2022年08月27日
25日、安倍さんの四十九日に開かれた警察の記者会見をみて、
本当に日本人らしい、弔い、そしてけじめのつけ方だなと思いました。
中村長官にとって、生き恥をさらすような世論のなか、7月の記者会見で言われていた検証と見直しを、四十九日までに本当にやり遂げたんだなと思いましたし、
奈良県警の鬼塚本部長の記者会見は、四十九日に誠実な感情をみせてくれて、何度も繰り返して観ながら、一人の警察官の人生、政治家の人生、そして母親の人生を想いました。
絶対に守りたかったものや、守らなくちゃいけなかったものを、守れなかったときに背負う責任の重さ、それをまともに受け止めたときの痛みは、自分も知っているだけに、みていてとても辛く悲しく、この方の警察官人生というものを想像して一緒に泣きました。
実際にそうであるかは別として、警察官、政治家、親のあるべき姿とは同じように思えます。
それが国民(子供)のためならば、そう信じるならは、
どんなに嫌われても、どんなに批判されても、それをやり遂げなくてはいけないと言うことです。
命がけで一生懸命守り、尽くし、全てを捧げても、最後は憎まれて終わるだけであったとしてもです。
子供を育てているとき、
何度も何度も、毎日子供の喜ぶ顔だけをみて、ただずっとなかよく過ごしていたい、
こんなふうに子供からずっと愛されていたい、と思いました。
でも、それを失うことになったとしても、必ずそれより大切なことをしなくてはいけないときが来るんです。
親と過ごす時間よりずっとずっと長い、子供の未来の幸せのために。
幸せなんて、人それぞれで、だから結果、すべての努力は報われないかもしれません。それでもやはり、未来を守る術を考え続け、実行することが親の務めだと思うから。
そんな親の勝手な孤独と、
安倍さんがなくなり、
政治家人生のなかでやってきたことの100のうち、スキャンダルのような10だけを報道され批判され続ける現実、
そしてまた、鬼塚本部長のように、やってきたことの99は知られることもなく、1の失敗だけが報道されずっと記録に残されることになる現実、
を、とても無礼なことですが、重ねてしまいました。
スキャンダルだろうが、失敗だろうが、それはそれで報道されればいい。
だけど、それ以上にしてきたことを知られることもなく、まるでなかったことにされてしまうのは、残念無念です。
一人の警察官の、
真摯な姿勢、四十九日までの弔いかたを、ずっと忘れないでいたいと思いました。
責任はとても重いです。
それでも、
正しい反省、正しい後悔のあと、絶対に正しい改善を誰よりも願うであろう人の責任のとり方が、最後は辞職しかないなんて悲しいことですね。
せめて、この無念と、この人が背負ってきたもの、そして覚醒された意志を引き継げる人がトップになることを願います。
25日、またまた脳も心も使いすぎて、
26日は一日中寝てしまったズグロンでした。
Posted at 2022/08/27 08:31:13 | |
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