2022年09月13日
14歳の頃、私が書いたものが月刊雑誌に載ったことがあります。
その後それとは違うものも、その雑誌に何度か載せられていくのですが、
その3番目に載せられたものが、日本にいたフランス人から、何故か別の国の人にわたります。
そこで私は、その国からある仕事を頼まれます。
それは、共感性を利用して解決策を導き出すことでした。
正直、その頃はなにをやらされているのかもわかりませんでした。
ただひたすら、そのことに関わる歴史や民族性をつめこまれ、素直にその人達に寄り添い、その人達を幸せにする言葉、行動を考えるという不思議な仕事でした。
おかげで、ずっと変わり者と言われ続けた自分が初めて人の役に立つことを知ることができましたが、それと同時に、ずっと憧れていた平凡で穏やかな人生というものを失いました。
その仕事は20歳まで続きましたが、本当の意味で全てから解放されたのは10年前でしょうか。
とにかくひたすら寄り添うので、何度も疑似体験させられてるのと同じで、それは本当に辛く悲しいものでした。
だから、そのきっかけになったものを見るのが嫌で、←そもそも勝手に学校の先生がやったことで、家族以外知らないし読ませたことがない。
ずっと手元に置いていなかったのですが、つい最近、どうしても読みたくなり、何とか手に入れたんです。
30年も前のものなのに、100軒以上、いろんな古本屋さんを探したら、それぞれ別々の場所に一冊ずつあって、やっと全て揃ったんです。
そこで初めて、読者のおたよりコーナみたいなもので、私宛の手紙が掲載されているのを知ったんです。
新潟県の女性の600字くらいの手紙でした。多分大人の女性です。
その中に、
それを気づかせてくれた雑誌と私に「ありがとう」と書かれていました。
特殊な仕事をしたせいで、自由がなくなり、世の中の悲しみだけみえるようになって、それでもどこかの国の誰かを助けているんだと信じてがんばって来ましたが、確証もなく、本当は違うことに利用されてきたのかもしれないと、いつも不安で、
本当はずっと、後悔していました。
だから、これを見つけたとき、号泣してしまいました。
だってこの手紙は、純粋なもので、正真正銘のたった一つの、私のペンが誰かの役にたっていた証拠だから。
こんな大切な手紙を大人が誰も教えてくれなかったこと、話題にもならなかったことが悔やまれます。
この頃、国葬の来賓について、とても許されない侮辱的な記事を目にするようになりました。
大統領や首相でない来賓を二番手だとか終わった人だとか書いた記事まで。
悔しいくらいにありえません。
政治家は、トップでなくなってもずっと政治家です。
縛りがなくなって、むしろ今のほうがもっとより国民のために働いている方だってたくさんいます。
政治や国葬批判のために、誰かを侮辱するようなことを書くなんて本当に許せません。
ペンは剣よりも強し
ペンの力は大衆を簡単に動かしてしまいますし、それによって政治が動かされ、武器まで動かしてきました。
その力を持っているなら、どうかそれを間違ったほうに使わないでほしい。
もしそんなものに流されて、日本国が何かを少しでも変えるなら、それは許されないことです。
岸田首相には、出席予定の来賓者をあの場で言わないでいただきたかった。
どの国の誰が来ても日本国にとっては、心から深謝する要人であるという姿勢を貫いてほしかった。
安倍さんが世界に放ったものは、その影響を深く理解して慎重に守っていかなければ、難しい立場になる国もあります。
インドだってそうです。
国内の不満に目をむけることも大切ですが、これだけ日本にとって関わりがある国に動きがあるのですから、日本人の平和のために、一番やらなくてはいけない優先順位を間違えないでほしいと思うのです。
ペンは最強ですが、そんなペンをも動かすのは、本物の愛と志しです。
複雑な事情を抱えた日本のジャーナリズム。
でもきっとジャーナリストだって、本当はみんな正しいことがしたくて、
ずっとずっと待ってるんですよね。
Posted at 2022/09/13 12:24:04 | |
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