
海外で誰かに会うと、ほとんどの国で日本人は信頼されていることに気づく。
仕事でもプライベートでも、最初にそれがあるから、私はいつも救われていました。それは私が勝ちとったものではなく、昔、海を渡って信頼を勝ちとってくれた、たくさんの日本人のおかげであって、私はいつも、この信頼を私が壊してしまわないようにと願いながら、日本人であることを誇りに思うのでした。
差別があるとよくきくパリの人だって、(そりゃあよくパリでは喧嘩することもあったけど、、、(^_^メ))意外に日本人を信頼している。
海外でボランティアに参加すると、日本人があまりボランティアをしない理由がわかってくる。
だって、こんなんでいいの?!みたいな、
日本人がよく考えてしまう、逆に失礼なんじゃ?みたいなものがけっこう多くて、驚くことがたくさんあって、あー日本人て、これをするならあれもしなくちゃ!って、いろいろ考えすぎて一歩が遅いんたなーってつくづく思ったりする。
冷たいごはん、、だめだめ、あたためてあげなくちゃ、あっ味噌汁だってつけてあげなくちゃ!って、
家にある缶詰一個を差し出すなんてできないんだよね。
パリとかはスーパーの前で缶詰とか集めて、それをそのまま配りにいったりするんだけどね。
ロサンゼルスには、お年寄りの引っ越しのお手伝いや庭の掃除なんていうのもあって、なんか運動しながら人の役にたつって素敵なんですよね。
去年の9月にシンガポールに行ったときは、ちょうど秋休みだった子供を連れて行き、私は大切な用事があったので、その間初めて一人だけでボランティアに行かせました。
いつもボランティアは一緒にしていたので、息子はとても緊張していましたが、このボランティアに参加するまで、現地の見ず知らずの日本人がわざわざ電話やメールでいろいろ教えてくれていたので、安心して参加させることができました。偶然なのですが、その日本人女性が子供を出産した病院は、私がお世話になったドクターTの病院でした。その後、手術、入院とすることになったときは、本当に運命というものを感じました。
このボランティア、トニー・テイのウィリングハーツは、本当に純粋な素晴らしいボランティアです。
貧しい人や障害がある方のために、毎日あたたかいお弁当を皆で作ってくばります。
実は世界中でたくさんあるボランティアのなかで、本当に純粋な活動をさせてくれるものを探すことはとても難しいのです。
シンガポールに行くことがあったら、参加してみて下さい。
日本人はあまりいませんが(子供が参加した日も一人もいなかった)簡単にスマホで予約ができます。ひたすら休みなく、材料を切ったりレモンをしぼったりするので、体力はいりますが英語があまりはなせなくても大丈夫です!
トニー・テイは、アジアのノーベル賞と言われているマグサイサイ賞を受賞しています。
私は、ボランティアを通して、世界で活躍する、たくさんの日本人に会いました。
どこまでもどこまでも聡明で、視野がひろく、本当に優しく思いやりにあふれ、なにより人として独立しています。
私はそんな人たちから、日本人としての誇りをもらい、また海外の人たちが、日本人を信頼してくれて、優しく受け入れてくれることに自信をもらい、海外で強くいられました。心も救われ、どんなに酷い人間を知って傷ついても、また人を信じて頑張ろうとおもえました。
日本では富裕層が寄付をすると偽善なんて言われたりしますよね。
まるで全財産さしだせないなら、やらない方がいいみたいに。
それは本当に間違いで、そんなものを求められて、誰かがそれをしたら、みんな絶対にしなくなります。
寄付やボランティア=身ぐるみ剥がされる
みたいになって、みんな近づきたくなくなってしまうんです。
自分が悪いお手本にならないように、お人好しは我慢なんです!(経験者は語る(^_^メ))
富裕層だけじゃなく、ボランティアや寄付をするなら、みんなみーんな、毎日毎日、自分の欲望を大切に、お金を楽しく使い、経済をまわし、上限は消費した1〜10パーセント以内にすると決めた方が本当はいいのです。
たくさんの人がちょくちょくちょびっと!これが理想だから。
ヤフーとか、月額使用料ビジネス(笑)とか、大衆からちょびっと取るビジネスが長者番付に入るように、みんなに知ってもらうことも含めてじつはこれが一石二鳥なのです。
一人の1000万より、大衆の100円
ときどき一人の1000万が、みんなに100円をしまわせちゃうんじゃ?と思っちゃうくらいです。
ボランティアさん達はいつも偽善というものと、向き合わされますが、
もし、子供の明日のパンを心配するとき、そのパンをくれる人の真意が偽善であるかなんて考えるでしょうか?
私ならそんなことどーでもいい。子供にパンがもらえるかどうかが全てです。
もし、パンを差し出されて、誰かがその人に偽善といい、その人がパンをしまってしまったら、私は偽善と言った人を憎みます。
私は、世界で一番、日本人が優しいと思っています。
これは、本当に絶対の自信かあります。
その優しさをいつも上手くだせずに悲しんだり、腹をたててるのも日本人です。
また、これしかできないのか、と、自分に芽生えた善意すら劣等感に変えて苦しんでるのも日本人です。
日本でのボランティアで会った日本人男性が言っていました。
「自分は平均より貧乏かもしれないけど、自由があり、住む家があり、毎日ご飯が食べられている。それなのに自分を豊かなものだけと比べて、自分を弱者だと嘆き救済すら求めていた。それが無知でどれだけ恥ずかしいことだったのかと思い知らされる。救済は自分が見ようともしなかった場所できちんと行われていた。今自分が誰かを救済することが出来ると知った喜びは、今まで生きていて一番の幸せかもしれない。」
ウィルスという敵が現れ、これから日本も、世界も、たくさんのものを失ってしまいます。
不安が恐怖になるとき、
いろんな角度、いろんな人の立場からものごとを見ていくと、それはとても視野が狭く、一つのものだけを大切にしようとしていたことに気づきます。
それに気づくと、不安はいつのまにか使命にかわることがあります。
日本人がふだんしまって出せずにいる優しさを、ここで上手くだすことができたら、日本は世界で一番最初に立ち直れる国になれるかもしれません。