
今回のブログは、以前記した『
下見。』の行き先です。
まずは宮城県登米市へ向かいまして…いつもの『JR陸前豊里駅 産直がんばる館』でお買い物。
いつも通り、野菜とりんごを買いました。ねぎと玉葱を買ったので、家に帰る頃には車内の芳香剤になっていました(笑)
まぁそれだけ鮮度が良かったんだと思うことにして、帰宅してすぐ車用のクレベリンを施工したのでした。
買い物を終えて向かったのは…
『とよま観光物産センター 遠山之里』です。今回の観光ではここを起点に動き回る感じです。

3連休の真ん中ということもあり、他県ナンバーが多く混んでいたので建物から一番離れた所に駐車しました。その結果スイスポさんのお隣に停めることになったのですが…こうして見比べるとスイスポさん、マッチョだなぁ。
このブログを記している10月25日は新型スイフトのコンセプトモデルが公開された日でもあり、近々発売が開始になるんでしょうけど新型エンジンが気になりますね。
トヨタとデンソーの技術を投入した合作がついにお目見えなのかもしれません。
駐車後にここでも野菜を購入し、今回の目的地1ヵ所目に向かいます。

…と言いましてもすぐ隣なんですが『教育資料館(旧登米高等尋常小学校)』です。明治21年に建てられた木造2階建ての校舎で、重要文化財に指定されています。

お約束の方もいらっしゃいました。

洋風のバルコニーが特徴で、ここだけ白いのは初めからなんだそうです。見どころが沢山あり、画像を減らしに減らしても減らし足りない感じなので今回の観光は2つに分けて記します。
撮影してきたデータが6GBもあり…自分でも驚きましたが、選ぶだけで疲れました。

階段。1段1段の高さが高めで、子供にとっては上り下りしにくかったんじゃないかと思います。
両側が壁なので、天気や時間によっては暗いでしょうしね。

剥製が飾られていました。この校舎で使用されているガラス窓は輸入品で、一部歪んでいるものがあったんですが輸入時からのものではなく、東日本大震災によるものなんだそうです。
あの時の揺れには、ガラスを歪ませるだけの力があったんですね。
建物はもちろんですが、机も椅子もすべて木製。明治・大正時代のイメージと言えばこんな感じのような気がします。
え?来たことあるの?
興味深かったのが机の移り変わり。
私が子供の頃は左側の机でしたが、現在は大きくなって樹脂製パーツが増え、軽量化されていました😲1学級あたりの人数が減ったことで、このサイズでも置けるようになったんでしょうね。
小学校といえばのオルガン。ドレミファソラシドのシールが貼ってあり、自分でもやっていたなぁと懐かしくなりました。
以前のブログで記した『登米』の読み方についての解説は、あれこれ書くよりもこれを見ていただいた方が分かりやすいと思います。漢字だけを見ても読めないですが、歴史のある『とよま』の読みも残ったことで興味や関心が持てて良かったかもしれません。
教室によっては人形がいます。
きっと当時の輸入品なんだろうなぁと思わせるオルガン。音楽という芸術を奏でる道具にも芸術性を求める時代だったんでしょうね。

こういう建物なだけに、コスプレをして撮影される方々もいらっしゃるそうで、こちらの施設の方でもハイカラ着付け体験を用意しているんだそうです。この校舎だけを背景に撮れば現代ではないように感じますしね。
机と椅子がある教室だけではないだろうと思っていたら、やはり畳の部屋もありました。学校というよりは道場のような雰囲気もあります。
あやかろうと座ってみました。
資料館から眺める登米小学校。ご先祖様が見守ってくれているかのような配置ですね。
バルコニー。当時の子供にしてみれば、洋風というものに身近な場所で触れられるという点では教育上意味のあるものだったのかもしれません。
校長室。校長先生が入館者をお待ちしております(笑)
当時もそうだったのかは不明ですが、絨毯が敷いてあるのはさすが校長室ということなんでしょうかね。
学校日誌からみる『スペイン風邪』という企画展が催されていました。
ポスターだけでなく当時の日誌や新聞記事も展示されていたのですが、読んでみると現在のコロナウイルスの話を見ているかのようでした。また、警察官が現在でいう保健所の役割を果たしていて、しかも流行している現地へ赴くということまでしていたと初めて知りました。
今も昔も命がけの職業ですね。


現在は資料館になっていることもあり、かつて存在していた鉄道会社についての展示もありました。私が生まれる前に廃線になっているので知りませんでしたが、現在の『宮城交通』の前身にあたると分かり興味深かったです。

こういったものが微妙に分かるような気がする世代なだけに惹かれるものがあります(^^♪
学校のチャイムとして使われていたのがこの鐘。開始時にこれが鳴ったら眠気が飛びそうですね。


こうして撮影した画像を見返すと、オルガンが多く置いてあったなぁと思いました。金額的なものもあるのかもしれませんが、ピアノだとどうしても大型になりますし、アップライトピアノでも高さがあるので邪魔になる…となると、小型のオルガンは教室に置く楽器として適していたのかもしれませんね。
ミルメーク、地域によって認知度が違うそうなんですが仙台市に住んでいた私は出てきたことが無く。
登米市に住む方は出ていたんだそうで、むしろ「知らないんですか?」と驚かれました。
それとアルマイト加工された食器、小学生だった当時使っていたので懐かしくなりました。
教科書の変遷についても展示が。
戦争の影が見え始めると教育内容に変化が起こり、戦時中になると教科書の紙質が落ちて教育というよりは洗脳のような中身になっていきます。
展示を見ていてやはり戦争はろくなもんじゃないなと思いましたが、相手も同じ考えを持っていないと戦争は起きてしまうわけで。
事あるごとに現代でも憲法9条の話が出てきますが、戦後80年弱を経てもこれに追随する国家が存在しないことが答えのような気がするんですけどね。
『みやぎの明治村』の中ではメインとなる施設なだけに、とても見応えがありました。登米市には散々来ていながらここを見ずにいたのは…もったいないことをしていましたね。
見終えて外に出ると、子供がハイカラ衣装を纏った姿で親御さんが撮影中でした。姉弟でポーズを決めて撮影されていたんですが、元々この建物が小学校なだけに絵的にしっくりくるんじゃないかなと思ったりしたのでした。
長くなってしまったので、その②に続きます(^^♪
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Posted at
2023/10/26 02:43:31