
曇り時々晴れ。午後2時過ぎだったか、一時雨になる。
午前3時半、私が1階のトイレへ降りて行くと、
ウンチがしたまま流してもいなかった。
認知症の母が、午前1時~3時半の間にしたんだ。この間、私はブログを書きながら、うたた寝してしまった。
母は昨日も、一昨日もしておらず、トイレへ入る度に「ウンチしておけ」と言うのに、一向に出なかった。
まず、母がトイレから出てから触ったと思える箇所をアルコールティッシュで拭きまくる。
どうせ手も洗ってないし、わずかな紙で拭いて、指に付けてる可能性もあるから。
母は部屋でテレビを付けっ放しにして、寝てたのかどうか、「起きろ」と立ち上がらせ、指をアルコールティッシュで拭く。そして洗面所へ連れ出す。
ところが、既に和室から外へ出る時に履く
母用のスリッパが無い。
いつものように、部屋の入り口横にある低い椅子の下に隠していたので、それを取り出して履かせる。
泡で出るソープで、手を入念に洗わせる。それからトイレへ入れて、ウォシュレットでお尻を洗わせる。そしてトイレから出たら、また手をソープで洗わせる。
やっとウンチが出て、やれやれであるが、2日間出なかった場合、量も2倍出て、その為に続けてする可能性は無いだろうか。
私自身は2日間も出なかったって事がないので、わからない。
この後、スポーツドリンクを小さなコップに入れて温めて飲ませる。まだ夜も遅く、これから寝るので、コップに入れた真水で口をゆすがせる。
ノンカロリーと書かれてるけど、わずかながら糖類が入ってるのと、スポーツドリンクは酸性で、歯を溶かすなどと聞いたから。
私はこの後、夕食の食器を洗って伏せたままのを戸棚にしまい、母がディサービスで風呂に入れてもらって着替える服を用意して、袋に詰める。
それから、14日のブログの続きを書いてたら、もう朝になってしまった。
朝は梨を剥いて、母用のコーヒー牛乳を作り、インスタントのコーンクリームスープを作る。
それから替えのオムツパンツを持って、母を起こしに行く。
母をパジャマから着替えさせ、オムツパンツを交換するのに時間がかかる。
着替えたら、また「トイレへ行く」と言い出すし。
この時はオシッコだが、
紙(トイレットペーパー)を10cmほどしか取らない。
片手で紙を取り出すと同時に、もう一方の手で上から押えるので、すぐに切れてしまうのだ。
私が「紙をもっと取れ」と言っても、
母は
「もったいない」とか「そんなに要らん」と言う。
私が手を伸ばして、紙を引き出そうとしても、母は片手で上から押えようとするので、その手を振り払って紙を長く取L出す。
母がウンチして、私が紙を用意する時は、かなり厚くするので、たくり出しながら、たたんでいくが、
オシッコの時は、長く取り出した紙を母にたたませる。
ところが、母はその紙をたたむ事に集中してる間に、今、何をしてたのか、これから何をすべきなのかが、わからなくなるようだ。
母は直前の記憶が無いから。
自分でたたんだ紙を、私に差し出して
「アンタ使い」と言ったり、
私が「それで拭け」と言っても、今朝のように
顔を拭こうとしたり、「どこを拭くんや」と言ったりする。
私が「オシッコしたとこを拭け」と言っても、
母はボ~としてたり、「拭いてええんか」と逆に尋ね返してきたり。
母は立ち上がってからも、なかなか拭く動作に入らない。
私が「早く拭かんかい」と繰り返し怒鳴る事になる。
もたもたしてると、しずくが落ちてたりする。
やっと拭いたら、今度はゴシゴシといつまで擦ってるんだ。
さらに拭いてボロボロになった紙を握り占めて、なかなか捨てようとしない。
ここでも私は「早く捨てろ」「そこへ捨てろ」「捨てんかい」と繰り返し怒鳴る事になる。
オシッコして、紙で拭くだけで、なんでこんなに苦労して、怒鳴り続けなければならないのか。
母が自分で、わずなか紙を取って拭く時は、こんなにモタモタとしてないようだ。
間に何か別の動作を挟むと、
もうそれ以前の記憶が無いから、何をしていいのか戸惑うのだろうか。
冒頭に書いたように、ウンチしても、それを流すのを忘れるというより、もうウンチした事さえ、記憶に無いのだろう。ウンチしても、紙でお尻を拭きもしない事だってある。
マトモな人が、もし直前の記憶を無くすと、心理的にパニックになったりするのでは。
それが平然としておれるのは、別の記憶がそこにあって、穴にはなってないからか。
母の「モノ忘れ」というよりは、「記憶喪失」は何年も前からの事である。
かつて、
2年程前だろうか、お昼はカップうどんを食べていた。
母は正午になるとキッチリとそれにポットの湯を入れて、一人で食べていた。
「そのカップは置いておけ」と言って、食べた日時を書いて貼っておく。
ところが、2時位になると
「今日は朝から何も食べてない」とまた、カップうどんを出して来て食べる。
「お昼に食べたやろ」と、先のカップと日時を見せても、母は「それは昨日のや」と平然としてる。
毎日がそんな状態だった。いくら食べた証拠を残しても、ビデオに撮ったりしても意味がない。
道理が通用しないのだから。
先回りして「お昼に食べたから、もう食べんでよい」と取り上げると、「アンタは私に何も食べさせたくないんやろ」と激怒していた。
あるいは、先に食べたハズのカップが無い。どこへ行くのか、ゴミ箱を見てもない。
すると、小さく折りたたんで、ポケットに入れてたり、隣の家の、さらに向こう側の空き地の電柱の根本にカップを捨てに行ってたのだ。そこには小さくたたんだカップがいくつもあった。
洗濯機もそうだった。終わって、母が自分で取り出すと「柔軟剤付けてなかった」と再度スイッチを入れて回し、手動で柔軟剤を入れる。
ところが、今度止まってもまた「柔軟剤入れてなかった」と同じ事を繰り返す。
私が「柔軟剤は入れた」と貼り紙をしておいても無視。これを3~4回は繰り返してた。
夕方になると
「コメ洗わなアカン」と、さっき洗って、炊飯器にセットしたばかりなのに、また米を出してきて洗う。
いくら炊飯器に貼り紙をしておいても、台所から出て、自分の部屋へ入ろうとするなり、「コメ洗わなアカン」とUターンしてくる。夕方になると、それを延々と繰り返してた。
あるいは「今晩、何しよう」と言って、冷蔵庫を開けたままにして、中を見てる。
私が「早く閉めろ」と言って閉めさせても、冷蔵庫から離れかけると、すぐまた戻って開ける。
中のものは水滴がいっぱい付いて、びしょ濡れになってた。
目が離せないし、何をするかわからないし。
余計な事ばかりして、注意しようものなら、猛烈に反発して、何事も自分が正しいと主張していた。
あの頃の事を思うと、
今のほうが本当にマシに思える。
今は、家の中の主導権を私が握ってるから。
特に、今年の後半からは、場合によっては力付くで、武力行使をする事で、見てる前では完全に行動は制圧してるから。
以前は、どこかの国が、どこかの島に頻繁にやってきては、ちょっかいを出すのと同じで、常に監視して、神経を使っていなければならなかった。
今は
台所のドアには常にカギをかけてる。
それも、今年の前半までは「なんでこんなとこにカギをかけるんや」「誰がカギをかけたんや」とわめいて、戸をバンバンと叩いていた。、
今はもう、そこはカギがかかってるもんと思ってるようだ。
今日は母がディサービスでいない間、部屋や台所に掃除機をかけた。
洗濯をして干し、トイレ掃除もした。一日がアッと言う間に経って、すぐに母が帰ってくる。
一日いないでくれたら、どんなにのんびり出来るだろうかと思うのだが。
夕食は信州名物「若鶏の山賊焼き」と書かれた冷凍物。これをレンジでチンするだけ。
以下は袋から取り出した直後で、レンジにかける前の状態。398円-20円値引き=378円。
3つの肉の塊で、レンジにかけると、フライドチキンのようになる。
これにチリメンジャコはハチミツ黒酢をかけたもの。
汁物は味噌汁にして、マイタケ、エノキ、豆腐、ほうれん草をたっぷり入れて、溶いた卵1個でとじる。
私は他にモヤシを1袋、汁物のつゆの原液をかけて、ラップしてレンジでチンして食べる。
母はモヤシは絶対に食べないから。
鶏肉は油が結構出たので、キッチンペーパーを下に敷いてる。
母の分は1つで、それを適当に切った。私のは2つで、一切れを父の仏壇に供える。
この鶏肉は久々に肉を食ったという感じで、美味しかった。
が、母は中の鶏の皮の部分などを「堅い」と言って、口から出してくる。
「食べろ」と何度も言って、ようやく食べた。
チリメンジャコはあらかた食べて、残り少しになったら
「私のは少ししかない」と文句を言う。
野菜はほうれん草やマイタケなので、汁物の具は、何度もうるさく言って食べさせる。
私は小さなカップの納豆も食べた。
後から、ミニトマトも出せばよかったかと思ったが、母の分は皮を剥かないとダメなので、間に合わず、代わりにトマトジュースを小さなコップ(120ml)に入れて飲ませた。
それは伊藤園の「理想のトマト」 これはすごく濃い。ドロドロとした感じだ。
しかし、これはコップ1杯(180ml)中、カリウムが745mgもある。
母は腎臓の機能が劣ってるらしいので、あまりカリウムが多いのはよくないようだ。
血液中にそれが多いとか聞いておらず、医師から特に避けるように言われてるわけではないが、前回、医者にかかった時にもらったパンフレットに書かれていた。