
10月27日
瑞泉寺の鐘音で目が覚める予定だったが、不覚にも気付かず7時を過ぎた頃に目覚めた。
昨日、寺の奥に見えた山は朝靄に覆われていたが、天候は徐々に回復し始めている様子で天気予報でも日中は晴れとのことで、今日も天候に恵まれそうである。
窓を開け静かな門前を眺めると、朝の空気が少し重たく感じる。
暫くすると女将より朝食の声がかかる。
手際よく布団が片付けられ、少し間を置き朝食が運ばれてきた。
まさに上げ膳据え膳である。
少々質素だが味付けも程よく、ご飯もまた美味しかった。
米処でもある富山県は良質な水に恵まれているのだろう。

・朝食の膳
食後は目の前の瑞泉寺をお参りする。
井波別院瑞泉寺は明徳元年(1390年)本願寺5代綽如上人によって開かれ、広く加賀・能登・越中・越後・信濃・飛騨・6カ国の有縁の人々から浄財を募り建立された。
北陸の浄土真宗信仰の中心として多くの信者を集め、又越中の一向一揆の重要拠点ともなった寺院となっていき、15世紀末には井波城と称され福光城主石黒氏を破るとともに、井波の町は寺内町として発展していった。
16世紀佐々成政の軍勢に攻められ焼き払われるが、後に本堂、太子堂、大門など、何れも地元の井波建築、井波彫刻、井波塗師の優れた技を集めて再建されたものだそうだ。

・大門(山門) 天明5年(1785年)

・本堂 明治18年(1885年)に再建

・太子堂 大正7年(1918年)に再建

・井波彫刻 匠の技があらゆる所まで施されている

・高岡門 左手前は井波彫刻師の作業場が並ぶ
チェックアウトの時刻はとうに過ぎていたが、この先の目的地もあることから名残惜しく井波の地を後にする。
15分程で北陸道・砺波ICに入り新潟方面へと進むが、ふと富山名物の鱒寿司を買っていないことに気付いた。
となると、富山県内のSAで手に入れなくては・・・
途中、有磯海SAで家族へのお土産に鱒ずしやホタルイカなど購入するが、選択肢が多いので2段重ねの鱒寿司と普通の鱒寿司、味付きホタルイカも3種類入りと卵入りを選び、大きなイカめしと鰤の昆布巻きも目に入ったので購入する。
腕時計を見たら12時少し前だし、まだお腹が空いていなかったので出発することにした。
新潟に向かう北陸道の交通量は非常に少なく、左手彼方には日本海が絶えず付き添ってくれて実に快適な走行である。
もちろんレヴォーグ自慢のACCとALK常用なので超~っラクチン♪

・北陸道走行中
淡々と走るうちに、お腹も空いてきたので休憩を兼ねて名立谷浜PAに立寄る。
小さなPAなので、メニューを見てもどれも食べる気にならなかった。
しかし売店で、鱒寿司や笹巻寿司、鯖寿司のおにぎりが目に留まったので、日本海を眺めながらピクニック気分でランチすることにした。
晴れていても風が冷たく肌寒かったが、とても気持ちの良い昼食となった(^^♪

・今日のランチ
PAを出て直ぐに上越ICで一般道に降り、R18を少し走って県道を右折して内陸部へと舵を切る。
次の目的地は、松代にある星峠の棚田だ。
途中R253に合流し上越市大島へ向かう、何れの道も相変わらず交通量が少なく淡々と流れ、秋の里山を眺めながらのドライブとなった。
大島からは県道を少し走りR403に入ると、星峠の棚田は直ぐそこだ。
観光客は殆どおらず静寂に包まれた棚田は稲刈り作業も既に終わり、斜面に沿って幾重にも細かく仕切られた畦が鮮明に眺めることが出来た。
一昨年来た時は、未だ稲刈り前だったので棚田の表情が良く解らなかったが、今回はとても棚田の顔が良く見えて、日本の秋という季節感を存分に堪能しました。

・星峠の棚田

・棚田をバックに撮れず看板前でワンショット
もう少しこの地に留まっていたかったが、山間の日暮れは早く寒くなってきたので、今晩の宿へと向かうことにする。
山向こうの六日町から先は半分地元のようなものだ。
六日町ICから関越道を走り、塩沢石打SAで本日最後の小休憩をして湯沢ICで降りて県道で土樽方向へと進むと岩原、中里と続く。

・塩沢石打SAにて
今回は、中里スキー場近くのスキーロッジに世話になることにした。
オフシーズンなので、客は自分のほか一人だけである。
少し古い建物であったが確りと手入れされた内部で、主は農業と兼業している物腰の柔らかな方でした。
部屋はスキーロッジなのでそれなりですが、エアコンで温められコタツの準備と布団が敷かれており、とても気遣いが感じられて妙に嬉しくなってしまった。
しかし、温められた部屋には時間が経つにつれ、例のカメムシが続々と・・・
この後、深夜まで格闘が続くのは言うまでもない(´;ω;`)ウゥゥ
※本日の走行距離 256.7km 燃費 15.4km/l
つづく、
Posted at 2016/10/30 19:49:27 | |
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