
晴れ。空気はカラッとしてるが日差しが強い。朝夕は肌寒いくらい。(真夏と同じTシャツ1枚では)
今日は午後から、母を車椅子に乗せて、すぐ近くの
医院へ連れて行く。
母が毎回4週間分もらってる高血圧などの薬が切れるから。
車では無く、車椅子なのは、どこかにウンチが付いてるかもしれない母を、愛車に乗せたくないからだ。
勿論、遠くの医院へ連れて行くとか、必要に迫られれば別だが、車高が低く、座席も低いので、そこに座らせるのも、そこから下ろすのもやっかいなのと、歩いて5分ほどで、団地出口の信号にひっかかったら、歩いた方が早いような距離だから。
駐車場で、他の車のドアに当てられないか、心配する必要もないし。
母も私も3ヶ月間隔で血液検査もしてるので、ちょうどその時期であり、市からの
「後期高齢者健康診査」と、私は
「特定健康診査」を受けると、安く血液検査も出来る。ついでに、市からの
「がん検診」も受けることにする。
「がん検診」は、母も私も胸部レントゲン検査(肺がん検診)と、私は大腸がんと前立腺がんの検診を、母は肝炎ウイルスの検診も受ける。
前立腺がんや、肝炎ウイルスの検診は、血液検査に、その項目が追加されるみたい。
大腸がんの検診は、いわゆる「検便」で、潜血反応を調べる。これは私も毎年受けてる。
昨日、検診の予約と、検便セットを2つもらって来ていて、2回に分けて実施して、持って行く。
今日はその1回目をする。
昔、私なんかが子供の頃、
検便というと、小学生だったか、マッチ箱なんかに詰めて、学校へ持って覚えがある。今、考えるとぞっとするけど。
現代は、最初の画像のような「検便セット」になってる。その中身は、以下のようなもの。
子供の頃は新聞紙の上にしたような覚えもあるが、今は洋式トイレの中に敷く紙まで用意されてる。勿論、そのまま流す事が出来る。
「正しい大便のとり方」の解説は以下。
要は、付属のケースの中のスティックを取り出し、それで、便の表面を撫でる事になる。
大腸がんによる出血がある場合、その血が便の表面に付いて出て来るので、たとえ微量でも、それを「潜血反応」で検査しようというものだ。
スティックに便をつけ過ぎてもマズいが、元のケースに収める時に、その周囲に付けてしまうと、
おぞましい事になると想像出来る。
だから、スティックはうまく周囲に触れないように納めなければならず、老眼の人なんか、難しいだろうな。
私は近視で、右目は乱視もあり、パソコンに向かう時や運転中はメガネをかけてるが、近年は手元など近くがメガネをかけたままだと見難い。裸眼だと、すぐ近くも見えるけど。
この検便は年に1回なので、コツなどをつい忘れてしまう。今回、私がしてマズったのは、便器に敷いた紙の上に落ちた便が、その重みで沈み込み、敷いた紙の周囲が持ち上がって、
便を紙で包み込むようになってしまい、さらに水中へと落ち込んでしまったのだ。
うちの便器は、ホテルなんかで体験したような、大量の水が溜まってるものではない。が、それでも先にトイレットペーパーを下に重ねて入れておくべきだった。
今回はNGにしようかと思ったが、敷く紙はもう無いし。水上に残った分で処理した。
便の表面に付く可能性のある血を採取するならば、なるべく便の表面を広範囲を撫でておくべきだと思う。
この検便を母にもさせたいが、
どう考えても至難だ。
前回から24時間以上経過したら、母がトイレへ入る度に「ウンチしておけ」と言うけど、それでするわけもなく、いつするかは時間帯も含め、全くわからない。事前に紙を敷いて、そこにさせるなんて不可能だ。
特に最近は、人の言ってる事すら、マトモに理解せず、自分のしたいようにするから困る。それは後の医院での「検尿」でも苦労した。
検診の予約は午後4時半だが、「早めに来てください」とも言われてる。4時には医院に着くように家を出るつもりが、母がモタモタするので、家を出たのが4時過ぎ、到着は4時15分頃だったか。
予約時間には間に合ってるわけだが、昨年も着いてすぐに検尿とかの検査を始められた。他の患者との兼ね合いもあるのだろう。
そして今日は医院が結構、混んでいた。午後から行くと、空いてる事が多いのだが、今は朝夕の気温差が大きく、体調を崩す人も多いのか、咳き込んでる人もいた。
今回も
まず検尿から。車椅子でも入れる広い個室のトイレへ母と一緒に入る。
昨年の母はまだするべき事は理解していたのだが。今は「これにオシッコを取る」と言ってコップを差し出しても、キョトンとしてるだけ。それで、「そこに座って、オシッコしろ」と言うのに、慣れない広い部屋に設置された便器を納得せず、「こんなとこに座ったら、はまってしまう」と、なかなかズボンなどを下ろそうともしない。
そして、昨年もそうだったが、便座に座ってしまうと、私がコップを母の股間に持って行こうとしても、太い腿が邪魔して、その空間すら無い。第一、どの当たりから!出るのかわからないし。
中腰の状態で、もう母が自分の手でコップを受けてくれないと、どうしょうもない。
「このコップにオシッコを入れろ。ちょっとだけでええんや」
母はその紙コップを握りしめて、潰してしまいそうな状態で股間に押し付けてるし。コップにうまく入るのか、そこらに、パンツやズボンにオシッコをぶちまけはしないか。
ついつい、いつもの調子で、私は大声を出していた。外の待合室、いや医院中に響きわたってなかったろうか。
看護師が外から「無理なら家で取って来てもらってもいいですよ」と言うが、狭い家のトイレでは、なおさら作業は困難だ。
第一、コップにオシッコを入れて、それを手に持って歩いて来る姿は想像するだけでイヤだ。
なんとか奇跡的にコップにオシッコを取れた。紙コップに液体がジャーと入る、コーヒーなどの自販機と同じあの音がして。しかし、溢れては困るので「もうええ、止めろ」
私がそのコップを取って、残りのオシッコを便座に座ってしろというのに、それがまたなかなか。
終わったら、今度は紙で拭くのも、私が取って渡した紙で「それで拭け」「早く拭け」「拭かんかい」
拭いたらその紙を「そこに捨てろ」「捨てろ言うてるやろ」「早く捨てんかい」
もう
家と一緒の大騒動だ。来年はさらに困難になるだろうな。
その部屋には立ち小便用の便器もあるので、私はそちらで尿を取る。
母の手を洗わせようとするが、自動で水が出る蛇口は、なぜか母の手になかなか反応しないし、母も理解しないし。
もう検尿だけで、えらく時間を取られるし、大汗をかいてしまう。
この後、看護師が母だけを連れて行き、心電図を測定するが、それも大変。
さらに採血をして、レントゲンを撮るのに、先に母だけをレントゲン室内の小さな待合室の椅子に座らせて、「ちょっとそこで待っててね」なんて、看護師が言っても無理。
すぐに「一人ぽっちで、だぁ~れもおらへん」と出て来る。
レントゲンは、今はフィルムでは無く、デジタルなのでその場でモニターで画像を見せられて解説。ただし、詳しくは専門医に見てもらっての判断で、結果は血液検査と共に、次回になる。
尿のほうは、二人とも異常は無いらしい。
後は待合室で、
母の薬を待つ。これがまた長い。多くの患者がいたのに、私らが一番最後かいな。
この医院へは4週に1度なのだが、なぜか
いつも出会う夫婦がいる。これまで簡単な挨拶だけだったのだが、今回は奥さんの方から話しかけられた。
その人は、同じ住宅団地内に住む年配の夫婦で、毎年、生垣の剪定に来てもらっていた。元はと言えば、母がまだマトモな頃に、向かいの婆さんの紹介で、来てもらってたのだ。
半日ほどの作業で2万円とちょっとの日当。自分で刈ったほうが節約になると、昨年は頼まなかったし、先方からも言って来なかった。
それどころか、毎年、借りてる畑で取れたと言う野菜などを、年に数回持って来てくれてたのに、昨年はそれも無かったから、私にとっては生垣の依頼をしなくても済むので、好都合だったのだ。
ところが、今日、話しを聞いて驚いた。昨年、
長男が事故で亡くなったと言うのだ。
親子は隣同士の家で、私が夜、日当を持って行くと、息子さんと思える人にも会ったし、まだ小さな(幼稚園か小学生)の孫も一緒にはしゃいでいた。
私は日当の他に、ビールや菓子も持って行ってた。そうした菓子は孫らが喜ぶと言われて。
なんでも、明日がその長男の一周忌の命日だとか。亡くなった年齢は私と同じで、私の母の様子を見て、「私らもこれから頼りたいのに、息子はもういない」と、事故の日の事を、詳しく訴えかけるように奥さん(母)が話すのだ。
その日の夕方、買い物をして帰って、夕食を取って、子供の要望で、もう一度、買い物に出かけて、その帰りに単独事故で、側壁にぶつかったと。
医者の診断では、胸を強く打ってるらしいけど、寝てるように、起こせば目を開けるかと思えるほど、穏やかな表情だったという。
我々、車を運転する者にとって、
交通事故は明日は我が身である。それで事故原因を聞いてみたら、どうも衝突前に、すでに心臓発作などで気を失ってたのではないとかの事。だから、事故そのもので、外傷で亡くなったのではないようなのだ。だから、苦しんで死んで行ったのでは無かったと思えるのがよかったと。
単独事故なので、他人を巻き込まなくて、それが不幸中の幸いだったとも言ってた。
なんでも、家のローンが今年で終わり、買いたいものがあると楽しみにしていたとか、前日に(親の)家のなんかの隙間をテープで塞いていてくれて、その時に交わした会話が最後だったとか。
次男がいるそうだけど、岐阜県に住んでいて、やっぱり長年、一緒に暮らしてきた長男のほうが気持ちが通じ合うと惜しんでいた。次男夫婦にとっても、突然、自分達が将来、親の面倒を看るということに戸惑いもあるのだろう。
残された嫁さんは、ここにいても仕方ないと、子供を連れて家を出るという。しかも戸籍も抜いて、実家の方に帰るらしい。孫との別れも辛いだろう。
子に先立たれる不幸。人の突然の死は、周囲の人間関係が濃密なほど、より多くの人が不幸に見舞われるのだろう。
ご冥福をお祈りします。
もし、私が死んだら、悲しむ人は...今の
母は理解するだろうか。
2009年12月に父が亡くなった通夜でも、何度説明しても、母は「こんなとこに寝かされてたら、寝返りうったら落ちてしまうわ」「いつまで寝てるんや。眠り薬でも飲まされたんか」を繰り返していた。
母は医院の待合室で、バッグから財布を出して来て、その中に入ってる千円札1枚をいじっていた。
やっと薬をもらって、その財布をバッグにしまわせようとすると、
「これは私のもんです」と取り上げられると思うのか抵抗するし、私の事をもはや誰だと思ってるのか。
バッグそのものが不要だけど、持って来ないと
「誰かに取られた」と騒ぎ出すから。
医院からの帰りは、もう6時前になり、周囲は薄暗くなって来ていた。
車椅子を押してると、母は「オタクさんは、こんな時間までいいんですか」ともうずっと敬語モード。
私を施設の職員と思ってるようだ。
家の門の前に車椅子を止めると、「私の家はもう一軒向こうです」
車椅子から下ろして、「早く入れ」と促すと「ここへは2、3回来た事があります」
母を家に入れて、車椅子を片付けて、母を普段着に着替えさせ、テレビを付けて「ここに座って見ておけ」
私は汗ばんでるので、さっとシャワーを浴びる。
それから夕食の支度なので、もう6時半を過ぎていた。
しかも、作ってる最中に、
トイレの戸が開いた警報音。
母がトイレに入り、ウンチをした。ウォシュレットでお尻を洗わせ、私が紙を厚く取って渡し、トイレから出たら洗剤で手を入念に洗わせる。
これでさらに夕食が遅くなった。
今晩こそ、肉にしよう。でも鶏肉。「若鶏のプリプリステーキ」なんて生協の冷凍物。378円を解凍してある。が、まだ少し凍ってた。味も付けてあり、ただフライパンで焼くだけ。
いつもなら、先にナスを焼くけど、今日はそれも無し。
ほうれん草も無いので、汁物に入れるのは玉ねぎ2個。私はこれも好きだが、母が...
その汁物に、粉末ダシと、液体つゆを入れて、先に適当に切った玉ねぎ2個を入れて、柔らかくする。
それからマイタケ、エノキ、豆腐と入れて、なんとか玉ねぎを表面に出しておいてから、溶いた卵1個を入れてとじる。
野菜豆は袋から出すだけ。98円を二人で分ける。大豆と人参、ゴボウ、シイタケ、コンニャクなどが炊いてある。
鶏肉は一部を父の仏壇に。私と母は6:4か、もっと均等か、ほとんど変わらない位に入れてある。
ちょっと少ない。甘辛い味付けなので、母も先に食べてしまう。それで私の1切れを母に追加する。
私は100g増量で300gのモヤシを、汁物のつゆの原液をかけて、ラップしてレンジでチンして食べてる。母はモヤシは絶対に食べないから。
また私は小さなカップの納豆も2カップ食べた。
母はいつものように汁物の具はなかなか食べようとしない。
うるさく、何度も「食べろ」と繰り返し、なんとか食べさせた。
食後、医者からの薬を飲ませ、さらにサプリを、野菜50%+果物50%のジュースを小さなコップに入れて、それで飲ませる。
食べ終えて、すぐに食器を洗って、それが終わればもう9時半だったか。
遅いけど、
母の手の爪と足の爪を、私が切ってやる。
特に手の爪が伸びてくると、具合が悪いのだ。明け方などに母が一人でウンチすると、わずかな紙で拭いて、手に付ける事がある。その場合、爪が伸びてると、その爪の間にウンチが入って取れなくなるのだ。
母は自分では全く切らないし、足の爪なんて、大きなお腹が邪魔して、届きもしないだろう。
母の歯を磨かせて、トイレへ行かせて、パジャマに着替えさせて、布団に入れたらもう10時だった。