
歴史ハンターシリーズ〈宮城エリア20180617〉
【場所】宮城県白石市福岡蔵本陣場45
【目的】長州藩士、世良修蔵の墓を訪ねる事
【歴史】
世良修蔵は幕末の長州藩士です。
官軍の下参謀として会津藩討伐を強硬に主張したことから仙台藩士らの怒りを買い、福島城下に宿泊中のところを襲撃され阿武隈川の河原で斬首されました。享年34歳。
【メモ】
今日は宮城県白石市の福島稲荷神社にある、
奥羽鎮撫総督府下参謀「世良修蔵」の墓を訪ねてみました。
白石市指定史跡「世良修蔵の墓」の案内板。
史跡は直ぐに発見しましたが、駐車場らしき物が見当たらないので〈みんカラ号〉は右の看板の前に止めました。
「奥羽鎮撫故参謀世良修蔵墓道」と書いてある階段脇に立つ石碑。
「世良修蔵」を御存じ無かった人は、こちらを御覧下さい。
石段を登りきった場所にあった「世良修蔵」の墓は、思っていたよりかなり立派なお墓でした。
これが「世良修蔵」の墓です。
実際に墓前に佇むと非常に感慨深いものがありました。
墓の右手に立つ石燈籠が「木戸孝允献燈」です。
世良修蔵と木戸孝允(桂小五郎)は、同じ長州人として旧交があったそうです。
墓がある高台からは白石市が一望できます。
彼はこの風景を眺めながら、何を思って眠っているのでしょうか………
※写真の下を流れるのは白石川
※編集後記
明治維新や戊辰戦争関係の本を何冊か読むと、「世良修蔵」の名前を目にする事になります。
宮城県に墓が有るのは知っていましたが、今日はやっと訪ねる事が出来ました。
一人で墓前に佇んでいたら、場違いな若い女性の二人連れが階段を登って来て墓の写真を撮り始めました。
これが話題の「歴女」かな~と思いながら、入れ違いで帰って来ましたよ。
三戸
Posted at 2018/06/17 16:33:49 | |
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