに今の私の母に対する心境と同じかもしれない。
愛情深い人間関係が前提にあった夫婦などで、その一方が認知症になった時に、それでも愛を持って接する事が出来るのかもしれないが、単に親子や家族だというだけでは、認知症になった相手を忌み嫌い、介護しなければならない運命になった事を恨むようにもなるだろう。

我が家では、何の因果か、こうして認知症との戦いは連綿と続いてるのだ。
両親とも認知症と言う事は、私だって、将来可能性があり得る。でも、もし私がそうなっても、子供とか自分の面倒を看てくれる人はいないわけだし、年金だって国民年金でわずかだし、貯蓄も無いとなれば、もうそうなるまでに早く死ぬしかないだろう。


さて、今日の夕食はどうすべきか迷った。前から予定してるレンジでチンするトンカツにしようかと。


しかし、今日はご飯を炊く日なので、その炊飯土鍋は洗わず、おひつとして2日目に残りのご飯を食べるから、今日、フライパンを使うようにしたい。
今、フライパンで焼くとしたら、また魚になってしまう。

それで、レンジでチンするトンカツにするとして、キャベツの千切りでもあればいいのだが、それも無いから、ナス3本を輪切りにして、フライパンで蓋をして蒸し焼く。いつものように。これには汁物のつゆの原液をかけておく。
後1品として、また袋から出すだけの野菜豆を使う。大豆と人参、シイタケ、ゴボウ、コンニャクなどが一緒に炊かれて入ってる。
トマトは家で取れたもので、母の分は一口で食べられる小粒のを湯通しして皮を剥いてある。
いつもの汁物はマイタケ、エノキ、ほうれん草、豆腐。卵は無し。
生協が火曜日に6個入りを持ってくるので、週に1日は足らないのだ。

トンカツはレンジでチンするだけだけど、そのタイミングが難しい。母を呼んで来ないといけなし、先に布団も敷いておきたいし。
父の仏壇にも一切、ご飯と一緒に供えておきたい。

母を呼びに行こうとすると、トイレの照明が付けたままになってる。
消す為に開けて、便器を覗くと、なんとまたウンチした痕跡が。しまった。
これで、食事は後回しにして、まず母の手を洗剤で入念に洗わせる。母はウンチしようが、手など一切、洗わないから。
それから、トイレへ入らせて、ウォシュレットでお尻を洗わせる。
トイレから出たら、また手を洗剤で洗わせる。

私は、母が触った可能性のあるところを全て、アルコールティッシュで拭いて回る。
それから母の布団を敷かせる。早くしたいので、私も手伝う。私がすれば、1~2分で敷けるのだが。
その後、また手を洗わせて、やっと食事。

私はモヤシを1袋、汁物のつゆの原液をかけて、ラップしてレンジでチンして食べる。
それと小さなカップの納豆も。
私の食事は以下。


トンカツはレンジでチンしてから、少し経ったせいか、とてもサクッとしてるとは言えない。
そして油ぎってるで、キッチンペーバーの上に乗せる。
それで、母の分は、ナスと一緒にトンカツを皿に乗せるつもりだったけど、別にした。

うまいトンカツが食べたいなぁ。
包丁で切ると、私の分は特に衣が剥がれて、汚らしくなってしまった。全然、サクッとは切れないし。
これだったら、スーパーの惣菜コーナーで売ってる、揚げたてのトンカツがあったはず。
まぁ、今晩のは2枚で328円だから、値段相応か。

ナスは3本のうち、母に4切れ以外は全て私だが、既に焼きたてをつまみ食いしてしまってる。
私の汁物はこの時点で、豆腐が見えてる1切れしか入ってない。お椀に入らないので、鍋に入れたままで、後から。

あらかた食べた後が以下。
母の方は、ご飯が先に無くなって、汁物の具は手付かずで残ったまま。


逆に私はご飯が残ってしまってる。

納豆をよ~く混ぜ混ぜして、ご飯にかけたけど、食べるのは納豆の乗ってる部分のご飯だけ。
この後、前日の残りのキュウリの浅漬、さらに梅シソのふりかけで残りのご飯を食べた。

今日も母に歯磨きさせて、トイレへ行かせて、パジャマに着替えさせて、布団に入れたら、9時過ぎだった。

母は横になると、決まって「は~るよ来い、は~やく来い」の歌を唄う。季節外れもいいとこだが、これがバカの一つ覚え。
しばらく、繰り返し歌ってるうちに、寝てしまうようだ。自分への子守唄代わりか。
Posted at 2012/08/12 23:58:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 認知症 | 暮らし/家族
2012年08月12日 イイね!

実際にあった怖い話し

お盆だからというワケではないが、「実際にあった怖い話し」を書く。

私が20年ほど前に辞めた、11年間勤めた会社での話し。
全国に支社がある会社だけど、その実態は各支社や関連会社が独立した中小企業の寄り合い所帯。
私が勤務してた会社の社屋も、表向きは1つの看板を上げてながら、複数の関連会社が入ってた。
部屋が分かれていたり、1フロアに一緒にいたりで、例えば同じ総務ならば、所属会社はそれぞれ違っても、仲間感覚で付き合っていたようだ。

この社屋には本社の総務もあって、そこの女性社員が入院した。
それで、私が所属していた会社の総務の課長(当時は係長か)の男性と、関連会社の総務の女性社員の二人が見舞いに行ったそうだ。
すると入院してた本社の女性はゲッソリと痩せていて、卵巣癌だったらしい。
彼女は「また元気になったら、一緒に遊びに行こうね」と弱々しく言ったそうだが、見舞いに行った二人は帰りに「もうアカンのと違うか」と話し合ってたそうだ。
結局、その女性は1週間後に亡くなったのだ。

私は総務とは、その時点では直接関係が無いし、亡くなった本社の総務の女性も顔は見た事があったと思うものの、知り合いではなかった。多分、まだ30台の後半ではなかっただろうか。

一方、その時に見舞いに行った関連会社の総務の女性はよく知っていた。フロッピーディスクのデータを本社へ送る時に、IBMフォーマットへ変換するのに、私が作ったソフトで処理してたので、時々、私の元へ依頼しに来てたのだ。
彼女は40台で、結婚はしたものの離婚。当時は独身だった。

私が会社を辞めて、脱サラ就農を目指して、北海道の酪農家へ行くのに、航空券を買いに会社の近くのJTBへ行くと、偶然、彼女も社用で来ていて、「どちらへ行くの」と聞かれたのが最後だった。
なんと彼女もその後、確か1年以内に、卵巣癌で亡くなったのだ。後から知らされた。

その彼女が入院中に、前述の総務の課長の男性と、私が辞めてから入社した30台位の総務の女性の二人が見舞いに行ってたらしい。

30台位の総務の女性は、私もよく知ってる。
私が会社を辞めてから、総務経理のソフトの依頼を受け、打ち合わせに、三重県から会社のある西宮市へ出向いて、一緒に食事をしたり、ソフトの操作を説明してたからだ。

よく覚えてるのは、テレビで卵巣内に歯や髪の毛が出来るのをやっていて、その映像を見て、私もショックだった。
その翌日、会社へ行くと、彼女もその番組を見ていたらしく「気持ち悪いね」と大きな声で他の女性社員と話してたのだ。私も「アレ、見てたん」と話しかけたものだ。

彼女は社内結婚していたが、子供が出来ず、検査に行くと、なんと彼女も卵巣癌だと告知されたのだ。
医師から卵巣摘出を勧められたものの、子供が欲しくて片方の卵巣は残したと、当時、聞いた。

彼女は阪神大震災後、交通の便が悪くなり、通勤に時間がかかって、体に差し支えると、会社を辞めた。
その後、どうなったのか、私は知らない。とても心配だ。

最初に本社の総務の女性が卵巣癌で死亡。その人を見舞いに行ってた関連会社の総務の女性も卵巣癌にかかり死亡。その人を見舞いに行ってた総務の女性も卵巣癌にかかった。
これは偶然だろうか。

話しはこれでは終わらない。
卵巣癌で死亡する女性2名を見舞いに行ってた総務の課長の男性は、新たに卵巣癌と告知された30台の総務の女性とその夫の夫婦が、同じ神戸のマンションに住んでいた。
ある夜、その課長の男性が、突然、鼻から大量出血し、総務の女性の夫婦に助けを求め、救急車で運ばれたのだ。その時は大事には至らなかったけど、原因は不明とされた。

総務には、後に二人の女性社員が入社したが、二人とも首に妙なシコリが出来て、入院、手術で摘出してる。
私はその二人の女性もよく知ってる。やはり総務関連のソフト開発で、打ち合わせに出向いたり、操作を説明したりしていたから。

当時は「呪われた総務」と噂された。
それ以降の事は、私は知らない。

現在、その会社の社屋は移転して、取り壊されてる。
私は在職中、社内に深夜まで一人で居残る事がよくあった。鉄骨2階建ての建物で、誰もいないハズの2階で大きな物音がして、泥棒かと見に上がった事もあった。勿論、誰もいない。温度の変化で、鉄骨等に歪が出て、音がしたのだろうか。

また深夜の空調の闇騒音の中に、サワサワ、ゴチャゴチャと、多くのささやきが聞こえるような気がした事もある。
私の在職中は、連続死亡事件?が起きる前なので、もしその後で、その話しを知ってたら、怖かったかもね。

実際にあった怖い話しはここまで。

私が在職中は、社内には本当に女性が少なかったし、女人禁制のような精密機械の部屋(部署)にいた。
ソフト開発が専門の会社では無い中で、私は一人、趣味の延長?あるいは意地で、サービス残業をしながら、いろんなソフトを作っていた。
仕事を自宅へ持ち帰ったり、ソフトのマニュアル作りは自宅でするのが当たり前だった。
今、考えたら、本当に味気ない生活を送っていた。

それが、会社を辞めてからというものは、会社側の接待を受けて、高級レストランで食事をしたり、ステーキハウスで1万円の肉を食べさせてもらったりした。しかも総務の女性達が一緒だ。彼女らも、私のおかけで、美味しいものが食べられると喜んでいた。
昼食に誘われて、女性6人と私一人が一緒に食事をした事もあった。会社持ちの費用で。

私は在職中は地図のデジタル化にかかわるソフトを主に作ってたので、総務経理のソフト依頼は不慣れで、打ち合わせ段階では、いつも一人、頭を抱えていたし、宿泊先のホテルでは、決まって寝られず、最悪のコンディションだったけど、女性が多いので、社内の雰囲気は明るく、なんかみんなが和気合い合いと仕事をしてるように思えた。それは私がいた会社とは、まるで別の会社のようだった。

そして、夕方~夜にかけて、一人で近鉄特急に乗り、大阪から三重県へ帰ってくる車内はとても虚しい思いがしたものだ。
それも15年ほど前の話しだけど。
Posted at 2012/08/12 15:58:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 昔の想い出 | その他

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「[整備] #シビック サブバッテリーをLiFePO4(リン酸鉄リチウム)に交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/253927/car/906723/8244157/note.aspx
何シテル?   05/25 23:37
1995年に新車で買ったシビックEK3(VTi)のHMMに乗り続けてます。 購入時よりも奇麗な状態を維持するべく、結構、お金かけて来ました。 単に多くの手間...
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