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ズグロンのブログ一覧

2024年01月28日 イイね!

年末からの花たち

年末、お正月のお花といっしょに飾っていたのは、チューリップとサクラコマチ(優しい心)、ツルバキア(落ち着きある魅力)



ツルバキアは、花から甘い香りがするのに茎からはニラやニンニクの香りがすると言われていますが(そのためもう一つの花言葉は小さな背信)このツルバキアは良い香り文房具みたいな甘い香りだけがするものでした。

そして、12月20日に作ったミックスベリー花束のなかで、



紫ラナンキュラス(晴れやかな魅力)とセンニチコウ ストロベリーフィールド(不死)が3週間以上も枯れないでいたのでそれも一緒に



ストロベリーフィールドは、年末に買ったサクラコマチやツルバキアとも一緒にされるくらい咲き続け、三回も違う花束に入りました。



毎日数枚ずつ花びらが散るのですが、その花びらは人魚の鱗や何かの貝を想わせる美しさでした。



今年初めて買ったお花は、
シンビジューム(高貴な美人)でした。




そして昨日お花屋さんに行ったら、へピリカムありました!

なので壊れた鳳凰車のそばで全て枯れそうになっていたへピリカムと交換することができました。



修理屋さんはまだ見つけられていないのですが、修理が終わるまでなんとかへピリカム(悲しみは長く続かない)を繋げられていたらいいな。

そして今年本当に久しぶりに買ったお花はチューリップ(思いやり、博愛)とアネモネ(見放された)




見放されるのはたった一人のアネモネ?大勢のチューリップ?
なんて考えてしまいます。




この頃いろんな人のコメントをみて、この不快感と違和感はなんだろうと考えていましたが、やっとわかったんです。

議題案について、私がいた世界では、いままで出来なかった理由を持って、議題案の反対理由として討議されることはなく、新しいアイデアを出し合い(それがない人はそもそも参加できない)
それについて突き詰めていって可不可を討議してきたからだったんだなーと。

できないでいた理由は過去の話ですから、ちょっと調べれば100人中100人が言えます。
ですが新しいアイデアをだせる人は100人中一人で、さらに討議で可とされるアイデアを出せる人は1000人中1人(日本人は出した瞬間に昔話に潰されることがあるみたいなので、かなり少ないのかも)と言われていて、

その一人が集まり討議するのが当たり前だったからです。

この割合が会社や国の将来性と言われていました。
あ、小さな小さな私の世界の勝手な話なので、なんの参考にもならないと思いますが。

でも、、
考え続けることを諦めなければ、自分たちの国が世界で最初の国になる可能性だってあるんだよ!と、私は若者達に言ってあげたいんですけどね。

Posted at 2024/01/28 08:21:08 | コメント(0) | トラックバック(0)
2024年01月26日 イイね!

風ニモマケズ〜🍋💚レモンライムソーダちゃん

突然決まった夜中の出発ですから、24時間給油ができるレモンライムソーダちゃんの出番でした。

急いで飛び出したので、東北に行くと言うのにコートもヒートテックも持たず、いつものヨレヨレの貧乏くさい薄着である自分に栃木あたりでやっと気づくズグロン。

外気温のマイナスの数字が出るたびにびびりますが、とにかくエアコンの効きが良いのがレモンライムソーダちゃん。
しかも冬はエアコン無しでも、走ってるだけで車内をあたたかくしてくれるくらい寒さには強い。

購入してからすぐに出した車検のあとに、初めてスポーツ走りしたときのブレーキはかなりイマイチだったのに、二回目の車検の後から、あれ?ってくらいブレーキが効くようになって、
マイナスの世界もしっかり足を踏みしめて走り抜けるレモンライムソーダちゃんがとても頼もしく感じました。

ホテルに着くと、駐車場はホテルの真横、一番の一等地に駐めていいと言われ、突然来たこの行動を「間違ってないよ!」と言われているように思えて嬉しくなりました。

明るくなるのを待つための4時間くらいのホテルだったので、少し横になったりシャワーを浴びたりはしましたが眠ることはできませんでした。


そして、チェックアウトしたときのことです。
フロントの30代前後?の従業員に車を褒められ、エンジンをかける音をききたい!と言われます。

えーーーーっ!?(⁠•⁠ ⁠▽⁠ ⁠•⁠;⁠)

レモンライムソーダちゃんてそういう車じゃないから、音なんて期待されたらがっかりされちゃうじゃないの(⁠>⁠<⁠;⁠)

でも早朝でフロントにはお客様も他の従業員もいなくて、話しながら車まで一緒についてきたので、照れながらエンジンを。

とにかく車を褒めてくれる従業員に、若いのに車好き!?と、なんか感動してしまって嬉しくなってしまいました。

おまんじゅうも一つくれたんですよ(⁠๑⁠¯⁠◡⁠¯⁠๑⁠)ふ
ほんとはホテル名書きたいけど、この若者が「仕事中になにやってんだ!」と少しでも怒られたりしたら絶対に嫌なので書きません。←視聴者1の日がほとんどのくせに(⁠^⁠_⁠^⁠メ⁠)


行きは東北道で帰りは常磐道で帰りましたが、
この日はあまりの強風で速度規制まででていました。

が、レモンライムソーダちゃん、風にスーパー強い!!

そうか、背が低くて重いからだ!

強風のなか、なんちゅーいい走りを。
時々凄い風と一緒にびっくりするようなゴミが飛んできたり落ちてたりしてたけど、回避もバランス崩さずスムーズにできちゃうわ。

実は去年から、レモンライムソーダちゃんを運んであげるから、ある場所で走って!と海外の友人たちに言われていました。
小さい小さい集まりのただの遊びですが、それぞれが持ち込んた車で出し物をするパーティーです。
今までは現地で用意された車で走ってきましたが、未来君とレモンライムソーダちゃんのことは、運んであげるから連れてきて!と言われていたのです。

なんだかどんどんイメージがわいて来て、風二モマケズをテーマにしたら、私なんだめちゃくちゃ面白い走りができちゃうかも!
なんて(⁠^⁠_⁠^⁠メ⁠)


22時45分に出発してから往復約5時間30分、行きのマイナス6度の世界も、帰りの強風速度規制のなかも、何のトラブルもなく走りきってくれたレモンライムソーダちゃん。

そしてズグロンは徹夜で帰宅したのが15時前くらいでしたから約16時間、久しぶりの徹夜スポーツ走行に、これは明日あたり体にくるな、、と思っていましたが、全くなにもなく、、、筋肉痛すらなく、、、
あ!年をとったから2〜3日後くらいに来るのか?と思ったらそれもなく、、、

助手席に御位牌を乗せた弾丸ドライブ?ノーダメージに、
あれ?これって、御位牌とレモンライムソーダちゃんとどっちに守られてたの?とまたまた不思議でたまらないズグロンでした。

Posted at 2024/01/26 21:29:33 | コメント(0) | トラックバック(0)
2024年01月26日 イイね!

雨ニモマケズ

14日、おばさまから突然メールがありました。

大切な方が、秋田犬のような犬を連れて「鍵がないから家に入れないんだ」とバルコニーに現れる不思議な夢を見たと。

大切な方はペットなど飼ったことはないし、特に動物が好きだったわけではありません。

だから私はそのメールを読んで驚いてしまいます。
その頃、ペット連れの避難や、ペットの飛行機事故死で、ペットや動物に対するネットのひどい書き込みをみて私がとても苦しんでいたときだったからです。

2020年コロナ禍、
今までたくさんの慈善活動をしてきた方が、もう私はそういうことはしない!と宣言し
「あなたがどんなに人を助けたとしても、日本人はあなたの大切なペットを守ることはしないし、あなたごと船から追い出すだろう、そんな船は降りなさい」と私に言いました。
私が日本人だから私には日本の話をしただけで、一番語っていたのは自分の国の話でしたが。


一つの国にいろんな人がいて、考えや行動だって人によって違うとわかっているのに、書き込みをみてるとその言葉を思い出し私も思い込んでしまうくらい、
そうなることが想像できてしまう内容ばかりでした。

慈善活動をしている人たちのなかにはペットを深く愛しているものがたくさんいますが、ペットを抱くその方たちを日本人が追い出す姿を想像しては嫌悪感でいっぱいになりました。

災害のたびに自分たちを助けてくれたものたちが、今まで何を守り何を大切にしてきたのかを気にしてくれた日本人はいったいどのくらいいたんだろう。

おばさまに電話をして、なんでそんな夢を見たんだろうね?と、二人でいろいろ考えて、

「私が御位牌をあずかりずっとそばに置いているから、お家に帰りたいのかもしれない!二年も庭を見れていないから庭に行きたいのもしれない」

と、思ってしまい、

もう22時を過ぎていたというのに、どうしても庭を見せてあげたくてたまらなくなり、
22時45分頃、夜中にチェックインさせてくれるホテルを探し、御位牌を持って家を飛び出しました。

明日の天気予報はかなり良くない東北。
それでも朝イチで庭を見せてあげたかったんです。

夜中の東北自動車道、マイナス2℃、マイナス6℃と外気温が表示されるたびにかなり不安になりましたが、
1時30分にはホテルに到着することができました。

ホテルで日の出を待ち、おば様も行きたい!と言っていたので、早朝おば様を迎えに行き、二人で大切な方のお庭に行きました。

私はおば様にずっとずっと会いたかった。
だけど、2022年癌の手術から始まりずっと闘病しているおば様が、また私のために元気なふりをして無理することがわかっていたので我慢していたんです。

元旦からずっと苦しんだ二週間、
仏壇の前で何度も泣いた二週間。

会えただけで、こんなに元気になれるなんて。

ご自宅についたとき、
そこは相変わらず古いままなのになんだかとても美しく、どうして?って思うくらい明るくて、
家も御位牌もちっとも寂しそうなんかじゃなくて、

私は夢の意味がわかったような気がしたんです。
来たかったのは、大切な方じゃなくて私だったんだって。

夢の中で大切な方が話した(鍵)はおば様、犬を連れて入れないでいるのはきっと私のこと。

実はこの日の一週間前に電話でおば様と話したとき、おば様が突然泣き出したんです。
「私が死んだら○○○ちゃんは誰にこういう話をするのかなって、ちゃんと受けとめられる人が他にいないのかなって、いないなら私は死ねないよ」と。

私はそれを聞いて不安でたまらなくなっていたのです。

抗生物質等の薬がほとんど飲めないおば様にとって、術後の治療は苦しみ続けることが予想されていて、
だから、私がこれは絶対!と思っている薬の変わりになる食品と、
歯ぐきまで腫れて全く噛めなくなっていたので、スムージーのようなものを定期的に送っていました。

おば様はそれと相性が良かったみたいで、かなり楽になる!といっぱい喜んでくれていましたが、元気なふりをして無理をするのがおば様だからと、半分は疑いずっと心配でいたからです。

2023年後半から、この頃やっと元気になったよ!って電話で話していたのに、私のことを心配してそんなことを考えるくらい、もしかして今の病状はとてもひどいの?って。



でも、車に乗せたおば様は、最後に会ったときより顔色がよく、しっかり噛んで普通の食事ができるようになっていました(T_T)

大切な方が、私達を再会させてくれた。

今このタイミングで東北を走ることになった意味も考え、やはり導かれているとしか思えないズグロンでした。
Posted at 2024/01/26 21:08:24 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年01月21日 イイね!

行かないボランティア

東日本大震災のときもそうでしたが、東京だって地震を経験し、そのときみんなが一斉に車を動かせばどんなことになるかはわかるので、当たり前ですが私のまわりは誰も動きませんでした。

一般人で優先になる人があるのなら、家族がそこにいる人たちでしょう。
東京だって渋滞のせいでたくさんの親たちが安否もわからない子どものもとへ朝まで帰れなかったのですから。

自衛隊より警察より役に立ち、企業と同じくらい物資供給ができ、家族のもとへ駆けつけたい者より自分がそこに行く意味があるなら急いで行くべきでしょうが。
東日本大震災のときだって行けたのはしばらくたってからですから。

発生時だけではなく、私は今回のボランティアに行くつもりはありません。
手術の傷口が開いてプリンをつけて治しているような私がなんの役にたつでしょうか。
邪魔でしかありませんから。

海外の病院での高齢者のお世話だって、人がたりなくても2日以上できない人(一日目は仕事を教わることでベテランの人の時間を奪うだけで終わる)は断わられるくらい、役にたたない人間は邪魔でしかないのです。

でも、一般ボランティアの希望が多いニュースは本当に嬉しいですね。
ボランティア整備がそれに合わせてつくられていくなら、ものすごいスピードで助けることが出来るのではと期待してしまいます。

西日本豪雨では、家から泥を出すようなかなりキツイ肉体労働が必要で、それに行ってくれるボランティアのためのサポート(洗濯したり裁縫したり、お弁当をつくる)を女性達が一生懸命やっていた場所があって私も参加させてもらいましたが、
会話のなかで、山口県のお店が(確か本屋さん?)体力ある若者を行かせて、みんなでその人たちの分の仕事を分けたとか。
これには感動してしまいました。

必要なものに道(席)を譲り、そのものを迅速に行かせる手伝いをすることも大切なボランティアですから。

それにしても杉良太郎さん、やはり凄いですね。
小さくても団体なら個人じゃない!とか、ボランティア経験があるからベテランだ!一般人じゃない!と入ろうとしている人がたくさんいたなかで、あのレベルで一般の災害ボランティア活動が開始されてから行くとは。
影響が及ぼす被害も考えているんでしょうね。

Posted at 2024/01/21 19:00:51 | コメント(0) | トラックバック(0)
2024年01月21日 イイね!

妖怪人間

自分が普通の人生でなかったことは自覚していました。

だけど、ここ数年止まって過ごした時間のなかでゆっくり今までの人生を振り返り、私は自分があまりにも抱えきれない世界に入っていたことに気づきました。
抱えきれないのは自分の性質だと思ってきましたが、その性質によって招かれた世界もまた抱えきれないものであったと初めて気づいたんです。

人の悲しみや苦しみが自分のことのように感じていた私にとって、世界からそれがなくならない限り苦しみ続ける人生であることは決まっていました。

ですが突然現れたその人たちは言ってくれたんです。
幸せになろうって。
世界中の人が幸せにならなければ幸せになれないなら、私達が世界中の人を幸せにしよう。
私達にはそれができるんだ、私達はベストメンバーだからって。


その頃私はまだ13歳くらいだったでしょうか。
私がこれだけ年をとったので、みんなはもうおじいちゃんです。
今年で5人の方が亡くなってしまいました。

いつも、極秘任務のように良いことばかりする人達。

昔、私はこの人たちをアニメ妖怪人間みたいな人達なんだと思っていました。
だからいつかベロみたいに子どもの私のせいで、迷惑をかけてしまったらどうしよう、死なせてしまったらどうしようなんて悩んだこともあったんです。
それは全く要らない心配でしたが(笑)
でもそのくらい報われない善行をしている人達だと感じていました。

去年亡くなったあとに、遺言と思想と一緒に私に遺した(託した?)ものがとても重たいもので、私には無理だと相談すると「逃げるのも自由、遺すのも自由」とだけ。

国も変われば、それぞれの思想が育ち、ときの流れとともに複雑に難しくなっていったけれど、突き詰めた願いは皆同じだった。だからこそ一度も争わずに建設的でいられていた。


私がもう少し年をとって、
30年以上も前に初めて出会った頃のみんなの年になれたなら、みんなの思想を理解して平等に受け入れられるんだろうか。
いずれにせよ、この年の差のせいで私だけに次々に託されていく結果になってしまっているんだと気付いたこの頃、いつも考えていることは、

志操堅固な人生はとても苦しいものだったに違いなく、
思想を託して逝けることは魂の解放になるのだろうか。

ということ。

私は誰にも託さなくていいから、せめておいて逝きたいと思うから。
Posted at 2024/01/21 17:41:21 | コメント(0) | トラックバック(0)

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「@あん君 久しぶりにみんカラしたら、あん君様海外なんですね!
どこなんだろう、、行ったことがある国だったら近況が聞けるかもしれないと、海外がご無沙汰の私は期待してしまいます。旅行より仕事での海外の方がめちゃくちゃ興味深いです。どうか体を大切に、くれぐれもご無理なさらないで下さい。」
何シテル?   06/26 20:11
ズグロンです。よろしくお願いします。 2014年10月に七年飼っていたセキセイインコを亡くしてしまいペットロスになりました。 それから、立ち直るために飼...
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