
どこに行こうかな?って、JR東日本の路線図を眺めていると、宮城県と岩手県の海岸線の路線に、気仙沼線BRTと大船渡線BRTのBRTの文字が気になります。そういえば、昔、車で
東北をぐるっと緑化しているとき、鉄道路線なのにバスが走っていた記憶が・・・・🧐やはりあの正体、BRTを確認したくお出掛けすることにしました🤣ルートはこちら。移動距離が少ないのに、待ち時間も多く、意外と時間が掛かります。小牛田駅より以南は、いつものJR東日本の週末パスを利用です🤗
昨日神保町でたらふく飲んでいたためか、列車の中でウトウトしていたら、みんともさんが近くにいることに気付く。どうやら渋滞中のようで、惜しくもハイタッチならず😢
その後順調に東北新幹線に乗り、車窓から3つのテレビ塔を確認し仙台駅に到着。仙台は、東北絆まつりを開催中の模様。駅でとうもろこし味の笹かまを買い、朝食としましょう🤗
仙台駅のホームで待っていると、目の前に仙石線のマンガッタンライナーが停車してます。仙石線が行く石巻と言えば、漫画家石ノ森章太郎先生に関係した漫画館がありますね。サイボーグ009、仮面ライダー、人造人間キカイダーは全部石ノ森先生の作品なんですね〜〜
小牛田までは、鳴子温泉を通る快速湯けむり号に乗車😊残念ながらラッピング車両ではありませんが、そのため自由席となっており、指定席料金はかかりません🥳そして、列車の出発ベルはなんと、ハウンドドッグの「ff(フォルティシモ)」テンション上がります。向かいの席には、窓枠にぬいぐるみを並べて車窓を撮影している人がいます😳なかなか面白い楽しみ方だわさ😄
一ノ関に到着です。お〜っと、ロボコンのマンガッタンライナーですか〜🥳
次の気仙沼行きの電車は1時間半後です。なので駅前のソースカツ丼屋で昼飯で〜す🤗80年間「元祖」の味を守ってきたそうです。
お腹いっぱいとなり、駅のコンビニの前を通り過ぎようとすると、大谷さんのTシャツが売ってます。しかも、大谷さんの後ろには何故か「義経」と「弁慶」もおられ、Newdays特製のコラボ作品🤩これは素敵だな〜っと思っていたら、相方が誕プレしたるよってことで、買ってもらいました😆
ホームに居るピカチュウに挨拶して出発〜!!
のどかな風景を楽しんでいたら、あっという間に気仙沼駅に到着😊大船渡線の気仙沼駅の脇が気仙沼線BRT(Bus Rapid Transmit)。乗り換え1分です。このバスが、元々線路であった所の道路を走るんですね。お〜っと遠くに見えるは、大船渡線のポケモン列車ですね。一回は乗りたいなぁ😄ちなみに車内はこんな感じらしいです(
JR東のHPより)。
ここでBRTの特徴を整理します。
まず、乗り物はどこから見てもバスです🤣地域のキャラクターが描かれている、ハイブリッドカー😀
走行する場所は、基本バス専用道路です。明らかに元々は線路であった所を道路にしております。一般の道路との交差場所は信号でなく踏切で、列車に乗っているような雰囲気も感じられます。駅は、正確に言うと停留所は、土日は1時間に1〜2本しか走っておりませんが立派な待合所となっております。とてもバス停には見えません🥳
バス専用道路を走るだけかと思いきや、街中に入ると路線バスのように、一般道を走行し、住宅地や病院など利用客が多そうな所に停車します。面白いのは、道の駅にBRTの停留所があります
ボ〜ッと素敵な海岸線を眺め、単線だったためくり抜いたように見えるトンネルをも堪能させて頂きました。ただBRTには注意点があります。兎も角、鉄道に比べて倍近く遅いのが難点。気仙沼駅から宿の最寄り駅まで1時間半もかかります。しかもバスの中は路線バスと同じでトイレがありません。トイレに行きたかったら運転手さんに声を掛けて、停留所にしばらく停車してもらう必要があります。バスに同乗されていた方が、実際停留所にバスを停めてもらいトイレに行っておりました。あと、バスの専用道路は意外と乗り心地が悪いのです。道幅が狭いためか道路の凸凹が多く、また一般の自動車との交差点は明らかな段差があります。一般道を走行している時の方が乗り心地が良いのです😅とても、専用のBRTバス道路をアピールできないっす
陸前戸倉駅にお迎えに来てもらい、到着しました南三陸ホテル観洋☺️
天皇行幸の石碑があります。これは東北大震災の復興状況を聴講した時のものでしょうか。
お部屋は目の前に海が広がっている素敵なお部屋です
早速大浴場に向かいます。どうやら、早朝に温泉から日の出が見えるかも?🤓
いや〜兎も角、海を見ながらの温泉は最高〜っす
当然このお風呂の写真は
ホテルのHPより。
そうそう、温泉入っていると、目の前にウミネコが来て、こちらをこんな感じで眺めておりました🤗
お風呂から出ると、生ビールの販売を行なってます。売り子さんの後ろの缶ビールより安いではないですか。しかもマジウマ🤩注意点は17時30分までの販売です。遅れて来られた方は販売終了を告げられ、床に崩れ落ちておりました😢😢😢
夕食は鮑の踊り焼きと、殻付きウニ付きです。お刺身も新鮮で美味しいし、釜飯も炊き上がりまで30分待つ海鮮っす😊
夕食後に、屋上に上がりお空を見上げると・・・
薄雲が掛かっていますが、お星様がわずかに見えます
(iPhone15のナイトモードは、肉眼より星が多く見えます😅、でもミラーレス一眼レフカメラは欲しいなぁ)
翌日、朝食を食べた後、ホテル主催の「語り部バス」ツアーに参加。約1時間500円で、南三陸の被災場所を巡り、また当時のお話を聞くことができます。非常に興味深い話なので、お勧めいたします。
今回案内してくれたホテルの渉外部長の方は、地元育ちで子供の頃に、この地でチリ地震の津波を体験。町に津波警報が流れたので、津波がどんなものかを見たく、川沿いに自転車で出掛けたそうな。なんの変化もなくつまらないとなぁと思った矢先、みるみるうちに川の水嵩が増し、必死で逃げた所、振り返ったら一面が増水で覆われて、九死に一生を実感を得たとのこと。実は南三陸町は明治以降、3回の津波被害に見舞われているそうな。1896年の明治三陸地震で死者1240名、1960年のチリ地震で死者41名、そして東北大震災で死者620名、行方不明者がいまだに211名。
あそこの海抜15mのところに戸倉小学校がありました。建物の屋上まで浸水したそうです。当時の小学校の避難マニュアルは、一次避難は校庭、そして二次的避難は学校の屋上か高台。高台は、避難するのに10分は掛かる。当時、新任された校長は他県の人間で時間優先で逃げられる屋上を、地元出身の女性の先生は津波の大きさを説き高台を避難場所に推し、何度も議論されていたそうな。震災時はあまりにも揺れが大きく、一次避難の校庭は無しとし、しかも高台に避難することで、避難した児童91人は助かったらしい。過去の震災の知見が想像以上に活かされてます
続いて、現在は震災伝承施設に登録されている高野会館。この建物にいるほとんどの人は屋上に避難しましましたが、津波の高さは屋上ギリギリにまで迫り、一瞬諦めかけたそうな。当時、向かい側に病院があり、その病院からベットのまま流されていく入院患者がいたらしい。その流れて行くベッドを高野会館の屋上から、何もできず見送ったこともあったようです。
続いて防災対策庁舎。こちらは鉄筋しか残っておりません。この建物の2m上まで津波は到達したらしい。どうやら前述の高野会館は、建物の基礎は通常の倍としており、震災前は津波避難ビルに指定したほどの強固なビルだったようです。この防災対策庁舎は、ギリギリまで防災無線で町民に避難を促した遠藤未希さんが居た所です。
結婚を間近に控えた24歳の女性でしたね。地震後に町長らを含め54人が本庁舎に集まっておりました。その40分後、津波が押し寄せたとき、鉄塔によじ登って助かったのはわずか10名。1名は流されましたが、近くに流れていた畳を見つけ捕まり、高野会館近くの病院まで流されたとき、幸運なことに病院の3階に飛び移ることができ助かったとのこと。つまり、遠藤さんを含め43人がこの防災対策庁舎で亡くられました。
ちなみにこの防災対策庁舎は見ると悲しくなる人も多いらしく、取り壊しをするしないの論争がいまだに続いているようです
語り部バスツアーがあるのは知っていましたが、改めて地元の人から生の声を聞くと、色々と考える事ができ、非常に興味深い体験でした
語り部ツアーを終え、ホテルから駅まで送迎してもらい、BRTの終点の柳津駅に向かいます。
列車の線路が途切た先が、線路を撤去し舗装された道路のBRT線。東北大震災で線路が被災し、復興の選択肢を選んだ気仙沼線BRT。輸送量、移動時間、乗り心地は列車に軍配が上がります。でも選ばれたBRT。色々と考えさせられます
仙台から新幹線に乗ると、震災の時代から現代に戻った感じ。三陸の美味しい駅弁を食べて、東北復興に貢献することにします
