
以前より、2011.3.11東日本大震災で大津波被害にあった岩手・宮城沿岸の惨状が、各種メディアを通じて目にし、心をずっと痛めていました。
特に、岩手県の
陸前高田市、宮城県の
気仙沼市や
石巻市などが、震災から6年を経過した時点でどれだけ復興されているのかどうか、映像だけでは解らない部分を自分自身の目に焼き付けておこうとずっと考えていたので、行楽地などが空くGW明けを見計らい出掛けてきました。
この地域は
首都圏からだと500km前後も離れている地であり、復興している最中に見学することは、僅かな義援金を出したくらいで
冷やかし半分みたいな後ろめたさも感じ、なかなか決断することが出来ませんでした。
しかし、あまりに時間が経過してしまうと、その過程がいつまでも理解出来ないのでは?と考えるようになり、今回思い切って
被災地を訪ねてみることをしたのです。
以下を読まれて気分を害する方もいらっしゃるかもしれませんが、どうかご理解とご勘弁をくださいますようお願い申し上げます。
5月15日(月)曇り
のち小雨
初日は気仙沼市に泊る計画をしたので、遠回りであっても少しでも多く回れるように
東北道で一気に岩手県一ノ関まで北上し、そこから太平洋側へと向かうコースにしました。
朝6時に自宅を出発し、首都高・新郷より入り東北道を進みます。
地元埼玉県を離れ、群馬県、栃木県、福島県、宮城県を次々に縦断し岩手県へと快走します。
途中、黒磯PAで休憩を兼ねて朝食、続いて泉PAで休憩、一ノ関ICで東北道と別れ、今度は一般道を走ります。

・東北道 黒磯PAにて
一ノ関からは東の太平洋に向きを変え県道19号(※県道は以下K〇〇と記す)を進んでいきます。
殆ど信号のない田舎道を淡々と走ると、やがてJR大船渡線(ドラゴンレール)と並行し猊鼻渓の看板が目にとまります。
時計の針は既に12時を回っていたので、ここで昼食を摂ることに・・・。
猊鼻渓は、厳美渓と共に国の名勝に指定された景勝地で、砂鉄川の両岸に高くそそり立つ石灰岩の壁が連続し奇岩や岩肌を流れる小さな滝が点在しています。
付近には幽玄洞(鍾乳洞)もあります。
猊鼻渓の由来は、峡谷出口近くに侵食された鍾乳石が獅子の鼻に似ていることから名付けられたそうです。
※ 猊とは獅子のこと。

・ここから上流側が厳美渓

・観光船乗り場
・

・鮎定食 炭火焼だが焼き過ぎでバザバサ、その他も味は日光の手前(今市・残念!)

・厳美渓末端の堰(砂防ダム)とそそり立つ石灰岩の壁

・鷺?

・砂鉄川を渡る大船渡線のキハ100系気動車
時間があれば手漕ぎする船頭さんが操る船に乗り、マッタリと風情を楽しみたいところですが、今回は
時間の関係で残念ながら入口付近の見物と昼食のみです。(以前この地に訪れたのは、なんと半世紀前!)
摺沢駅を過ぎK19からR343(今泉街道)を進んでいきます。
途中の山間地では立派なループ橋があり、ここで一枚撮りたかったのですが駐車場所や悪天のため断念(泣)
山道を下っていくと
陸前高田市の標識現れ、続いて気仙川を渡りR340(高田街道)へ右折、少し下った所にあったGSで給油する。
MFD表示には17.1km/lの好燃費(自宅からココまで)、今回の走行で最も良い数値を記録。
GSから更に海方向へ進んで行くと周囲の風景は、
左右には何ひとつなく地盤改良の盛り土だけが目立つ異様な光景へと一変した。
要するに、大津波被害のあった
被災地へ初めて踏み入れた瞬間なのだった。
ナビの画面には、まだ海の表示が出ていない・・・(絶句)

・高田街道 津波被害地区にて(海側)

・高田街道 津波被害地区にて(海側・何とも高い盛り土)

・高田街道 津波被害地区にて(山側)
異様な光景となってから2km以上も進むと、R45(東浜街道)に突き当たる。
交差点右側手前には奇跡の一本松駐車場と記され、右奥先には小雨降る中で
奇跡の一本松が薄っすらと佇んでいたのであった。

・奇跡の松駐車場から
車を置き霧雨の中、大規模な盛り土作業や掘削している工事現場の周囲を大きく回り込むような工事用フェンスで延々と取り囲まれている専用歩道を20分程歩きましたが、途中ですれ違った観光客は僅か数人でした。
奇跡の一本松は残念なことに
震災の翌年枯れれてしまいましたが、復興のシンボルとして人工的なものと変わりましたが、その
種子(松ぼっくり)から小さいながら苗として
子孫を残すことができたようです。
この奇跡の一本松より海側にあるレモン色の鉄筋コンクリート造の建物は、
津波による無残な姿を晒しており、左側は大きくひしゃげ
自然災害の恐ろしさを物語っています。
すぐ脇を流れる気仙川(2級河川)にかかるR45の橋(気仙大橋)も未だに仮設橋です。

・奇跡の一本松(かつて松原だったのが信じられない)

・案内板

・気仙川脇にあった河川表示板(津波の引き波でか?海側に根元からひしゃげていた)

・至る所に緊急避難の案内板が・・・

・気仙川に掛かるR45仮設橋(本橋は隣(上流側)に新設工事中)
首都圏に住む自分には、震災から6年以上も経過したことで記憶が徐々に風化しつつありますが、未だに復興途上にある広範囲の惨状を目にし、
被災され命を落とされた多くの方、未だに不明者の方、たとえ無事であっても全てを失った方々のことを考えるだけでも心が痛み・・・ただただ祈る術しかありませんでした。
この気仙川を渡り少し走ると宮城県
気仙沼市となりますが、気仙沼港までは30分程の道のりとなります。
港に着くと、ちょうど大島からのフェリーが入港中でした。
この
フェリー船も津波で陸に打ち上げられ被災したものの、見事に
復活を遂げ活躍していますが、近々この大島に
橋が掛かり、廃止される運命にあるそうです(涙)

・気仙沼港に入港中の大島フェリー

・気仙沼 海の市シャークミュージーアム
気仙沼港と言えば、フカヒレと縁があるとよく耳にします。
この港近くには、海の市シャークミュージーアムがあるので、見学してみましょう。
津波被害にあったもののリニューアルされ街の活性化に一役買っていますが、訪れた時刻が夕方4時近くであったことから館内は閑散としており、特産品を売っているお店には観光客らしき姿は僅か数名だけでした。
何とも寂しい限りです。
先ずは2階にあるシャークミュージーアムへ、見学客の姿は無く私一人だけ・・・(゚д゚)!
日本で唯一のサメ博物館で、貴重な展示資料は津波被害を受けず
無事だったようです。
入場すると震災の生々しい記憶ゾーンから始まり、海と生きるゾーン、シャークゾーン、絆ゾーンと4つのエリアに分かれ、それぞれ解り易く解説されており
大変お勉強になりました。

・震災前の街並み(記憶ゾーン)

・震災直後の街並み(記憶ゾーン)

・震災後、瓦礫を片付けた街並み(記憶ゾーンにて)

・ホオジロザメの大型模型(シャークゾーン)デカっ!

・ジンベイザメの大型模型(シャークゾーン)これまたデカい!

・サメの皮とウロコの活用(シャークゾーン)自分はおろし金しか知らなかった(^^ゞ
また館内1階には
巷で賛否両論のあった氷の水族館が併設され、ここも見学(別料金)することにします。
-20℃の冷凍庫の中に入ってでの見学ですから、用意されている真っ白な防寒コートを着て簡単な説明の後、いよいよ
冷凍庫内へ突入です!
ここでも私一人Σ(・ω・ノ)ノ!

・氷の水族館内部

・氷の宝船

・ゆるキャラならぬ硬キャラの ホヤぼーや
庫内で素手のまま写真を撮りまくっていたので、
寒冷地仕様のGちゃんでも手だけは少し辛かった。
もちろん、素手で展示品に触ると手がくっついてしまいます
(おさわり厳禁!)
この庫内に30分近くもいたので、係の尾根遺産(お姉さん)が「寒くなかったですか?よくいられましたね~、普通だと10分も我慢できずに出てきちゃう人が殆どなんですが・・・」と半ば呆れ顔で言っていました。(;´▽`A``
スマホでもう少し撮りたいので再度入ってイイ?と聞いたらNGだって!
時計を見ると16:50、閉館が17:00なので本日最終の見学客かも?
早く片付けてチャッチャと帰りたかったのねん。
本日泊る宿に到着時間の連絡をして出発です。
ここからだと20分位で行けるそうだ。
再び走り出すが国道までのナビの指示は、
ことごとく復旧工事で通行止めばかりで玉砕!
まるで
迷路に入り込んだかのようで、脱出に
難儀してしまいました。
どうにか港周辺から抜け出すことに成功しホッとする。
今宵の宿は、気仙沼湾南側突端の岩井崎にある。
R45岩井崎入口交差点を左折し、岬に向かい少しずつ海側へ下っていくと陸前高田市の被災地に入った時と同様、目の前が一変し例の盛り土が現れ、その中をさらに進むと左手に学校と思われる鉄筋コンクリート造の校舎がポツンと建っていた。
車を止めよく見ると、
3階まで柱だけで窓枠さえ残っていない津波の大きな爪痕が・・・Σ( ̄□ ̄|||)

・大津波は3階まで吞み込んだ・・・絶句
うす暗くなってきた道を更に進むと海岸線に近づき、低い護岸と並行するように岬へと道は続いていた。
時折この護岸からは波しぶきがあがり、
この様な場所に今晩泊るのかと思うと恐怖すら感ずるようになって、予約したことを後悔し始めたのだった。

・荒涼とした海岸線
岬近くには僅かに小高い丘と松林が見え、この手前数十メートルだけが工事中の高い護岸が造られていた。
宿は、狭い道路を挟んで盛り土の上に建つ
津波復興された民宿・沖見屋であった。

・工事中の高い護岸壁(宿2階の部屋から)

・旅館民宿 沖見屋(悪天候のため翌日撮影)
つづく
本日の走行距離 : 511.8km
〃 燃費 : 16.3km/l