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Lega-Gのブログ一覧

2017年05月21日 イイね!

みちのく一人旅(気仙沼岩井崎・石巻・常磐道編)

みちのく一人旅(気仙沼岩井崎・石巻・常磐道編)前回の続きから

到着が既に5時を回り、重苦しく覆われた灰色の低く垂れこめた雨雲、護岸に打ちつけている波しぶきと海鳴り・・・
まるで地の果てに来てしまったかのような錯覚にさえ陥ってしまったかのようにも感じる荒涼とした風景でした。

宿は大津波で跡形もなく流されはしたものの、家族は命からがら避難所での生活を強いられ、港近くの復興屋台村で仲間内と仮店舗を経営するなど多くの苦難を乗り越え、震災から2年後に再建されたとのことで小規模ながら手入れの行き届いた感じのする佇まいがポツンと建っていました。

ご主人に2階の部屋に案内され、ネットで予約した8畳和室ではなくチョッと狭い洋室ツインでしたので、一瞬アレっ?と思いましたが、海側の角部屋だし日頃からベッドなので別段問題がなく黙っていました。
夕食が6時半であることと風呂は先着順の貸切となる旨を案内され、まだ数人しか到着していないので今のうちに入浴された方が良いと勧められたので汗を流すことにする。


 ・本日の部屋 205号室

僅か6部屋の小規模な民宿だし温泉もないので、少し贅沢な家庭用ユニットバスが2か所あるだけでしたが、時間に追われることなくノンビリと入浴することが出来たのが幸いだった。
入浴後、夕食時間にも少し余裕があったので、玄関前の軒先にて雨宿りするかのようにチョッと一服(^。^)y-.。o○
相変わらず雨風が強く明日の天気が少々心配になるが、部屋に戻りTVの天気予報では晴れのち曇りとの予報だったのでホッとする。
せっかく岬の突端に泊まるのだから、せめて大海原の景色を楽しみたいのは正直な気持ちである。

やがてご主人から夕食の支度が整ったとお呼びがかかり、階下の食堂へ出向く。
案内された席は通常のテーブルではなく、僅か4席のカウンターであった。
このことは後に知ったことだが、自分以外全て復興関連にあたる工事関係者だけだったからでした。
そのため料理が異っているので、宿側の配慮があったという寸法だ。
しかしカウンター席には2名分用意されていましたが、目の前の護岸工事を請け負う会社の社長だけが特別扱いだったようで、料理内容は自分と同一でした。



 ・本日の夕食

食膳には雲丹までも提供されていたものの、まだ漁が解禁になっていないため生簀にあったモノなので痩せているのだとの断りがあったが充分に美味しかった。
漁師の宿だけあって魚関係の料理は格別で、宿泊料以上に得したような感じです。
おかげで隣席の社長さんと宿のご主人を交えて遅くまで飲んでしまいました(^^ゞ

5月16日(火)晴れのち曇り

昨晩までの雨は上がり青く澄んだ空が朝から眩しい。
少々寝不足ではあったものの、この絶好なチャンスを逃してはならないので朝食の前後の時間を有効利用し、岩井崎周辺を散策して絶景を眺めることにしました。


 ・部屋からの景色


 ・↑の景色のアップ


 ・朝食

宿の前には三陸復興国立公園の岩井崎、復興途上にあるものの美しい松林と岬突端には奇岩と大海原、そして波が演出する潮吹き岩などを見ることができ、昨日の荒涼として重苦しかった様相とは一変し、雄大な自然の造形美を暫し時を忘れ眺めることが出来たのだった。


 ・岩井崎の案内看板(復興工事で立ち入り禁止が多い)


 ・遊歩道を歩く


 ・タンポポがひっそりと咲いている


 ・三陸リアス海岸らしい切り立った岩肌


 ・復興のシンボル 龍の松 沖に向かって龍が咆哮している様


 ・岩井崎突端の様子


 ・石灰岩が波に侵食され独特の奇岩の連続になっている


 ・気仙沼方向を望む



 ・名勝 潮吹き岩


 ・近くの琴平神社の鳥居


 ・琴平神社の手水舎には津波の跡が・・・


 ・社殿


 ・琴平=金刀比羅?

今日のコースも昨日同様に長距離移動なので10時に出発。
昨日不安を感じた道をR45まで引き返す。
宿からのアドバイスで、当初計画していたR45経由で海側の女川回りで石巻に向かうのではなく山側の三陸自動車道(無料区間)で石巻を目指すことにします。
このため被災した風景を見ることなく淡々とした山道や高速道での移動となります。


 ・岩井崎の学校の被災状況


 ・岩井崎までの道は・・・


 ・R45沿いにある赤牛海岸


 ・左手トンネルは気仙沼線、しかし線路は流失したまま・・・


 ・小さな川にかかる気仙沼線の鉄橋も橋脚のみに・・・、左右の築堤も崩れている

やがて山間地から平野部へと入り、登米市を経由し石巻市へと進みます。
高速道の標識には松島の文字が出る頃、ずっとナビ任せで走ってきましたが、どうやら予定していた石巻を通り過ぎているような気がし、地図で確認すると案の定ICを2つも通り過ぎていました・・・(;^ω^)

成瀬奥松島ICからR45で戻るように石巻港方面に向かいます。
途中航空自衛隊松島基地を近づく頃には津波で被災した様相に変わっていき、予定していた笹かまぼこ等で有名な白謙かまぼこ店の(しらけん)工場へ到着。
気仙沼を出発してから2時間以上が過ぎていました。
また、工場近くでナビの悪戯で4キロ以上も遠回りさせられてしまいました(;^_^A
まあ、復興途上で脇道の工事通行止め箇所が多いので仕方のないことですが、復興については三陸地区より進んでいるようにも感じられ、真新しい工場が多く建っていた。


 ・白謙かまぼこ店工場にて


 ・白謙かまぼこ店工場直売所

工場直売所で笹かまぼこや練り物の製品を沢山購入し、一部は持参のクーラーバックに詰め、大方は自宅へクール宅急便で送ることにします。
これでお土産の心配がなくなりました。(ほっ)

既に12時半を少し回っていましたが、付近で食事する所が皆無なので諦めて石巻港ICから再び三陸道をひた走ります。
松島などを見学したかったですが、夕方までに茨城県まで駒を進めなければならないので次の機会に託すことにします(泣)
成瀬奥松島ICからは有料区間となり、仙台東部道路を経由し常磐道へ入っていきます。
車窓左手は津波被害を受けているような部分が多く、右側風景とは随分と異なっている感じがします。


 ・常磐道福島地域には線量計が設置されている


 ・南相馬鹿島SA


 ・南相馬鹿島SAのメンチカツ丼

石巻を出てから1時間半経ちお腹も空いてきたので南相馬鹿島SAにて昼食タイム。
レストランでメンチカツ丼をオーダーするが、味がイマイチで夕食のことを考えて半分しか食べられなかった(>o<)

再び片側1車線対面通行の常磐道を前後大型トラックに挟まれながら南下したのですが、途中落下物にヒットするハプニングが・・・
前を走行するトラックの陰から黒い物体が路面に現れたのでしたΣ(・ω・ノ)ノ!

路肩も狭く後続には大型トラックがいるので、追突防止のため急ブレーキ不可!
右に逃げようともチャッターバーやポールが乱立しているので僅かにしか避けられません。
まさに絶体絶命です!
オフセット気味に跨ぐことに専念したが、鈍い衝突音がフロアパネル付近からも伝わってきました。
通過後すぐにルームミラーを確認しましたが衝突したと思われる物体は確認出来ず、直ちに左右の窓を開け異音を確認するが異常なし、その後水温計やMDFの油温計を監視しましたが変化なしのため次のPAまで様子見することにする。

直近のPAに入り、直ちに下回りを点検するが損傷を受けていないようでオイル漏れも認められなかった。
しかし、バンパー下のFスポイラーは衝撃によりビスが4本ほど飛んで少しグラグラしていたが本体には割れなどの損傷はなく、走行には大きく支障なさそうで空気抵抗さえ注意していれば問題ないようだ。
おそらく柔らかい物体のようで、最初にぶつかったであろうバンパー下部が衝撃で歪み、スポイラーのビスが飛んだように思われ、塗装面には歪んでから元の状態に復元する際にできたと思われる細かなひび割れがあり、ビス飛び以外は素人目に判別できないくらいキズがない原形を留めていたのには正直言って驚きだった。

走行に概ね支障がないことを確認出来たので、再び南下開始する。
福島県から茨城県に入った所の中郷SAで最後の休憩と下回り再チェック。
損傷状態にも変化なく、次の高萩ICで常磐道とお別れすることにした。


 ・中郷SAにて
高萩ICからは道路標識に従いK10からR461で花貫川沿いに登っていく。
交通量も少なく快適にワインディングを楽しみ、R349との交差点からK33と合流する区間は狭く屈曲した酷道となりヘッドライト点灯で対向車への注意喚起をしながらゆっくりと通過します。



 ・国道ではなく酷道!

その後、快適な新道となるが雨も降り始め、17時ジャスト今晩泊まる奥久慈大子町にあるログテラス鰐ケ淵に無事到着したのだった。

宿は国道より少し奥まった所にあり、低く垂れこめた雨雲で煙る山々や濡れて艶々とした樹々に取り囲まれ、自然と同化したかのような立派なログハウスのペンションであったのだ。


 ・ログテラス鰐ケ淵 正面


つづく


本日の走行距離 : 371.0km
  〃   燃費  : 15.8km/l
Posted at 2017/05/21 18:41:48 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2017年05月19日 イイね!

みちのく一人旅(陸前高田・気仙沼編)

みちのく一人旅(陸前高田・気仙沼編)以前より、2011.3.11東日本大震災で大津波被害にあった岩手・宮城沿岸の惨状が、各種メディアを通じて目にし、心をずっと痛めていました。
特に、岩手県の陸前高田市、宮城県の気仙沼市石巻市などが、震災から6年を経過した時点でどれだけ復興されているのかどうか、映像だけでは解らない部分を自分自身の目に焼き付けておこうとずっと考えていたので、行楽地などが空くGW明けを見計らい出掛けてきました。

この地域は首都圏からだと500km前後も離れている地であり、復興している最中に見学することは、僅かな義援金を出したくらいで冷やかし半分みたいな後ろめたさも感じ、なかなか決断することが出来ませんでした。
しかし、あまりに時間が経過してしまうと、その過程がいつまでも理解出来ないのでは?と考えるようになり、今回思い切って被災地を訪ねてみることをしたのです。

以下を読まれて気分を害する方もいらっしゃるかもしれませんが、どうかご理解とご勘弁をくださいますようお願い申し上げます。


5月15日(月)曇りのち小雨

初日は気仙沼市に泊る計画をしたので、遠回りであっても少しでも多く回れるように東北道で一気に岩手県一ノ関まで北上し、そこから太平洋側へと向かうコースにしました。

朝6時に自宅を出発し、首都高・新郷より入り東北道を進みます。
地元埼玉県を離れ、群馬県、栃木県、福島県、宮城県を次々に縦断し岩手県へと快走します。
途中、黒磯PAで休憩を兼ねて朝食、続いて泉PAで休憩、一ノ関ICで東北道と別れ、今度は一般道を走ります。


 ・東北道 黒磯PAにて

一ノ関からは東の太平洋に向きを変え県道19号(※県道は以下K〇〇と記す)を進んでいきます。

殆ど信号のない田舎道を淡々と走ると、やがてJR大船渡線(ドラゴンレール)と並行し猊鼻渓の看板が目にとまります。
時計の針は既に12時を回っていたので、ここで昼食を摂ることに・・・。

猊鼻渓は、厳美渓と共に国の名勝に指定された景勝地で、砂鉄川の両岸に高くそそり立つ石灰岩の壁が連続し奇岩や岩肌を流れる小さな滝が点在しています。
付近には幽玄洞(鍾乳洞)もあります。

猊鼻渓の由来は、峡谷出口近くに侵食された鍾乳石が獅子の鼻に似ていることから名付けられたそうです。
※ 猊とは獅子のこと。


 ・ここから上流側が厳美渓


 ・観光船乗り場

 ・
 ・鮎定食 炭火焼だが焼き過ぎでバザバサ、その他も味は日光の手前(今市・残念!)


 ・厳美渓末端の堰(砂防ダム)とそそり立つ石灰岩の壁


 ・鷺?


 ・砂鉄川を渡る大船渡線のキハ100系気動車

時間があれば手漕ぎする船頭さんが操る船に乗り、マッタリと風情を楽しみたいところですが、今回は時間の関係で残念ながら入口付近の見物と昼食のみです。(以前この地に訪れたのは、なんと半世紀前!)

摺沢駅を過ぎK19からR343(今泉街道)を進んでいきます。
途中の山間地では立派なループ橋があり、ここで一枚撮りたかったのですが駐車場所や悪天のため断念(泣)
山道を下っていくと陸前高田市の標識現れ、続いて気仙川を渡りR340(高田街道)へ右折、少し下った所にあったGSで給油する。
MFD表示には17.1km/lの好燃費(自宅からココまで)、今回の走行で最も良い数値を記録。

GSから更に海方向へ進んで行くと周囲の風景は、左右には何ひとつなく地盤改良の盛り土だけが目立つ異様な光景へと一変した。
要するに、大津波被害のあった被災地へ初めて踏み入れた瞬間なのだった。
ナビの画面には、まだ海の表示が出ていない・・・(絶句)


 ・高田街道 津波被害地区にて(海側)


 ・高田街道 津波被害地区にて(海側・何とも高い盛り土)


 ・高田街道 津波被害地区にて(山側)

異様な光景となってから2km以上も進むと、R45(東浜街道)に突き当たる。
交差点右側手前には奇跡の一本松駐車場と記され、右奥先には小雨降る中で奇跡の一本松が薄っすらと佇んでいたのであった。


 ・奇跡の松駐車場から

車を置き霧雨の中、大規模な盛り土作業や掘削している工事現場の周囲を大きく回り込むような工事用フェンスで延々と取り囲まれている専用歩道を20分程歩きましたが、途中ですれ違った観光客は僅か数人でした。
奇跡の一本松は残念なことに震災の翌年枯れれてしまいましたが、復興のシンボルとして人工的なものと変わりましたが、その種子(松ぼっくり)から小さいながら苗として子孫を残すことができたようです。

この奇跡の一本松より海側にあるレモン色の鉄筋コンクリート造の建物は、津波による無残な姿を晒しており、左側は大きくひしゃげ自然災害の恐ろしさを物語っています。
すぐ脇を流れる気仙川(2級河川)にかかるR45の橋(気仙大橋)も未だに仮設橋です。


 ・奇跡の一本松(かつて松原だったのが信じられない)


 ・案内板


 ・気仙川脇にあった河川表示板(津波の引き波でか?海側に根元からひしゃげていた)


 ・至る所に緊急避難の案内板が・・・


 ・気仙川に掛かるR45仮設橋(本橋は隣(上流側)に新設工事中)

首都圏に住む自分には、震災から6年以上も経過したことで記憶が徐々に風化しつつありますが、未だに復興途上にある広範囲の惨状を目にし、被災され命を落とされた多くの方、未だに不明者の方、たとえ無事であっても全てを失った方々のことを考えるだけでも心が痛み・・・ただただ祈る術しかありませんでした。

この気仙川を渡り少し走ると宮城県気仙沼市となりますが、気仙沼港までは30分程の道のりとなります。
港に着くと、ちょうど大島からのフェリーが入港中でした。
このフェリー船も津波で陸に打ち上げられ被災したものの、見事に復活を遂げ活躍していますが、近々この大島に橋が掛かり、廃止される運命にあるそうです(涙)


 ・気仙沼港に入港中の大島フェリー


 ・気仙沼 海の市シャークミュージーアム

気仙沼港と言えば、フカヒレと縁があるとよく耳にします。
この港近くには、海の市シャークミュージーアムがあるので、見学してみましょう。

津波被害にあったもののリニューアルされ街の活性化に一役買っていますが、訪れた時刻が夕方4時近くであったことから館内は閑散としており、特産品を売っているお店には観光客らしき姿は僅か数名だけでした。
何とも寂しい限りです。

先ずは2階にあるシャークミュージーアムへ、見学客の姿は無く私一人だけ・・・(゚д゚)!
日本で唯一のサメ博物館で、貴重な展示資料は津波被害を受けず無事だったようです
入場すると震災の生々しい記憶ゾーンから始まり、海と生きるゾーン、シャークゾーン、絆ゾーンと4つのエリアに分かれ、それぞれ解り易く解説されており大変お勉強になりました。


 ・震災前の街並み(記憶ゾーン)


 ・震災直後の街並み(記憶ゾーン)


 ・震災後、瓦礫を片付けた街並み(記憶ゾーンにて)


 ・ホオジロザメの大型模型(シャークゾーン)デカっ!


 ・ジンベイザメの大型模型(シャークゾーン)これまたデカい!


 ・サメの皮とウロコの活用(シャークゾーン)自分はおろし金しか知らなかった(^^ゞ

また館内1階には巷で賛否両論のあった氷の水族館が併設され、ここも見学(別料金)することにします。
-20℃の冷凍庫の中に入ってでの見学ですから、用意されている真っ白な防寒コートを着て簡単な説明の後、いよいよ冷凍庫内へ突入です!
ここでも私一人Σ(・ω・ノ)ノ!









 ・氷の水族館内部


 ・氷の宝船


 ・ゆるキャラならぬ硬キャラの ホヤぼーや

庫内で素手のまま写真を撮りまくっていたので、寒冷地仕様のGちゃんでも手だけは少し辛かった。
もちろん、素手で展示品に触ると手がくっついてしまいます(おさわり厳禁!)

この庫内に30分近くもいたので、係の尾根遺産(お姉さん)が「寒くなかったですか?よくいられましたね~、普通だと10分も我慢できずに出てきちゃう人が殆どなんですが・・・」と半ば呆れ顔で言っていました。(;´▽`A``
スマホでもう少し撮りたいので再度入ってイイ?と聞いたらNGだって!
時計を見ると16:50、閉館が17:00なので本日最終の見学客かも?
早く片付けてチャッチャと帰りたかったのねん。

本日泊る宿に到着時間の連絡をして出発です。
ここからだと20分位で行けるそうだ。
再び走り出すが国道までのナビの指示は、ことごとく復旧工事で通行止めばかりで玉砕!
まるで迷路に入り込んだかのようで、脱出に難儀してしまいました。
どうにか港周辺から抜け出すことに成功しホッとする。

今宵の宿は、気仙沼湾南側突端の岩井崎にある。
R45岩井崎入口交差点を左折し、岬に向かい少しずつ海側へ下っていくと陸前高田市の被災地に入った時と同様、目の前が一変し例の盛り土が現れ、その中をさらに進むと左手に学校と思われる鉄筋コンクリート造の校舎がポツンと建っていた。
車を止めよく見ると、3階まで柱だけで窓枠さえ残っていない津波の大きな爪痕が・・・Σ( ̄□ ̄|||)


 ・大津波は3階まで吞み込んだ・・・絶句

うす暗くなってきた道を更に進むと海岸線に近づき、低い護岸と並行するように岬へと道は続いていた。
時折この護岸からは波しぶきがあがり、この様な場所に今晩泊るのかと思うと恐怖すら感ずるようになって、予約したことを後悔し始めたのだった。




 ・荒涼とした海岸線

岬近くには僅かに小高い丘と松林が見え、この手前数十メートルだけが工事中の高い護岸が造られていた。
宿は、狭い道路を挟んで盛り土の上に建つ津波復興された民宿・沖見屋であった。


 ・工事中の高い護岸壁(宿2階の部屋から)


 ・旅館民宿 沖見屋(悪天候のため翌日撮影)


つづく


本日の走行距離 : 511.8km
  〃   燃費  : 16.3km/l
Posted at 2017/05/19 15:09:25 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2017年05月05日 イイね!

Gちゃんと歳の差 なんと35才Σ(・ω・ノ)ノ!のプチオフ

Gちゃんと歳の差 なんと35才Σ(・ω・ノ)ノ!のプチオフ今日はGW真っ只中の5日こどもの日、能登・千里浜では『黒ねこちゃんオフ』でたくさんのレヴォーガーが絶好の天気の中で盛大に催されたことでしょう(羨)
もちろん、多くのみん友さんがこのイベントに参加して五月晴れの空の下で楽しまれのではないでしょうか。

残念ながら、このオフ会には諸々の事情で参加出来ず、この度めでたく結ばれた黒ねこちゃんご夫妻の晴れ姿を拝むことや、今までオフ会などでお会いした方、みん友さんと会えなくて残念(ToT)ですが、存分にお楽しまれたことでしょう(^^♪

この他にも沢山の方がお出掛けになられたかと思いますが、ご帰還に際しても渋滞などで大混雑が予想されますので、どうか道中安全運転で無事にお戻りになられるよう祈念しております。

さて私の方は、昨日4日にみん友のおかむーさんとお会いし、僅かな時間ではありましたが2人だけのプチオフを楽しんでまいりました。


 ・おかむーさんのカッコイイ愛車 C型1.6GTS(取付パーツ満載)

集合は東京スバル町田店に午後1時と言うことでしたので、自宅からだと渋滞を考慮すると2時間程度は必要だろうと思い11時に出発することにする。
ナビに目的地をセットし、ルート5通りの所要時間を見ると一般道オンリーより首都高、東名ルートの方が断然早いのだった。
要するに、首都高、東名は大して混んでいないと言う訳だ。(ホント?)

半信半疑でナビの指示通り首都高5号線・西台に順調に向かうが、西台ランプにアプローチしたら料金所手前から渋滞が・・・(´;ω;`)ウッ…
当然の如く、本線も渋滞超ノロノロ状態・・・(涙目)

しかしC2に入ると少しずつ流れるようになり、中央道への分岐を過ぎてからは順調で、大橋JCTから3号線を経由して一路東名・横浜青葉ICへ・・・
が、上り車線側は東名川崎まで延々大渋滞中Σ(・ω・ノ)ノ!(帰りが心配)


 ・銀虎

R246と141を経由し町田市内へ、途中渋滞したものの予定時刻通りに町田店到着する。
GW中もあってか店内は閑散としていましたが、待ち合わせだと伝えたものの通常のお客さんと同様に対応を戴き、なんか申し訳ない思いをしてしまった。
東京スバル町田店の皆様、ありがとうございました。

肝心のおかむーさんはと言うと点検予約時間ギリで到着し、最近一部で報告のあったCVTオイル漏れを診断してもらった。
アンダーカバーを外し細部まで点検し異常なしをサービスから報告を受け一安心ヽ(^o^)丿
聞くところによると、この店では1件の発生があったそうです。

一件落着した所でD担当者に礼を告げて、近くのコンビニで恒例の部会を・・・(;^ω^)
某(それがし)は【あまおうソフト】を、おかむーさんは【あまおうミックスソフト】をコーンで注文。
予想より酸味のあるあまおうでしたので、ミックスが正解かも?

既に2時を回っていたので、お薦めの比較的近い県立相模原公園へおかむーさん先導で2台トレイン♫
同公園一番奥にある第4駐車場の一番奥へ駐車する。

さっそく撮影開始!
風は少々強いが青空が広がっている。
時折米軍のヘリが訓練の為か大きく旋回しながら離着陸している。
詳細は解らないが、同型のヘリのようだ。


 ・米軍のヘリ(機種は知りません)


 ・おかむーさんご自慢のSTI 19インチ


 ・おかむーさんのSTIエクゾーストキット(マフラー部)


 ・銀虎のSTIスポーツマフラー(竹槍エンドがお気に入り🎵)


 ・2台並べて その1


 ・2台並べて その2


 ・2台並べて その3


 ・2台並べて その4

夕方が近づくにつれ帰る車が多くなり駐車場にも空きが目立つようになった。
愛車撮影にも飽きてきた頃である。
てな訳で、今度はお互いの車を試乗することにしました。

先行はおかむーさんに銀虎の試乗を・・・、
言わずと知れた銀虎は、A型の中でも初期ロットの2.0GTSですが、オリジナルベース車と比べ色々と弄りがあります。
足回り・ボディー強化系
・STI sport 純正スプリング
・STI sport 純正ダンプマチックⅡ
・STI ドリルドディスクローター
・STI ブレーキパッド
・STI 18インチホイール
・STI タワーバー
・STI ドロースティフナー
・STI ラテラルリンク
・STI サブフレームリア
・STI 18インチホイール(純正タイヤ)
そして、ステアリングがDAMDO SS360RX(Dシェイプ)の構成となっています。

果たして銀虎の評価は・・・
おかむーさん、後でインプレのコメ宜しくで~す(^^♪


 ・ごっつんこ?


 ・ごっつんこ?その2


 ・ごっつんこしていません。


 ・ダウンスプリングとの違い

戻ってきたところで、今度はおかむーさんの愛車に試乗です。ワクワク

シートをセッティングし、自分と同じSTIのスタートボタンを・・・
始動したFB16ターボは銀虎の音と違い少し軽やかに感じ、いざスタート!
STIの19インチホイールとコンフォート寄りのPIRELLI CINTURATO P1 225/40R19タイヤと絶妙にセッティングされたアライメント調整が施されており、駐車位置から僅かに動いただけでハンドリングに軽快さを感じる。

駐車場から周遊道路に出る際の段差越えについても、インチアップの扁平率を意識しない・・・
予想を大きく裏切られた感触だ。
STI sport用スプリングと異なるバネレートが高くローダウンしたSTIスプリング(ダンパーは純正のビル)にも拘らず、荒れた路面でも硬さを殆ど感じないのが不思議だった。
おそらくコンフォート寄りのタイヤが功を奏している。

ハンドリングについては、自分の銀虎と比較して僅かな力で操舵でき、交差点を曲がる際にも舵角に対し旋回する軽快感があり、前駆動重視のACT4が自分のVTDとの違いを露にしている。
要するにハンドル操作が軽いのだ。

加速については、緩やかな加速から僅かずつアクセルを踏み続けるとブーストがかかり加速感が変化するが、その境目がFA20と異なり稍々粗さを感ずる。
故に、1.6乗りの方で燃費があまり良くない方は、このアクセルワークのコツを掴むと改善の方向に向かうのかもしれません。

ただし、おかむーさんの1.6GTSは、低排圧タイプのエクゾーストキット装着車であるので、以前試乗したリプロ前のA型よりこの変化はずっと少なくも感じました。
特に、C型は防音についても手が加えられたことで、銀虎よりずっと静かでボディーやフレームからの共振音もかなり小さくなっており、年次改良の変化が認められます。

※参照 おかむーさんのページはこちらから⇒ https://minkara.carview.co.jp/userid/2682218/blog/

レヴォーグは2.0も1.6も外観上見分けがつきませんが、乗りやすさから言えば1.6に軍配があがるかと思います。
しかし、出力やトルクの差から常用回転が低くトルクフルである2.0も捨てがたいです。

2.0はワインディング等でアクセルワークに神経を費やす(パワーセーブ)こともありますが、時に自慢のハイパワーを炸裂させることが出来ますのでテクニックと忍耐も必要かも(苦笑)
もちろん、ターボパワーを常用すると燃費の悪化は著しく、違反切符も割増しする恐れもありますのでご注意を!(滝汗;)

まあ、このインプレは短い街乗りで感じたことを書いていますし、あくまでも個人的な見解でありますので、どうかご了承ください。


 ・下から煽って・・・(;^ω^)


 ・後ろ姿(惚)


 ・A型には初期型コラゾンテールが似合う 負け惜しみ、く~っ(;^ω^)

閉園時間も近づいてきたのでこの辺でお開きにすることにします。
再会を約束し、お別れです。
また会いましょう!(@^^)/~~~

帰路は大渋滞だと予想されるので少々憂鬱でしたが酷い渋滞はなく、心配していた東名・横浜ICから首都高についても殆ど渋滞にハマらず、相模原から僅か90分で無事帰宅しました。


 ・渋滞の都内縦断でも、まずまずの燃費

おしまい


本日の走行距離 : 129.6km
  〃   燃費  : 12.6km/l
Posted at 2017/05/05 18:26:37 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2017年04月16日 イイね!

昭和が薫る東信の旅 ②(霊泉寺温泉・群馬B級グルメ編)

昭和が薫る東信の旅 ②(霊泉寺温泉・群馬B級グルメ編)

※前回の続きから始まりますので、①をご覧になってからがお薦めです。

以下から前回の続きです。

玄関の木枠のガラス戸を開けると瞬時に昭和40年頃までタイムスリップしたかのようだ。
自分より少し年上に感じられる女将の笑顔に出迎えられ、帳場(フロント)では大正生まれの大女将がにこやかに宿帳の記入をお願いされました。
これは、通常目にするチェックインカードではなく、ひと昔前の宿帳であったのだ。


 ・松屋旅館の玄関



 ・玄関内部の様子

玄関の下足棚(下駄箱)には白ペイントで番号が表示されており、栄えていた当時は下足番に靴を預けた際に番号が記載された下足札を貰うやり方だと思われ、床置きの大時計、板の間から階段、帳場周囲の雰囲気も、正にザ・昭和だった。
若い方だったら、あまりに古ぼけているので驚くに違いないし、決してレトロ調なのではなく、全てが昭和の高度成長の時代で時が止まってしまったかのようにも感じました。


 ・帳場脇の階段

女将に案内されながら薄暗い田舎のおばあちゃん家みたいな木造りの階段で、色褪せた赤いパンチカーペットが全面に張られたていました。
この階段で2階に上がり、数歩廊下を歩き左へ更に数段あがると、防火扉を挟んでこれまた古い鉄筋コンクリート造の新館?(昭和40年代築とのこと)へと変わり、つたの間へ入る。
たたきを含め3畳ほどの前室の襖を開けると10畳の和室と広縁が現れた。

エアコンで温められた部屋は奇麗に掃除されてはいるものの、畳は擦り切れ、壁にはシミが・・・(上階の展望風呂の漏水が原因?)、広縁の赤いレトロなレザーの椅子はすっかり色褪せており、古い宿を知らない者にとってはかなり衝撃的でもある。



 ・本日のお部屋


 ・広縁のテーブルには、こんなものが・・・

シブ過ぎる~、ハッキリ言って激シブです!

まあ湯治場ですし、これでも広くバストイレ付(ウォシュレット付き)なのでスーパーデラックスに値していると思いますよ、たぶん(苦笑)
今でも若い人たちから見れば、湯治場っていう所は信じがたい宿が殆どですから・・・(;^ω^)

既に夕食の時間であったが、その前に「先に3階のお風呂へどうぞ、頃合いを見計らって食事をお持ちします。」と言われたので遠慮なく源泉かけ流しの温泉で今日の汗を流すことにする。
宿泊客は自分一人だけなので、存分に効能のある温湯に浸かり夕暮れ時の山々を眺めながら昭和風情を楽しんだのだった。


 ・源泉かけ流しの展望風呂(浴槽は4畳半くらいかな)

部屋に戻るとタイミング良く食事が運ばれてきました。
年代を感じさせる大きな膳に素朴な山の幸が種類多く盛られ、膳のまま座卓に置かれたのにはチョッとビックリΣ(・ω・ノ)ノ!
感じ方は人それぞれですが、私の目には目一杯豪華な幸だと思えます。


 ・夕の膳

見た目は味が濃そうな田舎料理ですが、比較的薄味でまとめられ食べ応えのある大変おいしい夕食で満腹になりました。
東信地区独特な鯉料理が苦手の方には厳しいかもしれませんが、鯉独特の泥臭さは全くなく美味さと驚きの連続でした。

食後の一服を窓を開けた広縁でしましたが、霜注意報がでているせいか空気も冷たく澄んでおり、静けさの中で近くを流れる霊泉寺川のせせらぎだけが聞こえてきました。
う~ん、心地良いなぁ~♪

お腹がこなれてきたので、もうひと風呂浸かる。
極楽、極楽~
まさに浮世離れの別世界って感じですねぇ(^^♪
風呂の大きな窓からは、月明りそして煌めく星がとっても鮮明に見え綺麗でした。

部屋に戻りこれまた古い座椅子にもたれながら、タブレットでみんカラチェックと家族へラインで写真も報告、その後おかむーさんとライン通話で延々と熱い話で盛り上がり、気付いた時には草木も眠る丑三つ時をとうに過ぎていました。
どうりで眠い訳だと言うことで、おやすみなさ~いZZZzzz・・・


4月14日(金)
朝を迎えるがチョッと睡眠不足です。
7時に目覚めたのですがまたウトウトしてしまい、8時5分前に女将の朝の挨拶でハッと飛び起きてしまいました(;´▽`A``

朝食も部屋出しでしたので、昨日と同様な大きな膳のまま座卓の上に置かれ、替えのポットと急須も手際よく交換され、お風呂の準備も既に出来ているとのことで「食後にゆっくりと湯に浸かって寛いでくださいね。」と優しく告げてさがっていきました。


 ・一夜明けて、朝の膳

素朴な朝食を戴いてから広縁の窓を全開にして日向ぼっこをしながら一服・・・(^。^)y-.。o○
川のせせらぎと鳥の声しか聞こえない至福のひと時でした。


 ・部屋からの展望

暫く食休みした後、上階の展望風呂へ・・・
う~ん、極楽極楽~(^^♪

10時のチェックアウトまでマッタ~リと過ごす。
帳場で清算後、女将より自家製のあきたこまち(5kgほど)をお土産としてサプライズプレゼントです。
「ありがとうございます!大変お世話になりリフレッシュすることが出来ました。」
と感謝を伝え、銀虎に乗り込むと大女将と女将、ご主人の3人が見送りです。
僅かな距離であるものの、ルームミラー越しには手を振る姿が見えて心までもが温まった湯治場の泊りとなりました。


 ・梅の花が仄かに香る


 ・敷地内には宿が祀るお社が・・・

せっかく縁あって訪れた小さな湯治場ですから、お寺の隣にある無料駐車場に銀虎を駐車させ、春らしい暖かな日差しに包まれながら時を忘れてのんびりと散策することにしましょう。
と言っても、僅か数百メートルの一本道ですし、この集落は入口の寺前橋からお寺(霊泉寺)営業中の宿4軒、廃業した宿4軒、僅か数軒の民家、それに共同浴場しかなく、お店は1軒もありません(驚)


 ・共同浴場(古いポストとベンチ)


 ・宿が建ち並ぶ狭い道


 ・参拝や共同浴場利用の無料駐車場案内板の上には、なんとも時代を感じさせる各宿の案内図が・・・


 ・霊泉寺の旧・山門と火の見櫓、物凄く太い大欅の切株(天然記念物)


 ・霊泉寺の前にある由来の看板


 ・霊泉寺本堂


 ・霊泉寺鐘突き堂


 ・桜が咲けば華やぐことでしょう


 ・桜の紅い蕾


 ・道の脇に咲く野の花 枯れた鬼灯(ほおずき)が・・・



 ・霊泉寺川の畔で咲く水仙


 ・清らかな霊泉寺川


 ・温泉入口に掛かる寺前橋


 ・寺前橋の袂にあった道祖神


 ・少し離れた所には地蔵尊が


ここで1時間半も滞在してしまったので帰途につくことにし、昨日通ってきた道を引き返すことにします。
本来ならば、佐久を抜けて十国峠やぶどう峠で秩父に抜ける方が違った景色を楽しめ変化があって良かったのですが、横川の釜めしと碓氷峠の力餅をお土産としてどうしても買いたかったので、ほぼ同一のピストンコースです。

途中の浅間サンラインではうす曇りでしたので、あまり展望がきかずチョッと残念。
また軽井沢の街並みも人気がなく、なぜか寂しげでした。

町を過ぎると県境の標識(群馬県安中市)が目に入ります。
お待たせしました。これより碓氷峠の下りです🎶


 ・これより碓氷峠の下りです

今日は後続に黒のインプレッサがピッタリとついています。
正直言って景色を楽しみながら下りたかったのですが、どうやら意識している感じがしますので仕方なくピッチを上げたのですが、同様にピッタリとマークされているので途中広めの場所で左に寄って先行させ、今度は自分がマークすることにしました。

ナンバーを見ると地元群馬ナンバーでペースが速く、明らかに峠を楽しんでいる様子でした。
ただチギられるのも面白くないので、車間を取ったり縮めたりしながら下ります。
まあスキール音が出ない程度の下り方ですし、トルクベクタリングやSTIsportの足回りですから少し余裕で走れましたが、過去の愛車BF(ACT4)やBHレガシィ(VTD)などだと結構ロールした記憶があったので、やはりショートストロークの硬いサスやトルクベクタリングの作動、パドルシフトなどの電子デバイスに助けられ、このおかげで安定したコーナリングが出来るのだと考えると、便利で楽であると同時に少し残念にも感じ、やはり自分でコントロールする方が数段も愉しいかも?と思いました。

いよいよ峠の終盤に差し掛かった右コーナー左側に玉屋ドライブインの看板が目にとまります。
ここで、名物の貞光の力餅を購入します。
力餅の名の由来は、安政初期この地に碓氷貞光という力持ちの武将が居たそうです。
1855年に安中藩の藩士の心身を鍛えさせることを目的で、安中城から碓氷峠の熊野神社までの中山道を徒競走させて、その時に若い藩士たちに労った菓子がこの力餅なんだそうです。
因みに、この徒競走の着順を記録させたことが日本におけるマラソンの発祥とも言われているらしい。


 ・第4カーブにある玉屋ドライブイン


 ・名物 貞光の力餅
現在、毎年5月に≪安政遠足 侍マラソン≫が開催されており、仮装して走る安中の人気イベントにもなっているそうです。
みん友さんのLOVE@羽生さんは、この大会に参加されたのかなぁ( ^ω^)・・・(謎)

尚、玉屋ドライブインは信越本線・横川~軽井沢がアプト区間の頃には、途中である熊の平駅(信号所)でこの力餅を販売していたが、廃線後は現在の地で営業中です。
見た目や味に関しては、伊勢名物の赤福と似ており淡白な甘さが魅力♪
また、熊の駅跡は遊歩道とも接続し、日帰り入浴施設“峠の湯”として営業しています。


 ・碓氷峠の起点

お土産の釜めしと力餅は購入したので、今度は昼食です。
峠が終わり僅か下ると鉄道文化むらが見えてきますが、今回はこのR18を挟んだ向かい側の“越後屋食堂”(木曜定休)で食べることにします。


 ・越後屋食堂入口看板 道路向こうは碓氷峠鉄道文化むら


 ・噂の越後屋食堂

店の前には砂利が敷かれた大きな駐車場があり、トラッカーやグンマー帝国民には有名な食堂のようです。
一見すると廃屋(失言m(__)m)のようにも見えるが、いかにも昭和の匂いがします。

中に入ると更にタイムスリ~ップ・・・Σ(・ω・ノ)ノ!
Gちゃんより更に爺ちゃんのご主人がいます。
土間をあがって広い座敷には、畳1畳ほどの大きな堀コタツが4脚、そして座布団も長い一枚物の煎餅布団!お膳の上には昔ながらの割りばし入れや醤油差しなどなど、更にはブラウン管のTVがありました。


 ・店内全景


 ・店内の壁面には・・・


 ・おすすめメニュー


 ・ローラと一緒に記念撮影


 ・マスコミにも

壁には色褪せた紙に色々とメニューが書かれていましたが、ここでのお薦めはもつ煮定食と肉トーフ定食と予めリサーチしていたので、迷わずもつ煮定食 700円也(ごはん少なめで)を注文する。

出来上がるまでの時間、チョッと一服(^。^)y-.。o○
年季の入ったアルマイトの灰皿がなんとも懐かしい。
壁にはTV取材で榊原郁恵やローラらが訪れたようで、写真やサイン色紙が飾られており、マスコミにも取り上げられる有名な食堂なんだ!と改めて実感しました。

さて、待望のもつ煮定食が出来上がりました。
見た目も美味しそうで、食欲をそそられるいい香りが・・・
それでは、いっただっきま~す♪


 ・一番人気のもつ煮定食 自家栽培のブロッコリーはオマケ♪ ※ご飯は半ライス

ホルモン独特の臭みが全然なく、とても柔らかく濃い目の味噌味が旨さを引き出しているかのようです。
ひと口入れると、正に感動モノで超~っ旨~い(^^♪
何一つ残さずにきれいに戴きました。
ご馳走様でした!

ご主人と少し会話し、お代を支払って店を出た。


 ・店を出たら園内を一周するあぷとくんが・・・(カメラ出しているうちにタイミングズレ)


 ・昨日に引き続き横川駅


 ・駅構内のおぎのや売店

後は横川駅で釜めしを買って、松井田妙義ICから上信越道、藤岡JCTから帰るだけとなり、今回の旅のテーマであった昭和を余すところなく楽しんだ余韻に浸りながら、現実の世界に戻るのだった。


 ・関越道三芳PAにて休憩


 ・自宅近所の交差点にて紅白バイク (渋滞中の交差点で立往生、それってダメじゃん!)

おしまい(@^^)/~~~



本日の走行距離 : 203.4km
  〃   燃費  : 16.1km/l

総走行距離 : 411.8km
 平均燃費 : 15.0km/l
Posted at 2017/04/16 18:32:46 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記
2017年04月15日 イイね!

昭和が薫る東信の旅 ①(峠のシェルパEF63・碓氷峠旧道編)

昭和が薫る東信の旅 ①(峠のシェルパEF63・碓氷峠旧道編)4月半ばとなり、先月足回りをC型STI sport用ピンクバネ&ダンプマチックⅡに一新した愛機・銀虎の2回目(新車時と今回)の慣らし運転を兼ね、群馬県と長野県は東信地方へ桜前線を追いかけるように、1泊2日で楽しんできました。

4月13日(木)
午前の仕事を早めに済ませ、昼少し前に出発です。
今夜の宿へのチェックインを考慮すると約6時間程で宿に着かねばなりませんので、途中の昼食と見学個所は一か所だけ重点的に決定!
先ずは、JR信越線の終点(もう信越本線とは言えないなぁ)横川駅前にある“おぎのや本店”に向かいます。

全国の駅弁ベスト3と言えば、函館本線・森駅の“いかめし”、北陸本線・富山駅の鱒寿司、そして信越本線・横川駅の“峠の釜めし”ではないでしょうか。

その中で、現在特急が走らないどころか僅か8駅(高崎・北高崎・群馬八幡・安中・磯部・松井田・西松井田・横川)、東京方面からの直通列車さえないローカル線となってしまい、本線とは名ばかりで北陸新幹線開業以降、一部区間は第三セクターと変わり、篠ノ井~長野、直江津~新潟と3つに分断されてしまいました。

往路は、いつも新潟方面行に利用する関越道ルートの藤岡JCTまでは共通なので、勝手ながら省略させていただきますm(_ _)m

上信越道・松井田妙義ICで一般道に降り長野へのメインルートR18方面に進んで行きます。
この付近からは、桜はもとより白い花びらのコブシ、紅梅、菜の花が次々に目に飛び込んできます。


 ・上信越道 松井田妙義IC付近(前方の雪山は浅間山)


 ・松井田妙義IC入口交差点を右折しR18へ向かう

碓氷川の左右の山々が次第に狭まる頃には、横川は目の前です。
横川駅入口手前の下横川交差点を右折し、信越本線の小さな踏切(エアロやローダウン走行注意!)を渡ると線路脇に幾本もの満開の桜が出迎かえてくれました。
あまりに綺麗だったので、ここでチョッと撮影タ~イム🎶


 ・信越本線沿いの桜 その1


 ・信越本線沿いの桜 その2

何枚か撮ってから、すぐ先の横川駅前駐車場に入ります。
今ではローカル線の末端駅となってしまい駅前はあまり変化はありませんでしたが、元線路だった先を見ると、当時は機関区であった所には碓氷峠鉄道文化むらとその駐車場があり、北陸新幹線(旧名・長野行き新幹線)が開通する前とは全く異なった光景でした。(遠い目)


 ・駅前駐車場でスバルの法則発令


 ・ここで終点


 ・終端駅となり線路が途切れる横川駅


 ・信越本線・横川駅(駅舎とおぎのや売店)


 ・駅前にある“おぎのや本店”

気を取り直して、駅前にある古めかしい佇まいの荻野屋本店に入り、当時を偲んで峠の釜めしで遅めの昼食です。


 ・ご存知、峠の釜めし 1,000円也~(味噌汁はオプション)

食後は、この本店前の荻野屋資料館に入る。
小さいけれど無料で手軽に荻野屋と碓氷峠(鉄道)の歴史を知ることができ、レトロな鉄道関連グッズも展示され鉄っちゃんにもお勧めです。


 ・荻野屋資料館にて 釜めしの化粧紙にも変遷が・・・


 ・荻野屋資料館にて 信越本線・高崎~横川間の歴史


 ・荻野屋資料館にて 写真パネル説明文の間違い発見!(モハ86ではなく、クハ86、モハは80が正解)


 ・荻野屋資料館にて 使用車両は157系(冷改後の車両)


 ・荻野屋資料館にて おそらく115系用ボックスシート(後期型、座面クロスがリニューアル後)

続いての見学は碓氷峠鉄道文化むらです。
碓氷峠専用機EF63型電気機関車が動態保存を含め、内部まで覗くことができます。
もちろん、歴史的にも大変貴重な機関車や特殊車両まであり、なかなかマニアック且つディープな世界に引き込まれます。
鉄道に少しでも興味のある方は一度訪れ、その昔にアプト式鉄路が敷かれていた軌道を熊ノ平まで遊歩道として整備されているので、時間をかけて鉄道遺産をのんびりと木々に囲まれた景色を楽しみながら散策するのもなかなか趣があって楽しいかと思われます。


 ・往年の特急あさま号 先頭車クハ189-509


 ・クハ189-509の運転席 沢山のメーターやスイッチが・・・、意外と狭い空間でした。


 ・今でも現役で受講すれば運転できる峠のシェルパことEF63 12号機


 ・機関庫でもEF63型電気機関車2両(10号機と18号機茶色塗色)、その後ろにはEF62 43号機が・・・


 ・独特な台車下にある電磁吸着ブレーキ(レールにシューを張り付ける)


 ・軽井沢方向の顔(横川側と微妙に異なり、スカート左側のジャンパが物々しい)


 ・複雑なジャンパ栓のアップ(車両に形式により配線が異なるため、横軽区間を通過する全形式に対応・蓋に形式の番号が入る)


 ・自動連結器と密着連結器(電車用)対応の双頭連結器


 ・EF63型の運転席(計器や特殊装備が多く、他の機関車と比べても全然違う)


 ・EF62型の運転席(上のEF63型と比較してみてください)


 ・信越本線を走っていたEF62型電気機関車


 ・EF62型の独特な3軸台車


 ・アプト式最後の電気機関車ED42 1号機


 ・SLみたいなロッドを装備する台車


 ・アプト式ラックレールと噛合う大きな歯車


 ・第3軌条の集電装置(パンタグラフの代わり・地下鉄銀座線や丸の内線などと同一)


 ・急こう配を登るためのラックレール(レール中央部分)と架線に変わる第3軌条


 ・歴代機関車の力の差


 ・一息入れて広場に向かう途中の花壇


 ・寝台特急北斗星にも使われた(函館~札幌間)DD51ディーゼル機関車初期オリジナル色、後ろは豪雪対応のラッセル車と専用DD53型ディーゼル機関車


 ・SLの代表選手D51型(通称:デコイチ)


 ・房総半島(内房線・外房線)を走っていたが、電化で追われて川越線(大宮~高麗川)へ転出した通勤型ディーゼルカー キハ35-901ステンレス試作車、当初銀色に輝くステンレスボディでしたが統一性を重視し首都圏色(通称:タラコ色)に塗装された


 ・EF53とEF63 1号機


 ・関門トンネル専用機EF30 2次型とEF58(狭窓車)


 ・園内をぐるりと一周するナローゲージ(別途乗車料がかかります)

その他にも鉄道歴史的にも重要な車両が数々ありましたが、ざっと紹介させていただきました。

今回は遊歩道を散策できなかったものの、敷地内をじっくりと見ていたので予定より大幅に時間が掛かってしまい宿のチェックインが心配になってきたので、遅れる旨を一報し駒を進めることにした。
本日の宿は、長野県上田市にある霊泉寺温泉である。
主な行き方は3通り、松井田妙義ICまで少し戻って上信越道経由とR18碓氷バイパス経由、R18碓氷峠旧道で行く方法があるが、当然の如く旧道の碓氷峠を選択しました。

文化むらを後にR18で進路を西にとり、直ぐに旧道とバイパスの立体交差があって旧道を進んでいきます。
少し登ると待望?のカーブにカーブ番号の入った標識が目に入ってきます。
いよいよ碓氷峠に突入です(^^♪

前後には走る車は無く快調に駆け登ります。
幾つものカーブを走っているうちに、30番目のカーブで時代を感じさせる大きなレンガ造りのめがね橋(碓氷第3橋梁)が突如現れます。
もちろん、その姿の前で記念撮影。


 ・碓氷第3橋梁 通称:めがね橋(鉄道遺産) その1



 ・碓氷第3橋梁 通称:めがね橋 その2



 ・碓氷第3橋梁 通称:めがね橋 その3


 ・碓氷第3橋梁 通称:めがね橋 その4(レンガ造りの橋脚の奥にはEF63が走った橋梁が・・・)

さらにカーブは続きますが、標高が上がるにつれ凍結スリップ防止のために撒かれた砂の影響で、カーブは砂だらけ・・・速く走ろうとカーブに突入するとフロントタイヤがグリップを失いおっとっとになります(;^_^A

では、ここでクイズです!
碓氷峠のカーブはいくつでしょうか?


 ・最後のカーブにて


 ・碓氷峠を登りきると県境です

正解は、184カーブです。

184番目のカーブを過ぎると長野県軽井沢町に入ります。
シーズンオフの平日ですから避暑地軽井沢の街並みは人気が少なく静まり返っていました。

中軽井沢を過ぎた所でR18碓氷バイパスと合流し、交通量は一気に増え大型トラックが非常に多くなってきたので別ルートで上田へ向かうため、浅間サンライン入口交差点を右折して県道80(浅間サンライン)で進むが、多くの長距離トラックもこの道を選択しているようだ。


 ・R18にて 前方の雪山は浅間山

アップダウンは多いものの信号は少ないので巡航速度は高く、おまけに高台を走っているので左手には街道沿いの街並みが眺められ、御代田、小諸を通過する。

やがて東御市に入り浅間サンラインは県道79に変わり、標識には長和町や立科町、霧ヶ峰、松本方面と出てくるので県道483へ左折、東御市内(旧・東部町)を通過し、R152で上田市内へと入って旧・丸子町からはR254へ右折、さらに西へ鹿教湯(かけゆ)温泉方面へ5kmほど進むと待望の霊泉寺温泉入口の看板が現れた。

国道から左に折れ田舎道を2kmほど緩やかな山道を進めると赤い欄干の小さな橋(寺前橋)を渡ると僅か数軒しかない霊泉寺温泉に到着です。
時代に置き去りされた感じのする湯治場の一番奥が今宵の宿“松屋旅館”であった。


 ・霊泉寺温泉 松屋旅館(※翌朝の撮影)

つづく


本日の走行距離  207.1km
〃  燃費   14.6km/l
Posted at 2017/04/15 20:47:41 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「@銀プリ2 さん、辛いですが1週間は静養せねば・・・( ノД`) くれぐれもお大事にしてくださいね。」
何シテル?   01/09 16:04
この度、歳相応に落ち着いた雰囲気を持つレガシィアウトバックに乗換えました。 前車レヴォーグではアフターパーツが豊富で、皆さんの弄りを参考にさせていただきな...
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