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マサ21のブログ一覧

2012年09月28日 イイね!

手に付けて、その手であちこち触る

手に付けて、その手であちこち触る晴れ。快晴と言っていいだろう。

朝夕は肌寒いけど、昼間は日射も強烈で、真夏並みに暑い。が、湿度は低く感じる。

夜はいつものように、ブログを書きかけて、そのままうたた寝してしまう。


目が覚めたら4時過ぎだったか。洗濯機には、昨夜回して洗い終わった、母の洗濯物が入ったまま。
それを室内に干して、夕食の食器も洗って伏せたままのなので片付ける。

ここで、認知症の母が起きて来て、トイレへ。すぐに見に行く。
そして必ず「もっと後ろへ座れ」と言って、座り直させる。そうでないと、前に浅く座って、オシッコを便器の外へこぼしてしまうから。
トイレから出たら、入念に手を洗わせる。
母が部屋へ戻ってから、スポーツドリンクを温めて飲ませる。もう明け方だから、水でなくても、少々糖分が入っててもいいだろうと。

私は台所で前日の新聞に目を通す。新聞も次の日のが来る頃に、ようやく前日のを見てる。
朝日新聞で、節約のため、朝刊しか取って無い。

5時を過ぎて、外が白んでくる。
それで、ゴミを出しに行く。月に一度の「その他のプラスティック」と乾電池など。
この後、2階へ上がって、ブログの続きを書きかけるが、パソコンに向かうと睡魔が襲ってくる。
それで、また少しうたた寝。

目が覚めたのは7時半。
1階のトイレへ入る。祈るような気持ちで「ウンチしてませんように」
が、願いは虚しく、便器にはウンチが擦り落ちた跡。チキショー。
しかも、拭いたと思える紙が、後方の便座の上に「置いて」ある。
その紙をどう処理していいか、わからなくなったのだろう。
いつも、拭いた紙を「捨てろ」「そこへ捨てろ」「早く捨てんかい」と私が怒鳴るのだが、
母は「ここへ捨てるんか」とか「もったいない」とか言って、戸惑うようだ。
それでも、たまに拭いた紙を丸めて、ポケットに入れてる事もあるけど、たいていは便器の中に捨ててる。

そうして、いつもは出来てる、してる事が、
ある瞬間に出来ない、わからなくなるのが認知症だ。

まず、トイレの中と、トイレから出て、母が触ったと思える箇所を全て、アルコールティッシュで拭きまくる。
周囲から攻めて、最後は本丸の、不潔の根源。バイキンマンの母だ。

母は部屋で、布団に入って、テレビを見ていた。
母の右手の指を検査。案の定、指にウンチが付いてる!
それも複数の指に。トイレットペーパーの紙片も指先に張り付いたままだ。一切、手は洗ってない証。
アルコールティッシュを何枚も使って、指先を拭くが、何度拭いても、ティッシュが茶色になって来る。肌に付いたウンチが乾くと、なかなか取れない。って知ってるだろうか。

ある程度、拭いてから、洗面所へ連れて行き、泡で出るハンドソープで、手を入念に洗わせる。
特に右手の指は何度も擦らせ、爪も立てて、反対の手の平で揉ませる。
幸い、指の爪は、足の爪と共に、木曜日の夜に切ってやってる。
指の爪が伸びてると、その中にウンチが入って取れなくなるのだ。

それからトイレへ入らせて、ウォシュレットでお尻を洗わせる。
トイレから出たら、またハンドソープで手を入念に洗わせる。

こうして指にウンチを付けた状態で、パジャマとか触ってる。
布団の上に置いてた、朝に着るズボンも、ご丁寧にハンガーにかけてる。
そうしたもの、全てにウンチが付いてるように思えてくる。

ハンガーはアルコールティッシュで拭く。付けてるテレビのスイッチも。
もうズボンもパジャマもシャツも洗濯する事にする。前日のディサービスの日に全て洗ったばかりだが。

母の服を脱がせて、オムツパンツも交換する。いつも真っ黄色になって、重くなってる。それだけオシッコを吸ってるのだ。

さらに布団のシーツも洗濯することに。夏のクール敷きパッドを外してから、そのままだったから。
少しでも早く乾かせる為、服やパジャマより先にシーツを洗濯機にかける。
そして、布団を外に干すために、まず、盆栽を露天の棚から軒下の棚に移動して、ヨシズをかけておく。
ヨシズを動かすと、ホコリが落ちてくるから。近くに布団を干せないのだ。
折りたたみの竿を出して、それをアルコールティッシュで拭きまくる。その上に布団を干す。
以下は8月に撮影して掲載した写真で、布団干しのイメージとして。


西隣なんか、沢山の布団を、道路に面したブロックの上のフェンスにかけて干してるけど、あれってすごく汚れてるんじゃない? 垂らした布団はブロックにもかかってるし。他人ごとながら気になってしまう。

この間、母には、自分の部屋でテレビを見させておく。朝食はまだだけど、別に何も言わない。
私はそれから、梨を剥いたり、朝食の支度。スーパーで買った巨大な梨が、最後の一つだった。
準備が出来たところで、シーツの洗濯が終了したので、それを東側の物干し竿に干す。
そして、母が今朝脱いだ服や、パジャマを洗濯機にかける。

それから、母を呼んで、朝食。10時半を過ぎていた。

今日はもう母がウンチしたから、一日安心。
なんて言ってると甘い。
午後3時頃、母がトイレへ。戸を開けると警報が鳴るようにしてるから。
てっきりオシッコだけと思っていたけど、紙は私が取って渡した。オシッコを拭くには十分の厚みにして。
ところが、母は股間の前から手を後ろの方までやって、お尻を拭く。
オシッコとばかり思ってるから「お尻なんか拭かんでよい」と言いながら、便器を覗くと、またしてもウンチしていた。
今日、2度目のウンチだ。

また指につけたか!私が厚めに紙を取ってので、セーフのようだ。とりあえず、トイレクイックルで母の右手の指を拭いておく。
そしてウォシュレットでお尻を洗わせる。外へ出たら、ハンドソープで手を入念に洗わせる。

この後、外で干してる布団に、洗って乾いたシーツをセット。
その状態で、シーツごと、もう少し陽に当てる。
3時を過ぎると、空中湿度が高くなってくるとかテレビでやっていたが。

4時頃になって、布団を取り入れる。敷布団も掛け布団もシーツをあらって、干して、綺麗さっぱりしたけど、母はそれをわかるだろうか。わからんだろうな。
すぐまた汚すかもわからんし。

暗くなって来てから、前日のブログを書き上げようとして、夕食はまた遅くなってしまった。
支度にかかったのは7時前だったか。
しかも今日は、スーパーで買ってきた鳥の腿肉を焼く。チリメンジャコも一緒に使ってしまいたいし。
手抜きして、他の簡単に出来る食事には出来ない。

レタスを1個、バラして、ノンオイルの青シソドレッシングでしんなりさせる。
レタスは一番外の葉は、スーパーで捨てて来た。外側の広がった葉がそのままで、みんなその場で設置された容器に捨ててたから。
それでも、残る表面の葉は水で洗う。結球がしっかりしてる内部はそのまま洗わない。
ある程度、小さくしておいて、ボールに入れて、ドレッシングをかけて、間を置きながら、何度も混ぜてるとしんなりとしてくる。今回はドレッシングの残りが少なく、全部使い切って、足らないかと思ったが、それでちょうどよかった。辛くも無く、いい味に出来た。

ミニトマトは買って来たもので、母の分だけ、湯通しして皮を剥く。
チリメンジャコはハチミツ黒酢をかける。
いつもの汁物はマイタケ、エノキ、豆腐、ほうれん草。その上から、溶いた卵1個をかけて、とじる。

そしてメインの鶏肉。これは若鶏腿肉で2切れがパックされていて560円。何グラムだっか、今になって調べようとしたけど、もうそれはラップに貼られていて、生ゴミとして捨ててしまってる。
2つの肉に大きさの差があって、それを承知で買ってる。小さ目の方を母用に。

フライパンに乗せると、やたらくっつく。後から少しサラダオイルを入れる。コレステロールを下げる、日清のヘルシーコレステを。
しかし、焼いてると、肉から結構な油が出てくる。厚みがある肉なので、裏返しながら焼くが、やっぱりくっつく。
最近は魚を焼く時も、ひっつかないアルミホイルを敷いて焼いてる。クックパーをよく使ってたけど、今は生協ブランドの。しかし、今回のように肉をよく焼くには、アルミは不向きかと思って。
味付けは塩コショウ。塩とコショウが一緒になったもので。
最後には、油で揚げてるみたいに、油が多く出た。

出来てから、肉の一切れと一緒に、先に父の仏壇にご飯とお茶を供え、それから母の布団をサッと敷いてしまう。
母はずっとテレビを見てる。
食事の支度の途中、母がトイレの戸を開けて、警報音が鳴ったけど、入ってオシッコするとかいうわけではないのだ。

この後、ご飯をよそって、汁物を椀に入れて、それから母を呼んで、手を洗わせてから食卓へ連れて来て、その後、鶏肉を一口サイズに箸でバラして皿に盛る。
私のはそのまま丸ごと。

レタスは母はいつも食べない。口に入れても、しがんで出してきたりする。
それで、多くは入れてない。私はレタスが多いが、さらにモヤシもいつもより100g増量の300gを、汁物のつゆの原液をかけて、ラップしてレンジでチンして食べる。これは、予定外で、後から作った。
私は汁物のマイタケ、エノキ、ほうれん草も含め、先に全ての野菜類を食べてから、さらに医者からもらってるコレステロールを吸着するコレバイン2個を飲んでから、まるで体に悪いものを食べるかのように鶏肉を食べた。直前までフライパンに乗せておいて。

私は皮も食べる。これは油が多いけど、やっぱり美味しい。この肉は量もたっぷりで、
久々に肉を食べたという満足感。
この後すぐ、DHCの食物繊維のスティックも1本飲んでおいた。

さらに納豆も小さなカップ入りのを2つ、ご飯と食べた。

母も鶏肉は食べたし、汁物の具のマイタケやほうれん草、豆腐もなんとか食べさせた。
最後まで残したレタスも、「食べろ」とうるさく言って、全部食べた。

夕食が終わって、食器を洗ったら、もう10時だった。
母に歯磨きさせて、トイレへ行かせて、パジャマに着替えたら、もう10時半に近かった。
Posted at 2012/09/28 23:06:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 認知症 | 暮らし/家族
2012年09月27日 イイね!

母のバッグがない!忘れてきた?盗られた?

母のバッグがない!忘れてきた?盗られた?晴れ。

もう完全に、1日遅れでブログを書いてる。その日が半分以上過ぎて、いろいろあった後に、前日の事を思い出して書いてる。それだけ、なんでか時間が無い。

午前3時頃、認知症の母がトイレへ行く音で目が覚める。
慌てて、降りて行くが、既に母はパンツを上げていて、例によって、
便器の前にオシッコを大量にこぼしてる。

トイレから出たら、手を洗わせて、アルカリイオン水を温めて、飲ませる。

今日は母がディサービス。風呂に入れてもらって、着替える服を用意して、袋に詰める。
その袋にはブラシや乳液なども入っていて、いつも母が持って行くバッグと一緒に置いてる。
そこで気付いた。その母のバッグが無いのだ。

昨夕、医院から帰って、持ち帰った筈のバッグをまたどこに隠したんだ。
母は布団に入ってるけど、トイレから戻って、まだ寝てない。
その母の周囲を捜して回る。押入れの中、タンスの引き出し、縁側。
帰宅した時も、夜も、台所のドアにはカギをかけてたので、母の部屋の中しか考えられない。
もしや布団の中では。掛け布団をめくってみるけど、無い。

ひょっとすると、医院にバッグを忘れてきたのか?
帰りは、車椅子に乗せた母を、後ろから押してたので、母がバッグを持ってたかどうか、覚えが無い。見てなかった。

家の門の前で、母を車椅子から下ろして、私が門と玄関のカギを開けると、後は母が自分で歩いて家に入った。
私は車椅子を中に入れ、裏の物置まで移動した。
この間に母は家に上がり、持ってたとしたら、バッグをどこかに置いたのだ。

医院での行動、バッグの映像を頭の中から捜す。
検尿の時に広いトイレの中に入り、そこにあった物を置くための台にバッグを乗せた。
でも、その後、出て、母が心電図を取る間、私がバッグを手に持っていた。
その後、待合室のソファーの上に置いた。
が、次はレントゲン室の小さな待合室の持ち物を入れるカゴにバッグを置いた。
しかし、検診が終わって、薬を待つ間、母がバッグを持っていて、人が少なくなってから、母はバッグから財布を出して、中の千円札をいじっていた。
薬をもらって、帰るのに、私がその財布をバッグに入れようとすると、母は「これは私のもんです」と抵抗した。
この後、医院の2重扉の空間で、そこに置いた車椅子に母を乗せる時に、横ある縁台のようなのを一べつしてる。ここに一旦、バッグを置くかどうか、ホコリで汚れてないかと思案した。
母を車椅子に乗せるのに、バッグを取り上げるだろうか。母はバッグを持ったまま座ったのでは。
あるいは、やはり、母からバッグを一旦取り上げて、縁台に置いたろうか。

もし、縁台に置いてら、そのまま母を車椅子に乗せて、そこを出てしまい、バッグはそこに置き忘れた事になる。

朝、母をディサービスに送り出して、ゴミを出しに行ってから、8時45分頃に医院へ電話を入れた。
事情を話すと、すぐに捜してもらったけど、やっぱりバッグは医院にも無い。
出口の縁台だけで無く、レントゲン室などのカゴも見てくれたらしい。
そして、もし手がかりがあったら、連絡を入れますと。

もし、縁台に置いたままだったら。後から一人くらい患者が来ていた。
そんな人が持って行ったのだろうか。人のバッグでも、今は不景気だから、少しでも金目のものが入ってればと、バッグは盗まれた?のだろうか。

金は大した事はない。千円札1枚と小銭だけ。問題は家のカギだ。
万一、私が外出中に母がディサービスから帰った場合を想定して、家の鍵がバッグに入ってる。紐でくくって。その鍵はまだ新しいのだ。

2010年の4月6日に、亡き父の納骨の為、西宮の墓地まで、母と妹を乗せて、レンタカーで行った。
帰宅すると、もう真っ暗で、いざ家に入ろうとしたら、家のカギが無い。どこかで落としたのだ。
車内にも無く、結局、鍵屋を呼んで、開けてもらった。3万ほど取られたか。
実はその当時、車の保険は東京海上日動の「超保険」に入っていて、代車は勿論、保険の対象だし、家のカギを無くした時も、補償対象だったのだ。それを知らなかった。
1995年に愛車のEKシビックを買ってから、昨年までずっと、任意保険は東京海上だった。

カギは家を出る時に、家の前で落としたかもしれず、無用心なので、翌日、また鍵屋に来てもらい、新しいディンプルキーの鍵に付け替えてもらった。玄関のドアは上下に2つ鍵があるので、それも3万円位したろうか。

今回、また家の鍵を紛失したとしたら痛い。チキショー。ついてない。
もう一度、室内を捜し回った。やっぱり無い。

仕方なく、洗濯、食器洗い。母の布団を干そうか。
朝、いつも母の布団をすぐに上げず、敷布団だけは、しばらくそのままにしておく。
すぐに畳んでしまうより、広げたまま置いて、寝汗を少しでも乾燥させようと。

よく見ると、敷布団が少し膨らんでる。それをめくってみると、あった。
母はバッグを自分が寝てる敷布団の下に隠してたのだ。


母が寝てる状態で、掛布団をめくってみたけど、なかったはずだ。
自分がバッグの上に乗って、寝てるんだから、見つかる筈もない。

しかし、いつここに隠したのか。布団を敷いたのは、夕食の支度が出来てから。
私が一気に敷いて、それから一旦、台所に戻り、母のご飯と汁物をよそってから、改めて母を呼びに行った。このわずか5分かそこらの間か。
それとも、母をパジャマに着替えさせて、布団に入れて、そのまま寝たはずで、午前3時頃にトイレに起きて、部屋に戻って、私が着替えを用意するのに、入れる袋を取りに、部屋に来るまでの間か。

まるでマジックのように、人をあざ笑うかのように、こうしてうまい具合に隠すんだ。

この後、医院へもバッグ発見の電話を入れておいた。

母には、ディサービスに別のバッグを持たせてる。紛失したバッグはたいがい古い。
が、施設からの連絡帳を綴るバインダーが大きくて、他のバッグには入らないのだ。
今回、別のバッグの内側を狭めて止めてる糸を切って、入れておいた。

その母は夕方の5時に帰宅。バッグが黒から茶色に変わって気にしたかどうか、職員に尋ねたけど、「いつもと変わりありません」との事。

私は夕食の支度。
夕食はサバの味噌煮の缶詰。骨まで柔らかく、甘辛い味付けなので、母も食べる。但し、皮が表にならないように皿に盛ってる。それを取ろうとするから。
エビカツは冷凍物。白身の魚と、枝豆と、エビが入ってる。レンジでチンするだけ。
いつもの汁物は、マイタケ、エノキ、豆腐、ほうれん草、卵1個を溶いて、上からかけてとじる。

母はいつもように、汁物の具、野菜類は食べようとしない。うるさく何度も「食べろ」と言って、やっと食べさせた。

私は小さなカップの納豆も食べてる。

今晩も疲れた。夕食が終わって、母を寝かせつけたら、9時半を過ぎていた。
Posted at 2012/09/27 23:44:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 認知症 | 暮らし/家族
2012年09月26日 イイね!

健康診査(検便)/息子の事故死

健康診査(検便)/息子の事故死晴れ。空気はカラッとしてるが日差しが強い。朝夕は肌寒いくらい。(真夏と同じTシャツ1枚では)

今日は午後から、母を車椅子に乗せて、すぐ近くの
医院へ連れて行く。
母が毎回4週間分もらってる高血圧などの薬が切れるから。



車では無く、車椅子なのは、どこかにウンチが付いてるかもしれない母を、愛車に乗せたくないからだ。
勿論、遠くの医院へ連れて行くとか、必要に迫られれば別だが、車高が低く、座席も低いので、そこに座らせるのも、そこから下ろすのもやっかいなのと、歩いて5分ほどで、団地出口の信号にひっかかったら、歩いた方が早いような距離だから。
駐車場で、他の車のドアに当てられないか、心配する必要もないし。

母も私も3ヶ月間隔で血液検査もしてるので、ちょうどその時期であり、市からの
「後期高齢者健康診査」と、私は「特定健康診査」を受けると、安く血液検査も出来る。ついでに、市からの「がん検診」も受けることにする。

「がん検診」は、母も私も胸部レントゲン検査(肺がん検診)と、私は大腸がんと前立腺がんの検診を、母は肝炎ウイルスの検診も受ける。
前立腺がんや、肝炎ウイルスの検診は、血液検査に、その項目が追加されるみたい。
大腸がんの検診は、いわゆる「検便」で、潜血反応を調べる。これは私も毎年受けてる。

昨日、検診の予約と、検便セットを2つもらって来ていて、2回に分けて実施して、持って行く。
今日はその1回目をする。

昔、私なんかが子供の頃、検便というと、小学生だったか、マッチ箱なんかに詰めて、学校へ持って覚えがある。今、考えるとぞっとするけど。
現代は、最初の画像のような「検便セット」になってる。その中身は、以下のようなもの。


子供の頃は新聞紙の上にしたような覚えもあるが、今は洋式トイレの中に敷く紙まで用意されてる。勿論、そのまま流す事が出来る。

「正しい大便のとり方」の解説は以下。


要は、付属のケースの中のスティックを取り出し、それで、便の表面を撫でる事になる。
大腸がんによる出血がある場合、その血が便の表面に付いて出て来るので、たとえ微量でも、それを「潜血反応」で検査しようというものだ。

スティックに便をつけ過ぎてもマズいが、元のケースに収める時に、その周囲に付けてしまうと、
おぞましい事になると想像出来る。
だから、スティックはうまく周囲に触れないように納めなければならず、老眼の人なんか、難しいだろうな。
私は近視で、右目は乱視もあり、パソコンに向かう時や運転中はメガネをかけてるが、近年は手元など近くがメガネをかけたままだと見難い。裸眼だと、すぐ近くも見えるけど。

この検便は年に1回なので、コツなどをつい忘れてしまう。今回、私がしてマズったのは、便器に敷いた紙の上に落ちた便が、その重みで沈み込み、敷いた紙の周囲が持ち上がって、
便を紙で包み込むようになってしまい、さらに水中へと落ち込んでしまったのだ。
うちの便器は、ホテルなんかで体験したような、大量の水が溜まってるものではない。が、それでも先にトイレットペーパーを下に重ねて入れておくべきだった。
今回はNGにしようかと思ったが、敷く紙はもう無いし。水上に残った分で処理した。
便の表面に付く可能性のある血を採取するならば、なるべく便の表面を広範囲を撫でておくべきだと思う。

この検便を母にもさせたいが、どう考えても至難だ。
前回から24時間以上経過したら、母がトイレへ入る度に「ウンチしておけ」と言うけど、それでするわけもなく、いつするかは時間帯も含め、全くわからない。事前に紙を敷いて、そこにさせるなんて不可能だ。
特に最近は、人の言ってる事すら、マトモに理解せず、自分のしたいようにするから困る。それは後の医院での「検尿」でも苦労した。

検診の予約は午後4時半だが、「早めに来てください」とも言われてる。4時には医院に着くように家を出るつもりが、母がモタモタするので、家を出たのが4時過ぎ、到着は4時15分頃だったか。
予約時間には間に合ってるわけだが、昨年も着いてすぐに検尿とかの検査を始められた。他の患者との兼ね合いもあるのだろう。

そして今日は医院が結構、混んでいた。午後から行くと、空いてる事が多いのだが、今は朝夕の気温差が大きく、体調を崩す人も多いのか、咳き込んでる人もいた。

今回もまず検尿から。車椅子でも入れる広い個室のトイレへ母と一緒に入る。
昨年の母はまだするべき事は理解していたのだが。今は「これにオシッコを取る」と言ってコップを差し出しても、キョトンとしてるだけ。それで、「そこに座って、オシッコしろ」と言うのに、慣れない広い部屋に設置された便器を納得せず、「こんなとこに座ったら、はまってしまう」と、なかなかズボンなどを下ろそうともしない。
そして、昨年もそうだったが、便座に座ってしまうと、私がコップを母の股間に持って行こうとしても、太い腿が邪魔して、その空間すら無い。第一、どの当たりから!出るのかわからないし。
中腰の状態で、もう母が自分の手でコップを受けてくれないと、どうしょうもない。
「このコップにオシッコを入れろ。ちょっとだけでええんや」
母はその紙コップを握りしめて、潰してしまいそうな状態で股間に押し付けてるし。コップにうまく入るのか、そこらに、パンツやズボンにオシッコをぶちまけはしないか。

ついつい、いつもの調子で、私は大声を出していた。外の待合室、いや医院中に響きわたってなかったろうか。
看護師が外から「無理なら家で取って来てもらってもいいですよ」と言うが、狭い家のトイレでは、なおさら作業は困難だ。
第一、コップにオシッコを入れて、それを手に持って歩いて来る姿は想像するだけでイヤだ。

なんとか奇跡的にコップにオシッコを取れた。紙コップに液体がジャーと入る、コーヒーなどの自販機と同じあの音がして。しかし、溢れては困るので「もうええ、止めろ」
私がそのコップを取って、残りのオシッコを便座に座ってしろというのに、それがまたなかなか。
終わったら、今度は紙で拭くのも、私が取って渡した紙で「それで拭け」「早く拭け」「拭かんかい」
拭いたらその紙を「そこに捨てろ」「捨てろ言うてるやろ」「早く捨てんかい」
もう家と一緒の大騒動だ。来年はさらに困難になるだろうな。

その部屋には立ち小便用の便器もあるので、私はそちらで尿を取る。
母の手を洗わせようとするが、自動で水が出る蛇口は、なぜか母の手になかなか反応しないし、母も理解しないし。
もう検尿だけで、えらく時間を取られるし、大汗をかいてしまう。

この後、看護師が母だけを連れて行き、心電図を測定するが、それも大変。
さらに採血をして、レントゲンを撮るのに、先に母だけをレントゲン室内の小さな待合室の椅子に座らせて、「ちょっとそこで待っててね」なんて、看護師が言っても無理。
すぐに「一人ぽっちで、だぁ~れもおらへん」と出て来る。

レントゲンは、今はフィルムでは無く、デジタルなのでその場でモニターで画像を見せられて解説。ただし、詳しくは専門医に見てもらっての判断で、結果は血液検査と共に、次回になる。
尿のほうは、二人とも異常は無いらしい。

後は待合室で、母の薬を待つ。これがまた長い。多くの患者がいたのに、私らが一番最後かいな。

この医院へは4週に1度なのだが、なぜかいつも出会う夫婦がいる。これまで簡単な挨拶だけだったのだが、今回は奥さんの方から話しかけられた。
その人は、同じ住宅団地内に住む年配の夫婦で、毎年、生垣の剪定に来てもらっていた。元はと言えば、母がまだマトモな頃に、向かいの婆さんの紹介で、来てもらってたのだ。
半日ほどの作業で2万円とちょっとの日当。自分で刈ったほうが節約になると、昨年は頼まなかったし、先方からも言って来なかった。

それどころか、毎年、借りてる畑で取れたと言う野菜などを、年に数回持って来てくれてたのに、昨年はそれも無かったから、私にとっては生垣の依頼をしなくても済むので、好都合だったのだ。

ところが、今日、話しを聞いて驚いた。昨年、長男が事故で亡くなったと言うのだ。
親子は隣同士の家で、私が夜、日当を持って行くと、息子さんと思える人にも会ったし、まだ小さな(幼稚園か小学生)の孫も一緒にはしゃいでいた。
私は日当の他に、ビールや菓子も持って行ってた。そうした菓子は孫らが喜ぶと言われて。

なんでも、明日がその長男の一周忌の命日だとか。亡くなった年齢は私と同じで、私の母の様子を見て、「私らもこれから頼りたいのに、息子はもういない」と、事故の日の事を、詳しく訴えかけるように奥さん(母)が話すのだ。
その日の夕方、買い物をして帰って、夕食を取って、子供の要望で、もう一度、買い物に出かけて、その帰りに単独事故で、側壁にぶつかったと。
医者の診断では、胸を強く打ってるらしいけど、寝てるように、起こせば目を開けるかと思えるほど、穏やかな表情だったという。

我々、車を運転する者にとって、交通事故は明日は我が身である。それで事故原因を聞いてみたら、どうも衝突前に、すでに心臓発作などで気を失ってたのではないとかの事。だから、事故そのもので、外傷で亡くなったのではないようなのだ。だから、苦しんで死んで行ったのでは無かったと思えるのがよかったと。
単独事故なので、他人を巻き込まなくて、それが不幸中の幸いだったとも言ってた。

なんでも、家のローンが今年で終わり、買いたいものがあると楽しみにしていたとか、前日に(親の)家のなんかの隙間をテープで塞いていてくれて、その時に交わした会話が最後だったとか。
次男がいるそうだけど、岐阜県に住んでいて、やっぱり長年、一緒に暮らしてきた長男のほうが気持ちが通じ合うと惜しんでいた。次男夫婦にとっても、突然、自分達が将来、親の面倒を看るということに戸惑いもあるのだろう。

残された嫁さんは、ここにいても仕方ないと、子供を連れて家を出るという。しかも戸籍も抜いて、実家の方に帰るらしい。孫との別れも辛いだろう。
子に先立たれる不幸。人の突然の死は、周囲の人間関係が濃密なほど、より多くの人が不幸に見舞われるのだろう。
ご冥福をお祈りします。

もし、私が死んだら、悲しむ人は...今の母は理解するだろうか。
2009年12月に父が亡くなった通夜でも、何度説明しても、母は「こんなとこに寝かされてたら、寝返りうったら落ちてしまうわ」「いつまで寝てるんや。眠り薬でも飲まされたんか」を繰り返していた。

母は医院の待合室で、バッグから財布を出して来て、その中に入ってる千円札1枚をいじっていた。
やっと薬をもらって、その財布をバッグにしまわせようとすると、
「これは私のもんです」と取り上げられると思うのか抵抗するし、私の事をもはや誰だと思ってるのか。
バッグそのものが不要だけど、持って来ないと「誰かに取られた」と騒ぎ出すから。

医院からの帰りは、もう6時前になり、周囲は薄暗くなって来ていた。
車椅子を押してると、母は「オタクさんは、こんな時間までいいんですか」ともうずっと敬語モード。
私を施設の職員と思ってるようだ。
家の門の前に車椅子を止めると、「私の家はもう一軒向こうです」
車椅子から下ろして、「早く入れ」と促すと「ここへは2、3回来た事があります」

母を家に入れて、車椅子を片付けて、母を普段着に着替えさせ、テレビを付けて「ここに座って見ておけ」
私は汗ばんでるので、さっとシャワーを浴びる。

それから夕食の支度なので、もう6時半を過ぎていた。
しかも、作ってる最中に、トイレの戸が開いた警報音。
母がトイレに入り、ウンチをした。ウォシュレットでお尻を洗わせ、私が紙を厚く取って渡し、トイレから出たら洗剤で手を入念に洗わせる。
これでさらに夕食が遅くなった。

今晩こそ、肉にしよう。でも鶏肉。「若鶏のプリプリステーキ」なんて生協の冷凍物。378円を解凍してある。が、まだ少し凍ってた。味も付けてあり、ただフライパンで焼くだけ。
いつもなら、先にナスを焼くけど、今日はそれも無し。
ほうれん草も無いので、汁物に入れるのは玉ねぎ2個。私はこれも好きだが、母が...
その汁物に、粉末ダシと、液体つゆを入れて、先に適当に切った玉ねぎ2個を入れて、柔らかくする。
それからマイタケ、エノキ、豆腐と入れて、なんとか玉ねぎを表面に出しておいてから、溶いた卵1個を入れてとじる。
野菜豆は袋から出すだけ。98円を二人で分ける。大豆と人参、ゴボウ、シイタケ、コンニャクなどが炊いてある。


鶏肉は一部を父の仏壇に。私と母は6:4か、もっと均等か、ほとんど変わらない位に入れてある。
ちょっと少ない。甘辛い味付けなので、母も先に食べてしまう。それで私の1切れを母に追加する。

私は100g増量で300gのモヤシを、汁物のつゆの原液をかけて、ラップしてレンジでチンして食べてる。母はモヤシは絶対に食べないから。
また私は小さなカップの納豆も2カップ食べた。

母はいつものように汁物の具はなかなか食べようとしない。
うるさく、何度も「食べろ」と繰り返し、なんとか食べさせた。
食後、医者からの薬を飲ませ、さらにサプリを、野菜50%+果物50%のジュースを小さなコップに入れて、それで飲ませる。

食べ終えて、すぐに食器を洗って、それが終わればもう9時半だったか。
遅いけど、母の手の爪と足の爪を、私が切ってやる。
特に手の爪が伸びてくると、具合が悪いのだ。明け方などに母が一人でウンチすると、わずかな紙で拭いて、手に付ける事がある。その場合、爪が伸びてると、その爪の間にウンチが入って取れなくなるのだ。
母は自分では全く切らないし、足の爪なんて、大きなお腹が邪魔して、届きもしないだろう。


母の歯を磨かせて、トイレへ行かせて、パジャマに着替えさせて、布団に入れたらもう10時だった。
Posted at 2012/09/26 23:58:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 認知症 | 暮らし/家族
2012年09月25日 イイね!

健康診査の予約

健康診査の予約晴れ時々曇り。
日中の日差しは強いが、朝は半袖だと肌寒く感じる。

昨夜もブログを書いてる途中でうたた寝してしまう。
午前2時過ぎ、階下での物音に目が覚める。認知症の母がトイレへ入ってるようだ。
慌てて降りて行く。母は既に終えてパンツを上げてたが、
臭い。ウンチをしたようだ。昨日も一昨日もしてなかったから。

わずかな紙で拭いてるので、手に付けてないか検査し、念の為、アルコールティッシュで母の指を拭く。それから便座に座らせて、ウォシュレットでお尻を洗わせる。
オムツパンツの内側が黄色くなって、大量のオシッコを吸ってるようだ。それはパンツの中で漏らしたのでは無く、便座に浅く座って、便器の外へ出たオシッコを、便器に密着させてたオムツパンツで受けたのだと思う。夜中だけど、オムツパンツを交換させる。

この後、母に水を飲ませる。そして洗って伏せたままの夕食の食器を片付け、母がディサービスで風呂に入れてもらった時に着替える服を用意してたたんで袋に詰める。

そして前日のブログを書き足して、アップしてから、午前5時頃から一寝入り。
母はディサービスなので、7時前に起きて、朝食の準備。今朝はリンゴを剥く。
この前買った巨大な梨があるけど、朝の気温が低くなると、あまり欲しいとは思わなくなる。

朝食の準備が出来てから、母を起こしに行き、暖めたスポーツドリンクを小さなコップに入れて飲ませる。
オムツパンツの中は、また少し黄色くなってる。母はオシッコしても紙で拭かない事もあるから。私が一寝入りした5時~7時の間に母はトイレへ行ったのようだ。
替えて間もないけど、再度、オムツパンツを交換させておく。
急かせて着替えさせ、手を洗わせてから朝食。

母はリンゴもあまり食べたがらない。好んで食べるのは菓子パンやコーヒー牛乳だけ。
今朝はワカメスープにしたので、それも気に入らない様子。
ともかく、母は野菜や果物は食べたがらない。

食べ終えたら、医者からの薬を、ヤクルトのプレティオで飲ませる。
またサプリを、野菜50%+果物50%のジュースで飲ませる。
そして歯磨きさせる。この間に私は母のメガネを洗浄する。その後、トイレへ入らせる。

それから、お出かけ用の服に着替えさせる。朝から2度目の着替え。お出かけ用の服で食事をすると、前にこぼして汚してしまうから。
今朝は冷えてたので、半袖では寒いと思い、七分袖にする。ディサービスに持って行く、袋に入れた着替えも、急きょ半袖から七分袖に入れ替える。
しかし、日中は気温も上がり、半袖でもよかったかと。

母の顔のテカリには、私がパウダーを当ててやり、色付きのリップクリームは母に自分で塗らせる。
母の小鼻の脇が、頬の肉との間で凹みになっていて、ここに垢か脂肪が溜まるんだ。
みっとも無いのでディサービスで風呂に入れた時に、ここも洗って欲しいと、以前要望したのだが。
母は家では全く顔も洗わないから(今年の前半まで、家で風呂に入れてた時も、顔を洗わせるのに一苦労した)、カット綿に化粧水を付けて、擦り取る。

それから私が母の髪をブラシで整えて、ヘアースプレー。ティッシュを渡して鼻をかませておく。
ここでちょうど8時半。いつも時間ギリギリで、慌ただしい。
ディサービスの迎えが来る。

母が出かけたら、やれやれであるが、一服する間も無く、母の服やパジャマを洗濯機にかける。
プラスティックのゴミをステーションへ持って行く。
盆栽やミニトマトに水やり。
朝食の食器を洗う。

9時半にはヤクルトが1週間分のミルミルSとプレティオを持ってくる。1540円。
ここでまた500円のジョアとソフールの詰め合わせを買わされて?しまう。

母の洗濯物を外に干す。
私は自分の歯磨きしてから、トイレ(大) なぜか、昨日からあまり出ないのだ。

DHCのサプリを佐川急便が届ける。
また生協が1週間分の食料などを持ってくる。
それらは冷凍品と冷蔵品ばかりなので、すぐに冷蔵庫へ入れる。
それから注文伝票と照らし合わせて、品物の漏れがないか点検。今回は9761円分だ。

2リットルのボトルに水出し緑茶を作る。
日差しが強いので、露天の棚の盆栽を軒下へ移動して、ヨシズでおおう。
この遮光はまだもう少し必要だ。

ここまできたら、やっと一服。もう11時前だった。
本来なら、生協の新しいカタログに目を通して、携帯で注文を入れると同時に、比較して、明日の夜10時が締め切りの来週持ってくる分を調整しなければならないのだが。

今週は母を近くの医者へ連れて行く。高血圧の薬などをもらいに行くのだ。今は4週に1度行ってる事になる。
ついでに私も、不整脈などの診察を受ける。今のところはそれは無いが、ずっとかかってる。

血液検査を3ヶ月おきにしていて(勧められていて)、前回が6月なので、その時期である。
市から年1回の、母への「後期高齢者健康診査」と、私への「特定健康診査」の「受診券」が届いてるので、これを受診すれば安く血液検査や尿検査、心電図検査が受けられる。

さらに市からはガン検診の受診券も届いてるので、それも利用する。
私も母も胸部レントゲンを、私は大腸がん検診、前立腺がん検診を、母には肝炎ウイルスの検診も。肝炎ウイルスは毎年では無く、1回だけ。私は昨年だったか受けてる。

大腸がん検診は、いわゆる「検便」による潜血反応の検査である。今のは専用容器に入ったスティックで便を擦って提出となる。私はこれを毎年受けてる。
母にもさせればいいのだが、どう考えても困難だ。乳がん検診などは婦人科でないとダメだし。
また胃カメラの受診券もあるが、今は敬遠。

これらは予約が必要で、予め受診券を提出し、それぞれの問診票への記入が必要となる。
母を連れて行くのは明日の水曜日で、今日は申し込みに医院へ一人で行く。
明日の水曜日の予約は月曜日に電話でしておいたのだが、その直後、医院から電話で、今日、申し込みに行った時に、私の心電図とか、一部の検診をさせて欲しいとの事。医院側の時間の都合上だろう。

行くのは午後の診療時間の3時から。でも、そうした受診もあるので、遅くなると、母が帰ってくる。
私は出かけるまでにシャワーを浴びて、洗髪もしておきたいのだ。

それで、昼前からシャワーをして、髪を乾かしたりしてると、2時過ぎ。
洗濯した私の服などを干してると、もう3時。すぐに出かける。近くなので歩いて行く。

医院から帰宅すると4時過ぎ。本当は母がいないうちに買い物にも行きたかったのだが。
ほうれん草など、今夜の分で終わりだから。母が5時に帰宅するから、それまでに慌てて出かけようかと思ったが、結局、断念。

電気料金の検針が来ていて、
9月分は533kwhで13,793円 前月の
8月分は538kwhで13,932円 だった。
よくまぁ、計ったように同じだけ使ってるもんだ。

5時10分頃、母がディサービスから帰宅したら、まず洗剤で手洗い。それから普段用のボロい服に着替えさせ、テレビを見させておく。

私は夕食の支度にかかる。
しかし、この間、トイレの戸を開けた時に警報が鳴るようにしておくと、やっぱり何度か母が鳴らす。
用も無いのにトイレの戸を開けるのか、開けた時の警報音に驚いて、する事を忘れるのか。
ようやく「トイレに入りたい」と言うので、入らせると、またしてもウンチした。

夕食は、レンジでチンするサンマの煮付け。生協の冷凍物で、甘辛い味付けで美味しい。
昆布入りの大豆の炊いたものは、生協でとったもので、袋から出すだけ。
いつもの汁物はマイタケ、エノキ、豆腐、たっぷりのほうれん草、溶いた卵でとじる。

私は小さなカップの納豆も食べてる。

母は甘辛い味付けのサンマは食べる。大豆の炊いたのも食べた。
が、汁物の中のほうれん草やマイタケはなかなか食べない。うるさく言って、なんとか食べさせた。

昨日が魚だから、今日は肉でもいいんだけど、
明日の血液検査を控えて、魚にしておく。
Posted at 2012/09/25 23:56:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 認知症 | 暮らし/家族
2012年09月25日 イイね!

父も認知症で下の世話が大変だった

父も認知症で下の世話が大変だった9月24日のブログ。
当日中に間に合わなかった。

曇り時々晴れ。午前中は日差しもあったが、午後は曇り勝ち。
朝はかなり涼しい。

昨日もそうだが、午前中、日差しが強いので、盆栽を軒下へ移動して、ヨシズで覆うと、途端に曇ってしまう。

認知症の母は、日付が変わる頃に起きてきて、トイレへ行くと、それ以降、なかなか寝ないで、テレビをつけたまま、何度も部屋から出て来て、ウロウロしてる。

昨日からウンチしてないので、いつするかわからず、ずっと警戒モード。
日中も頻繁にトイレへ入る。その都度、監視に行くし、「ウンチしておけ」と促すのだけど、一向に出ない。あるいは、「ちょっと出た」というので、ウォシュレットで入念に洗っても、立ち上がるとまるでしてなったり。

今日も、スリッパがらみの問題はある。
室内履きのスリッパをトイレの中に入れてあったり。

しかし考えたら、2009年12月に亡くなった父も認知症で、晩年は寝たきりだったけど、歩き回ってる頃にやっかいだったのは、オシッコを押入れの中の衣装ケースの中にしたり、洗面所でしたり、台所の冷蔵庫にかけたり、男特有のものかもしれないけど、それも大変困ったもんだった。

ただ、当時はまだ母が、主にその始末をしていたので、私は日中は仕事で不在だったし、家の中で何が起きてたか、全てを知るよしもなかった。
父がオムツをしてからも、「オシッコや」と言うので母がトイレへ連れて行くと「これが取れへん」と、トイレの中の隅の柱を引っ張ったりして、一向にオシッコはしなかった。
それで、トイレから出すと、すぐまた「オシッコや」の繰り返し。
これには、私も切れて、よく怒鳴っていたもんだ。
私が尿瓶を買って来て、母がそれでさせようとしても、めったにその中にはしなかった。

オムツの中に垂れ流し状態になると、そのオムツを定期的に交換するのも大変だけど、そこに至るまでは、とんでもないところでしたり、トイレを汚したりと、どっちにしろ下の世話が大変なのだ。

母もこの先、例えば縁側などでオシッコをしたり、ウンチしたりするような事にもなるのだろうか。
今でも、「ここでオシッコしてええんか」と尋ねてきたり、トイレの中で「ウンチはこんなところで、せえへん」と言ったりしてる。

こういう排泄を所定の場所以外でするのは、酒に酔った人間もするらしいので、認知症の頭の中は、酔っぱらいと似たところがあるのかもしれない。
私は酒もタバコも一切やらず、一度も酔った事などないので、理解は出来ないのだが。

夕食の準備中も、トイレの戸を開けると警報が鳴るようにしておくと、それが頻繁に鳴って、見にいかなければならならい。
母もその警報音に驚いて、立ち尽くしてる。「オシッコか」と尋ねても、そうではないのだ。

オシッコをさせて、手を洗わせても、私が夕食の支度に戻ると、すぐまた警報が鳴ってたりする。
ウロウロしてしは、用も無いのにトイレの戸を開けたがるようだ。
そして、目に付いたスリッパを持ち出したりするのだ。

その夕食は、生協の骨取りサバの薄塩仕立て。冷凍物で解凍してフライパンで焼く。
半身の3枚セットで、母が1枚、私が2枚。
サバを焼く前に、ナス3本を輪切りにして、フライパンで蓋をして蒸し焼く。汁物のつゆの原液をかけておく。
エビシュウマイも冷凍物で、レンジでチンするだけ。
いつもの汁物はマイタケ、エノキ、豆腐、ほうれん草、卵1個。

私は小さなカップの納豆も食べてる。
このサバは以前はよくしてたけど、骨取りのアジが生協から出て、それを食べるようになって、このサバはあまりしなくなった。
私はこれも好きだが、母はあまり食べようとしない。
薄塩味が付いてるので、何もつける必要はないのに、色がないと母はしょう油などをかけたがる。
それで撮影の後、皮を取ってからトンカツソースをかけてやる。

それでも、なかなか食べようとしない。
「食べろ」とうるさく言って、ようやく食べるという感じ。
ナスもしかりで、汁物はいつも最後になる。この具が野菜なので、ほうれん草もたっぷり入れてあって、どうしても食べさせたいのだが、食べようとしない。
最後は私が箸で母の口へ次々と入れて行く。

Posted at 2012/09/25 05:02:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 認知症 | 暮らし/家族

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「[整備] #シビック 遠隔監視ドラレコ AKY-421の取り付け https://minkara.carview.co.jp/userid/253927/car/906723/8342461/note.aspx
何シテル?   08/23 21:14
1995年に新車で買ったシビックEK3(VTi)のHMMに乗り続けてます。 購入時よりも奇麗な状態を維持するべく、結構、お金かけて来ました。 単に多くの手間...
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