
晴れ時々曇り。午前中は雲が多めだった。
今日は認知症の母のディサービスの日。
朝、出かける前のトイレで「ウンチしておけ」と言っても出なかった。
昨日してから、24時間経過するのだが。
施設では全くといってした事が無い。連絡帳にその項目があるからわかる。
昨日、書くのを忘れていたが、
滋賀県に住む私の妹は、母を心配して、時々電話をかけてくる。
電話の子機が母の部屋にも置いてあるけど、それが鳴っても気づくのが遅いし、何が鳴ってるのかわからない事も多い。
それで、たいていは私が駆け付けて、子機を取って、母に渡す。
母は自分の娘からの電話を認識する事もあれば、最後までわからない事もある。
たとえば、
妹:「私よ、○○子よ」
母:「○○子やったら、うちにいますよ。
私の娘と同じ名前ですね」
これで始まると、いくら「私がその娘よ」と伝えても、理解しないようだ。
ところが、昨日の電話はこれまでのパターンと少し違っていた。
「○○子さんですか、
私がそう呼ばれてます」
「その名前になってから、みんな、よくしてくれてます」
母がそのように喋ってるのが聞こえたのだ。
これは後に妹からのメールでもそう書かれていた。
娘の名前を自分の名だと勘違いしてる?
あるいは、先の娘と同じ名前の者が家にいるというのも、電話の相手を怪しんで、わざとそう言ってる?
さらにメールによると、亡くなった父(母の夫)の名前を尋ねると、
「う~ん、あいの子みたいな名前でした」と言って、名は出て来なかったらしい。
それにしても「あいの子」って、どういう事。
母は普段、最もよく口にする人物は「兄貴」だ。兄貴がどうとか、兄貴がこうしてくれたとか、テレビに向かって話してる。
次に出てくるのが「お袋」
その次はうんと頻度が少なくなって「マサ○○」と私の名か。
ただし、「マサ○○はまだ帰ってないんか」とか「マサ○○は2階で寝てるのか」と、私に尋ねる。
そしたら、母から見て、
私はいったい誰なのだ?
私が怒ったり、母をはたいたりすると、「兄貴に言うたる」が決まり文句なので、私が兄貴では無い。
逆に全く口にしないのが、2009年12月に亡くなった父(母の夫)の事だ。
20年ほど会ってないと思われる母の兄や、20年以上前に亡くなった母の母親(父の母親=姑だったら40年以上前に亡くなってる)が頻繁に母の口から出るという事は、今の母は結婚する前の娘の頃に戻ってるのかもしれない。
私は母がディサービスに出ると、母の服やパジャマを洗濯機にかけ、食器を洗ったりしてから、車にかかりっきり。
愛車EKシビックの取り外した純正ナビのパネルの
照明の点検。
エアコンの温度調節ダイヤル周囲の目盛りの照明が点滅するので、その対策。
エアコンの風量や向きなどがナビの画面に表示されるなど、一体化してるから、全てを取り外さないといけない。
このパネルの照明は、私が以前にLEDに取り替えてる。それの接触不良なのか。
この件は、後日「愛車」のカテゴリで詳しく書くつもり。
夕方4時過ぎ、修理の終わったパネルを車に取り付け、配線もつないだが、もう母が帰ってくるので、下側のパネルとかはそのままにしておく。
夕食はチャーハン。生協で取ったもので、レンジでチンするだけ。
野菜豆は袋から出すだけ。98円。大豆が野菜類と一緒に炊いてある。
いつもの汁物は味噌汁にして、マイタケ、エノキ、豆腐、ほうれん草、卵1個。
いつものように母は、汁物の具はうるさく繰り返し、怒鳴りつけないと、食べない。
夕食後、取り付けた車のパネルの
照明を夜間に点検しておこうとガレージへ。
ところが、エアコンパネルの下の方の、風量や吹き出し方向などの
3つのスイッチが動かない。
軽く押して、ランプが付き、再度押すと、ランプが消えて、沈み込むスイッチではないのだが、何かにひっかかったように動かないのだ。
なんてこった。
またパネルを外してやり直し。取り付けるより、外す方が苦労するのだ。
特にナビの裏側のコネクタが何個も刺さっていて、そのリリースピンが小さく、掴みにくい。それを押し込みながら、コネクタを引き抜くのは、正面ならばともかく、目も手も届きにくい機器の裏側にあるから、手さぐりで、しかも隙間が狭いために、手首が挟まって痛い。
さらに、夜なので、懐中電灯で照らしながらの作業。
まるで拷問のようだ。

↑例によって、私の手がガサガサ。
なんとかパネルを取り外して、室内に持ち込み、夜中まで作業する。
こうした状態の日が続いて、
ブログを書いてる暇がない。
Posted at 2012/10/25 23:59:08 | |
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