
せっかく自分で修理したR30でしたが、書類が無く路上復帰の夢は絶たれてしまいました。その時高校3年生だった私は同年の秋に大学の推薦入試に合格し、翌春には家を離れる事が決まります。暫くは家の庭に置いていたものの、乗れない車があっても仕方ありません。そのままにしておいても邪魔になってしまうので、残念ながら廃車買い取り業者に引き取って貰う事にしました。買い取りと言いながらも実質0円という結果に・・・今思えば本当に勿体無い事をしてしまいました。
新年を迎えて高校卒業の年、L20ETへの片思いを抱きながら大雪の中を自動車教習所へ通います。またその教習所の教官の1人も前期GTのターボEXに乗っており、教習終了後にコースを一周走らせて貰ったりと何処へ行ってもR30との縁を感じていました。そして卒業式を目前に控えた3月、引越しの準備をしていると馴染みの車屋さんから「ポール・ニューマンのスカイライン乗るかい?」と連絡が入ります。これで要らないようなら解体に出してしまうと言うので、耳を疑いながらも待った!を掛けました。ポール・ニューマンのスカイラインって、まさかポール・ニューマン バージョンの事???
早速見に行ってみると以前からちょくちょく市内で見かけていた車です。ダークブルー/ガンメタのカラーリングが珍しく、最初はR31だと思っていたので全く興味を持っていませんでした。しかし後に入手したR30のカタログから、これがポール・ニューマン バージョンのみの特別専用色で全くのフルノーマル車である事が判明します。4ドア派の私にとって2ドアは少々抵抗がありましたが、憧れのポール・ニューマン バージョンを入手出来た喜びはこの上ありませんでした。しかもお礼の日本酒1本分の金額です。高校の卒業式にはギリギリ間に合わなかったので、RSに「仮免許練習中」の看板を付けて仮免許で運転して卒業式に出席したのも良い思い出です。
こうしてポール・ニューマン バージョンとの付き合いが始まります。元オーナーも日産の整備士でL型エンジンを好んで乗っていたようで、引き渡しの前にはバルブクリアランス調整をはじめ各部のメンテナンスをきっちりしてくれたためにエンジンは絶好調でした。肝心の免許も高校卒業後に本免試験の受験許可が下りるので、卒業後に早速受験して1997年3月に晴れて運転免許取得となります。4月からは大学生活がスタートし、車検が1年以上残っていたので進学先である三重県の大学に乗って行く事にしました。入学式にはRSと2台で出席しましたが、当時の上信越道は信州中野ICが終点だったので早朝の高速道路上で並んで停止してゼロヨンまがいの事が出来ました。こんな事は現在では到底無理な芸当です。
大学の周りには本当に何もない場所だったので車は必須で大いに活躍する事になります。生活の他にも仲間と一晩中走ったり、1リットル74円のガソリンを求めてわざわざ滋賀県のスタンドまで給油に行ったり、教習所に通い始めた友人の坂路発進の練習をしたりと学生ならではのエピソードは数え切れません。何よりも初めて実家を離れて暮らすという不安でいっぱいの自分にとって、とても心強い存在でした。
大学4年間を無事に終えて地元の長野県に就職しますが、勤務地は実家から80km程離れていたので週末には実家に帰ってメンテナンスをするという生活を6年間送りました。この間に九州までの1人旅をしたり、妻と出会ったり、北海道一周旅行をしたり、R30ミーティングに行ったりと、ある程度自由に使えるお金と時間があった期間ですので充実していました。2007年に子供が生まれると同時に実家へ戻って来る事になります。また家族が出来た事で心境の変化が現れ、エアバッグ付きの車、最低でもセンターピラーがある車の方が安心と感じたために、R30以外で唯一所有してみたかったBMWを探し始めます。と言っても欲しいのはE34という丸目最後の5シリーズで、この時既に14年落ちの2世代前の型でした。やっぱり旧いのが好きなんですね。運良く程度極上車が見つかったため、断腸の思いでR30のナンバーを切ります。2008年2月、この時29歳でした。
BMWもなかなか良い車で、中でもバブル期に造られたE34は開発に相当力が入っていた事を随所から感じ取る事ができます。どっしりした乗り味やカチっとした操作性からもやっぱり名車だと思わせる力があり、標準車の525でも一度乗るとハマります。そしてR30で錆びと戦い続けて来たために全く錆びないBMWはボディケアが本当に楽です。またR30はBMWを参考に造られているのが良く分かり、乗り換えても違和感が無いのも良い点でした。あえて欠点を上げれば車重と燃費でしょうか。
両車を客観視してみて、乗らないと分からない事、降りてみないと分からない事がたくさんありました。それでもR30が色褪せる事は決してありません。結論から言うと、やっぱり両方とも好きなんだという事です。R30が好きになり、その車のルーツとなるBMWも好きになると言うのは自然な流れなのかもしれません。この好きな2台に乗れた事で自分はもう満足しています。
R30の馴れ初めから現在に至るまでの35年余りをダラダラと書かせて頂きましたが、この長文乱文に最後までお付き合い頂き感謝申し上げます。最近になって再びR30に乗りたい病が再発して来ましたので、まずはリハビリから始めて徐々に路上復帰を目指そうと思います。今も昔も車無しでは生きて行けない車バカですが、今後とも宜しくお願い致します。
おわり
(BMWは信頼できる知人に売却。2017.10.15)
Posted at 2016/08/01 18:09:14 | |
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