
◇ 余裕 ◇(読み)ヨユウ
1、必要分以上に余りがあること。
限度までには余りがあること。
2、ゆったりと落ち着いていること。
心にゆとりがあること。
3.ベトナム語=Phòng
4、ベラルーシ語=Пакой
5、アラビア語=الغرفة
6、イボ後=Ime ụlọ
先日、近所の片側1車線の生活道路の歩道を歩いていました。
丁度コンビニの駐車場に差し掛かっていたところなんですが、
そこから出ようとする車がいました。
私とは少し距離があったので特に気にはしていなかったのですが。。。。
本線からは路上教習中の教習車両が法定速度程度で向かって来ていました。
恐らく、一般的に無理と思う距離(車間)だったと思うのですが、行き成り飛び出してきました。
歩いていた私でさえ「おぉっ!」と思うタイミングでしたので、
教習車の教官は勿論('◉⌓◉’)の事、
教習運転中の生徒さんはもっとビックリされたのではないでしょうか。
急合流してきたのは、普通の国産の一般的に良く見かける車種でした。
運転していたのは、ごく普通の営業マン風のネクタイ姿の30代くらいの社会人(と思われる)だったのです。
何気ない顔でブィ~ンと踏み込んで走り去りました。
周りを見ていないオバチャン風でもなく。
距離感とタイミングがズレるご老人でもなく。
やんちゃが過ぎる感じの元気世代なニイちゃんネェちゃんでもなく。
ごく普通のサラリーマン風の人のポーカーフェィス(いや、ちょっとニヤケてたか)にちょっと唖然としてしまいました。
もし同じ距離とタイミングで「コワイ感じ系の車」や「大型車」が来ていても割り込んできたのかな?と思ったり(笑)。
人のタイプや車の雰囲気や車種で判断をして、突っ込んできているのならば
本当に悲しい事だと思います。
車の操作とか、車内の言動とか、その人の内面や本性が現れるとも
免許更新センター等で良く言われますよね。
なにも、ベッタベッタの車乗ってる人が気が荒い訳ではありませんし、
お客を乗せる仕事の方が優しい気質とも限りません。
原作漫画の「デビルマン」の最終回で描かれる世界、
「姿ではなく、本当の悪魔は人の心に在る」 的なものを感じました。
大袈裟ですかね(笑)。
でも神仏や信仰、先祖を敬う心も、「人の中」から生まれるのならば、
”怖いもの”を生み出しているのも 「人」なんですよね、きっと。
やっぱり大袈裟ですね(笑笑)。
流行り廃り(現在巷で話題のトレンドは割愛^^)はあるのですが、
一時期はアオリ&アオラレが流行った頃がありました。
(・・・(゜ロ゜)!今更感がハンパない!)
当時、” 個人的 ”に感じていた事・・・なのですが、、、、
アオラレてしまう側の方にも、多少は原因があるのでは、、、、? と。
・法定速度に拘って、後方に列を作ってしまう。
・ウィンカー出すのが遅い、または出さずに斜線変更。
・中央の白線を跨いで走行している。
・ブレーキが急、または頻繁すぎる操作。
・ハイビームのまま(昔はLowでも停止の度に消してませんでしたっけ?)
・急に割り込む、強引、相手に急ブレーキを踏まさせる。
誰しも「どうなるのか」「どうあれば良いのか」を意識し考え、【配慮】することで(車社会に限らず)一般的な社会生活ではトラブルを避ける様に気遣いをされていると思っています。
分かりやすいタイプの”気の短~い人”ならば、
昭和時代の方が沢山 居た(見れた)かもしれませんよねw
タケヲワッタヨーナセイカクノヒトトカ♪
笑顔の裏でSNSで毒を吐く?(笑)現代社会だからこそ、”トラブルになり難い運転を心がける必要”もある気がします。
現実として、
交差点の対向車線で、右折車1台の為に後続が停滞しているのに
誰も停止しない反対車線。
信号の無い横断歩道脇で通行人が待機しているのに間も空けようとせずに
我急げと連なり通過する車たち。
停止したり譲ったりすると、後続車にクラクション鳴らされる現代では、
”関わらない・原因を作らない”
風習が根付いても仕方ないのでしょう。。か。。。
でも、平然と高速道路の「追い越し車線」を走「行車線と同じ速度」
で巡航している車(運転する人)も沢山居るのも事実です。
公道で周囲に【配慮】すると云うことは、、、、
気ィばっかり遣って、余計に疲れたりするのかもしれません。
結局はストレスが溜まってしまい、
益々余裕の無い人が増えてしまうのかもしれませんね。
皆急いで何処に向かうのか(笑)
他人より前を走りたいならば、早く着きたいのならば、
5分早く、10分早く出れば良いのに。
渋滞が嫌ならば、遅延時間分を想定してもっと早く出発するか、
公共機関にすれば良いのに。
それも【配慮】だと思う・・・今日この頃です。
トバシヤスイミチニハネズミトリガイルトソウゾウスルコトモ デスネ~ww