2022年09月30日
国葬を決めたときから、
とても苦しめられた人もあったと思います。それが安倍さんの家族だったり、一番傷つけてはいけないひとだったのかもしれません。
だけど、本当にごめんなさい。
国葬になるかも知れない、と知ったときから、
私は、ずっとずっと、どうかやって欲しいと願っていました。
理由はたくさんあるのですが、
とにかくなんとしても、長い間、ほとんど報道して貰えなかった、素晴らしい功績を国民に知ってもらいたかった。
どんなに誰かがそれをなかったことにしようとしても、絶対にそれはできないことを証明したかった。
海外の声をたくさん知っていた私は、それがみんなの愛国心をとりもどす始まりにできないかと、期待する気持ちをどうしても止められませんでした。
そして同時に、70年談話を何度も読みました。
その中にある、この言葉はずっと私の願いでもありました。
「あの戦争には何ら関わりない、私達の子や孫、そしてその先の先代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背をわせてはなりません。」
そしてこれは、韓国や中国の人たちにも、どうかそう思ってほしいと願ってしまっていることなんです。
韓国の人、中国の人が与えられた痛みや悲しみは、想像を絶するものであり、もし自分だったら、憎しみだけで死んでしまえるくらいの苦しみです。
中国、韓国で、たくさんの人々に触れ、その痛みを何度もおもいました。
そして憎まれることもつらいですが、憎むほうはもっと辛いだろうと思ったのです。
日本の総理大臣は、
この痛みを十分に理解したうえで、
日本人の未来のために、この言葉を言い続け、そのように行動していかなければなりません。
それは被害者に対して、ノーと言わなくてはいけない、とても苦しいものです。
だから、自分がどんなに日本人のために素晴らしいことをしても、報われない場所に落とされてしまうことになったとき、それでいいんだ、それが当たり前なのだ、、と思えるくらい、
その憎しみが、とても耐えられない悲しみや苦しみから来ているものだということを誰よりも理解し、受け止めることが出来なくてはいけないんです。
私は、韓国、中国の被害者に対する日本人の侮辱的な発言をみたり聞いたりするたびに、この日本で、生きていく自信がなくなるくらい悲しくなります。
だってそれは、今まで、日本の総理大臣が、国民へむけられる憎しみの盾になりながら、国民の未来のために和解してもらえるよう尽力してくれたことが無駄になってしまうものでもあり、
人として、日本人として、あまりにも悲しことだからです。
そして、今回、この悲しいほどに当然である反日感情に対する日本人の嫌悪が、安倍さんを侮辱し続けました。
統一教会と関わりがあった安倍さんは反日だったと決めつけられ、安倍さんと韓国までもが侮辱され続けました。
安倍さんがやってきたことを、きちんと理解し、
マスメディアの日頃の傾向、どこが統一教会と安倍さんを一番たたいていたかを考えたなら、これが全く違うことであることは直ぐにわかるというのに。
私は、中国残留孤児を育ててくれた中国人の愛についてよく考えます。
これ以上の愛ってあるでしょうか。
この歴史を初めて知ったときの衝撃、
ありがとう、本当にありがとう、と震えが止まらなかったことは、いまでも忘れません。
また中国は東日本大震災のとき、国として最高レベルで日本を助けてくれました。有志の若者たちは募金の呼びかけをずっとたくさんしてくれていました。そしてそのことを手柄とせず、2008年四川大地震の恩返しだと言ってくれたんです。
日本には、中国寄り、韓国寄り、と、この2つの国に寄り添う政治家がいますが、
私は、それが、日本と中国、そして韓国のために本当になると言うのなら、それでいいと思っているんです。
だけど、寄り添うならば、どうか利害関係の一致などではなく、本当に心から寄り添っていただきたい。
本当にそのようにして下さるというなら、私は日本人として、その政治家を尊敬し誇りに思います。
ですが私は、まだそのような政治家を見つけられていないんです。
「他国に寄り添う」という意味が私とは違うからなのかもしれませんが、
私がこの2つの国によりそうならば、その国にある宝を一つ残らず探しだし、守ることに尽力します。例え望まれたとしても、あんなふうに国民を汚すような行動は絶対にとりません。そして当たり前ですが自分の利益を求めません。
それが少しでも許されるような歴史ではとてもありませんから。
戦後の日本人が他国を汚すことは絶対に許されません。
岸田首相の弔辞、
とてもありがたく思いました。個人的なエピソード、感情的なエピソードがもっともっとたくさんあっただろうに、いままで取り上げてもらえなかった安倍さんの功績を語ることを優先してくれて。
どうしてこれをあのとき言ってくれなかったの?と、思ってきたことは、あー、そうか、ここまでずっと我慢してくれていたんだなと思いました。
本当にありがとうございました。
菅 さんの弔辞は、お二人の絆、志し、今までの二人のすべてが報われたように思えて、まさに、世界で見た一握りの優しい奇跡、人の感情をうごかせるのは人の感情だけ、を見ているようでした。
麻生さんの弔辞ももう一度読みましたが、あのときもそうでしたが、やっぱり泣けますね。
この弔辞のあとから国葬までの報道は、とても辛く悲しかったのではないでしょうか。
お三方は、総理大臣の宿命を嫌というほど理解していたと思いますが、それでも自分が尊敬している人、大切な人、大好きな人を、亡くなった直後に侮辱され続けることはとても耐えられない苦しみです。
関係ない私だって、この心理戦のやり方を、汚い!あまりにも汚すぎる!
そして耐えられないくらいに酷い!と、ずっと腹を立てていたのですから。
だけど、70年談話を何度も読んだとき、安倍さんはきっと、私はそれでいいんだよ、と、優しく笑ってくれているように思えたんです。
たくさんの若者が私に夢や志しを語ってくれた中国と韓国。
中国が戦争を起こしたら、一番苦しむことになってしまう韓国。
大好きな大好きな台湾。
だから中国には絶対に戦争を起こして欲しくない。
日本人に対してあんなにも誇りをあたえてくれたロシアが、戦争をおこしてしまったという現実
https://www.ru.emb-japan.go.jp/japan/JEarthquake/JHelp_from_Russia.html
理想と現実のなかで、やはり安倍さんがやってきた外交のほとんとがここに行き着くのです。
安倍さんは、富士山が好きだったんですね。
富士に走りに行くことができたら、10年ぶりの再開になる最初の一周は、今までで一番ゆっくりと走り感謝を伝えたい。
そう思わせてくれた、国葬でした。
Posted at 2022/09/30 04:00:37 | |
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