10月27日〜30日、東京から逃げ出していた私は、帰宅した翌日から今まで以上の悲しみを受け取り苦しんでいました。
それは、学校で辛いことに耐えていた子供たちが、長期休みの後に死を選んでしまう気持ちを想い、共感してしまうほどの苦しみでした。
安らぎを知ってしまったぶん、元の世界に戻ることがとても怖くて耐えられないんだよね。
そんな子供たちを守り導かなくてはいけない大人の私が、このザマであることも余計に悲しくなりました。
私が一番苦しみを受け取ってしまう歴史(戦争)
すべてはそこに繋がってしまう事態ばかり起きてしまう今、亡くなたった人々の悲しみを真正面から受け止めて、初めて靖国神社に参拝しに行こうと思いました。
祖母は100歳を超えるまで、戦死した祖父の参拝に毎年行っていましたが、私は外から桜を見るだけで一度も参拝へ行った事はありませんでした。
参拝することで苦しむ人がいるという現実と、私には耐えられないだろうと言われてきたからでした。
でも、どうしても凄く悲しんでいるように感じて、行きたくてたまらなくなってしまったのです。
靖国神社は、遺族が本殿に昇殿して祈る正式参拝をすることができるので、受付をすませて初めて本殿に入りました。
拝殿の後ろを通ってぐるっと一周するように本殿へむかうのですが、
私は驚いてしまいます。
拝殿をでて本殿にむかう廊下に(緑色の丸の場所)大きな立派なカマキリがいて、まるで迎えてくれたみたいな姿をしていたんです。

外から見るとカマキリがいた廊下はこのなか。
2021年、大切な方のお墓参りに通っていた私の前に、突然現れたカマキリを思い出し、
https://minkara.carview.co.jp/userid/2621418/blog/45552390/
手に取りたくてたまらなくなりました。
でも案内されながら後ろについて歩いている途中で、撮影も禁止されているような場所でそんな振る舞いが許されるはずがありません。
カマキリを通り過ぎて前に進みながら振り返ると、私の後ろをついてくるように廊下を歩いてくるカマキリに神秘的なものを感じずにはいられませんでした。
正式参拝では祖父の名前と私の名前を読んでもらえましたが、仏壇の写真しか知らない祖父と初めて家族になれたような気がして胸がいっぱいになりました。
本殿からでて黄色の丸の位置からカマキリを探すと、カマキリは最初にいた緑色の丸の位置から向きだけを変えてこちらをみていました。
不思議すぎて不思議すぎて、とても偶然とは思えませんでした。
最後に杯にお酒をもらうのですが、飲めない私が戸惑っていると「飲むふりだけで良いですよ」と言っていただき、私がそれをしている間も、カマキリはずっと私に体を向けていてじっとこちらを見ているように感じました。
カマキリは、「拝み虫」「祈り虫」「神の使い」「預言者」等と言われているそうです。
お墓参りのときに現れたカマキリを手に取らなかったことをずっと後悔してきたのに、また同じ後悔をしている私。
またいつか現れてくれるでしょうか。
Posted at 2025/11/11 04:28:50 | |
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