2022年12月21日
今から13年前くらい?
私は初めてドクターTに会うわけですが、私にはその頃外国人の主治医がいました。
日本にいても定期的に来てくれて健康診断のようなものをされていたので、卵巣嚢腫(←卵巣にできる良性の腫瘍でニキビみたいなもので、女性にはかなり多い病気です。つい最近も「石子と羽男」というドラマで有村架純ちゃんがなったことになっていました。)
もずっと、日本の病院とは別に経過をみてくれていました。
そんななか最悪のタイミングで、私の卵巣嚢腫が手術した方がいいくらいの大きさになります。
そのタイミングとは、一つの国で大切な決め事が行われているときでした。
私はそこに全く関係ないと言うのに巻き込まれていくんです。
狙いは私がもっていると勘違いされてしまった、お金でも権力でも手に入れられないものでした。
手術予定はそれを手に入れる最高のチャンスのように利用され?プレゼンや営業のように、手術計画書を提示され2つの病院の医師や関係者がわざわざ日本にきてまで、ものすごい勢いでこちらでこちらでと言われてしまうんです。
要するに入院している間に、それを私が差し出すように説得するためです。
悲しいなんてもんじゃありませんでした。病気すらゆっくりなれないなんて。
万が一、なにかあったら日本で死にたかった私は、どうしても日本で手術がしたいのに、と。
また、その勘違いが怖くてたまりませんでした。
私はそもそもそんなもの持っていないし、例え持っていたのだとしても、それがお金や権力では手に入れられないものだと言うなら、私がそれを自分のために差し出したときから、それはもうそれではなくなる。
子どものことが忙しいふりをして、手術はしばらくしないと嘘をつき、内緒で日本の病院をまわりましたが、やはりその手術計画書のような、最高の手術ができる病院はありませんでした。
それでもいい、日本でやりたい!でも開腹だと腹腔鏡手術に比べて長い入院になるし、回復も遅れるからバレてしまうかな?と悩んでいたときに最後に出会ったのがドクターTだったんです。
凄いと思いませんか?
その海外の2つの病院の手術と変わらない計画書を、さらっと私に渡したんですよ。これなら3日程度の入院で直ぐに仕事ができ、きっと傷口もごまかせる。
日本でやる大義名分を与えられたみたいだ!と思うと同時に、日本人としてとても誇らしく、心から感動していました。
それでも終わるまでは、どちらにもバレるわけにはいかない!と、ドクターTを騙すような、今だから言える本当は訳あり患者だったんです。
だけど、私はこのときだけ、人生でたった一回だけ、このことでなにかあったら絶対にこの方を守るために、初めて3枚のお札を使おうと決めてたんです。
3枚のお札とは、昔話にででくる、和尚さんが小僧に、山姥から身を守るために使いなさいと渡したお札のことですが、
私は今まで、海外のボランティア先や仕事で、いろんな人からこの3枚のお札みたいなものをもらいましたが、一度も使ったことはなく、山姥に投げたことがないので、どんな効果があるのかもわかりませんが、
それを死ぬまで使わないことが私の願いであり誇りだったんです。
内緒のまま終わった手術。
前にも書きましたが、驚きました。
手術計画書の素晴らしさを軽く超える、小さな小さな傷しか残していないことに。
センチではなく、ミリの世界。
その時の傷跡、本当にわからないんです。
少なくともドクターTは、誰と争ってるわけでもなく、病院もそれを売りになどしていません。
自分が私に書いた計画書くらいの傷は当たり前に切っちゃってもいいですし、切っちゃったほうが楽だったというのに。
この病院、この医師、すごい。
これが、あの出産のとき、私を受け入れてくれると言った病院なんだ、、
院長先生が、ここだったらと私を託そうとした病院なんだ、、。
2019年、救急病院から転院して、またドクターTに手術してもらい入院していたとき、
若い医師が、私の病室に来るたびに、どれだけドクターTがわたしのために、ありえないことの連続を強行していたかを、興奮して話してくれましたが、
この医師は最初「通常、この案件は、術後直ぐICUだ!僕が前にいた〇〇←有名大学病院
なら絶対にそうする!」
と、救急病院でもないのに、あの状態の私←救急病院では命に関わると言われ車椅子まで用意された。
を受け入れ手術すること、また、
術後、ICUに入れず通常の病室に入院させようとしていることが納得できず、とても怒っているようでした。
でも手術が無事に終わり、
自分が背負うリスクより、私の望みを叶えることに尽力し、結果、私を幸せな患者にしてしまえるドクターTに、
医師として本当に感動しているようでした。毎日キラキラとした目で、まるで別人になっていましたから。
私は、
なんの利益にもならない、どうみても訳ありでしかない私を、予定を全て変更してまで受け入れてくれた恩、
これ以上ないくらいのベストを尽くしてくれた恩について、
ずっと考えてきました。
でも、考えること全てが汚らわしく、
自分よりかけ離れて立派な人間に対してできる恩返しなど、本当にないんだと気づいたんです。
例えていうなら、神様にできる恩返しなどないと言うことです。
今年、このことについても振り返り、またまたいろいろ思いしらされました。
このいつも私を支配していた「恩返し」という発想もまた傲慢であり、
甘えられない人生は、傲慢そのものであったということに。
そして、3枚のお札というものは、山姥に使うものであり、神様とか和尚さんに投げるものではなかった。
最後に勝つのはお札ではなく、お札より強い和尚さんの知恵だったことに気づきました。
Posted at 2022/12/21 16:28:16 | |
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