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ぎるでぃのブログ一覧

2025年03月09日 イイね!

総社神社(秋田市川尻総社町14-6

総社神社(秋田市川尻総社町14-66月30日

日吉八幡神社の次に

総社神社
へと行ってみました

こちらもうぃきが見つからないので
某ホムペ頼みで
・・・
聖武天皇の御宇神亀元年(724年)の創建と伝う。
後、奥州押領使、藤原清衡侯再興する。
秋田の府久保田郷中央に大嶽山、小嶽山、光明山の三頂があった処から三森山または三嶽山と称した。
現在の千秋公園である。第一峯に大己貴神、事代主神、味?高彦根神が御鎮座、総社大明神と称する。
第二峯に天照皇大神、豊受大神が御鎮座、神明宮である。
第三峯には別宮攝末社があり、八幡大神、乙宮大神、祇園神、稲荷大明神、鹿島大明神、高市大明神、賀茂上下神、比咩語曽神、諏訪上下大明神、葛城神、大和大明神、大歳神、松尾大明神、竃神社、御食津神、祓所神、風神、白山神、水神等19社が鎮座していた。
明治45年合祀。三森山神社から総社神社へ改称する。
征夷大将軍源頼朝が東征の後上洛のとき畠山庄次郎重忠に命じ当山を治め神領地として定められた。
慶長7年(1602年)常陸の佐竹氏が秋田転封になり、その居城を久保田の三森山と定めたことにより、山頂の神明宮、総社宮攝末社を楢山村下浜に遷座した。
佐竹氏累代その尊崇極めて篤く祭典、造営に多大の寄進を賜った。
その後元禄7年(1659年)川尻上野の地に社地を得、宝永4年(1707年)社殿を造営遷座した。
川尻、川口、楢山地区の鎮守として尊崇をうけたが、昭和6年の大火で社殿焼失、同年仮社殿を建てたが、大東亜戦争が起り本社の完成を見ずに現在に至っている。
平成19年上野遷座三百年記念を迎えた。
・・・

となっています

さて・・流石に私の天気運も尽きかけて本格雨模様になってきつつも

こちらから

ワタシ・・幸せ・・つかめるかな・・

とぼとぼしまして

⑧の字もしまして

参拝もしまして
無事記帳していただだきました

そして今回の秋田御朱印旅行もここまで^^;
Posted at 2025/03/09 20:31:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(秋田県 | 旅行/地域
2025年03月09日 イイね!

日吉八幡神社(秋田県秋田市八橋本町1丁目4-1

日吉八幡神社(秋田県秋田市八橋本町1丁目4-16月30日

秋田県護国神社の次に

日吉八幡神社
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
社伝では、平安時代、日枝山王と石清水八幡宮を勧請し日吉山延命寺と称したとされているが、鎌倉時代とする説もあり詳細は不明。当初は秋田郡笹岡村(現在の秋田市外旭川)に鎮座したが、鎌倉時代に五十丁村(現在の秋田市上新城五十丁)へ遷り、天正17年(1589年)に安東実季により飯島村へ、元和元年(1615年)には佐竹義宣により寺内村字油田へ遷ったと伝えられている。寛文2年(1662年)に現在地へ移ったが大火により焼失し、安永7年(1778年)に再建した。

安東氏からは社領200石が寄進され、佐竹氏の信仰も厚く社領40石を寄進して保護した。元和の久保田の町割りに際し外町の鎮守とされたことで、八橋の山王さんとして主に町人たちからの信仰を集めた[3]。

明治時代には県社に列せられ、現在も近隣住民に親しまれている。北側(旧国道)から見ると仏式(山門と三重塔)、東側から見ると神式(鳥居、参道、手水舎、鳥居、拝殿、本殿)の建物配置となっており、その神仏習合(混交)様式について建築学の分野から論文が執筆されている
・・・

となっていまして。。

こちらから境内に入りますと

お寺っぽい雰囲気になりまして

三重塔がお出迎えをしてくれます
で・・

こちらから

ですと

神社っぽい参道でして
参拝をしまして
無事御朱印もいただけました
Posted at 2025/03/09 20:30:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(秋田県 | 旅行/地域
2025年03月09日 イイね!

秋田県護国神社(秋田県秋田市寺内大畑5-3

秋田県護国神社(秋田県秋田市寺内大畑5-36月30日

大龍寺の次に

秋田県護国神社
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
明治2年(1869年)、秋田藩主佐竹義堯が戊辰戦争に殉じた官軍戦没者425柱を高清水丘に祀ったのが起源である。明治26年(1893年)に焼失するが、明治32年(1899年)、秋田市千秋公園(久保田城址)に再建され、秋田県出身の軍人・軍属を合祀して秋田招魂社と称した。昭和14年(1939年)、内務大臣指定護国神社として秋田県護国神社に改称し、翌年、旧秋田城址である現在地に遷座した。第二次大戦後の一時期、「軍国主義施設」として廃止されるのを防ぐ目的で、鎮座地名に因んで高清水宮と称し、伊弉諾尊・伊弉冉尊を合祀してこちらが主祭神ということにした。

戦後は県に関係した軍人、軍属の霊を合祀している。現在、ほとんどの戦没者の合祀が完了し、祭神の数は38,000余柱となる。

平成2年(1990年)7月9日、即位の礼に反対する中核派のテロにより当社社殿にしかけられた2つの時限爆弾が爆発し、社殿は全焼した(大嘗祭のための神饌を収獲する神田が秋田県内に選定されていたことが関係していると見られている)。しかし、本殿内に安置されていた神体および霊璽簿は無傷であった。社殿は平成4年9月に再建された。
・・・

となっていまして


こちらの参道からおまいりを

参拝をしまして無事御朱印もいただけました
Posted at 2025/03/09 20:29:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(秋田県 | 旅行/地域
2025年03月09日 イイね!

曹洞宗 海藏山 大龍寺(秋田県男鹿市船川港船川字鳥屋場34

曹洞宗 海藏山 大龍寺(秋田県男鹿市船川港船川字鳥屋場346月30日

真山神社の次に

大龍寺
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
永禄年中(1558年 - 1570年)にまでさかのぼる。男鹿半島女川に居して一帯を支配していた尾名川基季が、それまでは密教寺院であった当寺を天正5年(1577年)に仙台藩黒石から台厳俊鏡という禅僧を請して禅宗(曹洞宗)寺院として再興開山した寺で、尾名川氏の菩提寺であったが、後に脇本生鼻城主、安東安倍愛季(後に秋田城主となり秋田氏を名のる)が尾名川を滅ぼし、寺を脇本に移して安東家の祈願寺とした歴史がある。

その後、西洋美術史家で慶應義塾大学教授の澤木四方吉が亡くなった時に、父・澤木晨吉が別荘だった12000坪の屋敷を寺院に寄進し「楽水亭」としている。澤木と親交があった民俗学者であり歌人でもある折口信夫の歌碑がある。これは、姪の歌人・穂積生萩が折口の唯一の女弟子だったこともある。[2]

日本海に棲む龍神が五衰三熱の苦悩から逃れる為に絶世の美女に化身し、俊鏡和尚のもとに通って来て得度してもらい、髪の毛を残していったと言う伝説があり、この龍髪の払子は俊鏡和尚が着用した藕糸織の二十五条という珍しい袈裟と、和尚の画いた龍影の図と共に今も寺宝として伝えられている。龍王殿には、勅号秀官一位「解脱飛龍大龍王」と「海蔵常安大亀王」が奉られており、開運・繁栄と厄除・安全の鎮守として世の信仰が厚い。
・・・

となっています
では

こちらから境内へと

とぼとぼしまして

お参りをしまして

多宝塔に上がらせてもらいまして鐘をついてみたり

撮ってみたりして

無事御朱印もいただけました
Posted at 2025/03/09 20:29:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(秋田県 | 旅行/地域
2024年10月14日 イイね!

真山神社(秋田県男鹿市北浦字真山字水喰沢97

真山神社(秋田県男鹿市北浦字真山字水喰沢976月30日

北浦 雲昌寺の次に

真山神社
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
社伝によれば、景行天皇の御代、武内宿禰が北陸地方諸国視察のため男鹿半島へ下向の折、涌出山(わきいでやま、現在の男鹿真山・男鹿本山)に登り使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して瓊瓊杵命・武甕槌命を祀ったのが始源とされる。平安時代以降仏教の伝播が男鹿へも至り、貞観年中には慈覚大師によって涌出山を二分し、北を真山、南は本山としたと伝えられる。以来修験の信仰が昂り、天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された。南北朝時代には真山別当光飯寺は真言宗に転じ、支配も東北豪族の安部氏・清原氏・藤原氏と移りながらも、その庇護のもとに修験霊場として一山繁栄を誇った。江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹候の祈願所として数々の寄進崇敬とともに、幾多の堂塔伽藍が営まれてきた。明治維新後は神仏分離令によって元の神域に復し、名も赤神神社から真山神社と改められた。1881年(明治14年)には県社に列格され、ますます深厳な境内を維持してきた。

1991年(平成3年)9月、台風による烈風で多くの老杉が倒れて甚大な被害を受けるも、七年間の復興事業で境内整備が完工した。本殿は今なお真山山頂に鎮座している[1]。

あるいは、景行天皇の時代、武内宿禰が東征して男鹿に下着、湧出山(男鹿真山)に登りニニギノを祀る。その後、嫡孫の武内弥真唯が東征のため下向、湧出山に立てこもる。このとき、藤の花を取ってたむけたので、湧出山を花取山とも言う。別説には祭神はイザナギで、景行天皇の時金野小鹿が草創したという。 近世の別当は真言宗遍照院光飯寺、社家は竹内氏。明治初頭に別当寺は復飾し、社家は継続した。その際、真山赤神神社を真山神社と改める[2]。

秋田真山神社の総本社である。井川町北川尻の真山神社や秋田市上新城五十丁の真山神社もこの神社の系列神社である。また、新山神社や深山神社との関連も考えられる。『秋田家文書』では新山とある[2]。
・・・

となっています
さて

こちらの参道から

おぉぅ・・階段・・
を登りまして

こちらの拝殿で参拝をしまして
無事

御朱印をいただけました
Posted at 2024/10/14 14:11:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(秋田県 | 旅行/地域

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「[整備] #Z ステアリグカバー取り付け https://minkara.carview.co.jp/userid/2647090/car/3718249/8257492/note.aspx
何シテル?   06/07 20:09
やりかたがよくわかんないです。。 やる気も薄いです 油断すると引きこもって艦これしちゃっていたりします・・・

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