
4月9日(火)
NHK BSプレミアム・イッピン「ジャパニーズ・グリーンの小宇宙~埼玉・大宮盆栽~」より。
録画しておいて、後から見たけど、この番組の中の
「盆栽に対する検証実験」に大いに疑問を持った。
[番組内容]
いま盆栽がブーム。様々な植物を寄せ植えしたかわいらしい盆栽。狭いスペースでも楽しめるミニ盆栽。
かつてご隠居の趣味と思われていた盆栽が大きく変わろうとしている。
海外でもBONSAIは広く親しまれ、日本へのツアーが組まれるほど。
その発信地がさいたま市大宮。関東大震災後、江戸の伝統をくむ盆栽職人が移り住み、盆栽町が誕生した。
女優の黒谷友香さんが大宮を訪れ、盆栽の多彩な魅力をたっぷり紹介する。
≪放送時間≫
2013/04/09(火) 19:30 ~ 20:00
職人の手によって仕上げられた盆栽は、なぜこんなに人の心を掴む事が出来るのか。
「職人ワザを科学で検証」という名目で、千葉大学園芸学部の協力を得て実験が行われた。
用意したのは一見、同じように見える2つの盆栽。
「職人の手が入った盆栽」と「手が入ってない盆栽」。
この2つの盆栽をそれぞれ1分間見てもらい、脳の血流を計測する。
実験に参加したのは11人。
脳の「視覚野」と「体性感覚野」の血流の変化を調べる。
「視覚野」は物の形や奥行きを感じる部分。
「体性感覚野」は圧迫感などを感じる部分。
「職人の手が入った盆栽」では視覚野で顕著に脳血流が増加した。
それは「広がり」を感じて反応している。と解説する藤井英二郎教授。
「手の入ってない盆栽」は体性感覚野で非常に顕著な活性化が見られた。
おそらく「圧迫感」を感じて、体性感覚野で血流が増加していると思われる。
結果、「職人の手が入った盆栽」は「広がり」を感じ、「手が入ってない盆栽」は「圧迫感」を感じる。
という結論に。
その違いは「透かし」 職人の手によって、奥が透けて見えるように微妙に枝葉が剪定されてる。
つまり、「職人の手が入った盆栽」は1分間鑑賞するだけで、人の心がリラックスする。
まさに究極の職人ワザ。
と解説してる。しかし、
待ったぁ~。
まず、ここで取り上げた2つの盆栽、手入れされた盆栽と、そうでない盆栽という前提だが、
どちらも手は入ってる。
もっとボサボサの盆栽と比較するならわかるけど。
しかも、ここで「職人の手が入った盆栽」とされるほうは、実は観賞用の手入れでは無いのだ。
むしろ、どちらかと言えば、観賞用に、つまり展示会用に整えられてるのは、「手の入ってない盆栽」のほうだ。
つまり、「手の入ってない盆栽」のほうが、人に見てもらう為に、整えられた姿と言える。
上の「職人の手が入った盆栽」のほうは、展示会を終えてから、春の芽の伸びをよくし、均一化するための最終的な「葉透かし」の手入れが行われてる。
それは葉を極端に少なくするために、まるで鳥の羽をむしったような状態になり、見ようによったら、みすぼらしい姿にもなるので、この状態で展示会という事は、まずない。
この黒松は、「芽切り」による「短葉化」もされてないので、シーズン中(昨年)は展示会にも出さず、翌年(もう今年)の秋の仕上げに備えてるのかもしれない。
葉を透かして極端に少なくするのは、それによって通風や採光をよくする事と、植物にとって、生命維持に必要な最低限度となった葉数を補おうとして、かえって春からの芽が勢い良く伸びるという性質を狙ってる。
雑木盆栽における葉刈りと似たような効果もある。
この「葉透かし」の手入れによって、春から勢い良く伸び出た芽に新葉が展開した6月下旬~7月上旬、その芽を元から切り取る「芽切り」が行われる。
つまり、黒松にとって大事な手入れの「芽切り」の準備作業として「葉透かし」が必要なのだ。
黒松は葉が長いので、この「芽切り」後に吹いて来る「二番芽」が、秋に展開、充実し、気温の低下とともに、葉が短いままで固定する「短葉化」が不可欠なのだ。
盆栽の鑑賞の為の晴れ舞台は「展示会」で、そこで賞を取ったりする。
その「展示会」向けの手入れというのがあって、前年の古葉を抜く「葉透かし」はしても、極端に葉を少なくする事はなく、どちらかというと、こんもりと仕上げる。
それはまさに、上の「手の入ってない盆栽」のほうなのだ。
こちらの盆栽は上部や下の枝先など、樹勢のいい部分に「芽切り」よる「二番芽」が出て、短葉化されてる。全体が綺麗にそれで整えられてるわけではないが、比較すれば、こちらが「展示会向け」の姿なのだ。
ではなぜ、「手の入ってない盆栽」とされるほうに「圧迫感」を感じたか。
黒松の中品盆栽である。黒松の盆栽は力強さや迫力を見るものに与えるように作られる。
それは荒々しい皮であったり、強い幹の曲であったり、葉も鋭い針のように緻密に揃った姿を理想とする。
まさにそれは、見る者を威圧し、圧倒するような迫力が求められるのだ。
つまり、「圧迫感」を与えるというのは、黒松盆栽の真骨頂でもあるわけだ。
改めて、「手の入ってない」とされる側の盆栽を見てみよう。
一方の「職人の手の入った」とされる側の盆栽は、
盆栽は一つとして同じ姿のものがないから、異なる樹形や幹の太みの盆栽を比較するのは難しいと言える。
この「葉透かし」の手入れは、単純で根気のいる作業だ。
黒松盆栽の数が多い盆栽園では、全員でとりかかるようだが、私の知る盆栽園では、見習いがする手入れであり、園主の奥さんやお母さんが、家事の片手間に作業をしていた。
「職人ワザ」というほど、たいそうな手入れでは無いのだ。
盆栽の整姿とは以下のようなものを言う。
これは黒松の整姿途中の状態。すでに、下枝に針金をかけて、整えてる。
完全に整姿前の画像があればよかったのだが。
そして、整姿完成後の姿。
これは実は私が手入れした盆栽だ。
私は多くの盆栽を整姿してきた。私もそんな職人のはしくれだった。
写真はほとんど撮ってなかった。愛車の写真も、近年になってやっと撮るようになったように。
以下は6年前に、近所の盆栽愛好家が、我が家へ持ち込んだ五葉松の盆栽。

↑これは某著名盆栽園で整姿したもの。それを修正して欲しいと依頼された。
私が整姿した後の姿は、
頭部の修正前。
頭部の修正後。

赤く見える針金は銅線で、焼いてなましたもの。その赤く見える針金は全て、私が巻いたものである。決して、重ならないように、先を読みながらかけて行くのだ。