
我が家は
両親共に認知症なのだ。
私はそんな親を介護するようになって、もう15年位になるのか。
父は2009年の12月に84才で死亡してる。2年ほど入院した後に。
現在は、
寝たきり状態の母を自宅で、私が一人で介護してる。
介護に休みは無く、盆も正月も無い。
母の年齢は88才。意思疎通は無く、言葉も無くて、寝返りはおろか、手足を動かす事も無い。
要介護度は最高の5。
私はほとんど母のそばにいて、24時間介護してるわけだが、
最初の画像に映ってるWindowsのタブレットで、
愛車のカーポートや玄関も常に見えてる。

↑画面の左側はchrome版の「
強震モニタex」
他の部屋のPCでも同様に、常に全国の地震はモニターしてる。
母が利用してる介護サービスは、
週に一度の「訪問入浴」だけ。
アサヒサンクリーンと契約してる。
小さな浴槽を室内に持ち込み、車に積んだボイラーで沸かした湯を長いホースで引き込む。家からは水道水を提供するだけ。
看護師を含めた計3人で来る。以下は部屋の監視カメラが撮影してる映像。
この「訪問入浴」のスタッフらには、
「声掛け」はしない、不必要に喋らないよう、2年前から言ってある。
だから、スタッフ同士はジェスチャーで指示し合ってる。
介護の現場では、よく顔の近くで「○○さ~ん」と大きな声で「声掛け」をする。
あれはたとえマスクをしてても、感染リスクが高いと私は思う。
母は声をかけても通じないし。意思疎通は無いのだから。
2年ほど前までは、週に一度の「訪問リハビリ」も利用していたが、二人が交代で来て、その仕事の個人差が大きいと感じていた。
その差に納得行かないし、
人が来る事自体が私にとっては最大のストレスなのだ。
コロナの感染リスクも高くなるし。
その程度のストレッチなら、私でも出来ると思い、止めた。
私は誰とも面会はしない。友人とかいないから、誰にも会わないのだ。
そもそも、
人混みには絶対に近寄らない。昔から。
なぜ、
人は群れたがるのか、私には理解出来ない。
スーパーへの買い物も、2~3ヶ月に1回あるかないか。
よく、コロナに感染して自宅療養で食料が買えないなんていうけど、私にとっては「どういうこと?」
私は丸一ヶ月、どこにも出かけない事がよくある。
食料は週に一度の生協の宅配で十分足りる。
後は何でもamazonで買う。私は発注したら、翌日に届かないとイヤなので、他ではまず買わない。
それでも、年に数回は、ネットスーパーで購入する事もある。
地元の
スーパーサンシと契約してるし、
イオンネットスーパーでも買える。
人が来るのは、前述の週に一度の訪問入浴と、4~5週に一度の医者の往診だ。
月に一度は来るケアマネージャーも極力、往診と同じ日時にしてもらってる。
往診の日には、私が歩いて5分の医院へ薬を取りに行く。ついでに私も診察してもらってる。
母も私も3ヶ月に1回は血液検査をしてる。
その
月一くらいの医者の帰りに、コンビニに寄る事もある。
私のコロナの感染リスクはそういう外出時だ。
週に一度は愛車を動かしてるが、周囲を走るだけで、どこにも寄らずに帰る。
犬の散歩ならぬ、車の散歩が目的。
訪問入浴や往診など、人が来る時は、エアコンは付けてても、
最初の画像に映ってる
「ウィンドファン」の排気側を最大風量にして回してる。
このウィンドファンは2013年に買ってる。
高須産業のFMT-200Sだ。

真夏の熱帯夜はダメだけど、夏でも夜間の涼しい風を取り入れる事が出来る。
それが、今はコロナで年中稼働機会が増えた。
他に母の部屋では、
人が来る時は次亜塩素酸水を超音波加湿器で噴霧してるし、オゾン発生器も稼働させてる。
母がいるのは24時間エアコンを効かせてる8畳の和室で、私もその部屋でいる事が多く、そこへ人が来るとなると、事前の掃除のほか、いろいろ配置変えもしなければならない。そういうのが面倒だし、
人が帰ると、触れた所を全て脱脂用のイソプロピルアルコールで消毒する。
それも面倒だが、コロナ以前からの習慣なのだ。
現在の
母は植物状態では無いと思う。
食事は電動ベッド(レンタル)を起こして、私がスプーン等で口へ運ぶ。
口に入れば、上は14本、下は12本ある、しっかりした歯でよく噛んで食べてた。

↑この片足のテーブルを私も普段よく使ってる。
排泄は全てオムツの中。
かつて、大量の下痢便が毎日、何年も続いて、毎回、その処理に時間を取られた事もあった。
時にはオムツから漏れて、パジャマを汚したり。
腰回りには防水シーツを敷いてるのに、そこから漏れて、敷きパッドまで汚す事もあった。
けど、
今はほぼ毎日「摘便」だ。
使い捨てのゴム手袋を2重にして、指を肛門に突っ込んで、便を掻き出すのだ。
この下の世話のほうは、私のペースで出来るからいいんだけど、食べさせるのはそうはいかない。
食べさせるほうがずっと大変なのだ。
特に今年になって、
飲み物に「むせる」事が多くなった。
飲み物はコップで、トロミを付けて飲ませていたが、そのコップを拒否するように、口を開けなくなった。
無理やりコップを唇にねじ込むようにしてたら、唇が擦りむけて出血するようになった。
それで、「吸いのみ」を使うようになったが、これに慣れてないのか、余計にむせる。
基本、
口に入ったものを噛もうとする。
だから、吸口にも噛み付くのだが、そこから液体が出てくるから、喉に入ってむせるようだ。
そんな日が続いたせいか、食べ物を運び入れる
スプーンにも拒否反応を示すようになった。
以前はスプーンに乗せたものを唇に当てれば、パカっと口を開けてくれていたのだが。
今は丈夫な前歯を門のようにガッチリ閉じて、口に入れさせようとしない。
それでスプーンの先を、上下の歯の間に差し込んで、こじ開けるようにするのだが、口の中に入って来たスプーンをガチガチに噛むので、肝心のスプーンに乗せたものは口から外に押し出され、ポロリと落ちてしまう。
食べさせるのに、物凄く手間がかかるし、腹が立つ。
元々、食事の後の口の中の掃除、歯磨きを含めて、1回の食事に1時間半~2時間はかかっていたのが、さらにかかるようになった。
美味しそうに食べてくれたら、やりがいもあるのだが、ともかく食事中は頭に来る事ばかり。
今の母は、
ほとんど目が見えてないと思う。食事中もたいてい目は閉じたまま。
10年位前だったか、目医者で
白内障と診断されて、手術の為の紹介状まで書いてもらったけど、その時点で直前の記憶が無いという認知症の段階だったので、いくら説明しても無理で、手術中にパニックになるのではと思えた。
たとえそれが成功しても、術後に目を擦らないようにというのは不可能で、手術は諦めた。
現在、
左目はもう真っ白。右目も黒い部分が少なくなってる。
白内障に効くという
Can-Cという外国製の目薬を使い、
ルテインも飲ませてるのだけど。
我が家では、ずっと基本的に
一日2食なのだ。それも半日ごとの。
朝食が何時、夕食が何時では無い。その半日も、オムツ交換に手間取ったり、私がうたた寝してしまったりと、時間はどんどんズレる。
夕食が午前4時とか5時とかは普通にあり、そのうち、朝食の時間になり、それがまた昼になり、夕方になりと、常に後ろへとズレて行く。
私自身も定時に一定時間、寝るという事はしない。
合間に1~2時間のうたた寝をするだけ。
かつては、私も食事を作って、母に食べさせるものを私も食べていた。
以下は2015年8月の食事。母もまだ食卓で食べていたのだ。

↑2012年から食事は全て撮影して来た。
この数年は、ほぼ母の為にだけ食事を用意する。
私の主食はサプリだ。
↑これでもだいぶ減らした。経済的理由で。
私は30年前から大量のサプリを飲み続けてる。
かつては母にもなかりのサプリを飲ませていたが、
今では母にはマルチビタミン、マルチミネラル、大豆イソフラボン、ブロッコリースプラウト、ウコン、ルテイン程度だ。
それと母だけ
アサヒの「21種類の野菜入り青汁」を飲ませてる。
私は空腹感が無い人間なのだ。「腹がへった」という感覚が無い。
丸一日食べなくても平気。なんか疲れて来た、力が入らなくなって来たとなって「燃料切れ」だと気付く。そのかわり、ちょっと食べたら、次々と食べてしまう。
両親はまだマトモな頃、夕食時にビールをコップ一杯飲んでいたが、
私は酒類は一滴たりとも口にしない。昔から。
ビールは会社勤めの頃、行事の祝杯などで、形だけコップを口にした事もあるが、あれはマズイ。
テレビのCMでよくビールを美味しそうに飲んでるけど、理解出来ない。
当然、
酒に酔うという事自体も全く理解出来ない。
そんな私だって、寿司やステーキは食べたいと思う。
けど、食べるものにこだわりが無く、食事にお金も手間も時間もかけたくないという考え。
私が普段、食べてるのは、チーズ、ナッツ、魚ソーセージ。それにあれば菓子。
カップラーメンも時々食べる。私にとってはそれがご馳走だ!
週に一度、生協の宅配で、パンを持ってくるので、それを2~3日は食べる。
米はほとんど食べない。それも昔から。
生協が漬物を持ってくる(注文する)ので、それを食べるために、週に一度くらいパックのご飯をレンジでチンして食べる。
私は子供の頃から、ご飯は漬物がないと食べられない。
ご飯だけでは、あの味の無いのは「オェっ」となってしまうのだ。
たまには、生協で注文したチャーハンは食べる。味の付いたご飯は食べられる。
前述のパンも食パンは同じ理由で食べない。食べるのは菓子パンのみ。
焼いたり煮たりする肉はもう2年位食べてない。
以前、勤めていた盆栽園(私は通いの職人だった)の奥さんの依頼で、向こうのPCを遠隔操作して、顧客への多数の年賀状を作成していて、そのお礼としていい牛肉を2kgほど送ってくれてた。
つまり、牛肉を食べるのは年に1回(実際は数回に分けて食べてた)だったけど、主人にバレて(奥さんが話して)、もう年賀状は出さないことになったので、私も牛肉を食べる機会が無くなった。
その肉の代わりに毎日かかさず摂取してるのが「アミノサプリ」だ。
世間はコロナで「我慢の生活」とか言うけど、私には何が我慢かわからない。
外食なんて、もう15年以上してないし、旅行だって同じ。盆栽園で年に一度、お客さんを連れて、バスをチャーターして日帰りで盆栽園めぐりをする時の「添乗員」として仕事で行ってたのが最後か。自分が行くのは毎年でも無かった。
旅行を楽しみにしたのは、中学生までの子供の頃だった。
会社勤めの頃、2度ほど慰安旅行に仕方なく付いて行ったけど。
私はもう15年以上、布団の中で寝てない。
いつも椅子に座ったまま、うたた寝するか、たまにPCに向かっていて、眠くなり、すぐ後ろにある年中カバーをかけたままのベッドの上で、ちょっと横になって、うたた寝するくらい。
私はもう15年以上、風呂に入っていない。
正確には湯船に浸かってはいない。冬でもシャワーだから。
こんな状態の毎日で、介護に追われて、
よくストレスが溜まらない?と思われるかもしれないが、
私は10年程の盆栽園勤務の頃は、
休みは40日に一度位だった。
11年間の会社勤めの頃は、毎日のように深夜2時、3時頃まで会社に一人で居残り、端末の画面と睨めっこしていた。
休日には自分で作成したソフトの取説を自宅で作成していた。
こんな人生だったので、何か楽しむとか、遊びに行くとかの習慣が無い。
車イジリだって、それが趣味というより、あれば便利と思って、それを実現する過程はハッキリ言って苦痛でしかない。それだけに完成した時は嬉しいのだけど。
車内で作業する時も、いつも
スマホかタブレットで母の様子が見れるようにしてる。
もっとも、カーポートと母の部屋とは2mも離れてなくて、母はその部屋は端で寝てるので、
車内の私と母の直線距離も3m位で、窓は少し開けてるから、異様なうめき声とかあれば直接聞こえる。
ただ、生涯独身の私にとって、
27年目になる愛車はまさに女房そのものなので、
もしこの相棒が無くなれば、私の精神的ダメージは計り知れないと思う。
精神的なより所なのかもしれず、介護生活にも耐えられてるのかも。
しかし、
本当のストレスは、お金が無いことだろう。
私のブログで、「認知症」のカテゴリーで書いたのは、随分と昔で、後で画像などを入れてアップしようと
下書きのままのが大量にある。が、それも2014年が最後だ。
思い返せば、
ボケ出した頃が一番大変だった。ブログどころでは無かったのだ。
「認知症」というは、行き着く所まで行けば、ある程度は落ち着くのかも知れない。
それが今の母かも。ただ、このままの状態では済まず、さらに進行するし、年齢も増すので肉体的にも衰えて来る。
今は、次の段階へと進行しつつあるように思う。