2024年07月10日
まわりにたくさん苦労をかけていたことに気づき、人生をふりかえります。
今から30年以上前、
「やはり子供にこのような仕事をさせてはいけなかったのだ!」と、私が特殊なお仕事から解放されそうな頃、私は日本の歴史、日本の今をいろんな外国人の角度から学ばされていました。
そこで私は、在日外国人の今現在も続く悲しみを知って、ものすごくショックを受けます。
国籍を堂々と話せない悲しみ、それが子供へと、そのまた子供へとずっとずっと続いていることが信じられなかったのです。
世界で一番優しい日本人、
世界で一番外国人にも優しい日本人、
ずっとそう信じて生きてきた私にとって、ではなぜ、そんな社会がずっと日本で続いているんだ!!と、とても許せなかったのです。
そして私は、誰に何度説得されてもその悲しみに近づいていきました。
信じていた友人に国籍という秘密を打ち明けて裏切られた話、
いつも知られたら嫌われてしまうんじゃないかと積極的に友人も作れなかった悲しみ、
それが子どもの頃から大人になるまで続いているなんて、親しくなってからやっと話してくれたたくさんの悲しみは、
日本人として、そんな社会を放置してきたことが本当に申し訳なく、ただただいつかこの日本のなかで、せめて堂々とこの方達が国籍を言える日が来ることを願いました。
そして私が特殊な仕事によっていろんな国の方たちからもらってきた全てと、その持ち主である私がいつかこの問題の役に立つ日が来るかもしれないと考え、ずっとそばに生きることを決めたんです。
日本で愛国心を持ち続け生きてきた私にとって、愛国心を奪われ、汚されてきた悲しみは想像するだけでとても耐えられなかったのです。
仕事仲間は大反対しました。
まるで、特殊な仕事をした私の将来は輝かしく幸せなものでなくてはならず、そこから引退した私が不幸になることは許されないことと言われているようでした。
それでも私は日本人として、この悲しみを無視して生きることはもうできなかったのです。
Posted at 2024/07/10 23:20:47 | |
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2024年07月10日
7月1日深夜、私にいつも「じいやだと思って」と言い続け、ずっとそのように私を支えてきてくれた人が緊急入院しました。
サプリメントを飲むときに偶然部分入れ歯が外れて一緒に飲み込んでしまったらしいのです。
本人の自覚では、苦しくはないけど食道と胃の間にひっかかってる違和感があって、じっとしていれば痛くないが、歩くとその辺りが痛い!と。
直ぐに救急病院へ。
胃カメラで取り出すことになり、もう大丈夫だと聞いていたのですが、医師が胃カメラで取り出すときに入れ歯が食道に触れ食道破裂がおきてしまったのです。
後にたくさんの医師から学ぶことになるこの食道破裂の恐ろしさ。
その数時間後から症状はどんどん悪化して高熱が続き、3日目に熱が下がり歩けるようになるまでは、不安で不安でたまりませんでした。
とても怖がりな人なので「私が手術をしたときもいつも高熱は当たり前にでたよ!」と明るく話し、なんとか安心して眠ってもらっていましたが、自宅に帰ってから私は泣いてしまっていました。
4日目に声がだせるようになり、5日目からはシャワーやパソコンなども始められていましたが、1週間は水を飲むことも唾液を飲むことも禁止でした。
3日前からすごく元気になって、お茶やお水がはじまり、七夕の日からたくさん笑ったりたくさんおしゃべりできるようになって、私もやっと眠れるようになりました。
(あ、私は興奮すると全く寝れないので)
病院に通い始めて今日で10日になりますが、やっと私もこのリズムに慣れてきました。
そして、私はずっと考えていました。
私という変わった人生をそばで支えてきた人たちは本当に本当に大変だっただろうと。
それが本当に申し訳なく、過激で破壊的な私を見捨てず、ずっと尽くしてくれたことを本当にありがとうと心から思えることができたのです。
最初はメソメソしていた私ですが、
病院でお世話をしたりしながら、あー今までのボランティア経験がやっと役に立ち、やっと恩返しができるんだ!と思って、ちょっぴり元気になれたズグロンでした。
Posted at 2024/07/10 23:11:32 | |
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