2022年03月19日
16日の地震は、大きなものが2回連続できましたから、耐震構造のマンションはゆれがとまるまで少し時間がかかるのか、まるで地震がずっと長く続いているように感じました。
ゆれている中ペットがいる部屋にむかって廊下を走るので、乗り物よいみたいにもなりました。
東日本大震災のときは、廊下を走ることはできず、壁に手をつきながらやっと廊下を歩けるくらいでしたから、16日にあれほど大きく感じる地震ですらまだ小さかったんだと思えてしまう、東日本大震災の地震がどれだけ大きかったのかを思い知らされます。
不思議なのですが、、東日本大震災のときも今回も、あんなにゆれても、部屋中、写真立てひとつ落ちないんです。私の部屋の棚にはたくさんの小物が置いてあるのに少しもズレたりもしないのが、本当にいつも不思議でたまりません。
東北のおば様とお嬢さん、知人や友人と連絡をとり、みんなが無事でほっとしましたが、余震は続いていると言っていたので、東北の人達が悲しいことを思い出してしまうのではと心配しました。
震災は、明るいときに起きるほうがまだマシだと、東日本大震災までは思っていましたが、
家族が離れ離れになっていない、夜遅いほうがマシなんだとこの頃は思います。
東日本大震災では、たくさんの子どもたちの下校時間に重なり、東京ですら、電車がとまり大渋滞がおきて帰宅できなくなった保護者がたくさんいましまから。
近所でも、下校中の一年生の子どもたちや、家から出てきた子どもが歩道で一人で泣いていて、たくさん保護しました。
自宅には手紙を置かせ、小学校にも連絡をして、全ての保護者が迎えにくるまで、このときばかりは車を朝まで路駐して車の窓にたくさん張り紙をして、子供をあずかっていることを伝えました。
お迎えが、一番遅くて翌日の朝になってしまった子もいて、保護して良かったと思いましたし、後に私の車の張り紙をみて、同じことをしようと思ってくれた人が、子どもを保護していたと知って、
誘拐にもなりえてしまう、知らない子供を自宅に連れていってしまう行動ですが、やっぱりして良かったと思えました。
こういう行動を悪用する人が現れないことを願うばかりです。
昨日からお彼岸で、東日本大震災のときにももっぴの部屋に走ったこと、それから田舎暮らしが始まり、そこでたくさんももっぴと一緒にすごした時間を思い出し、ちょっぴり寂しくなりました。
東日本大震災は津波、原発事故と次々に想像を超える事態が起きてしまい、海外の報道は日本とは全く違う内容で、かなりのものでした。何度も日本をでるように言われましたし、その時住んでいたマンションからは住人が半分以上消えました。海外の人と会うのは、全て福岡でという条件にもなり、海外の報道が落ち着くまで、私も福岡に週5で通勤できる場所に引っ越すことになりました。
でも、私はこの引っ越しのおかげで、東北にたくさんのものが送れようになり、
後に放射能物質の水道水問題にゆれる東京の人達にもたくさんのお水を送れたんです。
また、ボランティアのネットワークもできて、みんなでたくさん東北に行くことができました。
大量の水が手に入るイオンやショッピングモールのようなところに行くと、東日本大震災の募金箱にたくさんのお札が何日も何日もバラバラに入っているんです。
これには本当に涙かでました。
欲しいものがたくさん売られているような場所で、遠い東北の人をおもう気持ち。
私はたくさんこういうものを西日本で毎日のようにみたんです。
人の優しさや思いやりは、いつも政治をこえますが、後に平成30年7月豪雨のときに、東北の人達が西日本を心配する姿、行動もたくさんみることができて、どうしてそれでもあちこちで争いは起きるのだろう、、と悲しくもなりました。
そして経済を回すことの大切さもいつも学びます。
私たちが欲しがるものやサービスが手元に届くまでにたくさんの雇用を生んでいることを。
実は、コロナウイルスで最初に苦しめられた飲食店に対して、私は個人的な思い入れがありました。
飲食店は、酷い親の元で生まれ育ち人権すら守られずに生きてきたような人達、またあらゆる災害被害にあった人達の雇用を直ぐに受け入れてくれる場所なんです。
他にも受け入れてくれる場所はもちろんあるのですが、私達がどうしても飲食店にお願いしてしまう理由は、あたたかい従食です。
まともな食事すら与えてもらえないで生きてきた人達にとって、それがどれだけ大切か。
料理もおぼえることができますし、接客をすることでお店の人達だけじゃなく、たくさんのまともな大人を知ることもできます。
そしてお客さんになって、見守ることができるんす。
だから、できるなら地方にも、飲食店は人手不足なくらいにたくさんあったらいいなと思っているのですが、今、飲食店は人手不足が深刻です。
これまで飲食店でアルバイト・パートとして働いてきた人たちを、コロナ禍で解雇したりシフトを減らしたりしたことも飲食店離れを加速させました。
そうさせたのも、ずさんで不公平すぎる補償のせいだと思っていますけどね。
16日から17日は、たくさんの東北の人達と連絡をとったことで、苦しい思い出にもたくさん涙しましたが、最後は愛情たっぷりの優しい出来事もたくさん思い出して、幸せな気持ちになれたズグロンでした。
必ず最後に愛は勝つってやつですね(๑¯◡¯๑)
Posted at 2022/03/19 07:30:12 | |
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