今年は死者の無念にだけ寄り添ってきた半年でした。
そして、いわゆる「鬱」症状が続いてしまい、最終的には生きるためにすることが何もかも面倒くさいという状態になってしまいました。
今までは、みんなが3日でやることを一日でやってしまうくらい、アドレナリンが過剰に出てずっと覚醒状態がつづき絶え間なく活動してしまうことが多かった私が、以前なら10分もあれば出来ていたことがとても大変なことに思えて、長い時間をかけてやっと終わらせるような状態に。
そして終わらせる度にとても疲れてしまい、横になっては「なんて毎日やらなきゃいけないことがたくさんあるんだろう、明日も明後日もずっとやらなきゃいけないなんて、凄く面倒くさいな、もう本当に疲れちゃったな」となってしまっていたんです。
ベットから仏壇の花をみてると、術後に入院していたときの体みたいに感じて、それがもう永遠に続くみたいに思えました。
日本から出ていくつもりだったのに、体がつらくて動けない、でもこれ以上日本にいたらどんどん悪化してもっと動けなくなってしまう、せめて地方のホテルに、、、と思うのに、そんな旅行用の泊まりの支度すら引っ越しくらいに大変なことに感じて、どんどんひきこもり続けるという悪循環のなかから抜け出せないでいました。
そんななかで救われていたのが、寝ているときにみる夢でした。
不思議なことですが、眠るたびにずっと忘れていた昔大好きだった人達が1日毎にでてくるんです。
辛いとき悲しいとき、そのまま寝たとしても、みる夢全てが、あたたかく、明るく、楽しかった昔の1日の続きだったんです。
「どうして突然出てきたんだろう、何かその人からのメッセージかな?」なんて最初は考えましたが、あまりにも毎日一人ずつたくさん出てくるので、これは仏壇からの贈り物ではないかと思い始めたんです。
蛇のこんな姿をベットから見あげると、
花は夢の実で、へび達が毎日一つずつ優しい夢に変えてくれているようにも感じました。
私は今年1月から死者たちの無念の報復を仏壇に誓っていました。
憎しみを大きく育てて、私の願いもどんどん邪悪なものになっていきました。
昔、ずっと言われてきた、人を救うために生まれた命すら恨めしく、生きることで人間と言う悪を少しでも救うことになるなら、もう死んでしまえばいい、、とすら思い始めていました。
だけど、金曜日のことです。
前の日に見た夢を思い出しながら、マイ・ビューティフル・プレイスを何度も聴いていたら、懐かしい日本中の田舎の風景とそこでたくさんの人達と触れ合ってきた思い出がうかんできました。
そして、突然はっと気づいたんです。
どうして私は、寄り添っているのが自分だけだと思っていたんだろう。
許せなかったのは私、
憎んでいたのも私、
報復をしたかったのも私で、
死者はいつも優しいメッセージだけを私にくれていたのに、私が私の痛みと憎しみを放ち、自分の苦しみに死者を寄り添わせていた。
なんて酷いことをしていたんだろう。
初めて仏壇を作った日から、死者が生きているときに出会えなかった「たくさんの素敵」をみつけて、いっぱい供えてあげようと、ずっとそうしてきたはずなのに。
良いとこ探しが得意な私には、誰よりもそれができると思っていたのに。
今まで、共感はいつだって一方通行なんかじゃなかった。
たくさんの人が私の気持ちに共感してくれて、それが大きな力となり奇跡を起こし、たくさんのことを解決することができてきたんじゃないか。
私がこの数ヶ月、願ってしまったことの罪深さよ。
「もう二度と苦しまなくていいんだよ」って、この胸に抱きしめてきた人達の前で憎しみを放ち報復を誓うなんて。
昔、世界の謎を解きたいと願ったとき、その国の宝はその国が正しく守り、その国が正しく使わなければ、その国の民は幸せになれないんだと思った。
私に与えられたものも、そのように考えるなら、私は使い方を間違っていた。
自分を不幸にするだけならまだしも、あんなに優しいメッセージをリレーのように感じさせてくれた死者達に憎しみを放つなんて、なんて許されないくらいに愚かなことをしてきたんだろう。
どうして私は、自分に与えられたものを素直に受け入れて正しく使ってこなかったんだろう。
どうして、一番幸せにしたかった者たちに悲しみや苦しみを与えてしまったんだろう。
自分の苦しみより相手の苦しみの方が苦しいように、
供養というものもまた、お互いに「愛」で結ばれた関係なんだ。
ごめんなさい
本当にごめんなさい
私は、「私が間違っていました」と心から詫びていました。
その涙は、今まで私が流してきた涙とは全く違う種類のものに感じていました。
この感情は何でしょうか。
そして明日からの土日は、必ず「素敵なもの探し」にでかけてお供えをしたいと思いました。
Posted at 2025/07/07 21:28:03 | |
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